食えないキツネ
気さくに近寄って来たナディを、ゼドが冷たく睨みつける。ナディは平然としているが、周囲の人間はその形相の恐ろしさにすくみ上がっている。
「だが、しかし。私を知ってもらうには、まず会話をしなければ……」
「はっきり言って、迷惑だ。見ろ、このロシィの頭を。毛に隠れているが、後頭部の一部がハゲているだろう。お前がつき纏ったせいだ」
(いやああああ! 他の毛で必死に隠しておりましたのに、ゼド様にハゲを知られていたなんてえええええ)
ペロンと上の毛を持ち上げられ、ハゲを露出させられたことで、ロクセラーナは灰になった。残念ながら、猿の乙女心はゼドにはわからないようだ。
「……これを、私のせいで?」
これまでどれだけ拒絶しても、表情一つ崩さなかったナディが、初めて顔を曇らせた。
「そうだ。ロシィはお前が現れるたび、怯えている。わからなかったのか?」
「いや……私が現れるたびに興奮していたから、てっきり喜ばれているものかと」
「きっきぃー!(そんなわけ、ないに決まっているでしょう! 目が節穴にもほどがありますわ!)」
「……ナディ。お前には、これが喜んで見えるのか。俺には、威嚇しているようにしか見えないのだが」
「申し訳ない。……猿の生態を知らなかったものだから、勘違いをしていた」
ポリポリと頭を掻くナディはただ困惑していて、一切の悪気はない。……悪気はないことは、ロクセラーナも知っているのだ。
名前:ナディ・リオンハート
職業:勇者
先天スキル:なし
後天スキル:【剣技】LV.5【体術】LV.3【槍術】LV.3【投擲】LV.2
取得魔法:火魔法 風魔法
性格:正義感の強い猪突猛進馬鹿
(お馬鹿なだけなのが、鑑定ステータスからも伝わってまいりますわ。勇者として、努力なさったことも)
だからこそ、ジャガイモ娘と内心呪ってはいるが、嫌いにはなりきれない自分もいるのだ。
(……いや、嫌いですわ。私とゼド様と二人きりの時間を台無しにする邪魔者ですもの。嫌いは嫌いです……でも)
「すまなかったな。ロシィ。お前に負担をかけないやり方を、考えてみることにする」
「うっききぃー!(考えないでもよいですわー! もう二度と近寄らないでくださいませ!)」
イーと歯を見せて、潔く去って行く背中を見送ったが、すっきりしない。
そして、その気持ちをさらに揺さぶる男が入れ替わりでやってきた。
「……いやあ、うちの馬鹿がすみませんね」
(来ましたわね! 陰険キツネ!)
「あ、これご迷惑をかけたおわびの毛生え薬です。良かったら、ロシィちゃんに使ってあげてください」
(くっ……この男も私のハゲに気づいて……にしても、用意周到すぎますわー!!)
にこにこと、うさんくさい笑みを浮かべるルシアンを、ロクセラーナはゼドの肩に身を隠しながら睨みつける。正直、ナディよりも厄介なのは、この男の方なのだ。
名前:ルシアン・エヴラール
職業:勇者のお供
先天スキル:なし
後天スキル:【洞察】LV.6【交渉】LV.4【弓術】LV.3
取得魔法:水魔法 土魔法
性格:抜け目がない皮肉屋
(この【洞察】と、【交渉】が厄介なのですわ……というか、そこらの商人より、このスキルレベルが高いって、どういうことですの⁉)
ゼドは迷いながらも、渡された毛生え薬を手に取った。念のため毒でも入れられていないか鑑定したが、正真正銘本物のよく効く毛生え薬だった。
名称:製薬ギルドレシピのSランク毛生え薬
概要:製薬ギルドにレシピ料を払った薬師が調薬した、複数種の希少薬草を高密度で調合した特殊薬剤。再現性・製造難度ともに高い。
効果:成分が毛根刺激を強く促進し、塗布部位において瞬時に発毛反応を引き起こす。 一滴で平均1センチの毛髪が生える高出力設計となっており、適量を超えた使用は局所的な過剰発毛(いわゆる毛ダルマ状態)を招くため、慎重な取扱いが求められる。
(……いや、よく効くにもほどがありますわ⁉ こんなの、怖くてつけられません!)
「……迷惑だから、もう二度と近づかないようにお前からもナディに言ってくれないか」
「黒剣様のお気持ちもわかりますけどねー。こればっかりはできない相談なんですよ」
大げさに肩をすくめながら、ルシアンがため息を吐く。
「ナディは類まれなる大馬鹿ではありますがね、ああ見えて勇者としての信念は本物なんですよ。先日黒剣様は、自分が同行を断ったせいでどれほど被害が出ても、それを背負わない覚悟があるとおっしゃったでしょ? あいつはね。逆なんです。どれほど仕方ない出来事であったとしても、全て自分で背負う覚悟があるんですよ。それが勇者の役割だからと、そう言って」
「…………」
「本当、大馬鹿ですよね。でもオレは、あいつのそういう所が美徳だと思うんです。将来の悲惨な可能性を避けるためなら、あいつは誰に後ろ指を指されようが、みっともなく足掻き続けるんですよ。それが黒剣様やロシィちゃんのご迷惑だと、わかっててもね」
「…………そうか」
「ま、だからって、黒剣様たちがその迷惑を受け入れる義理はありませんけどねー。ただ、それだけは理解して欲しくて」
(こういう所、こういう所ですわよ!)
ルシアンはナディの尻ぬぐいという体でゼドに接触し、するりとナディの行動の正当性を刷り込んでくる。そのうえで、それを拒否するゼドは悪くないといって、あっさり引き下がるのだ。
ゼドは信念は強いが、基本的にその性質は善性だ。こんな風に少しずつ少しずつ罪悪感が蓄積するように仕向けられたら、当然葛藤もする。
(ああ……ゼド様の眉間のお皺がいつもより1ミリ深いですわ! そんな顔なさらないで。ゼド様は、何もお悪くないですわ!)
うっきぃうっきぃと必死で呼び掛けてみるが、当然ながらゼドには通じない。
(ああ、どうしてお猿はこんなにも無力ですの!)
「それでは、また機会がありましたら」
言うだけ言って、にこやかに去って行く背中が、非常に憎らしい。
(キツネのお肉は食べたことがありませんけど、ジャガイモと一緒にマッシュしたら、美味しいクロケットにはなりませんかしら。でも何だか、とても嫌な臭いがしそうですわ!)
残りのクロケットをほお袋いっぱいに口に収めてやけ食いをしながら、上目遣いにゼドの様子を伺う。ゼドは少し黙り込んだ後、小さくため息を吐いた。
「……なんだか、今日はダンジョンに潜る気がなくなったな。また、偶然を装ってあいつらがやって来るかもしれないし」
「……うきー」
「そうだ。検証報告もかねて、あそこに行ってみるか。ロシィを紹介したいと思ってたんだ」
(……ず、ずいぶん入り組んだというか。不衛生な場所に向かいますのね)
その後ゼドが向かったのは、入り組んだ路地の奥。俗に言う貧民街だった。
街の中心部と違い石畳がところどころ剥がれ、地面がぬかるんでいる。建物の壁面には乾ききらない染みが広がり、どこからか油の焦げる匂いと獣の体臭が混じったような、生臭い匂いがする。
張り渡された洗濯物に崩れかけた箱や桶。それに寄りかかって眠るボロボロの服を着た老人たち。
陽の光が遮られた細い通りの光景は、元公爵令嬢のロクセラーナにとって初めて見る景色で。思わずゼドのマントの首もとにもぐりこみ、体を縮こませた。
(ああ……ここならゼド様の匂いが強くて、悪臭も気になりませんわ)
くんくんとゼドの臭いを吸い込み、少し気持ちが落ち着いたロクセラーナは、目だけをマントから出して外の様子を伺った。
入り組んだ通りの角を三度折れた先、小さな赤い薬壺の看板がぶら下がった崩れかけの建物の前で、ゼドは足を止めた。
「……相変わらず、繁盛はしてなさそうだな」
ぎしぎしと軋む扉をゼドは壊さないように慎重に開けた。窓には布がかけられ、外からは中の様子がほとんど見えない。それでも、中からはかすかな薬草の香りと、木の床を掃く音が漏れ聞こえてきた。
「……おーい、ポルカ。いるかー?」
「うき⁉」
(ポルカ、ポルカですって⁉)
途端、ロクセラーナの脳裏に蘇る過去の鑑定結果。
名称:ポルカの傷薬
概要:薬師見習いポルカが、ヒル草を主体に調薬した傷薬
効果:ヒル草と様々な薬草を混ぜて調薬した結果、効果が相殺されている。ヒル草単体を擦って塗った方が、効果が高い、残念な出来。
(ゼド様のお人の好さに漬け込んで、不良品を買わせた憎き薬屋ですわね! 今こそ、制裁の時! ナディとルシアンにぶつけられなかった分も込めて、ずたずたにお顔を引っかいてやりますわ!)