猿知恵逃走劇
ドナドナドーナ ドーナ― お猿が行―くよー♪
ドナドナドーナ ドーナー 売られに行―くよー♪
(の、脳内に謎の音楽が……!)
「いやー、チャンスがあればと思って、捕獲用の魔具を持ち歩いていたかいがあったぜ」
現在ロクセラーナは、鳥籠のような特殊魔法具で変態小悪党ことデーブルに絶賛誘拐され中。きーきーと悲痛な声をあげて格子を握りしめながら、ロクセラーナは涙に濡れた青い目で流れていく景色を見つめていた。
(ああ、何て不運……せめて後数秒時間差があれば……そうでなくても、もしあの時毛生え薬を抱えてなければ逃げられたかもしれませんのに)
早いにしろ遅いにしろ、数秒タイミングがずれていたなら、ロクセラーナはデーブルの気配に気がついて身を隠していただろう。
小さなお猿が抱えるには重い、高級毛生え薬を持っていなければ、デーブルと鉢合わせしても、素早く奥の部屋に逃げ込むこともできたかもしれない。
だがしかし、現実は無常だ。運悪く全く同じタイミングで店先にやって来たデーブルとロクセラーナは、ばっちり目が合ってしまった。そして重くて邪魔ではあるが、高級でもある毛生え薬を投げ捨てるのを一瞬躊躇ってしまった結果、見事に捕獲されてしまったというわけだ。
(何なんですの、この籠は! 入口を開けられただけで、一瞬にして中に吸い込まれましたわよ! 唖然としている間に、鍵までかけられてっ……。 それに、さっきからこんなに悲痛な声をあげているのに、すれ違う人すれ違う人、どうして振り返りませんの!? こんなかわいいお猿が、助けを求めていますのに!)
「本当、運が良かったぜ。水リスザルを生きたまま手に入れられるとはなぁ。【黒剣】の怒りは怖いが、ポルカに目撃されたわけでもなし。だーれも、たまたま訪れただけの俺が犯人だとは思わねぇだろ。ひゃっはっはっ! やっぱ金はある場所に集まるのかねぇ。ギルドのレシピに引き続き、この引きとは、さすが俺様だぜ」
「うきぃっ、うききっうきい!!!(今すぐここから出しなさい! 今ならゼド様に半殺しにしていただくくらいで、許してさしあげますわ!)」
「うっせぇ猿だなぁ。騒いで【黒剣】に見つけてもらうつもりなら、無駄だぞ。この捕獲籠には認識阻害の魔法がかかってんだ。誰もお前の鳴き声なんか、気づきはしねぇよ。持ち主である俺以外はな」
「う、き……(何、ですって……)」
「安心しろ。殺しはしねぇよ。生きたままの方が高く売れるからなぁ。ひゃはっ、さあて、どいつが一番高く買ってくれるかな~。ひゃーはっはっはっ!」
デーブルの醜悪な笑い声が高らかになればなるほど、ロクセラーナの絶望は深まっていく。
(私は、ゼド様だけのものですのに……! 他の誰かに売られるだなんて、嫌ですわぁぁぁぁ!!!!)
「――それじゃあ、俺は商談の取りつけに行くから、ちゃんと見張っておけよ」
「もちろんでさあ! お任せください」
必死で籠から逃れようとしたところで、残念ながら【鑑定】スキルと(本人曰く)かわいさ以外取り柄のないお猿が逃れられるはずもなく。
ロクセラーナは成すすべもなく、デーブルの屋敷に連れてこられてしまった。
(……庶民にしては、まあまあ驕ったお屋敷ですわね。貴族レベルで言えば、末端貴族の屋敷が良い所でしょうけど。門兵を雇っているうえに、小癪にも高い塀で屋敷の周りを囲んでいるのが、腹立たしいですわ。脱走しにくいじゃないですの)
ぷうと頬を膨らませながら、ロクセラーナはデーブルが去っていった成金丸出しの豪奢な扉を睨みつける。
(見張りは一人だけですけど……こちらの武器は、抱えたままだった高級毛生え薬だけ……完全に詰んでますわ)
どう考えても逃げられる状況ではないが、せめて一筋の希望を見出すために、屈強なゴリラのような見張りの男を【鑑定】してみることにした。
名前:ゴルリダ
職業:チンピラ兼雇われボディガード
先天スキル:なし
後天スキル:【体術】LV.1
取得魔法:なし
性格:不真面目で怠惰
(――なんだか行けそうな気がしてきましたわー!)
スキルレベルも大したことはないうえに、この性格ならばいくらでも隙ができるだろう。
(問題は籠の鍵ですけど……先ほど変態小悪党が上着を脱いだ時、ガチャンという音が聞こえましたのよね)
思いがけない金儲けの種に興奮したデーブルは、その結果相当汗をかいたらしく、ハフハフ言いながら上着を脱いで床にぶん投げていったのだが、上着が地面に落ちる時に金属音のようなものが聞こえたのを、ロクセラーナは聞き逃さなかった。
(普通ならば大事な魔具の鍵をポケットに入れたまま置いていったりはしないと思うのですけど……小悪党というのは愚かさで自滅するものだと、物語の相場で決まっておりますもの。恐らくあそこに鍵はあるはずですわ)
鍵がある上着は、ロクセラーナが入れられている籠のすぐ近くの床に、でろんとだらしなく転がっている。気が利く護衛ならば、メイドがいなくても片づけただろうが、ゴルリダは完全に我関せずの様子で近くの椅子に座っている。小悪党の主従というのは、存外似るものなのかもしれない。
(尻尾を伸ばせば何とか届きそうですけど……問題はこのゴリラですわよね。さすがに目の前でそんなことをすれば気づかれ……)
「――ぐごぉぉおおおおおー」
(っ⁉ なんですの、この豪音は⁉)
突然の地響きのような、雷鳴のような、猛獣の唸り声のような、とにかく凄まじい音に、全身の毛を逆立てたロクセラーナだが、その音源を確かめた瞬間唖然とした。
(っこのゴリラ、主人がいなくなるなり、速攻で居眠りこいてやがりますわ! 不真面目で怠惰にしてもほどがありませんこと⁉)
椅子の上で大いびきをかいているゴルリダを、しばらくロクセラーナはありえない生き物を見るような目で見つめていたが、すぐに気を取り直した。
(……雇われ人としてあり得ない行為に思う所はありますが好機は好機。【鑑定】結果を見る限り、罠の可能性もまずないでしょうし)
ぺたりと籠に体を押し付けて、隙間から尻尾をそろりそろりと伸ばしていく。さながら気分は釣り人だ。残念ながら元公爵令嬢であるロクセラーナは、物語でしか釣りを知らないのではあるけれども。
(あとちょっと……もう少し……うう、尻尾を攣りそう……)
必死にお尻をふりふりして、何とかデーブルの上着のポケットを漁ることに成功した。
(……あ、やっぱり金属っぽい感触がありますわね。多分、これが鍵ですわ)
尻尾の先でしっかと鍵らしきものを掴み、落とさないようにゆっくりゆっくり引き上げていく。
(まだいびきは聞こえているから、大丈夫……ひっ!)
鍵の重みに耐えきれず、一度床に落としてしまった。室内に響き渡る金属音にびくりと体が跳ねる。
(ゴリラは……寝てますわね。まだ)
恐る恐るゴルリダに視線をやったが、一瞬だけ止まったいびきはすぐに再開した。ゴルリダの鼻から間抜けな鼻風船が、ぷくりぷくりと膨らんでいる。
流れる冷や汗を腕の毛で拭って、ロクセラーナは再び鍵の引き上げを開始する。
(そおっと、そっと、あと少し……よし!)
何とかテーブルの上に、目的のものを置くことに成功した。
(間違いなく、鍵ですわ! よし、後は慎重に鍵穴にはめてと)
器用に尻尾を使ってカチャカチャと鍵を開けていく。先ほどより距離が近い分、存外スムーズに鍵が開いた。
(よっし! 脱出成功ですわー!)
音を立てないように慎重に入口を潜り抜け、無言でガッツポーズをした、その瞬間。
「……ふが?」
ぱちりと鼻風船が割れて、その衝撃で目を覚ましたゴルリダとばっちり目が合ってしまった。
「……………」
「……………」
「………………………」
「………………………うき☆」
「――てめえ、何脱出してやがるぅぅぅうううう!!!!」
(く……可愛さでは誤魔化せませんでしたわ!)