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婚約破棄してくれて、ありがとう。準備は三ヶ月前から整っていました  作者: 銀月ソフィ


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第五話 「聖女の光と、陛下の沈黙」

国王が、広間に入ってきた。


 それだけで、空気が変わった。


 三百人が、いっせいに頭を下げる。

 私も、深く礼をした。

 膝を折らずに済む身分で、よかったと思う。

 今夜は、立っていなければならない。


「楽にしなさい」


 国王の声は、静かだった。

 怒っているのか、いないのか——その声だけでは、わからない。


 顔を上げる。


 国王は、広間の中央へ向かって歩いていた。

 王妃がその隣に並ぶ。

 扈従たちが後ろに続く。


 殿下が、一歩踏み出した。


「父上、これは——」

「わかっている」


 短く、遮った。

 殿下が口をつぐむ。


 国王は歩みを止めずに、広間の上座へ向かった。

 用意されていた椅子に、ゆっくりと腰を下ろす。

 王妃が隣に座る。


 そして国王は、広間全体を、静かに見渡した。


 その視線が通るたびに、貴族たちが身を固くする。

 殿下のところで、一瞬だけ止まった。

 エルメラのところで、もう一瞬。

 そして——私のところで。


「続けなさい」


 もう一度、そう言った。


 誰に向けているのかは、まだわからない。

 でも私は前を向いたまま、扇を静かに開いた。


 ——続けろということなら、続ける。



「父上、アリシアは私を罠にはめようとしております」


 殿下が、また口を開いた。

 今度は遮られなかった。


「書状は偽造であり、宿屋の主人も買収された者です。

 そしてクロードの証言が示す通り、アリシアこそが——」


「ライナルト」


 国王が、一言だけ言った。


 殿下が止まる。


「お前の話は、後で聞く」


 静寂。


 殿下の顔が、ゆっくりと青くなった。

 「後で」——その言葉の意味を、広間にいる全員が、それぞれの解釈で受け取った。


 私は扇の動きを止めないようにしながら、その様子を見ていた。


 ——なるほど。

 そういうことか。


 確信にはならない。

 でも、少しだけ——足元が固まった気がした。



「エルメラ・コルト嬢」


 国王が、エルメラに声をかけた。


「はい」

 エルメラが、か細い声で答えた。

「あなたが聖女候補であると聞いている。

 この場で、その力を示してもらえますか」


 エルメラが、顔を上げた。


 濡れた目が、国王を見る。

 それから——殿下を見た。


 殿下が、小さくうなずいた。


「……はい」


 エルメラが、両手を胸の前で組んだ。

 目を閉じる。


 広間が、しんと静まった。


 次の瞬間——光が生まれた。


 白い光だ。

 エルメラの両手の間から、柔らかく広がっていく。

 じわじわと、広間全体を包んでいくような——そういう光。


 貴族たちが、息を呑んだ。


「……聖女の光」

「本物だ」

「こんなに強い光は——」


 囁きが広がる。


 私は、その光をまっすぐに見ていた。


 きれいだな、と思う。

 本当に、きれいだ。


 でも。



 エルメラが光を放ちながら、両手を持ち上げた。


 その瞬間、袖がわずかにずれた。


 右手。薬指。


 小さな傷が、見えた。


 エルメラは気づいたのだろう。

 素早く右手を握りしめた。

 拳を作るように。

 まるで、その傷を——光ごと、隠すように。


 一瞬のことだ。

 見ていなければ、わからない。


 私は扇を、ゆっくりと動かした。


 ——ええ。

 そこですわよね。

 やはり、そこに。



 光が、静かに消えた。


 広間に、感嘆のため息が広がった。


「美しい光でしたわ」

「さすが聖女候補」

「アリシア様が嫉妬なさるのも——」


 後列の令嬢たちが、また囁き合っている。


 その声が、徐々にこちらへ向いてくるのがわかった。


 さっきまで揺れていた天秤が、また動いている。

 エルメラの光が——実力として認められた。

 そしてその光を「妨害しようとした」とされるアリシアへの目が、また冷たくなる。


 老侯爵でさえ、少し表情を曇らせた。


 追い詰められた。

 ——そう見えているはずだ。


 私は扇を動かしながら、広間を見渡した。


 きつい、とは思わない。

 想定の範囲内だ。


 ただ——聖女の光を実際に見たのは初めてで。

 あれがすべて人工のものだとしたら、ずいぶん手の込んだことをしたものだと、少し感心した。



「アリシア嬢」


 国王が、私の名を呼んだ。


 私は礼をした。


「はい、陛下」

「君の言い分を聞こう」


 広間が、また静まった。


 今度の静けさは、先ほどとまた違う。

 国王が——エルメラの光を見た後で、あえてアリシアに発言を促した。


 その意味を、鋭い者から順番に理解し始めた気配がある。


 老侯爵が、腕を組んだ。

 その目が、少しだけ変わった。


「ありがとうございます、陛下」


 私は顔を上げた。


「では一つだけ、確認させてください」


 エルメラが、肩を揺らした。


「聖女の光というものは」

 私はゆっくりと言葉を選んだ。

「生まれ持った力である、と認識しておりますが——」

「そうだ」

 国王が答えた。

「聖女の力は、先天的なものだ。後天的に得られるものではない」

「ありがとうございます」


 私は、エルメラに視線を向けた。


 エルメラが、握りしめた右手を、ドレスの裾に押しつけた。


「エルメラ様」

 私は静かに言った。

「先天的な力を持つ方の手に、後天的な傷がある理由を——」


「それ以上は」


 殿下が、遮った。

 声が、上ずっていた。


「アリシア、それ以上は許さない」

「あら」


 私は殿下を見た。


「何を、お許しにならないのですか」


 殿下が、言葉に詰まった。


 広間が、しんと静まる。


 国王が、何も言わなかった。

 ただ、その視線だけが——殿下の方へ、静かに向いた。


 私は扇を閉じた。


「では陛下、次にご確認いただきたいものがございます」


 懐に手を入れる。


「エルメラ様の聖女認定の経緯について——王家付きの魔法師の方に、同席いただくことはできますでしょうか」


 エルメラが、息を呑んだ。


 殿下の顔が、また青くなった。


 国王は、しばらく沈黙していた。

 長い沈黙だった。


 その間、広間の誰も、動かなかった。

 蝋燭の炎だけが、揺れていた。


「——呼びなさい」


 国王が、扈従に言った。


 扈従が、礼をして退室する。


 私は深く礼をした。


「ありがとうございます、陛下」


 顔を上げた瞬間——カイと目が合った。


 壁際の、いつもの場所。

 彼は何も言わなかった。

 ただ、ほんのわずか——目を細めた。


 それだけだった。


 私は前を向いた。


 魔法師が来る。

 エルメラの右手の傷の意味が、この場で明らかになる。


 その答えを——私は、三ヶ月前から知っている。

 ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


 エルメラ様の光は、きれいでした。

 本当に、きれいでした。


 でもアリシアは、ずっとあの右手を見ていました。

 光の中で、握りしめた拳を。


 魔法師が来ます。

 次話で、エルメラ様の聖女の光の「正体」が明らかになります。


 三ヶ月前からアリシアが知っていたこと——それが何なのか。

 お楽しみに。


 お気に召していただけましたら、ブックマークと評価をいただけますと、続きを書く力になります。

 次話もできる限り早くお届けします。またお会いしましょう。

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