悪の美学
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
男は地獄にいた。
当然だった。
生前、善行など数えるほどもしていない。
国を滅ぼした。
英雄を殺した。
王を脅した。
金を奪った。
裏切った。
騙した。
燃やした。
壊した。
殺した。
悪逆非道を絵に描いたような人生である。
だからこそ、男は地獄の業火に焼かれながらも不思議そうな顔をしていた。
「ぬるいな」
周囲の亡者達が震え上がる。
「ひぃっ!」
「ひ、火刑百年コースだぞ!?」
「なんで平然としてるんだ!?」
男は鼻で笑った。
「生きていた頃の方が厳しかったな」
そんな時だった。
天上から一本の蜘蛛の糸が垂れてきた。
金色に輝く神々しい糸。
亡者達が歓声を上げる。
「く、蜘蛛の糸だ!」
「救済だ!」
「神の慈悲だぞ!」
男は見上げる。
雲の向こうから声が響いた。
『お前にも、わずかばかりの善行があった。地獄から抜け出す機会を与えよう』
神の声だった。
男は数秒ほど考えた。
そして。
「ほう」
ニヤリと笑う。
『さあ、登るがよい』
「なかなか良い心がけだな」
『うむ』
「俺を助けようとは」
『うむ』
「だが」
男は蜘蛛の糸を掴む。
亡者達が期待に目を輝かせた。
そして次の瞬間。
ブチッ。
自ら糸を切った。
沈黙。
神も亡者も固まった。
『……は?』
神が思わず聞き返した。
男は肩を竦める。
「無用な気遣いだ」
『いや待て』
「俺は俺の意思で悪をなした」
『待て待て』
「誰にも否定はさせん」
『いやそのための救済なんだけど』
「だから、俺が行った事による結果は全て俺のものだ」
『聞け』
「地獄も受け入れる」
『聞いてくれ』
「逃げん」
『珍しく救済を』
「断る」
『断るなぁぁぁぁぁ!!』
神の絶叫が地獄全体に響き渡った。
◇
三日後。
男は地獄第五階層を支配していた。
「なぜだ」
閻魔が頭を抱える。
男は玉座にふんぞり返っていた。
座っているのは本来、閻魔の席である。
「簡単な話だ」
「どこがだ」
「亡者共は罰を嫌がる」
「当然だろう」
「だから罰を楽しめるようにした」
「何を言っている?」
閻魔が見下ろす。
そこでは亡者達が全力疾走していた。
溶岩の中を。
「目標達成で休憩五分だ」
「ブラック企業か貴様は」
「向上心を持て」
「亡者に言うな」
しかし不思議なことに、亡者達は以前より元気だった。
「昨日より長く走れたぞ!」
「俺は火あぶり二倍に成功した!」
「次は溶岩潜水だ!」
閻魔が震える。
「地獄への適応を促進してる……」
「良いことだろう」
「良くない」
◇
一ヶ月後。
地獄の生産性が三倍になった。
「何で?」
神々会議で議題になった。
閻魔が泣きながら報告する。
「亡者が自主的に拷問を希望しております」
『何で?』
「より強くなるためだそうです」
『何で?』
「理由を聞いたら」
閻魔は資料を見た。
「“苦痛程度で音を上げるとは情けない”と言われたそうです」
神々は頭を抱えた。
『元凶は?』
「例の男です」
『やっぱりか』
◇
三ヶ月後。
男は地獄全域を掌握した。
「閻魔」
「何でしょう……」
「茶」
「はい」
閻魔が淹れる。
「熱い」
「申し訳ありません」
入れ直す。
神々は天界からそれを見ていた。
『閻魔が顎で使われてる……』
『地獄の最高責任者なのに……』
『あいつ何なの?』
◇
半年後。
男は地獄改革を始めた。
「まず、業務改善だ」
「地獄に業務改善はいらん!」
閻魔が叫ぶ。
「無駄が多い」
「罰に効率を求めるな!」
「あと、人材育成」
「亡者だ!」
「適材適所」
「亡者だ!」
「目標管理制度」
「亡者だと言ってるだろうが!」
しかし結果として。
地獄の運営効率は史上最高を記録した。
◇
一年後。
神はとうとう地獄へ降りてきた。
「おい」
「何だ?」
男は相変わらず玉座だ。
しかも閻魔に肩を揉ませている。
神は額を押さえた。
「お前、本当に天国へ来る気はないのか」
「ない」
「なぜだ」
男は笑った。
傲慢で。
堂々としていて。
どこまでも悪党らしく。
「美しくないからだ」
「は?」
「俺は悪だ」
男は立ち上がる。
「悪とは責任だ」
「……」
「奪ったなら背負う。壊したなら受け入れる」
そして地獄を見渡した。
「だから俺はここにいる」
「……」
「だが、せっかくいるなら退屈は嫌いだ」
神は静かに目を閉じた。
理解はできない。
理解したくもない。
だが一つだけ確かなことがある。
「お前」
「何だ」
「地獄で一番迷惑な亡者だな」
男は豪快に笑った。
「誉め言葉だ」
その日。
地獄は正式に男の管理下へと移行した。
閻魔の肩書きは副官になった。
神々は会議で満場一致の決議を出した。
『頼むから天界には来ないでください』
男はその通達を読んで大笑いした。
「なるほど」
「何がおかしい」
閻魔が聞く。
男は愉快そうに言った。
「神に恐れられるとは」
そして胸を張る。
「悪として、これ以上の勲章はないな」
地獄中の亡者が拍手した。
神々は全員、胃薬を飲んだ。
今日も地獄は平和だった。
お読み頂き、ありがとうございます。




