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一 プロローグ


よろしくお願いします。




 竜也には忘れたくても忘れようがない記憶がある。六歳の頃のことだ。

 法事の席でふいに頬に衝撃が走り、体が後ろに飛んだ。

 憤怒で顔を真っ赤に染めた祖父が、竜也を殴ったのだと気付いたときには意識が闇に包まれていた。

 その後、母が救急車と警察を呼び大混乱だったことは後から知った。母は祖父を傷害で警察に突き出そうとしたが父や周りが止めたらしい。

 不幸中の幸いは、祖父は不健康で非力な年寄りだったことだ。明らかに全力で殺しにきていたが、竜也が小柄な子供で体重が軽かったこともあり酷い怪我ではなかった。

 病院で精密検査を受け、骨や神経は無事なことが確認され後遺症などもなかった。暴力による痛手よりも精神的なショックや恐怖で気を失ったのではないか、と医師は所見を述べたという。

 祖父は幼い孫の無邪気な言動でも気に入らなければ本気で殴るような人だった。

 のちに、成長するにつれ、竜也は祖父が傾かせた会社を継がなければならない自分の運命を呪うようになった。


◇◇◇


 竜也は所謂、良家のご令息だった。でも、良いことは一つもなかった。

 古くから続いた会社が傾いたのは祖父の代だった。

 創業百五十年となれば「古くから続いた」と言っても嘘ではないだろう。元は油の卸問屋だったが、今は食品関係の製造、加工、販売を商いとしている。

 祖父は孫の竜也から見ても傲慢で独善的で性格の悪い年寄りだった。ワンマンなのに商才がなかった。規模的には中小に入るが、曾祖父の代までは堅実な経営で安定と信頼を得てやってきた会社を一代で傾かせた。

 今は父の代となりつつあるが、父には下り坂をゆるく落ち続ける会社を盛り返す能力はなく、下手したら竜也の代でとどめを刺すことになりそうだ。

 村山家は曾祖母が元華族だった。元華族といっても分家の分家だが、そんな裏事情は表に出すはずもない。歴史ある会社を経営し、やんごとなき血筋の家柄だと思われている。竜也にとって、こんな家の長男という立場は重い。重すぎる。

 昨今、村山家の経済状態は芳しくない。竜也は必死に勉強して有名進学校に入学させられたが、落ちぶれた家の見栄のためだ。他の高校など許されなかった。その上、中学の頃に婚約者を決められた。

 瀬島香織という同い年で裕福な家の娘だ。瀬島家は時代の波に乗り会社を年々大きくしている。うちは明らかに金目当てだが、瀬島家は村山家が良家だからだろう。今時の日本で政略結婚なんて時代錯誤も甚だしい。

 それでも、婚約者の香織はお淑やかな少女に見えたので、彼女でも良いかと思っていた。竜也には家に逆らう気概なんて無い。

 ただ、彼女が本当に見た目通りの女性なのかは気になった。幾度か会ったことはあるが、差し障りのない会話しか出来なかったからだ。彼女からは妙に固い壁を感じた。

 そこで、稽古事や塾で知り合った友人を通じて彼女の通う女子校での評判を調べた。政略結婚の婚約者がいるなんて言いたくなかったので秘密にしていたが、彼女はそれなりに目立つ人物だったので、さほどの苦労もなく情報が手に入った。

『すごい我が儘』

『女の裏ボス』

『とっかえひっかえで、いつもチンピラみたいな彼氏がいる。セフレは複数』

『会社社長の娘だからか、やりたい放題』

『陰湿な虐めの主犯なのに、手下になすりつけて自分は停学を免れた』

 あまりの悪評にクラクラした。外面はお淑やかなくせに、完璧な見た目詐欺だ。複数の友人たちからの情報で、幾つか裏も取れたので確かだ。彼女がやったいじめは流行の「ネットいじめ」で悪質だったらしい。

 なにか隠してるとは気付いていたが、想像以上だった。

 彼女といるときに竜也が優柔不断な態度をとると香織の目付きが一瞬、険しくなり雰囲気が冷淡になるのは感じていた。「軟弱な男が嫌いなのかな」と勘づいてからは、かなり気を遣っていた。なるべく毅然とした男でいるようにした。

 竜也は、実際はヘタレ代表みたいな男だ。妹の妃奈にも「兄さん、決断が遅すぎ」「トロい」と始終、罵られている。利発な妹から見ると歯痒いのだろう。

 竜也の趣味はバイオリンで、人に言えない趣味は句集を読むことだ。以前、妃奈に気に入りの句集を見られ、「兄さん、爺むさい」と嫌そうに言われてから、誰にも言わないで秘密にしている。自分には会社経営など絶対に無理だと思っているが、それも誰にも言えない。

 さぞ、チンピラ女から見れば頼りないクズに見えたのではないか。

 親に彼女の正体を暴露しようかとも思ったが、それでも竜也の婚約は揺るがないだろう。言っても無駄なことで騒いで波風を立てるのは止めた。


 竜也は友人たちに香織のことを話しそこねたために愚痴をこぼせないでいた。

「家が傾いてるので政略結婚のために婚約した」とは言い難かった。父に「うちの会社が少し傾いてることは秘密だからな」と言われていたためもある。

 父は同じ理由からか、竜也の婚約はあまり広めていない。それは良かったと思う。

 幼馴染みの千野尚樹も、竜也の婚約は知らない。

 尚樹はのちに、「異世界転移」などという稀な体験をともにする奴だ。

 尚樹は友人ではない。彼の父が母の従弟という遠縁だった。体育会系の根明タイプで、ヘタレインドアな竜也とは気が合わない。

 尚樹は中背にがっしりとした体格で、童顔のため可愛い系とかワンコ系と言われているが、そんな可愛い人間ではない。中学の頃は柔道部、高校では空手部に所属という武闘派だ。顔は愛嬌があっても中身が違う。見た目詐欺なところは香織と同じだ。

 竜也は平均よりは少し背が高く細身だ。父から「運動部で揉まれて組織を率いるやり方を覚えろ」などと、「なんだよ、それ」としか思えないことを命じられて運動部しか選べなかった。そのため筋肉は程ほどについているが、尚樹に比べるとひょろい。

 尚樹とは高校が同じになったので付き合いがあるが、婚約者のことを話すほど信用していなかった。尚樹が裏で竜也のことを「家柄はよろしいけど、傲慢なんだよなぁ。村山竜也ってさぁ」と話していたのを知ってしまったからだ。

 竜也のどこが傲慢なのか。少しくらいは傲慢になりたいくらいだ。竜也は自他共に認めるヘタレなので、竜也を知っている者は尚樹の言うことなど信じていない。

 そんな尚樹と一緒に異世界転移をしてしまうなんて、竜也は本当についていないと思う。

(あぁ、でも、あのチンピラ婚約者と別れられたのは良かったかも)

 この世界では自由に生きたいな、などと竜也は脳天気なことを考えていた。



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