十二 足止め
竜也はブーゲルニ共和国に行こうと決めていた。ルデリアヌ王国の北隣にある国だ。ミゼルに聞いた話ではブーゲルニ共和国は「自由な国」らしい。狩人傭兵協会で仕入れた情報でも評判が良かった。
ルデリアヌ王国の南の隣にはエンガス王国とミブロス王国が並んである。この二国は昔からルデリアヌ王国の友好国で、過去には幾人も王女が嫁入りしている。兄弟国のようだ。交易が盛んで交通の便も良く行きやすいが、ルデリアヌ王国から離れたい竜也としては選びたくない。
東の隣にはガディル公国がある。独裁政治が敷かれている国だ。ミゼルは「常識が通じない国で外交が難しい」とガディル公国のことを評していた。食堂の客の話でも「いきなり勝手に関税を変えたりするから交易の付き合いも出来ない」と聞いた。
西の隣はヨルン帝国という大国があるが、王都からは遠いし入国は難しいという。
こうなると、ブーゲルニ共和国一択だった。
ブーゲルニは昔は王国だったが、百年ほど前にクーデターで悪辣な王が斥けられた。その後、混乱期に隣の帝国に侵略されそうになったが、なんとか独立を守っている。交易もそれなりに行われているが、ルデリアヌ王国は兄弟国のエンガス王国とミブロス王国との付き合いが深く、他の国とは疎遠だという。
ルデリアヌ王国と親しくない国のほうが良いので、そういう点でもブーゲルニは条件に合っている。
ゆえに、王都を北に向かって歩いていた。
雨期が終わったばかりの朝は肌寒く、ローブのフードを深く被った。怪しい人物に見えそうだ。殴られた痕を自己流の治癒魔法で治したが、鏡がないので完治のほどがよくわからない。
まだ痣が残っているかもしれないがもう痛みはない。
日が昇りきらない通りを歩き続け、やがて町が徐々に朝の賑わいを見せて乗り合い馬車が走り始めるころ。北の渡船場に向かう馬車を探して乗った。
北の渡船場には昼過ぎに着いた。午後の乗船券もなんとか買えた。最後の一枚ですよ、と言われたので幸運だった。幸先が良い。
急いで近くの屋台で昼飯を買い込み船に乗ったが、揺れて食べる気がおきなかった。船酔いは治癒魔法を何度も使って防いだ。船酔いさえなければ、川辺の景色はのどかで川面を渡る風も心地よかった。
三時間後には終点の渡船場に着いた。
北へ向かう旅に出て十日が過ぎた。
順調に旅程が進んでいる。車中泊の遠距離馬車を三回は乗り換えた。馬車の中で座ったまま寝るので疲れるが、魔獣が出るので車内で寝るのが安全らしい。
船には、あれからさらに二回乗った。先日乗った船は川の流れが速くたまに沈没する船だったと知ったのは無事に着いてからだ。その割に急ぎの客で満席だった。この船だけで馬車を使うより二日は旅程を短縮できた。万が一、船が座礁しても竜也は泳げるし、魔法も使えるので問題ない。
今日も北に向かう長距離馬車に揺られ、午前中の早めの時刻にセジュム領に着いた。セジュム領の北端は、ブーゲルニ共和国に接している。
もう少しだ。
セジュム領に着いて三日後。ようやく国境の町が目の前だった。
(この領、南北に無駄に広いよな)
幸いなのは国境の領だからか、北に向かう乗合馬車の便が多くあったことだ。
(長かったなぁ。これでも、遠距離馬車に上手く乗れたから早く来られた方だよな)
気になるのは、セジュム領から国境を越える馬車が今は途絶えているという噂を聞いたことだ。馬車が走らなくなってひと月は経つという。あるいは数か月は経つという噂もあり、どちらが正解か、どこに行けば情報があるのか、わからないまま北に進んだ。
乗客たちの話で『第二王女が亡くなった』という大ニュースも聞いた。それも、いつのことかよくわからない。
ここ数日は馬車や船に揺られているか歩いているか、宿を探しているかで、手に入る情報のほとんどは乗客の会話だ。
(第二王女って、魔導士として研究所に勤めていた王女だよな)
王都の図書館で読んだ「王室便り」という情報誌に載っていた。記事の印象では、王女でありながら自立した女性という風だった。召喚の儀式では魔導士として参加されていた。亡くなった第二王女はユリシスという。
第一王女はエルジナという名だった。尚樹とエルジナ王女は仲良くやってるのかな、とふと思った。
建国祭のときに王女二人はバルコニーで姿を見ているが、舞台化粧のような濃い化粧姿だったのは覚えている。バルコニーでのお披露目用なのだろう。二人ともゴージャスだった。
あの召喚の間では、座り込んでいた魔導士たちの中にユリシス王女はいたはずだった。彼らは一言も声を発することは無かった。昏い石の広間のような空間は独特の緊張感で包まれていた。召喚にはさぞ魔力を使っただろう。
魔法使いと魔導士の違いは、狩人傭兵協会の資料では「魔法が使えれば魔法使い、魔導を学べば魔導士」と簡単に載っていた。
あれから四か月半は過ぎていた。僅かの時間そばにいただけの王女が亡くなったというニュースをこの旅空で聞くのは奇妙な感じがした。
(旅空で 花散りぬるを 耳にする)
感傷に浸っているうちに、夕暮れまではまだ間のある時刻に国境の町イドニルに到着した。すぐに近くの馬車乗り場に向かった。
発券所は立て込んでいた。いかにも旅行者風の人々が仏頂面をしている。
「関所は開いてるんだろ。領兵が朱竜を退治したって聞いたぞ」
と誰かが受付に詰め寄っている。
(へぇ、関所は開いてるんだ。じゃぁ、なにが原因?)
竜也は足を止めて耳を傾ける。
「半月くらい前までは朱竜の群れが国境越えの道の辺りにいたんだが。今は面倒な植物型魔獣が増えている。瘴気のせいだ。次から次と厄介な魔獣が群れてる」
「騎士団は?」
「それは期待できない。国の騎士団が優先するのは、友好国のエンガス王国とミブロス王国へ通じる交易路だ。他の領地にも余力があれば来て貰えるらしいが。西の領地には来やしない」
「あー、くっそ」
(そういう理由か。西の領地には来ないというのはわからないが。王都から遠いからか。セジュム領は西よりの領ではあるけど)
竜也は船での移動をだいぶ入れたので川に沿って若干、北西方向に進んできていた。
周りの会話を聞いていると、どうやら、たまに国境を越える馬車は出ているらしい。ただし、無事に到着したという話をあまり聞かない。
ブーゲルニ共和国への国境は、急峻な山脈やハ虫類系魔獣がわんさか出る砂漠地帯が占め、このセジュム領から抜ける道が一番、行きやすいという。道は何本もあるがどれも同じ状態らしい。
竜也はとりあえず休もうと考え発券所を後にした。
(後もう少しだったのになぁ)
ここからなら、朝出発すれば夕方までにはブーゲルニ共和国に到着する予定だった。
ブーゲルニ共和国は、狩人傭兵協会の会員証などがあれば入国できると聞いている。身分証というか、精霊石で前科を確認した証が要るようだ。
正しい判断だと思う。ルデリアヌ王国では、貴族であれば犯罪者でも逃れられる。精霊石の方が当てになる。関所でも確認されるかもしれないが、竜也は問題なく入国できるだろう。
最近は竜也の攻撃魔法はだいぶ上達していた。馬車が出るなら、護衛を手伝えると思う。
宿を探しながら色々と物思いにふけっているうちに、ダンッと何かにぶつかった。
(しまった!)
焦って見ると、細身の男性が足下に転がっていた。
「すみません! よそ見していて!」
竜也は慌てて彼のそばに膝をつき、助け起こそうとした。
「いや、こちらも、つぅ、イテテ」
転んだときに打ったのか、腰をさすっている。
「大丈夫ですか? 立てますか」
肩を貸すようにして彼が立ち上がるのを助けた。
「すまないが、宿まで支えて貰えないか」
彼は細身の体を竜也の肩に預けてきた。竜也は密かに魔力で筋肉を強化した。
「はい。肩につかまって」
彼の肩を抱えて歩いた。馬車を拾おうかと思ったが、宿は遠くないという。歩いて数分のところに彼の宿はあった。
部屋まで支えて行き、寝台に彼が座るまで付き添った。
「助かったよ」
青年が安堵の息をつく。よく見るとなかなかの美形だ。焦げ茶の髪に琥珀色の瞳はよくある色で地味だが、顔立ちが整っている。
「いえ、こちらこそ申し訳ない。治癒師とか呼びますか。治療代金は払います」
竜也はすでに交通事故の加害者の気持ちになっていた。
「いや、だんだん楽になってきたので大丈夫だ。世話になった。良かったら一緒に食事をしていかないか。宿に夕食を二人分、持ってくるように頼んでくれたまえ」
彼は朗らかに竜也を誘った。なんだか喋り方が偉そうだ。その割に声は穏やかで感じは悪くないが。
貴族家の子息のようだが恰好は質素だ。見たところ従者もいない。家を出された、あるいは家出中の三男坊という雰囲気だ。少し高めの声に聞き覚えがあるような気がした。
(誰かお客さんの声に似てるのかもな)
レイラの店で客の声は大量に聞いている。なにしろ、いつも大繁盛の店だ。
「いや、せっかくだけど、日が暮れる前に宿を探さないとならないので」
「宿を確保していないのか?」
彼は驚いたように目を見開いた。
「あ、ああ。国境を目指して今日着いたばかりで」
「それは不味いな。イドニルの町は今は足止めを食らった商人や旅人で溢れかえっている。セジュム領の領主のせいでな。国境の道がふさがっていることを情報操作で隠していたのだ。商人や旅人が領地で足止めされれば、領内の宿や料理屋が潤うと考えてな。おかげで宿はどこも満室だ」
「そういうことか」
竜也はがっくりと項垂れた。
(だから、あやふやな噂しか情報が出回ってなかったのか)
合点がいった気がした。
読んでいただきありがとうございます!
明日は二話、投稿する予定です。午前中と夕方と、二回投稿いたします。