合宿in伊豆諸島①
夏休み後半、僕は林くんや伊藤先輩と何度か一緒に遊んだ。
プールへ行き、ゲームセンターで対戦し、バンドの練習にお邪魔したり、図書館で一緒に宿題をやったりもした。
そうこうするうちに新学期を迎え、すぐに定期テストがあり、各科目のテストが返却されるたびに憂鬱な気分になった。
そして放課後、平均点以下の生徒を集めた補講に参加させられた僕は、帰り際に阿部先生から声をかけられた。
「なんだよ城崎、部室にいないと思ったら、補講受けてたのか? お前、頭悪いんだな」
会うなり失礼なことを言ってくる。
「補講になったのは英・数・国の三科目だけですよ。理科と社会はギリギリ合格でした」
「いやいや、主要三教科が補講って相当ヤバいからな。おまけに理社もギリギリなのかよ。お前、もう進学は諦めろ」
「……阿部先生、僕もあまり人のことは言えないんですけど、もうちょっとオブラートに包んで話してもらえます?」
「それよりさ、秋休みに合宿行くんだけど、お前も来るだろ?」
「合宿って、レタリング部のですか?」
「そうそう、美術部と合同でさ。俺の友達が伊豆諸島の方に別荘持ってるから、そこで二泊三日のスケッチ三昧。楽しそうだろ?」
「へぇ、伊豆諸島ってここから遠いんですか?」
「俺たちが行く島は、東京から船で約十時間」
「ヤバっ」
「高速船なら二~三時間かな」
「十時間って聞いた後だと短く感じますけど、まぁまぁ長時間ですよね」
「まぁ、そういうわけだから、交通費と食費やなんかを合わせて三万の合宿費、明日までに持って来て」
「高っ」
「船の運賃だけで往復二万以上かかるんだから、しょうがないだろ。それじゃ、明日忘れずにな」
強引な人である。
だけど部活の合宿って、なんだか楽しそうだ。
僕は少し浮かれた気持ちで家に帰った。
帰宅して母親に事情を話したら、困った顔をされた。
「急にそんなこと言われても……今お財布に現金あまり入ってないのよね。明日銀行で下ろしてこないと。あんた、バイト代まだ残ってるなら、とりあえず立て替えといてよ」
僕は週末だけ団子屋でアルバイトをしており、そこは今どき珍しく、バイト代を現金で手渡してくれるのだ。
自分の部屋に行って、今までのバイト代やお年玉を入れてある缶を開けると、余裕で三万円以上ある。
僕はそこから一万円札を三枚抜き取って財布にしまい、翌日学校で先生に渡した。
補講期間が終わり、久しぶりに部活へ行くと、衝撃の事実が発覚した。
合宿は希望者だけが行くそうで、参加者は数人しかいなかったのだ。
美術部からは浜岡先輩のみで、レタリング部からは僕と林くん。
そして、あまりにも参加者が少ないということで、軽音部の伊藤先輩と漫画研究部の松本先輩も一緒に行くことになったらしい。
松本先輩は浜岡先輩の彼女だし、絵も描けるから、スケッチ三昧の合宿に参加するのも頷ける。
しかし伊藤先輩は、林くんと組んでいるバンドのギター担当で、絵を描いているところなど見たことがない。
合宿に参加してどうするのだろう。
疑問に思った僕が
「伊藤先輩は何しに行くんですか?」
と尋ねると
「マンボウの刺身を食べに行くんだー」
という、予想外の答えが返ってきた。
「マンボウですか?」
「そう、マンボウ。あっちでは、お刺身のパックになったやつが普通に売ってるんだってさ」
「まさか、それが目的で行くんですか?」
「そうだよー」
「マンボウの刺身を食べるためだけに、三万もの合宿代を払うんですか?」
「うん」
マンボウの刺身にそれほどの価値があるとは全く思えなかったが、まぁ価値観は人それぞれである。
そんなこんなで秋休みに入った翌日、僕たちは早朝に竹芝桟橋で集合し、高速船に乗り込んだ。
船の中で、みんなは朝食のパンをかじったりトランプをしたりして過ごしていたが、僕と林くんは酷い船酔いになり、それどころではなかった。
リュックを枕にして床へ横たわり、吐き気と戦いながら目を閉じていると、林くんが何やらブツブツ言い出した。
「俺はもう絶対に、神に誓って、二度と船には乗らない」
「あと一回は乗らないと、家に帰れないじゃないですか」
僕がツッコむと、林くんは「うぅ……」と唸って黙り込んだ。
拷問のような数時間を経て、僕たちは目的の島に上陸した。
「別荘までは歩ける距離だから」
と阿部先生が言うので、重い荷物を背負いながら徒歩で向かう。
長時間波に揺られていたせいか、陸地を歩いていても体がふわふわして変な気分だ。
「ここだ!」
阿部先生の指差す先に見えたのは、別荘というイメージからは程遠い、年季の入った古民家だった。
「古っ」
「ボロっ」
「やだぁ、トイレとか風呂とかヤバそう。ミカ、汚いのは無理なんですけど」
僕と林くん、そして松本先輩が口々に文句を言うと、浜岡先輩が慌てた様子でフォローに入る。
「そんなこと言うなよ、阿部先生の友達が好意で貸してくれた別荘なんだぞ。もっと感謝の気持ちを持てよ。なぁ、伊藤もそう思うだろ?」
「えー、でもさぁ、やっぱ古いしボロいし汚いよー」
伊藤先輩は相変わらずマイペースだ。
そして阿部先生はというと、露骨に嫌そうな顔で古民家を眺めていた。
「もしかして……先生もこの別荘に来るの初めてなんですか?」
僕が聞くと
「ああ……。『最高に居心地の良い別荘だから、ぜひ行ってみてくれ』って言われたから来たのに……あの野郎!」
と先生は吐き捨てるように言った。
それから先生は、僕たちから少し離れたところで誰かに電話をかけ、通話している相手に文句を言いまくっていたが、何やら説得されたらしく、機嫌を直して戻ってきた。
「トイレや風呂、キッチンなんかはリフォーム済みで、綺麗らしいぞ。まぁ、とりあえず中に入ってみるか」
先生が鍵を開け、中に入る。
「おおっ! いいじゃん、いいじゃん。おい、お前らも入って来いよ。中は良い感じだぞ」
みんなでゾロゾロ入っていくと、広い土間には竹で作られたベンチが置かれており、その奥に見える部屋の中央には、囲炉裏まである。
「すげえ! 日本昔話でしか見たことないやつだ! この囲炉裏で夕飯作ろうぜ!」
林くんは、鼻の穴を膨らませながら靴を脱ぎ、囲炉裏に近寄っていく。
「あー、残念だが囲炉裏はオブジェみたいなもので、実際には使えないそうだ」
阿部先生が、メールでやりとりした文面を僕たちに見せながら説明する。
「いくつか注意事項を伝えとくぞ。屋根裏部屋は、天井が低いから頭をぶつけないように気をつけること。それから、帰る前には使った場所を必ず掃除して帰ること。風呂と台所は排水口も綺麗にして、ゴミ出しは絶対に忘れずに。とのことだ」
「うわぁ、めんどくさっ」
嫌そうな顔をする林くんを
「汚したら綺麗にするのは当たり前だろ」
と浜岡先輩がたしなめる。
「ねーねー、早くマンボウのお刺身買いに行こうよ」
伊藤先輩がみんなを急かす。
「着いたばっかりじゃないですか……」
僕は呆れた声を出したが、阿部先生は腕時計に目をやり
「昼飯を食いがてら、買い物もしとくか。島にはコンビニが無いし、商店は夜の七時くらいに閉まっちゃうみたいだからな」
と言って、すぐに出かける準備をするよう、みんなを促した。