第二王子の受難(もしくはざまぁ)
絢爛豪華な王城の自室で、王政国家ヴァルトハイム第二王子リヒト・ヴァルトハイムは、一人焦っていた。
「何故だ……私の計画は、完璧だったはずなのに」
婚約者だったロクセラーナ・ルセリオを、アムル=ナハシュの皇帝の第五夫人と差し出すことにより、帝国の庇護を得て足場を固め。新たな婚約者であるミユユの【魅了】スキルで、宮廷を掌握。邪魔な第一王子を退けて、自分が王になる計画だったのに、ロクセラーナの失踪で全てが狂った。
ロクセラーナとの婚姻がなくなったことで、帝国は怒り狂い、ヴァルトハイムに敵意を示した。そして、その原因を作ったとして現在リヒトは、宮廷中から責任を追及されている。事前に計画を話し、協力姿勢を見せていたものまで、すっかり手のひらを返し、リヒトを非難しだす始末だ。
「……大丈夫だ……まだ、巻き返せる。私にはミユユがいる。ミユユの【魅了】スキルさえあれば」
「――リヒト殿下。ミユユ・アークロンド様が面会を求められているとのことです」
「っすぐに通せ!」
護衛も使用人も全て遠ざけ、リヒトはミユユを自室へと招いた。彼女との密談を、他の誰にも知られるわけにはいかない。今のリヒトには、もう味方はミユユだけなのだ。
「ああ、ミユユ。私の最愛よ。今こそ君の力を、ふるう時だ。私のために、その素晴らしいスキルを使ってアムル=ナハシュの皇帝を篭絡しておくれ」
「……それは私に、アムル=ナハシュの後宮に入れということですか? ロクセラーナ様の代わりに?」
「愛しい君と離れるのは、私とて身を引き裂かれるように辛い。だが私はこの国の第二王子だ。国の為には、時に残酷な決断もしなければいけない。わかっておくれ、私の愛らしい小鳥。離れていても、君と私の心はいつでもつながっている」
跪いて、歯が浮くような甘い言葉をささやくリヒトに、ミユユは塵芥を見るような目を向ける。
「……本当に、愚かな人ね」
「へ? ……うぶぅっ!」
ミユユの白魚のような手が、リヒトの髪を掴んだかと思うと、女性の細腕からは想像もつかない強さで、リヒトの顔を大理石の床に叩きつけた。
「本当に愚かで使えない男……っ! この私が、不快感を押し殺してまで、都合の良い女を演じてやったというのに、『予言の乙女』を逃がすなんて。たった一日見張るだけのことが、何故できなかった……! どこまでお前は無能で使えないんだ」
「うぐっ! あがっ! ぐぶっ!」
「しかもこの後に及んで、あの御方を【魅了】で篭絡しろだと? あの御方が、私ごときの【魅了】なぞかかるはずがないだろう! 愚かにもほどがある」
「やめ……ぐっ……たす……があああっ!」
「お前のせいで、私まで叱責される……お前なんかを駒に選んでしまったせいで、この私まで……!」
鼻が潰れてとめどなく鼻血が流れ、歯が欠け、顔面の骨が陥没していくリヒトに気を止めることもなく、ミユユは片手のみでリヒトの顔を床に叩きつけ続けた。
何度も何度も、何度も。自分の気が収まるまで。
「……そうだ。愚かだったのは、お前なんかを駒にした私だ。だからこそ、私は自らその穴埋めをせねばならない。敬愛するあの御方のために」
手を止めたミユユは手のひらにまとわりついた血をうとましげに拭うと、汚いものでも掴むように指先でリヒトの金の髪を摘まみ、そのまま引っ張り上げた。
ぶちぶちと髪が抜ける嫌な音と共に顔をあげさせられたリヒトは、腫れあがった鼻血塗れの醜い顔を晒しながら、呆然とミユユを見つめた。
「なへ……なへだ、ミユユ……わたひをあいひてたんじゃ……」
「私が人間などというくだらない存在を。その中でもとびきり醜く愚かなお前を、愛するだと? 馬鹿も休み休み言え。私の心は、否、存在全てが、あの御方のものだ」
そこで初めてリヒトは、ミユユの正体を察した。
「おまへ……帝国のっ⁉」
「今頃気づいたか? だが、気づいたところで今更だ。お前はあの御方に金の薔薇を差し出すと言って、その約束を反故した。その事実が全てで、それだけでお前は帝国にとって万死に値する罪人だ」
猫のように細い瞳孔の目を向けながら、ミユユは声をあげて嘲笑する。
そして次の瞬間、リヒトがよく知る愛らしいいつもの姿で、優しく腫れあがった頬を撫であげた。
「ああ、愚かで可愛そうな、リヒト殿下。金の薔薇をお探しなさい。もしそれができれば私が貴方を王にして差し上げます」
「うぶっ!」
そして、ゴミを放り投げるように、その手を離したのだった。
再びしたたかに顔を打ち付けたリヒトの頭に、ミユユは唾を吐き捨てる。
「――できなきゃ、お前も私も破滅だ。せいぜい死ぬ気で足掻け。失敗したら、あの御方の手を煩わせる前に、私がお前を八つ裂きにしてやる」
最後に雑にその背中を一蹴りし、ミユユは踵を返して去って行った。ぼろ雑巾のようになったリヒトを、一度も顧みることもなく。
(全てを手のひらの上で転がした気になっていたのに……結局私は帝国に踊らされていただけだったのか)
プライドが粉砕され、打ちひしがれそうになったリヒトだったが、後悔に浸る暇もなくあわてて立ち上がった。
(……すぐに、ロクセラーナを探す手配をしなければ……)
リヒトには、何故帝国がそこまでロクセラーナに執着するのかはわからない。ミユユが漏らした「予言の乙女」という言葉の意味も。
だが、最後にミユユが言い残した言葉が誇張ではないことだけは知っていた。
(ロクセラーナを見つけなければ、魔族から殺される)
リヒトの中に、既に王になることへの野心はない。ただ迫り来る死の恐怖だけが、彼を突き動かしていた。