変身
顔が、ない。
いや、正確にはないわけではない。一瞬無いように見えただけだった。ただしそれは、ほとんど原型を留めないまでに変形していた。
頭部は球状に変形し、色はさっきのムカデよりも増して真っ黒。少しテカテカしているのが確認できる。目や鼻、耳といった器官は跡形もなくなっており、顔の中央から若干下、右から左にかけて、鋭いギザギザの歯が並んだ口がパックリと割れていた。極めつきに後頭部には、頭髪ではなく麻のような素材の太い紐、、、どう見ても導火線としか思えないものが生えていた。
その様はまるで、コミックに出てくるような典型的な爆弾に、白い牙の生えた口をつけたようなものだった。
衝撃を受けた僕は、その場に倒れ込む。いつから手のみの変形だと思っていたのか。そりゃあそうだ。腕が変形しているんだから、その他の部位が、顔だって、変形していたっておかしく無いはずだ。
すると突然、手がパキ、パキと音を立て始める。
見ると、肌色だった手の表面が、まるで古い塗装のように、ボロボロと崩れていた。
崩れゆく手の下から、異様なほど白くなった手が現れる。指の付け根には黒い骨のような突起がある。間違いなく人間のものではない。
これまで僕の体で唯一人の形を保っていたものが、今しがた異形と成り果てた。
もはや僕は人間では無い何かだ。その事実を今更ながら痛感させられた。
その上、今度は激しい吐き気に襲われた。
あのムカデも、もとは。
僕は人間を殺してしまった。
殺してしまった。
でも、戦闘を仕掛けてきたのはあちらだ。あれもどうせ三日で死ぬ運命だった。そもそも街を荒らす彼らを僕は止めに来たのだ。話し合いができないのなら、こうなるのは必然だ。悪いのは、きっとあちらだ。
それでも、他人の命を奪ったことに変わりはない。
しかも僕は、あの時、笑っていた。心の底から、笑っていた。苦しむ人間を見て、この上なく滑稽だと思った。そして殺した人間を、この足で踏みにじった。あれは間違いなく、自分が楽しむためだった。そして、、、さらに、、、人を、、、喰っ
「ゔおえっ」
猛烈な吐き気に耐えかねて、ついに嘔吐する。
僕の口から出てきたものは、カランという音を立てて地面に落ちた。
それはどう見ても、
Mk2手榴弾だった。
しばらく経って、頭が少し冷めてきた。
それでもなお、動揺と後悔は収まらない。
その場にうずくまり、考える。
あの時の自分は、本当に自分自身だったのか?
わからない。わからないが、、、これは言い訳に過ぎないのだろう。
あの時、凶行に走ったのは、きっと紛れもなく自分自身だ。
僕と、少なくともあの時の僕と、あのムカデは同じだ。
まるで獲物や闘いに飢えた獣のようだ。
きっと全国で暴動を起こしている者達も、理性を失い、本能のままに動いているだけなのだろう。僕も、なんら変わらない。むしろ、こんな姿になっても、こうやって冷静に物事を考えられるのが、奇跡のようなことなのかもしれない。
何が英雄だ。
何がヒーローだ。
ただの獣のなりそこないじゃないか。
どうしてこうなった。何を間違った。
空には怪しい雲がかかり始めていた。
しばらくそのままうずくまっていた僕は、ふらっと立ち上がった。
ゆくあてもなくふらつき、気づくと裏路地に入っていた。
急に雨が降り出し、次第にざぁざぁと音を立て始めた。
ゆくあてもなく、ただ歩く。
ぼくはどうしたらいい?
他の発症者と同じように街を襲う獣になれ果てるくらいなら、いっそ三日も待たず消えてしまうのがいい。そうだ。僕はいちゃいけないのかもしれない。
悲痛な感情を映し出すように、雨は勢いを増す。
裏路地でも所々建物が倒壊している。先ほどまで轟々と燃えていた火炎は、雨のおかげでほとんど消化されたようだった。建物の壁が焦げているのを何度も見た。
そもそも僕は、なぜ暴動を止めようなどと思い立ったんだっけ。
それすらわからなくなってきた。
涙が出そうだ。
だが、この体に涙腺はないらしい。泣きたくても、泣けない。ただ味のしない雨水だけが、僕の丸い頭部を滴り落ちる。
そもまましばらくは、フラフラと裏路地を歩いていた。
ふと、道端に植っている木下で雨宿りする猫を見つけた。少しほっこりした。今の僕にとっては貴重な癒しかもしれない。
通り過ぎようとして、ふと大通りの方を見る。
そこは先ほど、僕がムカデを仕留めるため、ビルを倒壊させた場所のすぐそばだった。
またフラフラと通り過ぎようとする。
「ニヤァオ」
猫の鳴き声が後ろから聞こえる。
瞬間、僕の頭にある考えが浮かんだ。
あの猫は、この場所で生きている。
この場所は本来なら、あのムカデに破壊されていたはずの場所だ。
ならそのムカデを仕留めた僕は、少なくともあの猫にとって、住処の、命の恩人というわけだ。この名も知らぬ、恐らく名もない猫にとって、僕はヒーローというわけだ。
なら、やることは決まった。
証明しよう。奴らを宥め、闘い、時には殺してでも、一つでも多くの命を救うんだ。そうすれば、僕はその命にとってのヒーローだ。少なくとも、獣でも化け物でもない。人間でなくとも、ヒーローならば構わない。
ただの化け物として死んでたまるか。
猫の方を振り返る。
猫は相変わらずうずくまっている。
決意を秘めて、僕は歩き出した。
見てろよ、猫ちゃん。
見ててくれよ、父さん、母さん。
見てやがれよ、ムカデ野郎。
僕はみんなの英雄として爆散してやる。
幼い頃憧れた、ヒーローのように。
裏路地を出る。まだ雨は降っているが、さっきより気分はだいぶマシだ。
ところで、これからどこに行こうか。
これまで通り、適当に探すか?
そう思い、最初の爆発の地点へ向かう。あそこには自転車があるはずだ。
だがそこにあったのは、見るも無惨な愛車の姿だった。車体は完全にひしゃげ、後輪はどこかに吹っ飛んでいってしまったようで探しても見当たらない。さっきの爆発から僕を守ってくれたのかい?心の中でそう呟いた。
しかしこれでもう自転車を使うことはできない。その辺に捨ててあるのを拝借するのも気が引けるしな。まあ今なら、下手したら自転車よりも速く走れるかもしれないけど。
悩んでいても仕方がない。このまま歩きながら考えよう。そう思い、先ほどと同じくムカデの来た方へ足を進めた。
しばらくはそのまま歩いていた。どこからか視線を感じるような気がする。気のせいかな。雨はシトシトと降り続いている。まあさっきよりはマシになってるかな?そろそろ止むかもしれないな。
そんなことを考えていると、
「バアアアン」
どこからか爆音が聞こえた。
まさかムカデが?
いや、それはない。自転車を見つけた時、確かに死体も確認した。
ならば、まさかもう一体?
しかも今の音、爆発音というよりも、銃声か?
「バアアアン」
また聞こえた。確かに、銃声のようだ。
音がしたのはおそらく近くの路地だろう。
そう思い、音がしたと思われる路地に向かった。
路地に入った。雨のせいか、暗くて不気味な雰囲気だ。
すると
「ズッガアアアアン」
という轟音と共に、隣にあったゴミ箱が弾け飛んだ。
驚いて、音のした方を見る。
するとそこには、一人の少年が立っていた。
「やあ、爆弾人間君。」
少年は言った。いや、少年というより青年か?ともかく僕より歳は下か。身長から、中学生か高校生くらいだと推測できる。
見てくれは普通の少年だ。だが異様なのはその右腕だ。
その青年の右腕は、まるで銃火器のような形状をしていた。
「仕留めるなら静かに一発で決めろよって?」
青年が言う。なるほど、そりゃそうだ。ではなぜ。
「威嚇射撃ってやつさ」
青年は続ける。
「見極めたいんだよ。君が人を苦しめる害獣か、それとも共に戦えるに足るものか。あるいはただの可哀想な一般人かね。」
とにかく、話は通じる相手のようだ。それにどうも発症者と戦う気の様子。
ラッキーだ。協力者はいるに越したことはない。
「俺の名前は石巻機晢」
僕も続けて名乗ろうとする。が、ここで想定外の問題にぶち当たった。
声が出ない。
どういうことだ。
これはまずい。
焦る僕に、青年は右腕を突き出し、銃口を向ける。
雨に濡れた銃身が怪しく光った。
「君は、だれなんだい?」
七月二十一日 爆散まであと三日