十一 進路
今日は二話投稿してます。
こちらは二話目です。
空き巣の頻度は相変わらずだった。西の町食堂で働き始めて三か月になるが、竜也はつくづく嫌気がさしていた。家捜しだけではなく床に唾を吐いたり土足で藁ベッドを踏みつけられた痕跡まで散見されるようになった。トラバサミでも仕掛けてやろうかと思いながら放置している。
だから妹にヘタレだと言われる。わかってる。わかっていながら放置したのだ。
仕事を終えて、レイラと「お疲れ様」「お休みぃ」と挨拶を交わしながら店を出た。
徒歩、数十秒で我が家だ。今日も盛況でかなり疲れた。丼に山盛りのシチューやデカいジョッキを運び続けた。
店のジョッキは厚手の陶器で、安物らしいが竜也からすればなかなか味がある。だが、いかんせん重い。魔力で筋力を強化すれば楽だが、加減しないと満タンのジョッキを小指で運べてしまう。
竜也の体格であんまり平気で運んでいると不自然に思われそうで、魔力を流す加減を調整している。加減しておけば筋肉を使うので筋トレになる。
魔力頼りで動いていると、ほとんど筋力を使わないで済むことに気付いたからだ。そんな生活をしていたら、筋肉は速やかに衰える。万が一、魔力を失ったときに、赤ん坊なみに貧弱な体になってしまう。
それに、加減するようにすると魔力の微調整をする訓練になる。
竜也は実は、魔力の加減が下手だった。魔法を使うことに慣れると、魔力がスムーズに流れるようになったらしく、自分が高魔力持ちであることを否が応でも自覚するようになった。
魔法を使おうとすると魔力がドバっと流れ、それを加減するのが難しい。王宮にいたころ魔法が使えなかった反動だろうか。
その点、身体強化魔法は、自分の体の中で完結する魔法だからか、調整がやりやすい。
ジョッキを掴むタイミングで腕だけに強化を施すとか、酔っ払った客を避ける瞬間に足を強化するとかは、息を吐くように自然にできるようになった。
丸一日、そうやって訓練をしながら働くのは単調な暮らしの刺激になる。その代わり神経が疲れる。
そろそろ他の訓練の仕方も取り入れようかな、などと考えながら足を引きずるように歩いていると、ふいに暗い夜道から声をかけられた。
「おい」
エルクだった。隣の店との間の細い路地からのそりと姿を現した。
真夜中にほど近い時刻だが、月明かりで照らされたエルクはかろうじて見えた。
「エルク、さん?」
竜也は立ち止まり答えた。
「ガキ。金をよこせ」
エルクは怠そうな足取りで竜也の目の前まで来ていた。
「え? 金?」
つん、と酒の匂いがする。顔が朱い。
レイラの店でよく酒を飲んでいる姿は見ているが、よほど飲んでもこんな顔はしていない。酸っぱい酒の匂いは安物の酒を呷るように飲んだからかもしれない。そうとう酔っている。
(マズい)
それでなくともチンピラな男だ。空き巣の手口も稚拙だった。悪い頭がよけいに悪くなっているはずだ。
「金だよ、金を出せってんだよっ」
エルクの岩のような拳が飛んでくる。
店の壁に阻まれ、逃げ損ねた。仕事上がりの竜也は疲れて鈍くなっていた。
とっさに魔力を顔に集めて筋肉を強化し衝撃を緩和させたが、そうでなければ頬骨が折れていたかもしれない。
「金なんか、なんで」
わかりきったことなのに、つい尋ね返した。
エルクはさらに殴りつけてきた。
今度はもっと上手く魔力で筋肉を強めて顔を守れたが、痛いものは痛い。痣になっているだろう。
この防御のやり方では骨や皮膚の内側を守るのが精一杯だ。皮膚表面は暴力に晒されている。
雷撃でもかましてやればいいんだろうが、こいつに自分の能力を教えてやる義理は無い。
竜也は、ふと思った。
(これで、店を辞められる)
そう思うとにわかに冷静になった。方針が決まれば心も決まる。
結界を皮膚表面に薄く張る。
結界魔法はまだ練習でしか使っていなかった。実践では攻撃重視だったからだ。竜也は二つの魔法を同時には発動できない。魔獣を相手にした森の訓練では雷をかまして斃すのが精一杯だ。結界を張った体で攻撃を受けた経験はなかった。
これ以上は治癒で癒やすにしても皮膚のダメージが大きすぎるので使ってみた。すぐにエルクの拳が飛んできたが痛みはなかった。
我ながら達人級じゃないか。こんな場面なのに自画自賛してしまった。
「早く金の在処を教えろ」
エルクは竜也の腕をとらえて殴りながら凄んでくる。
「しゅ、朱酔楼、だ」
「あぁ? なんだって?」
エルクの眉間に不機嫌の皺が寄る。
「サリーに、やった。朱酔楼のサリーは、銀貨十枚、なんだ」
「き、きさま! 娼婦に注ぎ込みやがったのか!」
「一時間ぽっきりで、銀貨が十枚かかって」
「くそったれっ!」
そこからはタコ殴りだった。
薄い結界で防いだので無傷だが、完全に殺しに来ていた。数え切れないほど空き巣に入られたあげくの殺しだ。チンピラと言うより、強盗犯だろう。
(こいつ、精霊石を濁らせるはずだ。まともな職にはつけないんじゃないか。だからいつも金がなかったのか)
とはいえ、レイラがいるのだ。レイラの食堂で働けば良かっただろう。真面目にやる気があるのなら。
竜也が死んだふりをしているうちに、ふらりとエルクは立ち去った。
エルクの足音が消えたのち、竜也は立ち上がった。
店の灯りはまだついていた。レイラが残り物の夜食をつまみながら一人晩酌をしているのだろう。
店の戸を叩くとレイラが開けてくれたが、竜也の顔を見ると目を見開いた。
最初の数発は結界を張らなかったので拳を食らった。殴られながらも魔力を込めて身を守ったつもりだ。骨や神経は痛んでいないと思う。その代わり、皮膚は守れなかった。唇や目の上が切れて血が出ているのが自分でもわかる。
「あんた、強盗にでも?」
「ぇ、エぅ、エルクにやられた」
唇が痛くて上手く喋れない。
「う、うそ、まさか」
「空き巣に、入られ、てた、わかってた。エルク、だったと、思う。働き、はじめて、すぐから、ずっと。貯金を出せって言われたけど。娼館で使っちまったから、なかった。だから、代わり、殴られた」
レイラが泣きそうな顔になった。
「もう、店には、いられない」
竜也が言うと、レイラは唇を噛んでわずかの間うつむき、ポケットに手を入れた。
彼女の節くれ立った手には銀貨が数枚、握られていた。
「これ」
差し出された金を、竜也は首を振って断った。
「ここで、働かせてもらって、住まわせてもらって、助かってた。色々教えてもらったこと、有り難かった。だから、それ、要らないんだ」
「もらって、お願いよ」
レイラは泣きそうな目で竜也に縋り、手に銀貨を押しつける。
「仕入れの、金、だろ」
「仕入れの銀貨はあるわ。もらってよ、もらって」
レイラは零れる涙を抑えきれず、ただ「もらって。お願い」と嗚咽の混じった声で言い続けた。
竜也は少々、意地になっていた。男の意地というものだ。けれど、レイラの涙に負けた。竜也は切れた口を拭ったために血で汚れた手で一握りのコインを受け取った。格好悪いと思った。けれど、レイラは竜也が銀貨を握るとほっとしたように泣き笑いをした。
胸が痛んだ。
こんな顔をさせるなんて、エルクのクズを返り討ちにしてやれば良かった。エルクを暗闇で殴り殺すなんて、今の竜也なら簡単なのだ。
だが、虫けらのようなエルクにそんな価値もない。
あの虫けらに対する最も賢い対処法は、近づかないことだ。
「明日から、手伝えなくて、ごめん。エルク、酔ってた。店は、エルク、手伝わせられないか。二人で、店、やったらどうだ。レイラに、あの男、まっとうに出来るなら、だけど」
(出来やしないだろうけどね)
そんなのはわかりきったことだ。だが、そう言わないとレイラにはわからないだろう。クズと付き合い続けることの愚かさをわかって欲しかった。
竜也はレイラが好きだった。恋愛感情とは違う好きだと思うけれど、可愛い人だと思っていた。幸せになって欲しかった。
クズを一途に思う健気さが可愛かった。
竜也はもっと早くに店を出るべきだったし、それが正解だと頭の片隅では知っていた。でも、もっと支えて庇ってやれたら、とも思っていた。
(せめてエルクが犯罪者でなければ、な)
レイラは、さらに泣きそうになり顔を歪ませた。
「元気、で」
竜也は、レイラの視線がある間はわざとよろよろと壁に手をついた。
思わずレイラが手を伸ばそうとしたので、竜也は首を振った。
「もう、暗い。女は店に入れよ」
なるべく優しく言った。
店の横の脇道に入るとそこは光が一筋もない暗闇だ。ここは街灯があちこちにある日本とは違う。最後の夜を過ごすために物置へ帰った。
明くる日。
まだ夜の明けきらない早朝に、束の間の休みをとった体を起こす。治癒魔法を繰り返しかけたのでもう体は楽だ。
小屋の中はざっと片付けた。昨夜のことがあるので、あまり完璧に掃除しても不自然だろう。竜也は殴られて満足に動けない設定になっている。
もともと、持ち物などほとんどない。寝袋を仕舞えば元の物置だ。仕上げにさらりと浄化魔法をかけた。
荷物を確認する。
路銀は充分に貯まった。銀貨が四百二十枚ほどある。金貨に換算すると八十四枚だ。金貨は一枚で一万円くらいの価値だと思う。計算しやすい。つまり、日本円で八十四万くらい所持金がある。森狼を狩った金のおかげだ。森の近くにある狩人傭兵協会に四頭は運んだ。
四頭目のかなり大きい森狼を運んだあと、会員証が銀色のプレートになった。町の「魔獣対策費」という名目でも金を貰った。森狼は町のひとを襲うからだ。
荷物を肩に背負い、薄暗い朝靄の中、通りに出た。
レイラの店はまだ真っ暗だが、二階の寝室には微かな明かりが灯っていた。
ありがとうございました。
明日は夕方のみの投稿になります。