メダカが見た夢
夢は叶うと一歩踏み出せば――
自分も変われるんだと願えば――
それは叶うんだと思っていた――
自分もきっと大きなクジラみたいになれるんだと勘違いした――
これはそんなメダカの話です。
私は田舎の村の出身です。
田舎――と言っても、恐らく皆さんが思うよりももっと田舎、文字通りの山村で育ちました。
どれくらい田舎かと言えば――。
カンヌ映画祭で受賞した河瀬直美さんという映画監督さんがいます。その受賞作であり初商業作品でもある『萌の朱雀』という名作があります。その映画は奈良県の吉野村を舞台にしているのですが、私の育った田舎は、その映画の景色ととても似ていました。
ただ、その映画よりももっと寂れた田舎でしたが……そんなイメージだと思ってください。
立地的に運良くテレビの電波は通っていましたが、コンビニどころかスーパーもない。PCなんてもってのほか。スマホは圏外だし本当に何もない田舎です。
何一つない村です。
娯楽もないしただただ緑があるだけ。
夏はただ暑く、冬はひたすらに寒い。
以前、スローライフなんて言葉が流行った時、ロハスだの何だのと広告会社がキャッチコピーを触れ回って宣伝しましたが、私からすれば鼻で笑うようなものです。田舎暮らしなんて絶望しかないです。当事者からすれば。
何もないし逃げ場もないのに、村人の目はいつでもどこでもあって、何かがあればすぐに村中に知れ渡る。
プライバシー?
個人の権利?
山村にそんな〝都会〟の理屈は通じません。
だから私は、あの村から出たかった。
古い歌に「オラこんな村嫌だ~」なんてものがありますが、まさにそれそのものです。
だから当然のように、大人になった私は村を出て街に住みました。
二度とあそこには帰らないと心に決めて。
でも村社会というのは、そして己の来歴や出生というのは、永劫拭い去れない烙印のようなもので、それを捨て去る事は出来ないのです。
却説。
私が創作も含めた〝文化〟に心を奪われたのがいつだったか――。
お小遣いで買った初めての小説を夢中で読み耽った時だったか。
村に来た旅芸人の芝居を見た時だったか。
それとも夏祭りで村中の人間の前で歌を歌い褒められた時だったか。
村の催しに来た、名もないジャズ奏者の演奏を聞いた時だったか。
または田舎の小学校で上映した映画に心を打たれた時だったか。
今となっては、己の原点など曖昧で朧です。
でも気付いた時には、色々な心踊る物語に夢中になり、歌や踊りや芝居の虜になり、そういった心震わせる〝何か〟を、自分もしてみたい、関わりたい、発信したいと願うようになりました。
でも山々が壁となって囲い、まるで箱庭のように閉じ込められた寂れた山村では、そんな〝文化〟的な物事はとても下に見られるものなです。少なくとも、私の村ではそうでした。
そう言えば幼い頃から父母に言われ続けた言葉に「芸術家だけにはなるな」というものがありました。
これは耳にタコが出来るほど聞かされたというヤツで、理由は芸術家や芸事をする人間なんてものは死後に評価される何の役にも立たないモノだから、あんなのになるのは頭のおかしい人間だけだ、的な意味でした。
思えばこれは、学術的、文化的教養のない村人にとって、芸術などというその日暮らしに最も関わりのない行為は理解不能なものでしかなく、理解不能であるからこそ排除しようとしたある種の防衛反応だったのだと思います。今となってはその言葉を憎むというより、それも分かるという気持ちになっています。
今となっては、ですが。
けれども私にとっては、村の誰もが蔑み馬鹿にするあらゆる〝文化〟的なものがキラキラとした宝石や宝物のように見え、テレビ画面の向こうで歌う歌手が眩しくて、自分とは違う様々な世界の物語に胸を躍らせるのをやめられなかったのです。
そういう呪いにかかった、憐れな人間だったのです。
そんな閉鎖的な環境ですから、村の原理も至極単純。
ちょっと古い言葉で言えば、ヤンキーこそがカースト上位。
男女関係なく、です。
いわゆる暴力的な香りがあり、実際暴力で相手を屈服させる機能を持つ人間こそ一人前であるという社会。
それが村でした。
そしてきっと今も、それはあまり変わっていません。
男は祭りや催事で「男」たる事を試され、女は男に発破をかける「女房」である事こそ最も女として価値あるとみなされる――。
そんな村を、私は反吐が出るほど大嫌いでした。
ジェンダーとかそういう類いの忌避感ではないです。
閉塞された環境。目の前のモノゴトしか見ない空間。他を排斥し、輝きを見ずに分相応である事を人徳とする社会。
そういう村の全てを私は嫌悪しました。今でも嫌悪しています。
だからいつかの日に見た物語や、歌や踊りや芝居に、私はずっと憧れたのです。
こんな村で一生を終えるのではなく、いつかきっと輝く世界で生きるんだと。
でも、現実はそんな愚かで幼稚な夢想に対し、何の救いも与えはしません。
足ながおじさんの話は、少女がそうなる運命にあったから救われたのです。
現実に足ながおじさんなんて都合のいいものは存在しません。
選ばれるべき運命にない者には、物語のようなちっぽけな奇跡さえ与えられないのです。
私の父母は高校に行っていません。
とても貧乏な家庭でしたし、村では高校に行く必要なんてないからです。
ただ、私の高校だけは認めてくれました。
これには私の家庭環境が理由にあり、それは後年知る事になりました。
実は母も勉強がしたくて進学も希望していたのですが祖母が許してくれず、「女に勉強は不要、いい嫁になる以外考えるな」と言われて悔しい思いをしたという過去があり、せめて自分の子供には高校だけは行かせてやりたいと思い、認めてくれたのです。
だから父母や家族に対し、私は特段恨みを持っていません。
あの人たちの立場や境遇を考えれば、そうするのは尤もな事ですし、むしろ立派だとさえ思っています。
それは祖母にしてもそうです。いわゆる刀自と呼ばれていた祖母ですが、時代と環境を考えれば、それは毒親でもDVでもないのです。
いや違う、それは毒親だよと言う人は、田舎という底なし沼の事を分かっていないだけなのです。
田舎がのんびりと穏やかで居心地いい空間なんて、実に愚かな幻想です。
こんなエピソードがあります。
村で住んでいた当時、村の中でも裕福な家庭の子供が大学に行きました。子供といっても当時の私より一〇歳以上上の人だったのでほとんど大人ですが、まあ珍しい大卒者という事で村ではちょっと話題になったほどです。
その人は街で就職しそれなりの企業に勤めたのですが……電車に飛び込み自殺をしたんです。
飛び込み自殺ってダイヤは乱れるし被害もかなりだし、ましてや目も当てられない惨状だったので、かなりの損害賠償をその家は払う事になったんです。持っていた山や家も売り払い、私の家ほどの貧乏生活になったのを今でもはっきり覚えています。
で、その時村中で囁かれていた言葉が、
「やっぱり賢いのはいけない。賢すぎると人生不幸になる」
というものでした。
これも克明に覚えています。
当時の私は何故賢かったら不幸になるのか、意味がわかりませんでした。親にどうしてか理由を尋ねても、分不相応に賢すぎるからダメなんだと、答えになってないような答えだけが返されただけで結局分からないままです。
それにその人が自殺をしたのは、どういう理由でかなど村の誰も知らなかったと思います。
仕事のストレスかもしれないし失恋かもしれない。はたまた重い病に罹ったのかもしれない。でもそんな理由などどうでもよく、村の人間にとっての因果関係は「賢いのがいけない。それが死に至る理由」だったのです。
知を得る事は罪。
常にいつでも分相応であれ。
自分達は立派にはなれないしそれは人を不幸にする。
私は幼心に、亡くなった人にもその家庭にも何もかもに対し、とても失礼で残酷だなと思いました。
ただそれを口にしたら白い目で見られましたし、繰り返し「それはおかしい」と言えば殴られたりもしました。
これが村なんです。
村社会は、私にとってこういうところなんです。
話を元に戻します――。
そんな高校進学を認めてくれた両親でも、それでも私が大学に行きたいと言った時、だったら学費も何もかも全部自分で出しなさいよと言われると、私は諦めるしかありませんでした。
勿論、それをする苦学生もいる事は知っています。そういう覚悟と行動力を持って必死で成長した人がいるのは。
蛍雪の功そのものの、吉川英治のような人ですね。
でも残念ながら、私は吉川英治ではなかったのです。
私にはその勇気もなければ、それを出来る自信も実力もありませんでした。
それに地元の高校と言えば、都会の高校に比べて実に底辺な高校しかなかったのです。
多分、偏差値にしたら恐ろしく低かったでしょう。
でしょう、というのは私はと言うより私の周りで「偏差値」なんて言葉を知ってる人間すら村にはいなかったからです。
私が偏差値という言葉を知ったのは、大人になって随分経ってからでした。
山村にとって、そもそも大学に行く事自体が天才か狂人のどちらかで、偏差値で切磋琢磨する必要もなハナからないので、教師もそんな単語を使わなかったのでしょう。高校を卒業すれば働くのが普通。中卒すら珍しくない、そんな村です。
だから高校で教わる授業も恐ろしくレベルが低いもので、後年になってそれは私を苦しめる事になりました。
ですから、そもそも教わった基礎学力や知識も低いので行ける大学自体がないし、それを支える財力なんてボロ家に住む貧乏暮らしにはもっとない。
当然、私は高卒です。
でも私は学びたかった。
知りたかった。
本屋だってない田舎の村では、それを知る術もなかったのですが。
これは今も私をずっと苦しめている事の一つです。
いわゆる学歴コンプレックスでもありますが、現実問題として学歴のない私は、底辺で生きる術しかないからです。
この感覚は、ちゃんと学業を修めた人には絶対に分からないと思っています。
この世界には壁があり、この壁は絶対に越えられないものなんです。
文化的な世界に身を置きたいと願う人間にとって、学歴というものは絶対なんです。
そんな事はないよと人は言います。
低学歴でも立派な人は沢山いるじゃないかと。
ましてや芸事なら学歴なんて関係なくないですか? と。
私もそう信じていました。今でも信じているかもしれません。
でも現実は思っているよりもっとシビアで、もっと単純で身も蓋もないのです。
どの分野でも――いいえ、芸事なら尚の事、学歴は重要視されます。
それは令和の今なら特にそうかもしれません。
だって考えてみてください。
自分が雇用側や使う側の人間だったとしたら、です。ちゃんとした大学を出た人間と高卒の人間、もしステータスが同じならどっちを雇いますか? ましてや高卒側にハンディキャップがあったなら言わずもがなでしょう。
つまりはそういう事です。
ただ――小さい頃から物語が好きで、学校で一番好きだった場所は図書室で、お年玉を貰ったらそれで街に出て本を買うような人間だった私は、妙に言葉をこまっしゃくれて覚えて使うところがあり、それで蔑視もされましたが助けられる事もありました。総じて、芸は身を助くの謂いのように、助けられたり評価される事の方が多かった気がします。
一時、編集者として働いた時も、国語力的なものを評価されての事だったからです。
だから壁はずっとあるものの、身につけた文章力や読書遍歴は、己を救う一助となったのは間違いない事です。
でも、そこまででした。
きっと私にとって本来あるべき姿なのは――最も幸せであったはずの人生は、文化的なあらゆるものに心を奪われないで、キラキラしたものに目を奪われないで、マイルドなヤンキー人間として田舎で分相応に生きる道だったのでしょう。
同じマイルドヤンキーな連れ合いと結婚し、ヤンチャで分相応な子供を産み育て、日々の事だけ考えて暮らす――。
そんな人生こそが、最も相応しかったのです。
いえ、違いますね。
そうなるように育てられたからでしょう。
その育て方しか、村の人間は知らないからです。
学歴も知もない――いえ、知を必要としない社会で生まれ育った人間には、文化的な何かで生きていくという事自体が、大それすぎた夢だったのです。
己がただのちっぽけなメダカだとも自覚せず、大きな海の話を聞いて、大きな海で泳ぐ事に憧れた、憐れなメダカだったのです。
私は一時期、バンドでボーカルをした事もありました。
さっきも述べたように、その時も学歴の壁は感じましたし、他のどの職に就いた時も同じでした。
ただそういった中で知り得た沢山の人たち。長じて知己を得た知人、実際の私のリアルな友人の多くは、高学歴な人が多いです。そういう世界に私が憧れたからでしょう。
そう言えばXのFFさんも大卒の方ばかりな印象です。
同時に、私ほど底辺ヤンキーな学校で育った人はいないような気がします(笑)。
大体みなさんちゃんとした大学に行っている印象ですね。
いやいやそんな事ないよ! 私の行った大学なんてという人は、そもそもの認識がズレているのです。
地を這うミミズが「ニワトリさんは翼があっていいなぁ。羽ばたけるもんなぁ」と言った時、ニワトリが「私の翼なんて空も飛べない全然ダメなものだよ」と言うのと同じくらいズレています。ミミズからすれば、翼があるだけで自由で特権なんです。だってミミズには、どうやっても翼は生えてこないから。醜く地に潜る事しか出来ないから。
それでも正直、高学歴な方と話してる方が私にとっては楽しいのです。
おこがましくも知的な何かが刺激されるような気になり、身の程知らずなりに自分にも文化の血が流れているんだと錯覚出来るからです。でも同時に、決定的なところで己の知的水準の低さを感じる事が多いのも事実です。
反面、私は低学歴のマイルドヤンキーな人とかなりフランクに話せるし、何ならそっち側の人間として馴染めるのも自分であったりします。そこのカーストで生まれたんだから当然ですね。
でも、高学歴なところでも、マイルドヤンキーな社会にも私の居場所はありません。
結局自分はどこまでいってもアウトサイダーで、ずっとボーダーにいるんだなと思う事の方が多いです。
それでもきっと、いつかは自分も文化的な何か――歌でも音楽でも踊りでも芸でも文章でも絵でも何でもいい。そういった何かの世界で、その世界の片隅でもいいからそこに居られるんだと、星明かりよりか細い光でも輝けるかもしれないんだと思い、ずっと生きてきました。
でもそれは間違いだったのです。
生まれや育ちは本当に大事で、出生と環境で人の全ては決まると言っても差し支えないと思っています。
映画のスラムドッグミリオネアは物語だからこそ奇跡なんです。
仮にあれがもし実話だったとしても、奇跡である以上やっぱり「物語」なんです。
物語の住人は、最初から決まっているんです。物語の外にいる人間は、物語の中に入れなくて当然なんです。
ましてやただのちっぽけなメダカである自分には。
ただの自己満足でしかないアブクのようなものをブクブクと吐き続けて、それはきっとバケツの中で消えていって忘れ去られて。
でも大きな海で泳げるんだと。
自分はメダカじゃなくクジラにだってなれるかもしれないんだと勘違いし続けて。
そうやってアブクの夢を見続けてきました。
これはそんな私の半生を書き殴ってみたものです。
話に挙げていない事柄は多すぎますし、私が何者なのかは何一つ話してません。
でも、憐れな夢を見たちっぽけなメダカがいた事くらい。
メダカにもメダカなりの夢があったんだと言っておきたかったんです。
それだけの話でした。
最後まで、こんな駄文を読んでいただき、本当にありがとうございます。