フェイス&ボディペインティング②
「レタリング部として、学園祭でフェイス&ボディペインティングのイベントをやりたいです」
と顧問の阿部先生に申請したら、必要以上に乗り気になってしまい、受験勉強に専念している浜岡先輩と松本先輩をも巻き込む事態へと発展してしまった。
「で、俺とミカは何をすればいいの?」
久しぶりに美術室へ顔を出した浜岡先輩は、何だかやつれた表情をしている。
「顔色悪いですね。阿部先生の方には適当に言って誤魔化しておくので、無理しなくていいですよ」
僕の言葉に、浜岡先輩がふっと微笑む。
「城崎、しばらく会わない間にずいぶん成長したなぁ。そんなふうに気遣いが出来るようになるなんて……」
そう語る浜岡先輩の目は、少し潤んで見えた。
どうしたんだろう。受験勉強のストレスで、精神的に追い詰められているのだろうか。
やはり、浜岡先輩にこれ以上の負担をかけるべきではなさそうだ。
そう判断した僕が、改めて『無理に協力してもらわなくて大丈夫です』と伝えようとしたら、林くんが身を乗り出して話に割り込んできた。
「あのな、まず最初に俺とシロがボディペインティングのパフォーマンスをするわけだよ。そんでその後に、俺とシロと浜岡とミカちゃんの四人で、希望するオーディエンスにフェイスペインティングをしてあげるってわけ。希望者が多いと二人じゃ捌けないからさ、手伝ってくれよ」
林くんが頼み込むと、浜岡先輩はアッサリと了承してくれた。
「いいよ。たまには気分転換も必要だもんな。ミカにも伝えとくよ」
そう言って、浜岡先輩は来た時よりも少し明るい表情になって美術室を出て行った。
そして、入れ替わりに伊藤先輩が入ってくる。
「林ー、バンドの練習行こー」
「おう。その前に、服脱いで上半身ハダカになれ」
林くんの指令に、伊藤先輩が首をかしげる。
「なんでー?」
「学園祭でボディペインティングのパフォーマンスをすることになったから、お前の体を使わせろ」
「あっ、そうなんだ。いいよー」
二つ返事で引き受けてもらえたので、僕と林くんは早速、伊藤先輩の体を使ってボディペインティングの練習を始めた。
最初は上半身全体と腕にもペイントをする予定だったが、時間がかかり過ぎるということで、背中をキャンバス代わりにして絵と文字を描くことにした。
伊藤先輩の背中を使わせてもらうということで、僕と林くんは題材を「孔雀」に決めた。
それは、極彩色に染めた伊藤先輩の髪色を陰で揶揄する呼び名でもあったので、本人が嫌がるかなと思ったのだが、全然そんなことはなかった。
「テーマは『孔雀』で、最初に林くんが文字をレタリングして、そのあとに僕が絵を描くというプランです」
と伝えると
「いーじゃん、孔雀。俺そのあだ名、気に入ってるんだよねー」
とニコニコ顔で返答されたので、僕は伊藤先輩の心の広さに敬意を表したい気持ちになった。
学園祭当日、レタリング部のイベント開始時刻となり、会場にはそれなりの数のギャラリーが集まっていた。
林くんが大きな声で
「始めるぞー!」
と叫び、伊東先輩が服を脱いで上半身をさらす。
伊藤先輩の背中に、ボディペインティング用の絵の具で林くんが文字を描いていく。
極彩色に彩られた文字は、艶やかに羽を広げる孔雀の姿そのもののように優雅で美しく、観衆からは賛辞の声が送られた。
林くんが文字を描き終え、いよいよ僕の出番となる。
この日に向けて、孔雀の画像を穴があくほど見つめながら、スケッチブックに練習を重ねてきた。
その集大成を見せるべく、僕は全力で孔雀の絵を描き上げた。
しかし、観客は戸惑ったように顔を見合わせて、微妙な表情を浮かべている。
そして、誰かが呟いた。
「何あれ、ヤバっ。リアル過ぎてキモいんだけど」
それは波紋のように周囲へと伝わり、やがてどよめきとなって僕の方へと押し寄せてきた。
ああ、失敗した。
林くんにとって、高校生活最後の学園祭だったのに。
最高の思い出にしたかったのに、このままでは最低の記憶として残ってしまう。
どうしよう。
申し訳ない。
でも、どうすればいいのか全然分からない。
その時、浜岡先輩が朗らかな声でこう言った。
「いやぁ城崎の絵、リアルですよねー! ちなみに、このあとは希望者の方にフェイスペインティングをする予定なんですけど、俺たちはこんな感じの絵も描けるんですよ」
浜岡先輩は松本先輩を呼び寄せると、フェイスペインティング用の絵の具を使って、彼女の頬に可愛らしいウサギのイラストを描き出した。
すると松本先輩も
「私は、アニメキャラの絵が得意でーす」
と言って、浜岡先輩の頬に誰もが知っているであろう有名なアニメキャラの絵を描いた。
そして浜岡先輩は声を張り上げ
「それでは今から先着二十名様まで、フェイスペインティングを受け付けます! アートな文字を描いて欲しければ林の列に! リアルな絵がご希望なら城崎の列に並んで下さい! 可愛いイラストが良ければ僕が描きますし、アニメキャラなら松本に任せて下さい!」
と観衆に伝えた。
希望者のほとんどは松本先輩と浜岡先輩のところへと集中し、林くんの列にも数人ほど並んでいたが、僕のところへは誰もやって来ない。
「シロちゃん、ドンマーイ」
伊藤先輩が、シャツを羽織りながら僕の隣に座る。
僕は、浜岡先輩たちに憧れの気持ちを抱いた。
浜岡先輩も松本先輩も、凄い。
彼らはオリジナリティあふれる絵だって描けるのに、この場ではそれを封印して、相手に喜んでもらえるような絵を描こうとしている。
林くんは、レタリングして欲しい文字のリクエストだけ聞いて、あとは自分の好きなように描いているけれど、描いてもらった人達はみんな満足そうな表情だ。
僕には、浜岡先輩や松本先輩のような柔軟さもなければ、林くんのように圧倒的な才能があるわけでもない。
だけど、以前のように絵を描くのをやめようとは思わなかった。
描くことが好きだから。
とても楽しいから。
そのことに、林くんが気付かせてくれたから。
そんなことを考えながら自分の足元を見つめていると、誰かが僕の前までやって来て立ち止まる。
「城崎、お前の列だけ誰も並んでないじゃないか」
顔を上げると、顧問の阿部先生が立っていた。
「僕の絵、なんかキモいみたいで、誰も来てくれないんですよね」
「どんな絵を描いたんだよ、見せてみろ」
阿部先生が言うと、伊藤先輩は羽織ったばかりのシャツを脱いで
「これでーす」
と言いながら、背中の絵を阿部先生に見せた。
いつものように、遠慮のない辛辣な言葉を浴びせかけられるのだろう。
そう思っていたのだが、阿部先生はじっと絵を見つめるばかりで、何も言わない。
しばらくして
「伊藤、もういいぞ。シャツを着ろ」
と言うと、阿部先生は僕に向かって
「どうして、孔雀の羽じゃなくて顔を描いたんだ?」
と尋ねた。
「孔雀の羽は林くんがレタリングで表現していたんで、僕は違う部分を描こうと思ったんです。孔雀って羽だけじゃなくて、顔も綺麗ですし」
僕の答えに納得したのか、阿部先生は特に感想を述べることもなく
「そっか。じゃあ、またな」
とだけ言って立ち去った。
列に並んでいる人達を捌き終わった林くんが、満面の笑みを浮かべながら僕と伊藤先輩の方へやって来る。
「イベント、大成功だったな!」
ハイタッチする林くんと伊藤先輩の姿を見ながら
『僕はきっと、この光景を一生忘れないんだろうな』
と思った。