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五 変わった客




「リュウっ! 牛すじのシチューできてるよっ」

 大柄な女将がカウンターに、ドンっと丼のような椀を置いた。中には具沢山のシチューがたっぷり入っている。堅焼きパンはもう運んである。これで注文あがりだ。

「はいっ」

 果実酒を運んでいたテーブルからカウンターに向かう。

 働き出してひと月が過ぎていた。忙しかったせいか時が経つのが早い。

 この店に来る前に髪と目は焦げ茶にしておいた。魔法が出来るとわかったときに、髪と目の色を「茶色になれ」「もっと薄く」と何度も念じたら、本当に焦げ茶になった。

 下町の店だからあまり身元にうるさくないのが良かった。そうでなければ、出身の領地が記されていない身分証だと勤められないことが多いらしい。

 竜也としては、出身がこの世界ではないことは王宮の者はよく知っているのだから適当に書いてくれれば良かったのに、腹立たしかった。竜也の身元は「ワケあり」ということになっている。

 肉体労働とか、身元にこだわらない店とか娼館とか、限られた仕事しか出来ない。もしくは「狩人傭兵協会」や「職人組合」などの会員や組合員になり、地道に働いて認められればそれなりに割の良い仕事にありつけるらしい。

 そういう話は、女将のレイラが教えてくれた。

 レイラは、竜也はド田舎の孤児の出だと思っている。常識を知らない竜也に色々と教えてくれた。お喋りなレイラの話は、情報の精度はわからないまでも参考になる。

 前に店で働いていた給仕はレイラの「男友達」とケンカして怪我をし、腹を立てて辞めてしまった。

「西の町食堂」という料理屋は、安くて上手いと評判だ。食事を安く提供できるのは客が多いからで、いわゆる薄利多売だ。レイラ一人で店をやるのは無理だ。

 急に働き手を失ったために伝手を頼って人を探している暇がなく職業斡旋所に頼んだらしい。職業斡旋所なら「精霊石」で殺人や盗人などの犯罪を犯した者は弾かれるので安心して雇える。その代わり、手数料に銅貨が五枚要る。自分の伝手を使えないときに頼む場所だ。

 下町に根付いているような店は職業斡旋所にはあまり頼まないので、どんな人間がくるかレイラは不安だったらしい。遠くから働きに来るかもしれないと考え、わざわざ物置を片付けて「住み込み可」としておいたとか。

 竜也にとっては本当に良い話だった。物置の住まいはガラクタが隅に山積みされているような状態だが、誰にも気を遣わずに住めるので楽だ。風呂がないので、湯をもらってきて拭うだけなのは辛いが贅沢は言えない。それに、ラノベで読んだ魔法を思い出して「浄化魔法」というのをやってみたら案外、上手く出来たのか妙にすっきりした。それでなんとかなってる。

 小屋で時間のあるときは魔法の練習をしているが、竜也はオマケの割に魔法が使えた。

(異世界に来て良かったかもな。魔法は面白いし)

 あのままだと裏ボスと評判の婚約者と結婚して会社を継がなければならなかった。祖父が傾かせた会社の尻拭いなんて、考えただけでうんざりだった。

 竜也が六歳くらいの頃。家の集まりで、家族で本家に行った。竜也の父は嫡男で跡継ぎだが、普段は会社に通うのに便利なマンション住まいだった。

 そのときに祖父が手がけた菓子のセットが振る舞われた。自社で作られた新作だ。ランドセルの形の箱に、文具を模した菓子が入っていた。自慢げな祖父の顔を覚えている。

 竜也は子供だった。ゆえに、無邪気で正直だった。

 ランドセルは変にデフォルメされていた。子供心に「ちゃんと小さいランドセルを格好良く作ればいいのに」と思った。

 ランドセルだとはわかるのだが、ところどころ角張っていて、前衛的、あるいは近未来風にデザインされている。それが、竜也の目から見ると格好悪い。

 ランドセルを開けると毒々しい色の菓子が入っていた。見るからに人工的な色に着色された菓子は美味しそうではなかった。不健康な色に着色するくらいならせめて本物らしい文具を菓子で作ればいいのに、文具もデフォルメされていてイタチっぽい鉛筆とかウサ耳のついた筆箱とか微妙に悪趣味だ。

 竜也はあまりのことに戸惑った。周りの大人たちの笑顔も引きつっていた。

 菓子を一口食べて、不味さに思わず咀嚼を止めた。

「お母さん、吐き出していい?」

 と隣の母にもごもごと尋ねた。

 母は答えるのに躊躇した。

 竜也はなにも言わない母に焦れて持っていたハンカチに菓子を吐き、さらに声をかけた。

「なんか、不味いし。変な菓子」

 途端に、頬に衝撃があった。

 体が吹っ飛び、赤鬼のような祖父を視野の端に見た、気がする。それからの記憶がない。祖父に殴られて後ろの壁に体を打ち付け気を失ったらしい。

 以来、母は子供たちを本家に連れて行かなくなった。

 父にも「息子を殺しかけたあの男のところに連れて行くのなら、離婚します」と言ったとか。ずっと経ってから聞いた。

 それは、ほんの一例だ。祖父がトップだったころ、常識を外れた逸話が溢れていた。笑える逸話なら良いが、祖父のやることはいつも人を不快にさせた。

 祖父は倒れたのち寝たきりになったが、誰も見舞いに行かなかったらしい。家族も社員も、誰もだ。気の毒とは思わなかった。なにしろ、母に「殺しかけた」と言わせるくらい手ひどく孫を殴る祖父など、一欠片の親しみもない。

 あの祖父の傾かせた会社など継ぎたくなかった。会社を継ぐ自信もないが、そもそもやる気がおきない。利発できびきびとした妹の妃奈の方がよほど社長に相応しい。

(今頃、妃奈が継ぐことで話が進んでいるだろうな)

 解放されたのだと思うと、妃奈には悪いが肩が軽く感じる。自分の人生に絡みついていた重荷が消えたようだ。

 本音では逃げたかったが、妹に押しつけたくはなかった。長男として兄として責任がある。死ななきゃ逃げられない。

 だから、召喚に巻き込まれたのだと思う。逃げたい、でも死にたくないと願った結果がこれだ。竜也は、ただの巻き込まれではない。神様に「オマケにしてもらった」のだ。

(「亡者から 逃れて一人 異世界の朝」)

 これは「ムラヤマリュウヤ川柳」の一巻に収録しよう。


 食堂の仕事はけっこうきつい。

「竜也は真面目だから、良い拾いものをしたわ」

 とレイラが笑う。

 信用してもらえるのはありがたい。

(でもなぁ。あんまり長くは勤められないかもな)

 前の給仕が辞めたのは、レイラの男友達、つまりレイラの恋人に殴られて怪我したからだ。

 竜也が働き出して一週間ほど経ったころに、恋人とレイラは別れた。

 別れたのは、男の浮気が原因だとレイラが愚痴ったので知っている。恋人の男は店にたびたび来たので顔を見たことはある。見るからにチンピラだった。マフィアの下っ端というか丁稚というか。あんなのとケンカして怪我させられたらそれは辞めるよな、と竜也は納得した。

 その話を聞いたのは、店の客たちの会話からだった。客同士の会話を耳に挟んだだけでおおよそわかった。

 以前の給仕は三十代くらいの男だったという。若い頃に病気をして持病を抱えた病弱な男で、ようやく給仕の仕事をしている有様だったとか。そんな男を殴ったのか酷いな、と竜也は客の会話を聞きながら思った。

 レイラは、男を見る目がないのだ。

 前のチンピラと別れて半月ほどすると、レイラはまた別の男と付き合い始めた。

 レイラは大柄で派手な顔をしている。胸がすごく大きい。見たら悪いと思いながらも、目立つからつい目がいってしまう。竜也の好みではないのでなんとも言えないが、一般的に見て美人かなと思う。

 この世界の美醜の基準は正直よくわからない。でも、レイラの男の好みはだいたいわかる。今つきあってる男は前の男と似ている。厳つい大柄な男で、筋肉もりもりだ。前の男もそうだった。ひと目見てチンピラという言葉が思い浮かぶところも同じだ。

 顔は、美男とは言い難い。彫りが深く、ゴリラの世界では美男かもしれない。視線を合わせたくないのでじっくり顔を見たことはないが、目つきが悪すぎて顔の作りなんかどうでもよくなる。

 エルクという名前だ。紹介されたわけではない。彼が店に入ってきてレイラにグチュっと口づけしたので恋人だとわかった。

「もぉー、やめてよぉ、エルク」

 とレイラがまんざらでもない顔で名を呼んだので名前もわかった。

 最近、竜也を悩ませている問題は、エルクが店の金を持っていくことだ。

 厨房にいるレイラに口づけをしながら「ちょっと立て替えてくれよ」と言って小銭を掴んで行く。

 店では客がテーブルに代金を置いて行くので、竜也がそれを前掛けのポケットに回収し、数人分まとめてレイラに渡している。レイラはそれを厨房の木箱に入れる。

 エルクはその金を掴んで取っていくのだ。

 昼はワンコインだからまだ良いのだが、夕食は酒を飲む客も多いので、大銅貨で支払われると銅貨の釣り銭が必要になる。

 ポケットに預かってる小銭があるときはそれを使い、あるいは、レイラに「銅貨、五枚」とか「三枚」と言って小銭を貰って支払う。その釣り銭が足りなくなる。あれだけ毎日、金を持って行かれると仕入れの金にも事欠くんじゃないかと思う。

 レイラは「しょーがないわねぇ」と少し困った顔をする。

「釣り銭が足りなくなるので止めるよう言ってください」

 竜也は何度か頼んでいる。

「言い難いわ、そんなケチ臭いこと」

 レイラは困った顔をするだけだ。

 結局、レイラは恋人になにも言えないのだ。以前、給仕の男を恋人が殴って辞めたときも何も言えなかったみたいだし、これからもそうだろう。

 男を見る目がない上に、その性悪な男の言いなりになる。浮気以外は許してしまうらしい。前の男とは浮気で別れ、今回も浮気で駄目になるのかもしれないが、それまでに竜也の方が嫌になりそうだ。

 今の仕事はそれなりに気に入っているが、長く勤められるとは思っていなかった。

 レイラは人が善いが、治安の悪い下町で女一人で店をやっているだけあって逞しい。肉団子にクズ肉を混ぜたり、鶏肉のシチューを魔獣肉に変えたり、そういう「工夫」はふつうにやっている。ふつう、というのは、どこでもやってるようだからだ。

 ごくたまに鶏肉が安く手に入ったときは、まかないで焼き鳥を食べさせて貰っている。だから、この国の鶏肉の味は知っている。魔獣肉のような変なクセがない。

 魔獣肉の味は食えない臭みではないが、なんとも言えず独特だ。レイラは香辛料につけ込んで臭みを抜いているので煮込みは美味いが、魔獣肉の風味がすっかりなくなることはない。

 竜也は屋台で焼き鳥と言われて買ったものが魔獣肉だとわかってもこの頃では驚かないし、レイラが「工夫」を凝らしても見て見ないふりをしている。レイラにも罪悪感などはなさそうだ。

 給料はきっちり毎日、銀貨二枚をくれるし、「物置小屋の防犯はあってないようなものなんだから貴重品は置いたらだめよ」と親身に忠告してくれる。それだけでも本当にありがたい。悪い男を選ぶ癖だけ直してくれたら、と切に思う。

(一句、来た。「チンピラを 好む上司に 給仕の悲哀」)

 最後は「足りない小銭」のほうがいいかな? と駄句をひねりながら今日も仕事を終えた。


□□□


 ある日、昼を少し過ぎた時刻にふらりとやってきた客はこんな下町の食堂には似合わない雰囲気だった。

 茶色い髪はぼさぼさで、長い前髪が顔の半分を隠している。だぼだぼの麻のシャツにベスト、それにやはりだぼっとしたズボン。だらしのない格好なのに、小綺麗に見える。良い靴を履いているので金はありそうだ。一見、男か女かもわからない。仕草には貴賓がある。そんな客だった。

(訳あり?)

 正体不明だが、客は客だ。竜也はにこやかに接客した。

「ご注文は?」

 尋ねると、それまで店の中をあちこち眺めていた客は挙動不審となった。前髪に隠れた目でじっと竜也を見詰め、口を半ば開けている。

 まるで竜也に見とれているようにも見える。

(んん? 見とれるような顔じゃないんだが)

 竜也は再度、「あの、お客様? お食事ですか? お酒のほうですか」と尋ねてみた。

「ああ、その、注文っていうのは」

「壁に貼ってあるあれが品書きですよ。ちなみに人気のメニューは肉の煮込みと小麦団子の揚げ物です」

「では、それを」

「はい」

 レイラの煮込みは美味いのだ。客の八割は煮込みを頼む。小麦団子もそれなりに人気だ。

 小麦団子は異世界風揚げパンだった。ピロシキやカレーパンに少し似ている。小麦粉の生地に具を包んで揚げたもので、カレーパンほど香辛料が効いていないが美味い。レイラの店の中では高額メニューのほうなのであまり出ないが、この客は金がありそうなので勧めてみた。

 出来た料理を運んでこっそり様子を見ていると、恐る恐るスプーンを動かしている。

「ほぉ」と一口食べて感心したように声をあげた。

(うんうん、レイラの料理は美味いよな)

 竜也は良いメニューをお勧めできたな、と客の様子に満足した。どちらの皿も空になった。

 それから、正体不明の客はときおり来るようになった。

 幾度目かの来店のときは「いつもお勧めを教えてくれてありがとう。これ、私が仕事であつかっているものなんだ。靴の中敷きなんだが。長く歩いても疲れない優れものなんだ。もらってくれないか」

 そう言って、紙袋を渡された。

 靴の中敷きなら高価なものでもなさそうだし、感謝してもらっておいた。使ってみると本当に優れものだった。革製でクッションが良いのか確かに歩きやすい。

 良いもらい物をした。竜也もお礼がしたいな、と思いながら丁度良いものが思いつかない。友人第一号になってもらえたら良かったのだが、レイラの店は辞める予定だ。親しくならないほうがいいのかもしれない。




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