冤罪と予言
黄金の巻き髪に、吊り上がりぎみの青い目という特徴だけは、正確に再現されている。
しかし、手配書に書かれているその絵を評するならば、まさにおとぎ話の魔女。
禍々しい雰囲気を醸し出す顔は、実際のロクセラーナとは程遠かった。
「しっかし、なんて性格が悪そうな顔だ! こんな女が歩いてたら、一目でわかるな」
「まさに悪女だよな」
(違いますわー! 私はこんな顔じゃありませんーっ!)
ゼドの肩の上で、うきいいいーと地団駄を踏んだところで、当然間違いは正すことはできない。
何故このような事態が生じたのかというと、それにはヴァルトハイムの貴族常識が背景にある。ヴァルトハイムの高位貴族女性は、平民の異性と長時間同じ空間で過ごすことを是とされていない。だが、絵師は下賤な職業とされ、大部分が平民である。したがって平民の絵師が貴族女性の絵姿を描く際は、わずかに垣間見させてもらった記憶、もしくは伝聞の情報だけをもとに、キャンバスにその姿を再現しなければならない。
ロクセラーナは迫力がある、絶世の美貌の持ち主である。だが、その美貌が醸し出される威圧感が、平民の絵師をかわいそうなくらいに萎縮させる。加えてロクセラーナは公爵令嬢という、王族に次ぐ高い身分の女性。直視なぞしたら、後で何を言われるか分からない為、絵師は必死に目の隅でその面影を捉えることになる。
結果、ロクセラーナに対峙した平民の絵師の脳裏に残るのは、美しい金の巻き髪と、眼光鋭い青い目、そして対峙した時に抱いた恐怖感だけとなる。そして、次の画家はロクセラーナに会うことがないまま、最初に書かれた絵をもとに、さらにその印象を誇大させ……を繰り返した結果、出来上がったのがこの絵なのだ。もちろん、そんな事情なぞ、ロクセラーナが知る由もないが。
(というか──王家の宝を盗んだって、何なんですの⁉ 私はただ、ルセリオ家の家宝をこっそり拝借しただけで、冤罪ですわ!)
絵があまりにも衝撃過ぎて、ついそちらに対する反応が遅れたが、どう考えても冤罪である。そんな濡れ衣を着せてまで、ヴァルトハイム王家はロクセラーナを連れ戻そうとしているのだ。おそらくは、帝国の怒りを治めるために。
「こんな女ならば、ふん縛って捕まえて、ヴァルトハイムに差し出しても罪悪感わかねぇよな」
「見ろよ。『生きたまま連れてこられたら、100万ザルン』だと。こいつ捕まえたら、一生遊んで暮らせるぜ」
「こりゃあ、魔女狩りだなー。がははは」
「まあ、仕方ねーよな。王家の宝盗むような女は、平民なら縛り首が普通なんだからよ」
「生きたまま連れてけるなら、多少の暴力くらい許されるよな。金の髪をひっつかんで、町中引きずりまわしてやろうぜ。高貴な貴族出身の悪女をいたぶってやるんだ。いい見世物だ」
(だから、冤罪ですわー!)
手配書を片手に好き勝手語る男たちの姿に、思わず涙が滲む。
絵姿も内容も、全て嘘八百。それなのに、見も知らぬ荒くれどもから、こんな好き勝手言われるなんて、あまりに屈辱的過ぎる。
(……もしかしなくても、ゼド様も、今の話を信じられましたわよね)
ゼドはロクセラーナが猿化していることなぞ、知らない。だから、彼が聞いているのは、あくまで見知らぬ貴族令嬢の噂話だ。信じたところで、何もおかしくない。
けれど、ゼドがこんな嘘っぱちの話を信じて、あの荒くれどものようにロクセラーナを捕えようとしたらと思うと、つきんと胸が痛んだ。噂だけで、彼がロクセラーナを悪女だと思うことにも。
(ああ……私が今、人の言葉を話すことができたら、冤罪を晴らせますのに)
けれど、お猿のロクセラーナの喉から出るのは、うきうきというお猿語だけだ。
しょぼんと尻尾をたらし、ゼドのうなじに鼻先をこすりつけた、その時だった。
「――普段は隣国の王家の悪口ばっかり言ってるくせに、なんでこういう時だけ噂を信じるんだ」
下品に盛り上がる荒くれどもの中に、ゼドが静かに割って入ったのだ。
「こ、【黒剣】?」
「……公爵令嬢が、どうやって王家の宝を盗む? よっぽど警備がザルでもなきゃ無理だろ。事情を伏せたまま、こうして指名手配されてる時点で、何か裏があるようにしか思えないな。まさか王族が自ら王家の宝をプレゼントしておいて、あとから“盗まれた”って言ってるんじゃないだろうな。そういうの、罪って言うのか?」
ゼドの声はけして、大きなものではなかった。けれど、その威圧的な姿から発せられる低い声は、周囲の人間を黙らせるには十分なほど、凛と広場に響いた。
「先日まで、帝国に自分の婚約者を嫁がせようとして逃げられた馬鹿な王子の噂をしていたな。大方その逃げられた婚約者を探すためにこういう悪評を立ててるんじゃないのか?」
「そ、それはそうかもしんねぇけど……100万ザルンだぜ。どうせ乗るなら、相手は悪女だからって割り切った方がいいじゃねぇか」
「それはただの自己欺瞞だろう。だったら、金がもらえるなら、裏事情なぞ知ったことないと割り切れ」
「そ、そこまでは俺らも悪人になりきれないというか……」
ロクセラーナについて、好き勝手言っていた荒くれどもは、決まりが悪そうに顔を見合わせて、去って行った。根はそこまでは、悪い奴らではなかったのかもしれない。
「……そ、そうよね……もし、無理やり嫁がされそうになって、逃げただけなのに、冤罪を着せられているのなら、とてもかわいそうだわ」
「そうよね。心なしか、この手配書の絵……かなしそうに見えるわ」
手配書の絵は絵師の主観で書かれているものであり、悲しそうだなんて事実は一切ない。だが、すっかり同情を覚えた人々にとっては、関係がないことであった。
(ゼド様……人間だったころの私のことなんて、何一つ知らないはずなのに、私をかばって……)
一方ロクセラーナは、ゼドの肩の上で、感動に打ち震えていた。
(しかも、ヴァルトハイム王家に対して、何て的確な分析……強いだけではなく、とても聡明でいらっしゃるのね。しゅき……)
ついつい、尻尾でハートを二連作ってしまう。もはやお猿のロクセラーナの尻尾芸は、芸術の域に達している。
「……ロクセラーナ・ルセリオか」
ゼドは足元に落ちていた手配書を一枚拾うと、似ても似つかないロクセラーナの絵姿を見て、どこか懐かしそうに笑った。
「お前の名前を知ったら、不敬だって怒り狂うかもな」
(――たまたまお猿と名前が少し似ていたからといって、それで怒るほど私は狭量ではありませんわっ!!!!)
「――見つけた! 間違いない、予言の剣士だ!」
その頃。ゼドの肩の上で、ロクセラーナが尻尾とほっぺをぷっくり膨らませている姿を、人ごみの中から見ている二つの陰があった。
「うっわ……まさか本当に、いるだなんて。あの嘘くさい予言が、いよいよ信憑性を帯びてきましたねー」
「嘘くさいとはなんだ、ルシアン! お前だって、予言を信じたから私のそばにいるんだろう?」
「いやいやいや、オレの場合は、命令で仕方なくに決まってるでしょう。あんたみたいな馬鹿を一人にしたら危険だから、仕方なくお供してるだけですよ」
「全く、ルシアンは素直じゃないなあー。よし、じゃ、早速行くぞ!」
「ちょ、この馬鹿! 見つけてすぐ、何の作戦もなく、突っ込んでいく奴が……あぁ、もう! 本当、馬鹿あああああぁぁぁ」
「――そこの猿を連れた剣士殿! 聞いてくれ!」
人ごみの中から突如飛び出したのは、ショートカットのかわいらしい女性。
ぽこぽこと小さな手でゼドのうなじを叩いていたロクセラーナは、唖然と女性を見つめた。
(だ、誰ですの⁉)
「私の名は、ナディ・リオンハート。予言の勇者だ!」
突然勇者と名乗った不審人物は、ロクセラーナ同様唖然としているゼドの手を、両手で握りしめた。
「猿を連れし、予言の剣士よ。どうか、私の仲間になってくれ!!」
「――うっきいいいいいい!!!!!(この女、ゼド様の手を勝手にいいいい!!!!!)」