二十二 諜報員
今日は二話、投稿しています。こちらは、二話目の投稿です。
竜也とシスは男を抱えて宿に連れ帰った。宿の入り口では「昼間っからこんなに酔っ払って!」「まったくぅ」とわざと言っておいた。きっと大丈夫だろう。
「ありがとう、リュウ。おかげで上手く捕まえられた」
「お安いご用。で? こいつ、どうする?」
竜也は床に転がる男を見下ろす。
「我が家に伝わる方法で情報を搾り取る。自白剤があるんだ」
シスは自分の袋から小瓶を取り出した。シスの袋は空間魔法機能付きで、魔力が溢れている。竜也の小袋よりもずっと立派だ。しっかりした持ち手が付いていて袋というより、ダッフルバッグというべきか。
「へぇ」
小瓶には濁った緑色の液体が入っていて不味そうだった。
「えっと。リュウ。悪いけど、しばらく部屋から出ていてくれないか」
シスが気まずそうにしている。
「それはかまわないが」
正直、どんな情報を搾り取るのかすごく興味はあったが、シスは竜也には王女であることを隠している。間諜を尋問しているところを見せたくないというのもあるかもしれない。
竜也は僅かに躊躇ったのちに頷いた。
「わかった。一階にいるよ」
部屋を出て廊下を歩き、一階の食堂に下りる階段前で立ち止まった。
(申し訳ないけど。探らせてもらおう)
本当はこんな裏切り行為はすべきじゃないが、竜也はそんな清廉な人間ではなかったし、シスがどれだけ危険か知るためにも情報収集は必要だろうと判断した。
風魔法をそよそよと糸のように操り、シスと間諜のいる部屋に潜り込ませた。階段を下りながら、風の魔力を伸ばしていく。ケーブルを魔力で作り上げていくようにした。
(けっこう、魔力要るな)
竜也は高魔力持ちなので、なんら問題はない。風魔法で繋げた部屋からは物音はするが声は聞こえなかった。
風魔法に気を取られながら、のろのろと食堂に入るとテーブルに案内された。注文を聞きに来た店員に焼き菓子と茶を頼み、また盗聴に注意を向ける。瓶の蓋が開く音や水っぽい不穏な物音がした後、さらにしばらくして、ようやく声が届く。
『貴様の名は』
シスの声だ。
『ゼリュー』
舌足らずな酔ったような声だった。自白剤のせいだろう。
『何しにここに来た』
『護衛だ。ラグロス外務大臣の護衛として』
『外務大臣はブーゲルニにどんな用事で来たのだ』
『我が国から流れた瘴気が国境から緩衝地帯を越えつつある。それで、ブーゲルニから原因の調査を頼まれていた。我が国に原因があるようなことを仄めかされていたのでその件だ。自然災害の責務を負わされても困ると文句を言いに来た』
『そんなくだらない理由でわざわざ大臣が?』
暗に、外交官で充分だろうとシスは言いたげだ。
『木っ端役人で済む段階はもう超えている』
『そもそも調査を頼まれていただけだろうが』
『エルジナ王女はそう思わなかったらしい』
『まぁ、わかった。それでお前はなぜ私を追った』
『死んだはずの王女を見かけたから』
『気付いたのはお前の他にいるか』
『いない』
『どうして言い切れる』
『今回、諜報部からの護衛は俺一人だ。他の護衛は騎士団の者のみ。王女の捜索に当たった者は他に同行していなかった』
『なぜユリシス王女をしつこく捜索した』
『王女は魔導士としては一流であったし、遺体は見つからなかった。エルジナ王女殿下は遺体の欠片でも何でも見つかるまでは捜索を続けろと命じていた。国王も捜索に関してはずいぶん熱心だったが、第一王女はそれ以上だった』
『それは、なぜだと思う』
『国王陛下はユリシス王女が亡くなったという報告にショックをお受けになっていた。酷く辛そうにされていた。陛下は、捜索というか、救出しろと命じていた。エルジナ王女は、噂ではユリシス王女に刺客を送ったという説があったのでそのせいかと思われていた』
『貴様はどう思う』
『信憑性の高そうな噂だと思っていた』
『ユリシス王女を捕らえてどうするつもりだった』
『王国にお連れしなければならない。我が国はだいぶヤバい状態だ』
『瘴気のことか』
『そうだ。魔獣が増えている。王家に伝わる神器は、今は使う者がいない』
『エルジナ王女がいるだろう』
『高飛車な王女が森に行くわけがない。あの王女は駄目だ。ご高齢のセイン殿下は寝たきりだ。もう投石器を扱えない。国王陛下もだいぶお体が悪い。杖に縋らないと動けない有様だ。もはや、王国で唯一あの武器で戦えそうなのは連弩を使えるナオキ殿だけだ』
『救世主は連弩が使えるのか?』
シスの驚愕混じりの声。
『使える。だが、彼だけでは充分ではない。ナオキ殿が使えるのは連弩だけだ。ユリシス王女が我が国には必要だ』
『魔獣討伐のためだけにユリシス王女が必要なのか』
『王女を連れて帰れば、俺の査定は爆上がりだ。昇級できるだろう。ちまちまと任務を遂行しているだけじゃ出世もままならないが、運良く王女を見かけることが出来た。もしも、王女が刺客から逃げたとしたら、亡命先はブーゲルニ共和国かと思っていたんだ。諜報部の連中はそう噂していた。俺もそう思っていた。俺の冴え渡る勘のおかげで捕まえたのだから、ぜったい昇級の報奨は決まりだ』
『そうか。だが、残念ながらお前の目論見は外れた。その女は少しユリシス王女に似ていたが違っていた』
『いや、しかし、あの顔は王女っぽかった』
『似ていただけだ。近くで見たら顔立ちが違っていた。目元も鼻の形も。別人だった』
『別人?』
『それでお前は、その女の側にいた美女に惹かれてしまったんだ』
『美女?』
『美女だ。焦げ茶の髪に琥珀の瞳をした異国風の女だ。蠱惑的で魅惑的で。お前は夢中になってしまう。クリーム色をした滑らかな肌に』
ユリシスの声に従うように熱の籠もった息遣いが聞こえる。
『あぁ、お前は、とても、綺麗だ』
気色が悪い男の呟き声。
『お前は、それから、彼女と真昼の情事を楽しむ』
『ふぅっ』
堪えきれないような男の声。くぐもった音がしたかと思えば、『はぁぁ』とさらにおぞましい吐息まで聞こえる。
(な、なんだ、これは)
唐突に聞こえ始めた濡れ場の音に竜也は焦った。二人が言葉通りに「真昼の情事」を始めたとしたらいきなり過ぎる。おそらく、シスが男の体を刺激して、女と過ごしている状態を擬似的に作り出している。そう推測するも、どうしても確かめたくなり風魔法に光魔法を加えて部屋の様子を透視してみた。
慣れない魔法のため画像の解像度は悪いがぼんやりと見えた。二人は接触はしていなかった。双方、服も乱れていない。
男はソファにしどけなく横たわり、王女はただ手を翳している。魔法の技のようだ。王女が触れられていないことに安堵したが、なんともいえず生々しい。
(すごいな、触れもしないで諜報員を操れるのか)
ユリシス王女がそんな離れ技を持っているのには驚いたが、ここをやり過ごして安全に逃避行を続けるにはやむを得ない。男を宿に運び込んだ状況を誤魔化す方法など竜也には思い付きもしない。
(でも、もっと頼ってくれればいいのにな)
竜也は気を紛らわせるために頼んだ焼き菓子を頬張ったが、気が散りすぎていて味がよくわからない。茶で胃に流し込み、皿を空にしたころ、ようやく諜報員の処理が終わったらしい。
シスは後始末をしてからゼリューの額に手を当て意識の有無を確かめると、自分の荷物から何かを取り出した。洗面所に入りしばらくして部屋から出ていく。廊下を歩いて階下に向かっていた。おそらく、竜也を迎えに来たのだと察し、食堂から宿の方へ繋ぐ通路へ出るとそこでシスに会えた。シスは急いでいる様子だ。
竜也はシスの姿を見て、さらに二度見した。シスが部屋を出る前に洗面所で何かしていたのはわかったが、どうやら変装をしていたようだ。カツラをかぶり派手な化粧をしている。魔導士のローブを羽織り女に見える。
(いや、女なんだろうけど。いつもと違ってなんか色っぽい)
「リュウ、来てくれ。少し手伝って欲しい」
シスは声を低めて言いながら竜也の腕を握った。
「いいよ、なんでも言ってくれ」
「良かった。なんとか誤魔化せそうなんだ。情報も仕入れた。あとは仕上げだけだ」
「了解。どうすればいい?」
「とりあえず、部屋をもう一つ借りなければならない。ここで待っていてくれ」
シスは足早に宿の受付に行くと、女の名で部屋を一つ借りた。一晩分の金を払うと竜也のもとへ戻った。
「時間がないんだ」
シスに小声で囁かれながら元の部屋に向かう。
部屋には汗臭い情事のあとのような匂いが籠もっていた。竜也は思わず口をへの字に曲げた。諜報員の男は口を半開きに開けてだらしなく寝ている。
王女にとんでもないことをさせてしまったと今更ながら不甲斐なく思う。
(そういえばこいつ、実際には美女に触れてもいないんだよな)
そう思うと、こいつはこいつで気の毒な気がしてくる。
「こいつをとりあえず、先ほど借りた部屋に移す。それから、リュウは女装してくれ」
シスが早口で指示を出す。
「は? 女装? 女に化けろって?」
「そうだ」
シスが真顔で頷く。
「俺が女に見えるわけがないだろ」
「見える。心配いらない。こいつは薬でちょっと呆けてる状態だし。時間がないんだ。こいつが目を覚ましたら、リュウが色っぽく声をかけてやって、もう仕事に戻れと言い聞かせるんだ」
シスの切羽詰まった様子に、竜也は引き受けるしかないと理解した。
「わ、わかった、やる」
竜也はシスに指示されながら女装をした。シスがかぶっていたカツラを無造作にむしり取ると竜也の頭にかぶせ馴染ませる。次いで、化粧までされた。服もブラウスとスカートに着替えさせられた。スカートはウエストをリボンでしばるタイプで、ブラウスもふんわりとしたデザインだが、竜也が着ると当然ながらきつい。胸には詰め物をされて布で巻かれた。
(足下がすーすーする)
支度が終わると廊下に人がいないことを確かめてから男を移動させた。竜也が担ごうと思ったが、下手に動くときついブラウスとスカートが破けそうになったので、シスと二人で運んだ。男をベッドに寝かせると上着を脱がせシャツの前をはだけさせた。
「男が目覚めたら、しな垂れかかって色っぽく睦言を囁いてくれ」
「ど、どんな風に?」
「こいつは、行きずりの女といちゃついたと思い込んでいる。そう暗示で記憶を誤魔化した。だから、『素敵だったわ』とか、なんだとか、喜ぶような台詞を言ってから、『そろそろお仕事でしょ』って部屋から上手く追い出す」
「な、なるほど」
出来る自信はないが、やるしかないだろう。竜也は覚悟を決めた。
「皮膚接触は最小限でいいから。こいつが変な病気でも持ってたら困る。有能な諜報員は、体を使わずに舌先三寸で丸め込むものだ」
「諜報員じゃないんだが。まぁ、なんとかする」
するしかない。竜也はシスを安心させるように、肩をぽんぽんと叩いた。
男が目覚める前に、シスは何度も振り返りながら「宿を引き払う準備をしておくから」と言い置いて部屋を出て行った。
シスが出てから数分もしないうちに、ゼリューの瞼がぴくぴくとし始めた。竜也は深呼吸をし、頭の中で幾つかの台詞のパターンをおさらいする。
(せっかくシスがここまでやったんだから、上手く仕上げてやろう)
ゼリューが目を覚ますと、竜也はなるべく柔らかく微笑んでやった。
虚ろな様子の男に「薬で呆けているというのは本当だな」と少し安堵する。これなら多少、下手くそな演技でも誤魔化せるかもしれない。
「ご気分は?」
竜也はゼリューに寄り添い、男性の声だとわからないようにわざと掠れた声を出した。
「いいよ、とっても」
男はうっとりした目で竜也を見詰めると、頬を撫でた。
鳥肌が立ちそうになったが、必死に微笑みを維持する。
「素敵だったわ。まだゆっくり出来るの?」
竜也は可愛らしく見えるように首を傾げる。
「今何時だ?」
ゼリューはにわかに焦った表情を浮かべた。
「そんなに長く眠ってはいないけど。もうお昼休みは終わる時間かも」
「不味いな帰らねぇと。お前はまだここにいるんだろ?」
「その予定よ」
「また会いに来る。お前の名前は?」
竜也はシスがこの部屋をとったときに使った名前を思い出し、「マイラよ」と答えた。
「マイラ」
ゼリューは竜也のカツラの髪を梳くように撫でて抱き寄せる。思わず抵抗しそうになったが、我慢して身を任せる。ゼリューに口づけをされ、心中で「ゲっ」と嘔吐きそうになりながら無我の境地で耐えた。
ようやく男の腕から解放されると、歪みまくった笑顔を誤魔化すためにゼリューの胸元に顔を寄せて呼吸と吐き気を落ち着かせた。
「行きたくないが、行かねぇと」
名残惜しそうにゼリューが呟き竜也の肩や背中を撫で回した。竜也は早く行け! と怒鳴りたいのをひたすら我慢する。
ようやく男は立ち上がった。
「良い子で待っててくれ」
ゼリューは寒気のするような台詞を竜也に吐いた。竜也は引きつった笑顔を心持ち俯かせ「またね」と答える。
ゼリューは最後に竜也の頬にちゅっと音をさせてキスをするとやっと出て行った。
しばらくじっとしておいた。諜報員は耳が良いかもしれない。宿のドア越しからはゼリューの足音はしなかったのだ。さすが諜報員、物腰はネコ科の動物のようだった。さらに時間を置いてから廊下の様子を見ながら部屋を出て、シスの待つ部屋に移動した。
「どうだった?」
シスが駆け寄ってきた。部屋を見ると、すでに引き払う用意が出来ていた。こういう時、シスは王女のくせに手際が良い。
「上手くいったと思う」
竜也はげっそり疲れていた。精神的に疲れた。
「あいつに変なことされなかったか?」
「特にない。キスされたくらいだ」
竜也は思い出して口を拭った。
「なんだって!」
シスは竜也の口元に思い切り水魔法をぶつけてきた。
「ぶっ」
「あいつが悪い病気持ってたらどうするんだ!」
「んなこと言っても、抵抗できないに決まってるだろ。もっとすごいことやった設定なんだから」
竜也は顔の水を拭いながら文句を呟く。
「そ、それはそうだが」
「忘れ物がないか確かめてすぐに出よう。あいつ、また会いに来るとか言っていた」
竜也がゼリューとのキスを思い出し寒気がしながらそう告げると、シスは「わかった!」と声をあげて荷物を掴んだ。
部屋に何ら痕跡がないことを再度確かめ、マイラの部屋に書き置きを用意してから二人は宿を引き払った。書き置きには「元の旦那が迎えに来たから行きます」と書いておいた。
ありがとうございました。
明日は長めの一話で、夕方のみの投稿になります。
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