そして猿になる
取り出した金のトルクは、ルセリア家の家宝だ。
「ピンチの時に持ち主を守る」という嘘か誠かもわからない言い伝えと共に代々受け継がれたそれは、ルセリア家の宝物庫に保管されていた。
しかしロクセラーナの目には、それがただの言い伝えではないことが、はっきりと見て取れた。
名称:ラケシアのトルク
概要:運命の女神ラケシアが生み出した、神聖特殊魔具
効果:運命の女神の判断で、装備したものを状況にもっともふさわしい姿に変える。
「おーほっほほ! お父様もお母様も、不用心ですわね! ルセリア家直系のものなら誰でも自由に入れる宝物庫に、このような貴重なアイテムも、私から奪ったスキルが封じられた魔具も、無警戒に置いてらっしゃるのだから! 人形のように飼いならした娘が、反逆を企てるとはちらとも思わなかったのかしら?」
専門の術者ではないと解除できないと言われていた魔具であったが、ロクセラーナが蓋を開けただけで、封じられていたスキルは簡単に取り戻すことができた。
どうやら先天的スキルは、元の持ち主に自然と引きつけられるものらしい。
「この【鑑定】スキルさえあれば、身一つで逃げ出したとしても、いくらでも生計は立てられるはずですわ。それに私は貴族としての作法は完璧ですもの。隣国グラディオンで、貴族向けの商人に雇わせるのもいいですわね。グラディオンは、身分よりも能力を重視する国。きっと私は重宝されるはず」
世間知らずの貴族令嬢の身で、悪い人間に騙されてしまう懸念はない。スキルを取り戻してから実験してみたところ、【鑑定】は人間に対しても有効で、さらにその人間の性格までわかる仕様になっている。この能力があれば善良でお人よしな、ロクセラーナにとって最適なビジネスパートナーを見つけられるはずだ。
なお、当然ながらロクセラーナがしていることは、ヴァルトハイムでは違法行為であり、どの口でミユユを責め立てたと言われるかもしれないが、気にしては負けである。
ロクセラーナは、自らの目的の為なら法を犯すことも辞さない。そして、そのように育てたのは、ルセリア家の発展の為なら何でもするように言い含めてきた両親だ。罪を追及するなら、非人道の権化である両親にして欲しい。
「けれどもスキルだけでは、屋敷を脱出できないところに、活躍するのがこのトルク! さてさて、運命の女神は一体私をどのような姿にしてくださるのかしら?」
屋敷に紛れても問題ないように、メイドの姿にしてくれるのだろうか。それともドラゴンのように、屋敷の厳重な警備さえ突破できる強力な姿にするのだろうか。
「まあ、まずはやってみてからですわね。変身する姿次第で、持ち出せる荷物も限られてきますし」
大きな姿見の前に立ち、いそいそとラケシアのトルクを手に取って、首にはめる。
――次の瞬間。
「……っ!」
くらりと眩暈がしたかと思うと、体の力が抜けた。
「―――――っ!」
自分の体が、内側から作り変えられるような気持ち悪い感覚に耐えるように、その場にうずくまり目をつぶる。
そして、次に目を開いた時には。
「…………うき?」
小さな青い目の金色の毛の猿が、鏡の向こうで首をかしげていた。
(…………お猿、ですわ。それも、すごく小さい)
(まあ、屋敷の脱出の為には最適な姿かもしれませんけど)
何というか……少し、拍子抜けだ。人間の姿じゃないとすれば、さぞもっと珍しい生き物の姿になると思ったのに。鏡の中の猿の尻尾が、不満げに揺れる。
(せめて……もっと気品のある動物に……!)
(どうしてよりによって、こんな毛むくじゃら……!)
(……まあ、いいですわ。取りあえず作戦を練り直すために、一度トルクを外して、元の姿に戻って、と)
「…………………?」
鏡の中の猿が、はまった首輪を外そうとして、首をひねった。
(今……電流のようなものが、指を弾いて……?)
一度、ひねり。二度、ひねり。三度、ひねってーー。
「うっきいいいいいいいいい!!!!????」
(外れませんわぁああああああ!!!!????)
麗しの【金茨姫】と呼ばれたロクセラーナが、人間の姿に戻れなくなった瞬間であった。
(辛かった……本当に辛かったですわ。この一週間のお猿生活)
甘えるように、ゼドの太い首に顔を押し付けながら、お猿のロクセラーナはすんと鼻を鳴らす。
(屋敷を脱出して、人目を避けて、国境の森に入ったまでは良かったですわ……敵だらけの森生活が、本当に大変で)
最初は単に魔物の襲来に怯えるだけだったが、やがてその警戒対象には人間も含まれるようになった。
どうやら今のロクセラーナの姿は水リスザルという希少な魔物で、売れば生死関係なく高値がつくらしい。
(性格を【鑑定】しても「やや強欲」とか「見栄っ張り」とか、そういう情報は出るのに……「お猿を売るかどうか」まではわかりませんでしたわ……!)
(スキルがあるから、食べられる植物には困りませんでしたが……もうずっと果物しか食べてなくて……寝る時も外敵に震えながら、ごつごつの木の洞に縮こまって……)
自分で言うのもなんだが、ロクセラーナは衣食住には一切不自由してこなかった生粋の貴族令嬢だ。いや、王族に次いで高貴な、特別な令嬢だ。森でのサバイバル生活は、あまりに過酷だった。
(この姿のどこが最適なのかと女神ラケシアを呪ったところで、変化は解けませんでしたし)
だからこそ、ゼドを森で見かけた時は、とうとう女神ラケシアが哀れな自分の懇願を聞き届けてくれたのかと思ったのだ。
一級冒険者という、並みの相手を蹴散らせる実力の持ち主ながらも、性格は「小動物好きのお人よし」。こんな好物件、もう二度と現れるはずがない。
リスクを冒してでも冒険者ギルドまで追いかけて、保護してもらうように働きかけたかいがあった。
(ちょっとくらい顔が怖いだなんて、この状況じゃ些事ですわ、些事! もう二度と離れません!)
その為なら、人間としてのプライドなぞ、いくらでも捨てる所存だ。
猿に変化する前は、「鑑定スキルを使ってグラディオンで成り上がり、いずれはリヒト王子や両親に復讐を……」などと夢想したものだが、今はそれどころではない。生き延びることが最優先だ。
(そのためには、べったり甘えて、この男を陥落させて……)
「……ああ、そうだ」
「うきっ?」
ゼドがこちらに視線を向けたタイミングで、即座にかわいい顔を作って、首をかしげる。その姿には、【金茨姫】と呼ばれたかつての面影は一切ない。
(今の私はお猿……無垢で愛らしいお猿なのですわ!)
公爵令嬢時代だって、家族が望む誇り高い令嬢姿を演じていただけだ。今更、演技を苦痛だとも思わない。
そう、演じるのだ。……無垢でかわいらしい、ゼドが好みそうな従順なお猿を。
「お前の名前だが……サル太郎というのはどうだ?」
「………………うき?」
「ウキの助でもいいぞ」
「うっきぃいいいいい!!!!!」
――前言を撤回しよう。
「ど、どうした⁉ サル太郎。急に怒りだして」
「うきうきうきうっきぃいいいい!!!!」
(そのようなセンスのない名前で、私をお呼びにならないで!!!!)
ロクセラーナは、生粋の貴族令嬢である。生きるためとはいえ、さすがに許容範囲はある。従順は無理だ。
「そ、そんなにこの名前が嫌か……」
ちょっとだけショックを受けたようなゼドを横目で睨みながらも、フォローするように、その頬に額をこすりつける。ついでに怒りで逆立った尻尾の毛を、戻し戻しするのも忘れない。表情ではわかりにくいが、なんとなくゼドの機嫌が戻ったのが伝わってきた。存外単純な男である。
「もしかして、お前はメスなのか? ……メス……メスの名前なあ」
「……………(変な名前つけたら、今度こそ許しませんわよ)」
「金の毛に、青い目かぁ……そうだなあ……」
ゼドの黒い目が首元にいるロクセラーナを観察するように、まっすぐ向けられる。強面の癖に、ひどく優しいその視線が何だか少し居心地が悪くて、思わずロクセラーナは尻尾を抱いて俯いた。
「……ロシィ、なぁんてな」
「っ⁉」