お猿の私ができること
グラディオン国内において、スタンピードがどれくらい脅威なのかロクセラーナにはわからないが、少なくともヴァルトハイムではスタンピードは大災害として扱われていた。
どこからか大量発生した魔物が、理性を失った状態で発生源に最も近い人間の集落を集団で襲い、その肉を食らう。
普段は大人しい魔物や、人間はもちろん通常は植物しか食べないような魔物すら豹変し、人の命を奪う脅威へと変わってしまうのだ。不思議なことに、集落を一つ滅び尽くせば、魔物の群れも死体も宙に溶けるかのように消えてしまうのだが、未だその発生原因は解明されておらず。ヴァルトハイムの国民は数十年に一度の頻度で発生するスタンピードが、自らの集落の近くで起きないことを、ただ祈ることしかできなかった。
「……俺は一級冒険者として、フェスティに戻って戦う義務がある。だがスタンピード、それも弱点のわからない変異種の集団相手となれば、俺も無事で済む保証はない」
ゼドはそう言って、ロクセラーナを両手で掲げ持つと、真剣な眼差しでこちらを見据えた。
「だからロシィ、お前はここに残った方がいい。この近くには、お前が身を隠すのにちょうどいい森もある。俺が生き残ることができたら、必ず迎えにくる。だから……」
「うきっ!(嫌です!)」
「ロシィ!」
ロクセラーナは首を大きく左右に振って、ゼドの手の中で宙ぶらりんになっている状態のまま、背負っていた亜空間収納バッグを漁る。
(きっとクスクさんは、こうなるとわかって、私にアイテムを授けてくださったのですわ)
「うきっ!」
「これは……クスクからもらった、魔法石の見分け表か?」
続いて取り出すのは、同時にもらった魔物の図鑑。猿の体には大きいそれを、表と共に抱えながら、ゼドに向かって突き付ける。
意味が解らず目を白黒させていたゼドだったが、すぐにハッと目を見開いた。
「そういえば、以前変異種と戦った時、ロシィは弱点である水魔法で攻撃していたな……もしかしたらロシィは、スキルで変異種の弱点がわかるのか⁉」
「うきぃ!」
まあ実際の所、あの時点ではスキルがレベルアップしておらず、たまたま弱点である水魔法で攻撃したことによってレベルが上がって変異種の弱点がわかるようになったわけだが、その事実はそっと胸にしまって、ロクセラーナは自信満々に頷いた。
「うき、うききき、うきっ!」
「なるほど……確かにお前が弱点である魔法石の図を指さしてくれるだけで、変異種相手でも対応はしやすくなる。だがしかし、その場合はお前も最前線で魔物と対峙することになるぞ」
「うききききき、うきききぃっ!」
「……それでも構わないと、そう言ってくれているのか」
(正確にはゼド様を一人で戦場に送りだすよりずっといいとお伝えしてるのですけど、ニュアンスは大体伝わっているから無問題ですわ! さすがゼド様!)
身振り手振りでの説得をほぼ正確に把握してくれるゼドに惚れ直しながら、ロクセラーナはまっすぐにゼドを見据える。
(正直私は、ただスタンピードが発生しただけならば、逃げることを選んだかもしれません)
狂った魔物の集団と対峙するだなんて、考えただけで恐ろしい。ポルカをはじめスタンピードの脅威に晒されている町の人々には申し訳ないが、そこまでロクセラーナは正義感が強くなれない。
(それでもゼド様……貴方が躊躇わず剣を振る道を選ぶのならば、私も共に戦いたいのです。私ができることは全てやって、貴方をお支えしたいのです)
言葉にできない本音を、ロクセラーナはただ視線だけで伝えた。
互いの目を見つめ合いながらしばらく無言の攻防を続けていたが、結局折れたのはゼドの方だった。
「――わかった。なら、一緒に来てくれ。まずはひとっ走り近くのネイチ村に寄って、お前の能力を生かせるアイテムを調達しよう」
「うきぃー♪」
尻尾をふりふり喜ぶロクセラーナに、ゼドは切なげに見つめた後、ぎゅっと抱きしめてくれた。
「……ありがとう。ロシィ。必ず生き残るぞ。一緒に」
「……ああ、くそがあああああ!!! どいつもこいつも、炎が通じねえええええ」
魔物の集団がフェスティに侵入するのを防ぐべく、他の冒険者を率いて戦っていたウィリアムは舌打ちをする。
フェスティから少し離れた草原に、埋め尽くすように数百、数千の様々な形態の魔物が押し寄せている。それに対し、対応している冒険者の数は百人にも満たない。おまけに一級冒険者は自分一人という心持たな過ぎる状態だ。舌打ちも出る。
「【炎騎士】さん! この熊型の魔物は炎が弱点みたいでしたよ!」
「馬鹿野郎! 見かけは一緒でも個体によって弱点が違うのは、確認済みなんだよおおお!」
冒険者の中には女の冒険者もいたが、もはや性格や口調を取り繕う余裕もない。
それくらいに、今回のスタンピードは厄介だった。
「……物理攻撃は一応効くとはいえ、一匹一匹潰していくには時間がかかる。その間も、魔物は増えていくし、ちくしょおおおおお、何で俺様はこんな時にフェスティに滞在していたんだ! 最強に運が悪ぃぜ!」
近くの村にいただけならば、招集を無視することもできたが、滞在中となればそうもいかない。もしそんなことをすれば一級冒険者としてのウィリアムの名声は、地に落ちてしまう。
最高ランクの冒険者として特権を謳歌し、肩書をごり押しすることで女遊びによるゴタゴタを収束させてきたウィリアムにとって、最早それは死と同義だった。
「なのに【黒剣】の野郎は、今朝早々にフェスティを出立しやがってえええええ! タイミングが良すぎだろう! 金髪美人のことといい、どんだけ運がいいんだよ! 許さねえ、あいつ、絶対許さねぇ。絶対生き残って、あいつの凶悪面を二目と見られないくらい、ボコボコにしてやるううううううぅぅぅ!!!」
ゼドへの呪詛を吐いている間も、ウィリアムの剣技は鈍らない。剣による物理攻撃一撃で、巨大なゴリラ型の魔物を真っ二つにした。腐っても一級冒険者。その実力は本物だ。
狙った対象をよくも悪くも引きつける先天スキル【フェロモン】を使って、周囲の魔物を自分に集中させ、他の冒険者の負担も軽減させてフォローもしている。だがいかんせん、敵の数が多過ぎた。
(くそ……このままじゃあ、いずれ全滅する。リスク承知で、魔物全体を炎で攻撃するか? でも火属性の魔物だと、逆にそれで強化することもあるしぃいいいいい!!!)
ウィリアムが一人、頭を抱えた、その時だった。
「――うきっ!」
色とりどりのペンキが入った器と、刷毛を持った小さな猿が、目の前に飛びこんできたのは。
「……はあ?」
「ロシィ! 【炎騎士】のスキルのおかげで、魔物の集団はお前に気づいていない! 最優先するのは、弱点が火属性の魔物と、火属性で強化される魔物だ! 火属性で強化される魔物の弱点は大抵が水属性だから、火属性弱点の魔物は赤のペンキを、水属性弱点の魔物は青のペンキを塗ってくれ!」
いつの間にかすぐ傍にやって来ていた【黒剣】が、水属性の魔石がはまった剣を掲げながら叫ぶ。
「うっきい!!!」
ウィリアムが何が起きてるのか理解できないでいる間に(その間もきちんと剣で魔物をさばいている辺り、ウィリアムは正真正銘の一級冒険者である)、小さな猿は跳躍し、ウィリアムに集中している魔物に、赤と青のペンキで塗っていく。
「【炎騎士】! 俺は青の印の魔物を攻撃していく! お前は赤の印の魔物を、お得意の炎で攻撃してくれ!」
「――いきなり来て、何を言い出すんだ、お前はよおおおおおお!!!」
理解が難しい状況にパニックになりながらも、それでも躊躇している時間はないと知っているウィリアムの行動は速かった。
「【業火の礫よ――骨の髄まで燃やし尽くせ】!」
オリジナルの火魔法の詠唱と共に、剣の先から生まれた無数の炎の球が、赤い印の魔物目掛けて飛んでいく。
その間にもゼドは黒剣を掲げ、次々に青い印の魔物を斬り捨てていった。
「……へ?」
次の瞬間、今までの苦労が嘘のようにあっけなく数を減らす魔物に、ウィリアムはあんぐりと口を開き、一瞬フリーズした。




