お猿の知らない裏事情
本日は22時半にもう一話投稿して、完結にします。
フェスティから数キロほど離れた森の中。
大樹に隠れて全てを見守っていた男が、金色の猫目を細めてため息を吐いた。
可愛らしい口調とは裏腹に、その背丈は高く。露わになっている上半身も、しっかりとした筋肉に覆われている。長い黒髪は高く一本で結ばれており、風が吹くたびに足元の枝木と一緒にゆらゆらと揺れた。
だが男の最大の特徴は、その背中と下半身だ。真っ黒な鳥の翼に、羽毛で覆われた鳥の脚。鋭い鉤づめで枝を掴んだまま、男はぶらんと蝙蝠のように逆さで枝にぶら下がり、がりがりと頭を掻いた。
「キーが久々にスキル使ったのににゃー。スキルゲージ溜まるまで、また待たにゃいと。あーあ。これじゃあ魔王様に褒めてもらえにゃいにゃー」
男の名前はキークス。魔王の側近を自称する、魔族の一人である。
彼の持つ先天スキルの名前は、【スタンピード】。魂を持たず、任意のターゲットを食い殺すことだけをインプットされた魔物を、大量に生み出すスキル。
一度スキルを使えば、ゲージが溜まるまでの間使えなくなるという難点はあるが、キークスはその強大なスキルを最大限に活用して、今までいくつもの都市や国を滅ぼしてきた。全ては敬愛する、唯一の主の為に。
「変異種のスタンピードを【予言の乙女】がいそうなとこで発生させれば、隠れてる【予言の乙女】が現れるかと思ったのににゃー。結局現れたのは、謎スキル持ちの猿一匹にゃあんて」
先天スキルは運命の女神ラケシアが、地上に生きる者全てを対象に、ランダムに与える能力。その対象には魔物や動物も含まれているため、水リスザルが弱点看破系のスキル持ちだとしてもおかしくはない。おかしくはないのだが、キークスからすればこの事実が大変腹立たしくもある。
「……これじゃあ、人間側の予言が正しいみたいで腹が立つにゃあ。魔王様は認めてにゃいのに」
星々が流れ落ちる刻、東の果ての地に運命を紡ぐ娘が生まれる。
彼女、猿とともに歩む剣士に寄り添わば、
彼が鍛えし刃は、闇に沈みし覇王を討つ光とならん。
グラディオンの王が信奉する予言者が、そんなふざけた予言をしたことは、上位魔族なら誰もが把握していることだ。だが同時に、誰もがその予言を信じていないのもまた事実。
何故なら彼らが絶対的主と仰ぐ魔王こと、アムル=ナハシュの皇帝エルシャド=ナヘル・ザガがその予言を否定したからだ。
強者を信奉する魔族にとって、エルシャドが言うことは絶対。エルシャドが白と言えば、黒い鳥も白くなる。
だからこそ、人間側の予言が真実になるなぞ、あってはならないことなのだ。
「あの猿、殺しておくかにゃ? ……いやいや、魔王様が人間側の予言に関しては捨て置けとおっしゃった以上、手は出せにゃいにゃ。というか、猿を殺すこと自体が、人間側の予言を信じたってことで、魔王様への背任行為ににゃるかも。それは嫌にゃ」
枝から足を離したキークスは、くるりと空中で一回転し、真っ黒な羽を広げる。
何はともあれ、今回の結果を魔王様に報告にいかねばなるまい。……おそらくはフェスティ近辺に滞在した魔族に誰かが既に報告しているだろうが、それでも自ら報告にいかねばキークスの気は済まない。
「褒めてもらえにゃいにゃら、叱ってもらいたいからにゃあ。あの美しいおみ足で、キーの顔を踏んでもらいたいにゃ。顔が陥没するくらい、めちゃくちゃに」
頬を染めてうっとりと叱責される未来に思いを馳せるキークスは大変気持ち悪いが、残念ながら魔族の中ではけして珍しい反応ではない。
圧倒的に強大な力を持つものに陶酔し、従うことに快感を見出すのは魔族の性と言ってもいい。その一方で力量差が少ないものには、格上であっても逆に闘争心を刺激され、虎視眈々と寝首を掻こうとするのもまた、魔族の性ではあるのだが。
「ああ、麗しの魔王様。あなた様の下僕が今、参りますにゃ」
取るに足らない23名の弱者の命を奪ったことには露とも罪悪感を抱くことなく、キークスは鼻歌交じりに敬愛する主のもとへと飛び立った。
「――フェスティの貧民街から、Cランクの傷薬と毒消し軟膏のレシピが広まっとる、やて?」
「は……さらには老舗リフェルリーナと同質の効果がある美容液が、安価で生成されだしたとか」
製薬ギルドのトップであるアンジェ・バーグマンは、丸眼鏡の奥の水色の瞳を大きく見開いた。
白磁の肌に、切れ長の水色の瞳。白銀の長い髪を持つ、美貌の青年であるアンジェは、200歳のハーフエルフだ。ぽかんとした表情すら麗しい彼に、報告に出向いたギルド職員は頬を染めて見惚れた後、慌てて報告を続けた。
「……Cランクレシピを購入した薬師達から、流出元の解明及び情報規制の嘆願が来ておりますが、いかが致しましょう」
「何言うとんのや、馬鹿らしい。そんな戯言、放っておきぃ」
西の地方特有の独特の方言を使いながら、アンジェはそのほっそりとした美しい手を左右に振った。
「僕の【誓約】が破られたっていうなら大問題やけど、レシピを流出させた薬師はきっと自力でレシピに辿り着いたんやろ? 貧民街なら、ダレ草なんかその辺に生えてるしなぁ。ほんなら僕らギルドが規制する筋合いなんか、あらへんやんか。見返りもなしにレシピ流出させるなんて、奇特なお人やわーとは思うけどなぁ」
「しかし、レシピの購入者がそれで納得するか」
「納得も何もないやろ。僕らが売ってるレシピは、【誓約】に基づいて毎月使用料もらっとんのや。薬師を廃業しない限り、たとえレシピが一般に出回ったとしても関係あらへん。それも込みの契約や」
「しかし、毎月のレシピ料が払えず廃業する薬師も出るのでは……?」
「なら、他のレシピを自力で発見しろっちゅう話や。そもそもCランクの傷薬や毒消し軟膏を調薬するのに必要な追加材料は、ダレ草一つ。それすら自力で見つけられない奴らなんて、薬師としての価値なんかあるわけないやろ。廃業すればええんや」
アンジェの持つ先天的スキル【誓約】は、承諾した相手に強制的に契約を守らせるが、一方で契約外のことには何の効果も発揮しない。
レシピを譲渡するにあたって、アンジェがつけた条件は以下の通り。
・提供するレシピに応じて、譲渡を受けたものは毎月既定の使用料をギルドに収めなければならない。しかし薬師を廃業した時のみ、支払いの停止を認める。薬師を再開する際は、再度使用料の支払い義務が発生する。
・レシピを他者に流出させることは許さない。意図しない間接的な流出を防ぐため、ギルドが指定した一部の調薬素材の購入は、製薬ギルドを介してしか認めない。ただし、自分で素材を育てる場合はその限りではない。その場合はレシピ所有者のみで素材の栽培を行い、栽培場所は他者が侵入できないように最大限の対策を行うこと。
その中にはレシピが一般化された場合の条項は、一切含まれていないのだ。
「契約の穴にも気づかない無能なんて、どうでもええわ。流出したもの以外のレシピなんて、いくらでもあるさかい、ギルド的には何の痛手でもないしなぁ。それより、自力でレシピを発見して広めた、お人好しな薬師さんのが気になるわぁ」
有能な部下はアンジェにレシピ購入者の戯言を報告する前に、既にレシピの流出元を調査し終えていた。
情報を流出させたのは、貧民街の見習い薬師ポルカ。貧民街の怪我や食中毒による死亡率を下げるために、レシピ解明前から無償で自作の薬を提供していたと調査書には書かれている。商売人としては呆れる行動だが、ギルドがレシピを販売して、レシピを流出させない【誓約】を行った相手ではないため、とやかく言う気はない。
だが、気になるのは。
「スタンピードで変異種の魔物の弱点を看破した【黒剣】の飼い猿が、店に出入りしてたって話が、気になるんよねー。もしレシピ解明にこのお猿が関わっとったんなら、このお猿は魔物の弱点とアイテム原料、両方スキルで看破できるわけやろ? もしかすると、伝説の【鑑定】スキル持ちかもしれんねぇ……」




