二十三 滅びたアバティアの末路
レジーを急がせて町を出ると、充分に離れてから一休みをした。
森を横切る街道から脇道に入り泉でレジーに水を飲ませ、竜也とシスは倒木に腰を下ろした。
「これからどこに行く?」
竜也が尋ねるとシスは何か考え込んでいる様子だった。
「リュウ。情報が手に入ったと言っただろ」
「うん」
「瘴気がずいぶん悪化しているようだ」
「ご託宣でもそう言われていたね」
「お告げでは大がかりなものしか言われない。実態はもっと酷い。瘴気の乱れは異界の森で起きる。異界の森は放っておくことは出来ない。管理しなければならない。魔獣が目立つようになれば地元の狩人任せでは足りない。騎士団が入って間引きをする。そうしないと瘴気溜りが増える」
ユリシスは沈んだ声で淡々と説いた。
「ルデリアヌは異界の森が多いのか」
「多いほうだな。だが、管理しきれないほどではない。特に要注意の森は八つしかないのだから。その八つを重点的に見回り、必要に応じて騎士団を投入すれば良かった」
「それが出来てなかったのか」
「少々複雑な事情があるんだ。ルデリアヌは元々、他の国よりも瘴気を払える神官が少なかった。西のアバティア王国と東のルデリス王国が併合されて、今のルデリアヌ王国となる前は、西のアバティア王国は召喚によって聖女や神子を呼び瘴気を払って貰っていた」
「今のルデリアヌと同じだな」
「そうだ、同じだ。ルデリス王国の方では、他国の神官を招いて払って貰っていた」
「そうなのか。そんなことが出来るのか」
そんな簡単な方法で解決できるのなら、異世界から呼び寄せる必要などないだろう。
「南の隣国、エンガス王国とミブロス王国なら貸してくれた」
「あぁ、なるほど。兄弟国とかいう二国か」
そういう付き合いか、と竜也は納得した。
「その代わり、巨額の金を払っていた。兄弟とは思えないぼったくりぶりだった」
「世知辛いな」
「東のルデリスと西のアバティアが併合されてからは、召喚した聖女や神子に頼めば良いからずいぶん国費を節約できた」
「だが、召喚された聖女や神子は、以前よりも広範囲に瘴気払いをしなければならなくなったんだな」
なにしろ、国が一つ分増えたのだから。竜也はなぜ歴代聖女たちが仕事中に死んだのか、わかったような気がした。
「負担は相当だっただろう。おまけに、平民の聖女が召喚されたときは大事にお仕えすることさえしなかった」
シスが苦い顔をする。
「だから幾人も亡くなったんだろ? 六百年前からの召喚の歴史に載っていた」
「六百年前からというのは、併合されてルデリアヌ王国と名が変わってからだ。公式には建国は千八百年ほど前となっているがね。うちの国は建国年月日がわかりにくいんだ。西と東がずるずると併合されたから。たかが建国六百年では歴史が浅く見えると見栄を張る連中もいたし。だが、国が大きく変わったのがおおよそ六百年前だ」
「名前が変わったんだろ。誤魔化しようがなくないか」
「ルデリアヌという名は二国の古代の名だ。二千年近く昔は、西ルデリアヌ領と東ルデリアヌ領だったから。その頃は一国だったんだ。国名は『ルデリア帝国』。で、西ルデリアヌと東ルデリアヌがやがてルデリスとアバティアという領名となり、二国に分かれ、またくっついた。それが六百年前」
「ふうん。六百年前というのはそういう意味を持つのか。それより前の記録は探し難かったんだよな」
竜也が調べた国立図書館ではそれ以前の記録が見つからなかった。
それにしても、複雑な因縁をもつ二国だ。
(分かれたりくっついたりを繰り返す腐れ縁カップルみたいだな)
と、竜也は失礼なことを考えた。
「聖女が早死にするようになったのも六百年前からだ。アバティア王国では聖女や神子が召喚されれば、どなたであっても大事に仕えた。護衛を手抜きして死なせるなどあり得なかった。もちろん、命を削るほどこき使うこともなかった。六百年以上前の召喚の記録を公にしないのは、差が歴然だからかもな」
シスは嘲るようにいう。自嘲的な言い方でもあった。
「併合されたのち、神子や聖女を接待するのはルデリス王国側の人間たちだった、ということか?」
併合されて変わった、というのならそういうことだろう。
「そうだ。アバティアの王族や王宮の重鎮たちは、晴れの舞台から姿を消したんだ」
「やっぱり、穏便に併合したんじゃなかったんだな」
「リュウ。滅びたアバティアの中枢は、要するに国家運営が下手だったんだ。父は、あぁ、いや、私の家も古い家系で、魔力が高く魔導士気質なんだが、父は領地運営よりも魔導の研究や古代遺物の研究に心血を注ぎ、他は疎かにした。おかげで、あちこちに歪みが出ていた。六百年前のアバティアも同じだ。当時、アバティア王国側には、併合に反対する領主が多かったんだが」
「へぇ。反対しても押し切られたのか」
「そうだ。併合反対派が多かった、というより、ルデリスに寝返った少数の領主以外は皆、反対だった。だが、その」
と、シスは急に口ごもった。
「なんだ?」
竜也は肝心のところで話を止めるシスに畳み掛けて問う。
「我が家はとても古い家系だと言っただろう。古くから優秀な魔導士が生まれ、幾人かの先祖は強力な攻撃用魔導具を作った。そいつを持っていたために国で重用された。我が家は昔はアバティアの、つまり、中心的な家だった」
中心的というのは、つまり王家だなと竜也は推測したが、シスが言わずにいるので知らないふりをし、「そうか」と頷いておいた。
「それで、併合後、アバティアの高い魔力の血筋を欲しがったルデリスに、嫁や婿を差し出さなければならなかった」
「へぇ」
「高い魔力を持つとなかなか子が生まれない。簡単に嫁や婿を欲しがられても、こちらとしては家の存続に関わる。それでも、併合されたときの約束で断ることは出来なかった。愚かなことに、了承したのは当主だ。気が付いたときには遅かった。そのようなわけで、アバティアの家は消えた」
「そういう経緯か」
アバティアの王家は消えたのか、と竜也は改めて知った。
「残されたのは、先祖が作った武器だ。それらは、王家の血筋の者しか使えない仕様になっていた。魔力が条件に合わないと発動しないんだ。乗っ取られて、嫁や婿を取られて。つまり、魔力も乗っ取られた。凶悪な武器も取られた。だからアバティアの領主たちは逆らうのを諦めた」
「うわ。穏便な併合の裏側はえぐいな。アバティアの領主たちには、さぞ恨まれただろう」
「もちろんだ」
シスが辛そうに頷く。
「シスは、関わる家の子孫というだけだろう」
「そうだが。我が父も同じように魔導にかまけて、家のことを蔑ろにしたんだ」
今のあの国王のことか、と竜也は了解した。
シスが肝心なところを秘密にしようとするのでわかりにくいが、竜也は知っている。シスはルデリアヌの王女だ。
ルデリアヌ王国は、要するに古のルデリス王国の今の姿だ。併合という名の乗っ取りで、アバティア王国を飲み込んだ。
アバティアの王家は国王が騙されたのだろう。高い魔力が望まれ、跡継ぎを差し出し、消えた。魔力とともにその血筋はルデリアヌの中に生き残ってはいるが、惨めな残り方だと竜也は思う。
「王家の強力な武器というのは、どうなっている?」
竜也は盗み聞きをしたので知っているが、わざと尋ねた。シスの口から聞きたかった。
「もちろん、残ってはいる」とシスは言い淀んだが、すぐに言葉を続けた。
「六百年前の消えた王家と同じく、血筋が途絶えかけているんだ。武器を使える者もわずかだ」
「わずかでも、使える者がいるのだろ」
「五種の武器のうち、たった一つだ。本当はもう一人、使える者がいるはずだったのだが。その者は、もしかしたら使えないのかもしれない」
「ふうん。はっきりしないのか?」
エルジナのことだろう。竜也はエルジナが国王の血筋でないことは知っている。使えなくても不思議はない。
「私は魔導士だから、魔法関係の噂はよく聞く。その者は、とっくに武器の訓練をしなければならないはずが、頑固にやろうとしなかった。魔力が低い、という噂もある。高魔力持ちでないと使えない武器なのだ。きっと、無理なんだろう」
(へぇ、そういう理由にすり替えられているのか)
よほど魔法属性を四つ持っているのは希少なのだろう。エルジナは王族と信じられている。王妃の浮気相手の子と、疑われてはいないらしい。
「シスの母は隣国エンガス王国の出自だろう? エンガス王国に親族はいないのか?」
「ルデリアヌの魔力を持った親族はいない。高魔力の者は子をなし難いし、身籠もらせるのも難しい。余所の国の者が伴侶だと余計に子が出来ない。併合したルデリスとアバティアだったら、国が違うといっても似たような体質だから跡継ぎが生まれたが、エンガスやミブロスの者とは駄目だった。ゆえに、幾人も嫁や婿を出しても無駄なのだ。貴重な血筋の子を余所にやるなど、血を流して家を弱らせるに等しい愚行だ。それで子が出来ないのだからな」
「でも、シスの母上は?」
「私は異例だ。母はエンガス王国の者でありながら私を身籠もったが、本当に希なことだった」
「なるほど。では、その強力な武器を使える者も、他国にはいないのか」
「いないな。それで、だ。今は良い機会かもしれない」
シスは昏い笑みを浮かべる。
「ルデリアヌが弱体化している今が良い機会だと?」
竜也は思わずシスを凝視した。
「そうだ。滅亡したアバティア王国側の領主達に、この情報をくれてやるんだ」
「いいのか?」
「いいに決まってる。元アバティアの領主たちは厳しい税の取り立てでずっと冷や飯を食わされていた。それだけじゃない。瘴気と魔獣が増えても騎士団は西側には助けに行かない。飢饉や災害があってもだ。そんな冷遇が六百年間続いた。彼らはルデリスを切り捨てたいはずだ。アバティアの領主たちは、元ルデリスの奴らが聖女を死なせるたびに激怒していたことだろう」
「六百年も、よくも西側は耐えていたな」
「王宮に有能な人格者がいる間はあまり酷いときは防波堤になってくれた。二年前に暗殺された宰相が生きていればまだ良かったのだが」とシスは遠い目をした。
「シスは西の領主たちの味方なのか?」
「中立のつもりだったが、歴史を学び、国の実情を学び、今の王宮の有様を知るに付け、腐った者どもは思い知るべきだと考えるに至った」
シスは凜々しく言い切った。
「まぁ、そうだな」
竜也も王宮であったことを思い出すとシスに同意したくなる。
アバティアの領主たちが王宮よりまともだという確証がないので、シスほどは言い切れないが。
「神官のお告げの件もある。ルデリアヌは廃れていくだろう」
シスは国の悲惨な未来を話しながら嬉しそうだ。
「ご託宣のことか。ご託宣は国を救うためのものだったよな」
「そうなんだろうけどな。あの神官の血筋も、元はアバティア王国のはずだった」
「そういえばそうか。元々は、アバティア王国に召喚の慣習があったんだったな」
竜也は、ご託宣の文言がたどたどしいわけはやはり廃れたアバティア語を翻訳したからかと思った。
「神官の本家の血筋は、ルデリアヌ王国となったのち、暗殺され途絶えたと歴史書には記されている」
「暗殺が多いな。いや、国の歴史なんてそんなものかもしれないが」
「それは否定しないよ。でもそれにしても、神官の家が皆殺しになったのは、国を救うべく『王妃は性悪だから変えた方が良い』とか『財務大臣は隣国と繋がっている』とかご託宣で忠言したからだ。今の神官たちは傍流の傍流だ。救いようが無い」
シスは肩をすくめる。
「酷いな。それで、元アバティア側を独立させたいのか」
「その方が少なくとも半分は国が存続できるだろう」
「そうだとして、シスは恨まれている家の者なのだろう。危なくないか」
「出自を言わなければ良い。ただ情報を持ってきたと伝える」
「それで、信じてもらえるか?」
竜也が尋ねると、シスは「む」と眉間に皺を寄せて考え込み、「すぐには信じてもらえないかもしれない」と自信をぐらつかせた。
「元アバティア側の領主の誰かに知り合いはいないのか」
「いない」
シスが気まずそうに俯く。
「シス。もっと作戦を練ろう」
「むぅ。わかった」
王女は渋々頷いた。
ありがとうございました。
明日もまた投稿いたします。