合宿in伊豆諸島②
古民家を出た僕たちは、近くにある食堂で昼食をとり、島内をぶらつきながら、途中で見つけた商店で飲み物や夕飯の食材を購入した。
伊藤先輩は、お目当ての「マンボウの刺身」をゲットしてホクホク顔だ。
島を散策しているうちに日が暮れてきたので、古民家へ戻ることにした。
夕飯は、合宿で定番のカレーだ。
手分けして材料を切り、炒めて煮込んで、ルーを入れる。
新品同様の炊飯器もあったので、夕飯作りはスムーズに進んだ。
囲炉裏を囲んでカレーを食べるというシュールな光景を、いち早く食べ終えた浜岡先輩がスケッチブックに描き出す。
「そういえば、合宿の目的はスケッチでしたよね」
僕が言うと、阿部先生は食べ終えた食器も片付けずにゴロリと横になり
「今日はもう遅いから、明日からにしよう」
と言って目を閉じた。
「シロ、食い終わったら屋根裏に行こうぜ!」
林くんが僕を誘うと、伊藤先輩は林くんの肩に腕を回して
「俺も行くー」
と人懐っこい笑みを浮かべた。
それを見ていた松本先輩は、すかさずノートを取り出して、何やら熱心に書き込んでいる。
どうやら、BL漫画の参考になりそうなネタを提供できたようだ。
カレーと一緒に食べたマンボウの刺身は、イカみたいな見た目だった。
コリコリした歯ざわりで、ほんのりと甘い。
意外と美味しくて、みんなであっという間に平らげてしまった。
洗い物を片付けた後、僕は林くんや伊藤先輩と一緒に屋根裏部屋へ行ってみた。
天井が低いせいで少し窮屈に感じたが、秘密基地にいるみたいで、ちょっと楽しい。
「星が見える」
林くんに言われて見上げると、天窓の向こうには星空が広がっていた。
「今日はここで寝よっか」
という伊藤先輩の提案に乗り、僕たちは毛布を運び込んで床に寝っ転がった。
星空を眺めているうちに、林くんと伊藤先輩の寝息が聞こえてきたので、僕も目を閉じる。
こうして、合宿初日の夜は過ぎて行った。
翌朝、買っておいた惣菜パンで簡単な朝食を済ませると、僕たちは合宿の目的であるスケッチをしに出かけた。
絵を描くのは久しぶりだった。
最後に描いたのがいつだったのか、それすらもよく思い出せない。
浜岡先輩と松本先輩は二人で船着場の方へ向かい、伊藤先輩は「自転車で島を一周してくる」と言って、阿部先生と一緒にレンタサイクル屋へ行ってしまった。
残された僕と林くんは、なんとなくその辺をぶらつきながら、目についた木や花などをスケッチして過ごした。
昼近くになり、昨日と同じ商店で弁当を買った僕たちは、木陰に腰かけて昼食をとることにした。
「シロ、お前の描いた絵、ちょっと見せてみろよ」
林くんは弁当を食べながら、僕のスケッチブックに手を伸ばす。
表紙をめくり、描かれた樹木の絵を見た林くんは、素っ頓狂な声を上げた。
「ふぁ?! 何だよこれ、すげーじゃん! ホンモノみたいだな!」
僕の絵は、昔からよく褒められる。
「凄く上手だね!」
「まるで写真みたいだ」
「写真よりもリアルだよ! 実物を見てるみたい」
「写実的って言うのかな、凄く緻密で、隅々までしっかり描き込まれてる」
そんなふうに評価されて調子に乗っていた時期もあったが、コンクールで僕の絵が受賞することは、一度もなかった。
選ばれるのはいつも、人の心を惹きつける魅力に溢れた、他の誰かの絵だった。
「別に凄くないですよ。いくら写実的な絵が描けたって、実物には敵わないし、リアルさを表現するなら写真の方が優れてる。僕の描く絵は、ただ単に本物そっくりってだけで、誰の心にも響かない」
そう言ってスケッチブックを取り返そうとしたら、林くんにデコピンされた。
「お前、何言ってんの? どんなにホンモノそっくりに描いたって、それはホンモノとは全然違うものになるんだぞ? 写真だってそうだよ。同じモノ撮ったって、撮る人によって全然違うモノになる」
「それは、アングルとか光の加減とか……あとはフォーカスする部分なんかが人によって違うってだけの話でしょう? 誰が撮ったって、卵焼きは卵焼きだし、カマボコはカマボコじゃないですか」
僕は弁当のおかずを箸で指し示しながら、キレ気味の声で反発した。
「だから、そういう『人によって違う部分』ってのが大事なんだよ! だって、どこにピントを合わせるのかって、すげー重要じゃん。俺は、シロの描いた絵が好きだよ。でもそれは、ただ単に上手いからってわけじゃない」
そう言うと、林くんは僕のスケッチブックをめくりながら話を続けた。
「シロの描いたこの樹は、がらんどうになったウロの部分だけがクローズアップされてる。俺には、こんな切り取り方は出来ない。こっちの花だってそうだ。お前は、綺麗に咲いてるやつじゃなくて、ちょっと萎びた花びらのやつを、わざわざ選んで描いてる」
「だから、何なんですか?」
「俺はシロの絵を見て初めて、樹のウロや萎びた花びらも、綺麗なモノなんだなって思えた。お前の描いた絵が、気付かせてくれたからだ。さっきも言ったけどさ、俺はシロの描く絵が好きだよ」
僕の描く絵が好き。
そんなことは、初めて言われた気がする。
そしてそれは、これまでかけられたどんな褒め言葉よりも、僕の心を温めてくれた。
「……それは、どうも」
素っ気ない僕の返事に、林くんは不機嫌な表情になる。
「何だよ! こんなに一生懸命しゃべったんだから、もっと何か言えよ!」
林くんは怒りながら、僕の肩をグーで殴りつけてきた。
午後も林くんとスケッチをして過ごし、夕方頃に古民家へ戻ると、他のみんなは既に夕飯の支度に取りかかっていた。
急いで手伝いに加わり、出来上がった野菜炒めと味噌汁を食べながら、それぞれの一日を報告し合う。
順番で風呂に入った後、僕たち三人はまた屋根裏部屋へと毛布を持ち込み、昨晩と同じように星空を眺めながら眠りについた。
翌朝は早起きして掃除に精を出し、昼前の便で帰路についた。
帰りも、僕と林くんは船酔いに悩まされたが、こみあげる吐き気を堪えながら、僕は林くんに言われた言葉を思い返していた。
シロの描いた絵が好き
そう言ってくれる人が一人でもいるなら、また絵を描いてみようか。
林くんは忘れっぽいから、明日には「俺、そんなこと言ったっけ?」なんて言い出すかもしれないけれど。
そんな気まぐれな一言でさえ、僕の心を大きく動かしてしまうんだから、林くんて、実は凄い人なのかもしれない。