第六話 「聖女の正体と、三ヶ月前の答え」
魔法師が来るまでの間、広間は静かだった。
不思議な静けさだ。
嵐の前——というよりは、水面が張り詰める直前の静けさ。
誰もが何かを待っている。
でも何を待っているかは、人によって違う。
殿下は、アリシアが黙ることを待っていた。
エルメラは、この場が終わることを待っていた。
老侯爵は、どちらが本当のことを言っているかの答えを待っていた。
私は——確認を待っていた。
知っていることを、この場の全員に知らせるための。
扉が開いた。
入ってきたのは、白衣を着た老齢の男性だ。
王家付きの魔法師——テオ・ランバート卿。
この国で魔力の鑑定を行う権限を持つ、数少ない人物の一人だ。
彼は広間を見渡して、国王に深く礼をした。
「お呼びとのことで」
「ランバート卿、一つ確認をお願いしたい」
国王が静かに言った。
「聖女の光について、見ていただけますか」
「承知いたしました」
ランバート卿は、エルメラの方へ向いた。
エルメラが、小さく身をすくませた。
「エルメラ・コルト嬢でしたか。先ほどの光を、もう一度見せていただけますか」
「……はい」
エルメラが、また両手を胸の前で組んだ。
今度は、さっきより動きが遅い。
緊張しているのが、ここからでも見える。
光が、また生まれた。
白い光。
きれいな光。
ランバート卿が、その光に向かって一歩踏み出した。
懐から小さな器具を取り出す。
水晶のような、透明な石だ。
それを、光にかざした。
広間が静まる。
石が——色を変えなかった。
ランバート卿の眉が、かすかに動いた。
「もう少し、近くでよろしいですか」
エルメラが、一歩下がった。
「……エルメラ嬢」
ランバート卿の声が、少し変わった。
穏やかだけれど、有無を言わせない声だ。
「拝見させてください」
エルメラが、右手を握りしめた。
そのままで、光が消えた。
——消した、というより、切れた。
糸が切れるように、突然。
「ランバート卿」
私は口を開いた。
「エルメラ様の右手の薬指を、確認していただけますか」
エルメラが顔を上げた。
その目に、初めて——恐怖の色が混じった。
「な——なんのことを——」
「小さな傷がございます」
私は静かに続けた。
「三ヶ月前から、ずっと気になっておりました」
エルメラが後ずさった。
殿下が手を伸ばしてエルメラの肩を掴んだ——止めるためか、支えるためか、私にはわからない。
「アリシア、いい加減に——」
「殿下」
国王が、一言だけ言った。
殿下の手が、止まった。
ランバート卿が、エルメラの右手を取った。
エルメラが抵抗しようとして——できなかった。
広間全体が、固唾を飲んで見ていた。
ランバート卿が、薬指の傷を確認した。
しばらく、黙っていた。
その沈黙が、ひどく長く感じた。
「……陛下」
ランバート卿が、顔を上げた。
「これは」
一拍、置いた。
「魔力触媒石の埋め込み跡です」
広間が——静まった。
完全な静寂。
蝋燭の炎が揺れる音が、聞こえた気がするくらいの。
「魔力触媒石とは」
国王が問うた。声は変わらず静かだった。
「魔力を持たない者が、外部から魔力を借りて現象を起こすための道具です。
本来は医療用途に限定されておりますが——」
ランバート卿が、エルメラの手をそっと放した。
「これを皮下に埋め込むことで、魔法師の術式を疑似的に再現できます。
聖女の光もまた、その術式の一つです」
「つまり」
老侯爵が、低く言った。
「その光は——先天的なものではない、と」
「はい」
ランバート卿は、はっきりと答えた。
「これは人工の光です」
エルメラが、膝から崩れた。
音がした。
ドレスが床に触れる、柔らかい音。
殿下が腕を掴もうとした。
でも自分もまた、一歩後ずさっていた。
広間が、ざわめいた。
さっきとは違うざわめきだ。
驚きではなく——理解の音だ。
「なんてことだ」
「聖女が偽物……?」
「ではあのお二人は——」
「最低なのは、どちらだ」
声が、次々に上がる。
私はそれを、扇の陰で静かに聞いた。
天秤が、動いた。
今度こそ、はっきりと。
戻らない方向へ。
「なぜわかったの」
エルメラが、床から顔を上げた。
泣いていた。
でも今の涙は、さっきとは違う。
演技ではない涙だ。
「なぜ——なぜあなたにわかったの、アリシア」
私は、少し考えた。
なぜ、と問われると。
答えは一つしかない。
「三ヶ月前から、ずっと見ていましたから」
エルメラが、目を見開いた。
「舞踏会の練習の場で、あなたの右手が光を使うたびに少し震えることに気づきました。
触媒石を埋め込んだ直後は、神経への負荷があると聞いております。
それが気になって——確認しました」
「……確認って」
「王家付きの医師に、触媒石の埋め込み跡の特徴を伺いました。
三ヶ月前に」
エルメラが、口を開けたまま、何も言えなかった。
「ずいぶん……ずいぶん前から」
「ええ」
私はうなずいた。
「準備は、すべて整えておりましたの」
広間が、また静まった。
今度の静けさは——違う。
さっきまでの「誰が本当のことを言っているのか」という揺れではなく。
「この場を、最初から設計していた者がいた」という、静かな理解の静けさだ。
老侯爵が、低く息を吐いた。
若い令嬢たちが、顔を見合わせた。
そしてカイが——壁際で、ほんの少しだけ、口元を動かした。
笑ったのかもしれない。
遠くてよく見えなかった。
エルメラの聖女資格は、この場で剥奪された。
国王の口から、静かに、しかし明確に。
「エルメラ・コルト嬢の聖女候補登録を、取り消す」
その一言で。
エルメラが、また泣いた。
今度は声を上げて。
殿下が、エルメラの肩に手を伸ばして——それから、手を引いた。
その動作を、広間の全員が見ていた。
私も、見ていた。
——ああ。
殿下は、知っていたのだ。
触媒石のことを。
知っていて、聖女として仕立て上げた。
それがこの場で、全員に伝わった。
言葉にしなくても。
殿下が手を引いた一瞬で。
「アリシア嬢」
国王が、私を見た。
「はい、陛下」
「まだ、話が残っているだろう」
私は深く礼をした。
「はい。もう少しだけ、お時間をいただけますか」
国王がうなずいた。
私は顔を上げて、殿下を見た。
殿下の顔は、青を通り越して、灰色に近かった。
「殿下」
私は静かに言った。
「クロード・ミラ様のことを、まだ確認させてください」
三月十五日の夜。
その答えが——まだ残っている。
そしてその答えの先に、殿下への断罪の仕上げがある。
扇を、もう一度開いた。
懐には、まだ紙がある。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
エルメラ様の聖女認定が、取り消されました。
三ヶ月前から。
アリシアはずっと、見ていた。
そして殿下が手を引いた一瞬——あの動作の意味が、おわかりになりましたか。
懐には、まだ紙があります。
クロード・ミラと、三月十五日の夜の話が、残っています。
次話から、殿下への仕上げが始まります。
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次話もお待ちいただけると嬉しいです。またお会いしましょう。




