三十八 濁り
今日の二話目の投稿です。一話目は朝に投稿しております。
神器盗難事件が一応の決着を見た日、尚樹は騎士団の仲間とともに酒場に来ていた。
「酒!」
尚樹が店員に注文すると、いつも尚樹の面倒を見ているルディが、「あ、こいつは果実水で」と横から止めた。
「俺、もう十八だってば」
「ナオキの国では二十までは酒駄目だろ」
「ルールは守ろうな」
皆に言われ、頭をぐしゃぐしゃ撫でられた。
尚樹は騎士団の連中の弟枠だった。
「くっそ! 飲まないとやってらんねぇし!」
尚樹はテーブルを拳で打ち付けた。
「仕方ないだろ」
「国王が引責って形で退位したのに! 他の者に責任追及するなって言って」
それなのに、キリム隊長は辞めるという。
「あのまま残っても針のむしろなんだよ、副隊長は腐れ貴族だしな」
ルディは諦めた様子だった。仲間の騎士らも頷き、さらに苛ついた尚樹は隣の席に運ばれた酒を掴んで飲んだ。
「あ、こら」
怒られたときにはすでに喉が焼けるような酒が食道から胃の腑まで流れ込んでいた。
「げほっ」
「まぁ、やるせないよな」
尚樹の背を撫でながら呟くルディの声も昏かった。
(こんなことになるなんて)
尚樹は熱くぼんやりし始めた思考でここに来てからのことを思い浮かべていた。
戦隊ものが好きな野球少年は、気が付いたら格闘家に憧れていた。中学の頃の夢は道場の師範になることだった。
両親には反対された。食っていけないぞ、と脅された。
「食えなくてもいい!」と言い返しながらも、「年を取ったり体の故障で動けなくなったらどうする?」と問われ、自分の腕で独り立ちできるのか不安もあった。だから、普通の会社員でも良いかとも思った。週末に道場に行って手伝えればいいかって。
勉強は面倒で嫌いだった。高校はそうとう背伸びした進学校を受験させられたが、家庭教師から教わった山がたまたま当たり奇跡的にぎりぎりで合格できた。
だから、せっかく受かっても毎度成績は最下位だった。
父に村山竜也と親しくなりコネ入社させてもらえと命じられたのは、尚樹の成績が最下位だったからだ。親にうるさく言われ近づこうとしても、竜也とは話がまるで合わない。
苛ついて「村山竜也は傲慢」と友人に悪口を言っても、「村山が?」「どこが?」と信じてもらえなかった。竜也を少しでも知ってる者は信じない。
(そういや、全然、傲慢って感じじゃないけどさ)
異世界に召喚されたときはショックだったけれど、終いには「ここでもいいか」と思った。元の世界では思うように生きられなかったのだから。神器の連弩が使えるとわかると、もうここで生きていこうとすっかりその気になっていた。
一緒に召喚された竜也とは引き離されてしまったが、牢屋などではなかったので少しほっとしていた。召喚された地下での雰囲気があまりに悪かったのでびびったが、その後の待遇は良かった。
ときおり竜也はどうしているか周りに尋ねると「ふつうにされています」とか「言葉を習われています」とか教えられた。
ここでも勉強しているとはさすが優等生だ。尚樹には無理だ。見習う気もおきない。なんで引き離されたのか聞いてもろくな答えがなかった。
尚樹は本はほとんど読まないが、これはラノベ好きな友人が言っていた異世界転移だろう。あの友人は「異世界に行きてぇ」「ハーレムで無双してぇ」とか言ってたが、そんな良いもんじゃないと教えてやりたい。
ただ、生きたいように生きられなかった尚樹みたいな者がゼロからやり直しするには良いのかもしれない。
騎士団の連中と親しくなってからはますます楽しく暮らせるようになった。もう不安はなかった。
騎士たちと喋るうちに言葉も流暢になった。文字は駄目だけれど、話せれば困らない。翻訳の魔法は、喋れるようになるとかえって邪魔だった。すぐに解除してもらった。
そんな尚樹は、悔やんでいることがあった。
神官が挨拶に来たときに精霊石の腕輪をくれた。御守りになるという。縁起物にはあまり興味はなかったが、こんな異世界だと凄く御利益がありそうな気がする。格好良かったので有り難く腕に填めていた。
腕輪はいつも綺麗にほんのりと輝いていた。
あるとき王宮の文官が、事情聴取みたいな調べに来た。それは初めてじゃなかった。前からときどき来て、あれこれと質問して帰って行く。
その日は昼食のときから気分が悪かった。エルジナ王女に嫌味を言われたからだ。マナーが悪いとネチネチと言われた。頑張って訓練して、腹ぺこで食事をすれば嫌味の嵐だ。尚樹なりにがっつかないように気を付けたつもりだったので余計に腹立たしかった。
そんなときに、面倒な文官の事情聴取だ。さらに苛ついた。
おまけに、文官から落ち込む情報までもらった。
竜也が必死に文字を習っていた理由を聞かされた。「王宮を出て独り立ちするため」だという。竜也はすでに中等部程度の文字が読めるようになっていた。
(あいつ、超優秀。ホントに出てくんだ)
尚樹は焦りや虚しさで茫然とした。
(ふつう、俺にも声をかけねぇ? 仮にも親類だろ?)
自分だけ生活の目処を付けて。尚樹が一緒に行くか否かは別としても一言、誘ってくれたっていいだろう。
(薄情すぎるだろ。俺、竜也にとって、そこまで要らない人間だったんだな)
文官に「あのリュウヤという者とはどういう関係か」と尋ねられ、自棄気味の気分で、
「俺の従者」と答えた。
大した意味はなかった。文官はそれを調書に記して帰った。
部屋に一人になってからいつものように腕輪を見ると、腕輪にはめ込まれた精霊石が灰色に濁っていた。
思い当たるのは、あのふざけた嘘だけだった。
そんなに悪いことをしたつもりはなかったが、「あの嘘」は精霊石にとっては、輝きを濁らせるようなことだったのだ。
(竜也が救世主だったのかな)
そのことは、あまりショックとかは感じなかった。尚樹にとって、竜也は親に無理矢理、付き合えと言われた相手で、トラウマ的な存在だった。コネ入社のための手段など、嫌に決まってる。
本音では近付きたくなかった。むしろ、何も言わずに一人で王宮を出て行かれたことで、さらに縁遠い人間になってしまった。
同郷の人間と感じるのも難しいくらい、遠い。
(竜也が救世主なら、この国は終わりだろ)
エルジナ王女は、竜也は要らないと判断したのだから。
(ざまあみろ。あんな性悪王女、どうなってもいい)
それから腕輪を填められなくなった。
尚樹はますます連弩の練習にのめり込んだ。嘘をつけないほど清廉潔白な生活なんて、尚樹にはできない。けれど、嫌なことも面倒なことも、連弩の訓練をして騎士団の皆とわいわいやっていると忘れられる。
剣の訓練もした。重い剣は、筋力を魔力で強化するようにしたら軽く振れるようになった。剣での戦い方は団の皆に教わった。
王都近くの森に実地訓練にも行った。王都の森はそれほど危険じゃない。けれど、瘴気が増えてから、魔獣が町にまで紛れ込むようになり被害者が出始めていた。
森で戦うコツも、団長や団の騎士たちが教えてくれた。慣れない尚樹をフォローしてくれた。
尚樹が連弩で強敵を屠ることに夢中になり警戒が疎かになっていると、騎士たちがいつの間にか近接した魔獣を切り倒してくれる。安心して戦えた。
町のみんなにも感謝された。訓練して、町のためになって、一石二鳥だった。
戦ったあとに団の皆と帰還するときが好きだ。怪我人が出なかったときは、さらに気分がいい。
部屋に戻って久しぶりに引き出しにしまった腕輪を見た。もう填められないけど、磨いておこうかと思った。そうして手に取ると、あの濁りがやけに薄くなっていた。気のせいじゃない。確かに前と違う。
尚樹は「ああそういうこと」と悟った。何がそういうことなのか。自分で言っておいて謎だが。
精霊石の濁りは尚樹にとって、不安や嫌な予感と直結していた。ただの石の濁りだというのに胸に染み込んでくる「嫌なこと」だった。
それは、善か悪かなどという単純なものじゃない。いや、よく理解できれば単純なものなのかもしれないが。
この世界にとって大事なことがあるのだ。それが、精霊石の清濁を決めている。
尚樹は自分でも脳筋というか、脳天気な人間だが、こんな親も知人もいない世界でお気楽になれるほど馬鹿じゃない。でも、精霊石が濁らない者でいれば、何かに守られている気がした。
東の魔の森へ行くという遠征の話が出たとき、尚樹は行くべきだろうと思った。
その話は、宰相が持ってきた。
尚樹は騎士団の伝手で、「宰相は、東の領主たちからずいぶんお土産をもらったらしい」という話を聞いた。
「宰相は、精霊石を濁らせるやつだろうな」と思った。直感的にそう感じていた。
エルジナ王女もだ。でも、そんなのは尚樹には関係ない。尚樹には、騎士団の付き合いしかこの国に支えがないのだから。さらにその上にいる奴らから何か言われれば、言うことを聞くしかない。
団長は、尚樹を大事にしてくれている。団長が尚樹の防波堤で、騎士たちは仲間だ。
団長とは普段はあまり接触はないけれど、尚樹がまだ訓練も充分ではないのに東の森に行かされそうになるのを必死に留めていたという。騎士団の装備が足りないのをなんとかしようと奔走したり。団長は平民出身なので、要らない苦労をしているとか。
でも、国王が団長の味方なのでまだマシなのだとか。
なんでそんなになってるんだろう。騎士団は国を護っているのに? と尚樹が訊くと、騎士団の皆はなんともいえない複雑な顔をしていた。
この国は、嫌いじゃない。尚樹はけっこう楽しく暮らしている。
でも、この国の真ん中は好きじゃない。
ありがとうございました。
また明日、投稿いたします。




