十九 エルジナの王配候補
今日、一話目の投稿です。
絵本の壊れた部分を丁寧に糊を塗って直した。良い糊だった。きれいに直った。皺になっていた頁も、「きれいになれ」と念じながら手でプレスすると皺が消えた。これもちょっとした魔法になるのか。
並べて糊を乾かしているとシスが帰ってきた。
シスは絵本を見て目を見開いた。荷物を置いて絵本を眺めている。
「絵本、かい」
「うん。この絵本には世話になったんだ。綺麗だろ。住み込みで働いていたとき、空き巣にあって傷んだんだ。糊で直した」
「そうか。空き巣に?」
「料理屋で働いていたと言っただろ。犯人は女将さんの恋人だった。貯金を狙われたらしい。しまいにはボコボコに殴られて。女将にもう店には居られないって告げて、辞めさせてもらった」
「殴られたのか」
シスが痛ましげに竜也を見詰め、頬に指を伸ばした。ほっそりとした白い指が掠るように竜也の頬を滑る。
男の手つきじゃないな、と竜也は胸中で苦笑する。どうして気付かなかったのか、自分でもおかしくなる。
「本気で殺しにきてたな。筋肉に思い切り魔力を流して、致命傷は免れたんだけど。皮膚の表面とかは守りきれなくて。見た目、酷かったと思う。痣だらけで。でも、辞め時だったから良かった。シスにも会えたし」
「リュウ」
ソファの隣に座ったシスに思い切り抱きしめられた。
内臓が苦しい。シスは細い割に力がある。
(む、胸、あるな、シス。やっぱそうか。本当は嬉しいラッキースケベなんだろうけど。喜んでる場合じゃないな)
男装しているということは、秘密にしたいのだとわかる。複雑な状況だ。王宮には王族の魔力を持たない第一王女がいる。
ユリシスは死んだことにしなければならないのだろう。綺麗な王女なのに気の毒なことだ。今しばらくは護衛の騎士役をしても良いかと思う。ユリシス王女が安全なところへ落ち着けるまで。
(騎士役なんて、似合わないんだけどな)
どちらかと言えば、竜也は吟遊詩人役だ。せっかく魔力は豊富なのに魔法は下手で、狩人としては微妙だ。それなりにやっていけるだろうけれど、明らかにセンスがない。
そういえばもう楽器を買えるくらい金は貯まってることに気付いた。
(いや、買わないほうがいい。騎士役をやっている間は封印だ。これも縁だ。守ってあげるべきだ。そういえば、ずっと王女と同じ部屋で寝てたんだな。男と思っていたから色っぽい雰囲気は皆無だったが。今度から部屋は分けてもらおう。でも、なんて言おうか)
ユリシス王女が秘密にしているのなら、知らない振りをすべきだ。今更なんて言い訳をしようか。
(このまま同じ部屋ってわけにも。だが、護衛役なら同じ部屋の方が安全確保できるんだよな)
竜也はしばし迷い、これまでも色っぽい雰囲気にはならなかったことを思い返す。王女は着替えなどで肌を見せないよう気遣っていた。竜也も風呂とかは別だったので何も気にせず済んだ。
(王女と知ってしまったからな。ムラムラするかも?)
そういえば、異世界召喚からずっとご無沙汰していた。
ここに来るまでは普通に健全健康な思春期男子なりな性欲はあったが、手を出せない婚約者がいる身だった。
ここに来てからはすっかり枯れていた。理由はわかっている。それどころじゃなかったからだ。王宮では食事が粗末すぎて栄養不足だったし、言語の習得に必死だった。ここで生きていけるかという瀬戸際にいたのだから。
レイラの店にいたころは毎日体力の限界まで働いていた。魔力で筋肉を強化することを覚えてからはけっこう魔力を消費していた。筋肉が衰えないよう魔力の細かい調整をしたり、給仕の仕事は魔法の修行だった。
(魔力使うと、ついでに精力も出てくんだよな。生命力が根こそぎ持ってかれるっていうか。夜は気絶するみたいに寝てたし)
ゆえに、これまで通りなら大丈夫だな、と竜也は結論づけた。
(成り行きに任せよう)
仕事だと思って護衛に徹すれば、なんとかなるかもしれない、と問題を先送りすることにした。
◇◇◇
ルデリアヌ王国王宮では、第一王女エルジナが執務室で報告を受けていた。
「救世主ナオキ殿は大変、筋がよろしく、連弩を使いこなす技術力は騎士団の狙撃部隊でも通用するほど」
「世辞は要らないわ。本当のところを知りたいのだけど?」
エルジナは冷淡に報告を遮った。
騎士団所属の武官は「コホン」と咳払いをし、「決して世辞などではありません」と報告を続けた。
「少なくとも、攻撃用魔導具を使い始めたばかりの新入りたちとは比べものにならないほど巧みです。慣れているようにさえ見えます」
「あれらの国には魔法も魔導具もなかったのに?」
エルジナは不機嫌に武官を睨む。
「似たようなものはあったそうです。仕組みはだいぶ違うようですが、威力は非常に高かったという話です。ナオキ殿は戦闘を模したゲームでそれらの訓練を積んだとか」
「ゲームって?」
エルジナが胡乱げな顔をする。
「『遊び』だそうです。戦闘ごっこのような」
「悪趣味な遊びね」
「我が国の子供たちも棒きれを振り回して遊ぶものですが」
「まぁ、いいわ。使えるのね? あの救世主は」
「もちろんです。さすが救世主様です」
武官はにこりと微笑む。
「そうね」
エルジナは苛立ちを抑え平坦に答えた。
(まさか神器を使えるなんて。ご託宣なんて、どうせ大したものではないと思ってたけど。本当に救世らしいことが出来るのか)
ご託宣によって召喚された神子や聖女が瘴気を浄化し、救われたという話は残されている。だが、召喚された多くはただの平民だった。
(神が選ぶ者といっても、所詮その程度と思っていたが)
ルデリアヌ王国は建国のころから王族のみに使用を許された「五種の神器」がある。どれも非常に優れたものだ。
うち一つは魔獣の波動を探知するもので、広範囲にいる魔獣を地図上に表示できる「妖魔の瞳」。
「雷岩砲」という魔導具の投石器もある。投擲するのは雷をまとった破壊力の強大な石だ。定められた大きさの石を設置し魔力を込めて打ち出せば石が雷を纏って敵を粉砕する。
「炎龍剣」は禍々しさで目立つ深紅の魔剣だ。炎を纏い鋼をも焼き切る高威力の魔剣だ。この重量級の剣は振るうだけで炎嵐を巻き起こす。
殺傷力の強い杖もある。「氷嵐杖」だ。この氷の杖は使い難い。味方も凍らせてしまう。それをいうなら魔剣もそうだが、魔剣以上に見境無くそこいら中を凍らせる。使いこなせるものがなかなかいない。
最後の一つ「光射弓」は連弩だ。構えて射ると連続して矢を放てる。数十本の矢を仕込める。光魔法を纏った矢は魔獣によく効く。
尚樹が使えるのはこの連弩だ。
不思議なことに、尚樹は連弩しか使えなかった。他の神器は魔力が弾かれるように効かない。
(あれは不可解だったわね。なぜ使えないのかしら。それを言うなら、私は一つも使えないけれど)
エルジナはそのことを思うと苛立ちで頭に血が上る。エルジナの魔力量は父や叔父やユリシスに比べると劣る。そのために王家に伝わる神器が使えない。
エルジナの持っている魔法属性は、まさしく王族の持つ魔法属性だ。火、水、土、風の四つ。四属性持ちはルデリアヌでは王族しかいない。
魔力量は、ふつうは夫婦のうち高い方に引きずられるように受け継がれる。たいていはそうだ。だが、稀に継ぎ損ねることがある。胎児のころになんらかの不都合があった場合と考えられている。
エルジナがそれだった。
稀な欠陥によってエルジナは魔力量が少々低く生まれてしまった。王家に伝わる神器が使えない理由だ。
(たったそれだけのことで)
それなのに、召喚された救世主は、一つだけとはいえ神器が使えるのだ。
(王族ではないくせに)
「盗人が現れる」とご託宣があったとき、最初に狙われると危惧されたのが五種の神器だった。国を守り続けた神器は、五種とも希少性が高い。もう作れる者がいないのだ。
建国のころ、西のアバティア王国は消えた。歴史書には西と東は併合されたと記されているが、実際は違う。徐々に追い払われたのだ。
そういう智略にかけては東のルデリス王国は長けていた。それに対して、西のアバティアは愚鈍なまでに無垢で疑うことを知らず、搾取され、裏から迫害され、知らぬ間に滅亡していった。
貴重な攻撃兵器は当時のアバティアの知識と技術の粋を集めて作られたものだ。
ルデリスが唯一、愚かだったことは、アバティアを滅ぼしてもアバティアの知識と技術は搾取し続けられると本気で思っていたことだ。
アバティアが技術力以外に優れていたことがあったとしたら、彼らはルデリスが受け継げる形で自分たちの知性を遺さなかったことだろう。
王家の宝物であり、唯一無二の攻撃用魔導具、五種の神器は複製が出来なかった。その上、王族の魔力を持っているものしか使えなかった。そのことに気付いたのはアバティアが消えてからだった。
(あぁ、いえ、違うわ。アバティアは消えてない。残っていたわね、王家の魔力という形で)
アバティアの王族は当時、世界有数の魔力量を誇っていた。今もだろう。だからアバティアの姫をルデリス王家は貰い受け、アバティアの魔力を取り入れた。魔力の高い者はなかなか妊娠せずに難儀もあったが細々と受け継がれ、現在ルデリアヌ王国の王家が高い魔力を持っているのはそのおかげだ。
昔からアバティアの魔導士たちが作った最強の攻撃用魔導具は、アバティアの王族しか使えなかった。
それらは危険物でもあったので、神器が作られた当時は王族の魔力波動を持っていないと武器庫に入ることすら出来なかった。
ルデリアヌ王家が神器を貰い受けた当初もそうだった。だが、それでは有事に不便なため、間もなく登録式に変えられた。今現在は、王族と騎士団長、近衛隊長と宰相の魔力が登録されている。
エルジナの魔力波動も登録させた。なぜかエルジナは保管室の扉を開けられなかったからだ。おそらく、何らかの障害でエルジナの魔力が低かったことと関係があるのだろう。
この度、尚樹は神器の保管室に出入りし、連弩が使えるとわかったときは尚樹以外のその場にいた全員が驚愕した。報告を受けた国王も珍しく目を見開いた。
他の神器が使えなかったのは残念だが、王家の血筋でもないのに使えるとはさすが救世主だ。
(やはり、あのナオキという冴えない救世主と結婚しないとならないか)
エルジナは自分の立場であれば公爵家や侯爵家の優秀な美男を選ぶことができる。だが、年齢的に釣り合う者の中に、エルジナをより盤石に支える家の者がいない。
並の女であれば救世主の尚樹は婿として喜ばれるだろう。尚樹は顔は可愛らしく体術の腕は悪くない。試しに訓練場で騎士らの相手をさせたところ良い動きをしていた。剣術は慣れないようだが、筋は良さそうだ。魔力も貴族の平均よりはずっと高く、エルジナ以上だ。
だが、エルジナには最高の婚姻相手が相応しい。
尚樹は、未だにルデリアヌ語の初歩で躓いている。マナーも見苦しい。
(教育係を付けて叩き込めば見られるようになるか)
エルジナにしてみれば、生まれながらに優秀な能力と気品を持っているような男でなければ歯牙にも掛けたくなかった。
ありがとうございました。
夕方にもう一話、投稿いたします。