初めての調薬
ちなみに、「好きな人の個人情報を覗くなんてはしたないですわ」と忠告するお猿天使と、「好きな人のことをなんでも知りたいと思うのは、乙女として当然ですわ」と誘惑するお猿悪魔が戦って、天使を踏み潰したお猿悪魔が「うっきぃぃぃぃ!!!」と勝利の雄たけびをあげた結果がこれである。
名前:ゼド
職業:一級冒険者 ロクセラーナの飼い主
先天スキル:なし
後天スキル:【鍛冶】LV.7【剣技】LV.8【体術】LV.6
取得魔法:魔法陣魔法(彫刻限定)
性格:小動物好きのお人よし
(はふぅ……ゼド様、同じ後天スキル持ちでも、レベルが私とは全然違いますわ。極めていらっしゃるのね。努力してらっしゃいますのね)
「……よし。こんなもんか」
両手で頬を抑えながら、ロクセラーナが尻尾をくねくねさせている間に、ゼドは薬を塗り終えたようだ。しかしそこで芽生えた違和感に、ぴたりとロクセラーナの動きが止まる。
(……あれ。おかしいですわね。冒険者が使う傷薬はお高いけれど、効果が素晴らしくて。塗るだけで傷口が塞がると、うかがっていたのですが)
ゼドの左腕の傷は、薬が塗りたくられてなお、じゅくじゅくしているような気がする。そしてゼドが取り出したガーゼと包帯で、その傷口を塞ごうとしているのだ。
嫌な予感がして、ロクセラーナはゼドが使っている薬を鑑定した。
名称:ポルカの傷薬
概要:薬師見習いポルカが、ヒル草を主体に複数の薬草を混合して調薬した傷薬。
効果:各薬草の成分が干渉し、ヒル草本来の止血・再生作用が相殺されている。
効果は不安定で、ヒル草を単体で擦って塗布した方が明らかに高い、残念な出来。
「――うきききききききっ、うきききききき、うききききー!(【水の聖霊よ、水の恵みを、ゼド様の右腕に!】)」
「っうお、ロシィ⁉ 傷薬が全部流れたぞ」
「うっきぃー!!!!(こんな不良品、ゼド様に使わせるわけにはいきませんわ!)」
どこの誰かは知らないが、この瞬間ポルカはロクセラーナの敵になった。
(ゼド様のお人の好さに漬け込んで、こんな不良品を買わせるだなんて! もし会ったら、お顔を引っかいてやりますわ)
困惑しているゼドをよそに、ぷりぷり怒りながらロクセラーナが向かうのは、ヒル草の群生地。自分が鑑定レベルを上げるのを怠ったせいでゼドが怪我をしたのではないかと悔いたロクセラーナは、さきほどまで目に付くものを片っ端から鑑定していたのだ。
小さなお猿の手で、葉っぱを傷つけないように丁寧に収穫し、周囲を見渡してすり潰せるものを探す。
(あの平たい石と、丸い石がちょうどいいですわ。……でも水魔法で洗ったところで、衛生面はどうでしょう。せめて火で消毒できれば……そうですわ!)
先ほど同様水のシャワーでヒル草と石の表面を洗ったロクセラーナは、全部まとめて小さな腕で抱えながら、えっちらおっちらと、ゼドのもとに向かう。ゼドの足元に石を置き、ヒル草を離れた場所に避難させると、放置されているゼドの麻袋を漁り、中から火の魔石を取り出した。
「……何をしているんだ、ロシィ」
「うき!」
「いや、そんな笑顔で差し出されても……」
困惑しているゼドに、先ほど置いた二つの石を指さし、次は火の魔石を交互に指し示す。
「……まさか、あれを炙れと」
「うき!」
「一体何を企んでるんだ。お前は」
ぶつぶつとぼやきながらも、結局ロクセラーナに甘いゼドは、火の魔石をはめた黒剣を使い、石を高温で炙ってくれた。すかさずロシィは再詠唱して水をかけ、石を冷やす。
指でちょんちょんと触って、触っても問題ない温度になっていることを確かめ、ガッツポーズをする。
(よし、これで消毒はばっちりですわ。あとはヒル草をすり潰して)
「……おーい。ロシィ。それで、俺は治療を続けて大丈夫なのか」
「シャーッ! (駄目に決まってますわ!)」
歯を向いて威嚇音をあげてゼドの愚行を止めて、急いでヒル草をすりすりする。お猿の小さな手は非力だが、その分きめ細かく葉を擦れる。汗だくになりながら、必死に擦って、ようやくロシィ用お茶碗一杯分のヒル草を擦り終えた。
(だ、だいぶ時間がかかりましたわ……でも)
名称:ロクセラーナの傷薬
概要:猿化中のロクセラーナが、ヒル草をすり潰して単独で調薬した傷薬。
効果:ヒル草以外の成分を含まないため、薬効の純度が高く、消毒および止血・再生効果が安定して発揮される。調薬方法こそ原始的だが、ポルカの傷薬と比較すれば、その効果は明らかに上回っている。
(原始的はよけいですわ! 原始的は! ……でも、これなら!)
傷を布で押さえながら、黙ってロクセラーナを見守っていたゼドに、擦ったものを差し出した。
「……うき!」
「これを塗れってか? さっきの傷薬ではなく?」
「うきうき!」
「……一応あれは見習いとはいえ、薬師の勉強をしている奴が作ったもんなんだがなぁ。まあ、ヒル草を使っていたから、これでも別に体には問題ないだろうが」
苦笑いを浮かべながらも、傷跡にロクセラーナ作の薬を塗ったゼドだったが、すぐに驚いたように目を見開いた。
「……さっきより、痛みが引いた……?」
「うき!」
再びガッツポーズをするものの、ぴんと立った尻尾はすぐにへにゃんと力をなくす。
(……でも、やっぱり冒険者専用の傷薬のようにはいきませんわね。傷が塞がっておりませんもの)
結局ポルカの傷薬の時と同様、ゼドはガーゼで傷口を覆って包帯を巻き始めている。
(原始的な薬ですもの。仕方ない……仕方ないのかもしれませんけども)
ここで奇跡のように、傷が塞がる薬が作れたらどれだけ良かっただろうか。どれだけ、ゼドを喜ばすことができただろうか。
(……万能なように見えて、いまいち役に立ちませんわね。【鑑定】スキル)
無力感に、思わず尻尾をかじかじするロクセラーナの頭を、包帯を巻き終えたゼドが優しく撫であげた。
「ありがとうな。ロシィ。お前のおかげで痛みが楽になったよ。変異種との戦闘の時といい、お前はすごい猿だな」
(――はっふううううう、慈愛に満ちたゼド様の優しい笑顔おおおお! これを引き出せたのが私だと思えば、無力感もふっとびますわああああ)
「うっききぃー!」
「おっと……お前はすごい猿なのに、甘えん坊なのは変わらないんだな」
飛びついて胸にべったりロクセラーナを、ゼドはやさしく抱きしめてくれた。
(ゼド様、見ていてくださいませ! 私必ず【鑑定】スキルを極めて、もっとあなたにお役に立てるようになりますわ!!!!)
「よし、もうすぐ町だぞ。ロシィ。お疲れ様。頑張ったな」
「うきっ」
変異種の後に現れる敵は、どれも一級冒険者であるゼドの敵ではなく、ロクセラーナが弱点を探る暇もないままあっと言う間に討伐された。その様を首もとでうっとり眺めながらも、役に立てなかったことが少し悔しい自分もいる。
(で、でも! 魔物も植物も、たくさんたくさん鑑定しましたし! きっと鑑定スキルのレベルを上げるために経験値は積んでいるはずですわ)
正直、何がレベル上げの基準になっているかは不明ではあるが、取りあえずそう信じることにする。じゃなきゃ、とてもむなしい気持ちになってしまう。
(そんなことより、今日は一日空けての、ゼド様とのお宿ですわ! ゼド様との野営はとても楽しかったですけど、やっぱり二人きりのベッドで過ごす夜も捨てがたく……)
「――号外、号外だよ!」
「うん? なんだ?」
町に入ったら、急に騒がしい声が聞こえてきた。ざわつく人々は皆同じ、人の絵が描かれた紙を持っている。ばらまかれている紙が一枚、風に乗って流れてきたので、とっさに掴んだ、その時だった。
「隣国ヴァルトハイムの公爵令嬢ロクセラーナ・ルセリオが、王家の宝を盗んで逃亡中うらしい! 高貴なる大罪人のご尊顔がこれだあああ!!!」
「うきー⁉」
(ぬぁんですって⁉)
怒りでプルプルと震えるロクセラーナの握る紙には、やたら目つきの悪い青い目の、金髪巻き髪の女が描かれていた。
(私……こんなに不細工ではございませんわあああああ!!!!)