旅の準備とお邪魔虫
ポルカの言葉に、ゼドは少し気まずそうに眉間に皺を寄せた。
「……そんな風に言われたら、まるで俺がお前のためにこの町にとどまっていたみたいじゃないか」
「まるでも何も、どう考えてもそうっすよね。じゃなきゃ、ゼド兄さんがこんな田舎にい続ける理由もないっすし」
「採れる魔物の素材が良かったとか、町の風土を気に入ったとか色々あるだろう」
「自称勇者に追いかけられて、不快な想いをしてまで、とどまるほどの理由じゃないでしょ。噂で聞いてるっすよー。最早ストーカーレベルだって。これがゼド兄さんじゃなきゃ、予言云々は言い訳で、一目ぼれしたのかって思うとこっすけど、さすがにその顔じゃ……あだっ! また、殴った!」
「……加減してやってるだけ、感謝しろ。ったく、お前は一言も、二言も多いのが難点だ」
「でも、そんなオレが好きでしょ、ゼド兄さん」
「…………」
「あー、調子乗り過ぎた、乗り過ぎたっすから、拳に力入れるのやめて! 血管びきびき出てるから、怖いっす!」
仲が良さそうな二人の姿にほっこりする一方で、同時に胸がちくりと痛む。
(……やっぱり、同じ孤児院出身の絆というのは、深そうですわね)
「……まあ、確かにそろそろ、潮時か。せっかく治ったロシィのハゲが再発しても困るからな」
へにょんと尻尾を垂らして密かに凹んでいたロクセラーナの顎を、ゼドは太い指であやすように擦って、微笑む。
「そろそろ、一緒に旅に出るか。ロシィ。お前と一緒なら、きっとどこへ行っても楽しいだろう」
(――ゼド様あああああああ!!!!)
凹みから一転。尻尾をぶんぶんハートマークを乱舞させて大喜びしながら、ロクセラーナはゼドの体に抱き着く。
(どこへでも、行きますわ! 貴方と一緒ならば、どこだって楽園ですもの)
「……あ、でも、オレとしてはお猿師匠を置いていってくれても構わないっすよ。別に。一緒に調合したら、色々楽になるっすし、勉強になるっすから」
「――シャーッッッ!!!」
「……あ、そうっすよね。お嫌っすよね。ゼド兄さんの傍に知ってたっすけど、そんな歯茎剥き出しにして、威嚇をしなくても……」
「どうだ、ロシィ。新しい調合道具、気に入ったか?」
「うきぃー♪」
町を発つにあたって必要なものを購入する為、ロクセラーナはゼドと共に久しぶりに貧民街を出て、中心街へと買い物に来ていた。
ゼドは真っ先に購入した亜空間収納バッグに、緊急時の食糧や医療品などを買い足し、さらにロクセラーナには調薬の為に必要な道具一式や、いくつかの素材を買い与えてくれたのだ。
(うふふふふ……これでいつでも、ゼド様の為に調薬ができますわ)
小さな猿が背負う小さな小さな亜空間収納バッグに、あれだけの質量のものが入ってしまったのは相変わらず不思議ではあるが、どう考えても猿が持ち歩けるサイズではないので、そこは素直にありがたがっておくことにする。
(それにしても、案の定亜空間収納バッグはとんでもない値段ですし、お店にお猿サイズのものなんか全くなかったですわね。サイズが小さいからその分お安く済んだのか、特注だからその分お高いのか……考えない方が良さそうですわ)
「……よし。こんな所か。じゃあ、一応冒険者ギルドにも挨拶に行っておくか」
(ああ……それほど時間は経っていないはずなのに、何だかすごく久しぶりの気分ですわ。ここで私は初めて、ゼド様の逞しいお体に触れましたのよね……)
「お人好しな護衛ゲット」などと内心ほざいていたことは、都合よく忘れ、運命の出会いのように美化された過去に浸りながら、ゼドと共に冒険者ギルドの北西支部の扉を潜る。
それを遠くから目ざとく見つけた受付嬢アリスの顔が、ぱあっと輝いた。
「っゼドさん! とうとう、亜空間収納バッグを購入されたんですか⁉ 今度はどんな素材持ってきてくださったんですか⁉ ドラゴン丸々一頭ですか⁉ それとも、大量のファイヤーウルフですか⁉」
(――ちょ、この小娘! ゼド様に気やすくありませんこと⁉)
ロクセラーナがゼドと運命(笑)の出会いを果たした時は、ゼドを怖がっていたアリスであったが、今ではもうすっかりゼドの強面に怯むことはなくなっていた。
何度もゼドがギルドに通ううちに慣れたというのもあるが、やっぱりその最大の要因はゼドがあの時の水リスザルをかわいがっているという話が、町中に噂されているのが大きい。
元々人は、相手の見かけが怖ければ怖いほど、少し優しい行動をしているのを見かけると、そのギャップの大きさに「この人は本当は優しい人なんだ!」と思い込みやすいもの。そして事実、ゼドは育ち故の粗暴さはあっても、基本的に心優しく紳士的な男だ。
元々ギルドの上客だということもあり、アリスはすっかりゼドに対して恐怖心を抱くことはなくなっていた。
(きゃあー! あの時のサルちゃん、すっかり毛艶が良くなっちゃって! べったりゼドさんに張り付いて近づく人を警戒している辺り、本当にゼドさんに懐いているのね。よっぽどゼドさんは、あのおサルちゃんを可愛がっていたに違いないわ。うふふふ、おサルちゃんも、あんな怖いお顔でおサルちゃんを可愛がるゼドさんも、両方かわいいわぁ~)
うっとりと頬を染めるアリスは、単純に可愛らしいものを愛でているだけで、ゼドに対する恋愛感情はない。というか、そもそも彼女は既婚者だ。
だがそんなことを知る由もないロクセラーナは、ショックのあまり全身の毛を逆立てて固まった。
(……いやあああああ!!!! なんて優しい目で、ゼド様を見つめてますの⁉ ジャガイモ娘よりも、よほど品があって美しい方なのに、この方まで私のライバルになりますの⁉ そんなことって!)
「……いや、すまない。アリス。今日は納品ではなく、町を発つ挨拶に来たんだ」
「ええ⁉ せっかく亜空間収納バッグを購入されたのに⁉ もっとうちのギルドを潤して……ごほん、ゼドさんがいなくなるととても寂しくなりますから、もう暫く滞在していただけませんか⁉」
「すまないが、明日には発つつもりだ。元々これほど長居はするつもりはなかったからな」
「そんなぁ! ギルド長、ギルド長、そんな隅に隠れて頭抱えてないで、こっち来てゼドさんを説得してください!」
「アリスちゃんでも無理なのに、僕ができるはずないでしょ! 【黒剣】相手に!」
「自信満々で言わないでください、北西ギルドのトップの癖にいいいいい」
ぎゃあぎゃあと騒ぐアリスと、それでも譲らないゼドの姿に、湧きあがりかけた嫉妬心はすぐさま霧散した。
(そうですわよね! ゼド様は明日私と共に、この町を発つんですもの。たとえあの小娘がゼド様を慕っていたとしても関係ありませんわ)
結局アリスとギルド長がいくら引き留めても、ゼドは予定を変えることはなく、最終的に次に町を訪れた時には、必ず倒した希少魔物は部位を余さず納品することを約束して、ギルドを後にした。ちゃっかり、次回の納品の約束を条件付きで取り付けているあたり、アリスはとても有能な受付嬢である。
「最後だしな。今日の夕飯は、ロシィが気に入っていたステーキの店にするか」
「うきーき!」
愛する人と、二人で旅立つ前の、思い出の夜。夕日が沈みかけた空には、かすかに星が瞬き始めていて、夕飯のステーキを食べ終えた頃にはきっとダンジョンで二人で空を見上げた夜のように、満面の星空が広がっていることだろう。
(ああ、何て素敵! 何て幸せなの!)
ロクセラーナがゼドの肩の上で、うっとりと身を任せた、その時だった。
「――ゼド! ロシィ! 明日この町を発つって本当なのか⁉」




