ハワイアンなタトゥースタジオ
「元気ないね、大丈夫?」
磯貝さんが心配そうに僕の目を覗き込む。
今日は学校もバイトも休みだったので、磯貝さんと博物館に来ていた。
楽しみにしていたエジプト展だったが、昨日の帰りに喧嘩別れした林くんのことが気になって、つい上の空になってしまう。
「実は、友達と喧嘩しちゃって」
「また? この前と同じ子?」
「いえ、あいつじゃなくて、林くんっていう部活の先輩です。ほら、この前バンドの動画を見せたじゃないですか。あの動画でボーカルやってた、金髪で目つきの悪い人です」
「あー、あのライオンっぽい子か!」
その時、磯貝さんの携帯が短く音を鳴らした。
「マナーモードにするの忘れてた」
彼女は慌てた様子でマナーモードに切り替え、画面を確認する。
「高津さんからですか?」
「うん。『この後もし城崎くんに予定が無ければ、ランチをご馳走するから俺のタトゥースタジオまで連れて来て』って書いてある。どうする? 行く?」
「……タトゥースタジオって、刺青を入れるところですよね? 怖い人達がいっぱい居そうなんで、行きたくないです」
「たぶん、イメージしてるのとは全然違うと思うよ。彼のタトゥースタジオは裏社会の人達を完全にシャットアウトしてるし、そもそもそういう人達が来るような雰囲気のお店じゃないんだよね」
「どんな雰囲気なんですか?」
「うーん、ハワイアンって感じ?」
ハワイアン? どういうこと?
俄然興味が湧いてきた僕は、高津さんのタトゥースタジオへ連れて行ってもらうことにした。
磯貝さんの言っていたとおり、高津さんのタトゥースタジオは、南国ムードあふれる素敵なお店だった。
壁紙には透き通るような海とヤシの木が描かれ、待ち合い室のテーブルや棚はハイビスカスの造花で飾りつけられている。
「俺のデザイン集、見る?」
高津さんが、アルバムのようなものを僕に差し出す。
「見たいです」
受け取って中を見ると、そこには高津さんの生み出した美しい世界が広がっていた。
ウミガメ、ヤモリ、サメ。
ハイビスカス、ヤシの木、波。
他にも沢山のモチーフがあり、中にはよく分からない模様や、ちょっと怖い仮面や像みたいなものもデザインされていたけれど、それはそれで独特の魅力がある。
「凄い」
「そう? うち、『ヘナタトゥー』っていう、二週間くらいで消える染料を使った彫らないタトゥーもやってるから、もし気に入ったデザインがあったらやってあげるよ」
「じゃあ、春休みになったらお願いします。あと、今度ここに僕の友達を連れてきてもいいですか? その人にも、高津さんのデザインを見せてあげたいんで」
高津さんは嬉しそうな顔で
「もちろんいいよ」
と了承してくれた。
そこへ、磯貝さんも話に入ってくる。
「そういえば、さっき友達と喧嘩したって言ってたけど……何があったの? 私達でよければ話を聞くよ」
そこで僕は、林くんと気まずくなってしまった経緯を二人に話し、どうやって仲直りをすればいいのか相談することにした。
「なるほどね。城崎くんは、林くんの才能が発揮できる道に進んで欲しいと思っているのに、林くん本人にはその気がないわけだ」
高津さんが、僕の話した内容をまとめる。
「はい、せっかく才能があるのに、もったいないなと思って」
「でもさ、美大に進んだからって、アートに関連する仕事に就けるとは限らないよ。俺も美大を出たけど、卒業後の進路なんて、みんなバラバラだったし」
「美大生だったんですか?」
「そうだよ。その頃にタトゥーアーティストの人達とも知り合って……タトゥーのことを深く知っていくうちに、すっかりこの世界の虜になっちゃったんだ」
話しながら、高津さんは棚から何冊かの本を抜き取ってテーブルに並べた。
「この本に詳しいことが書かれているんだけど、タトゥーは時代や場所によって、扱われ方もイメージも全く違うんだよね。城崎くんは、タトゥーに対してどんなイメージを持ってる?」
「えっと……ヤクザとか犯罪者とか、ヤバい人がやってるっていうイメージです」
「だよね、俺も昔はそう思ってた。だけど、それだけじゃないんだよ。タトゥーは大人になるための通過儀礼だったり、社会的な地位や所属を表すものだったり……守護してくれるお守りみたいな意味を持つこともあれば、個人識別に利用されていたこともある。刑罰として使われることもあるから、マイナスなイメージも根強いよね。最近は、ファッション感覚で取り入れる人も増えたけど」
高津さんの話を聞きながら、僕は改めて彼の腕に彫られたワニに目をやり、気になっていたことを尋ねた。
「高津さんは、どういうつもりでワニのタトゥーを入れたんですか?」
彼は少しためらった後、こう答えた。
「このタトゥーは『この道で生きていく』っていう、俺の覚悟と誓いの証なんだ。大学を卒業したらタトゥーアーティストになるって宣言した時、家族にも親戚にも大反対された。『まともな人生を歩めなくなるぞ』って説得されたよ。それでも、どうしてもこの道で生きていきたいと思ったんだ」
高津さんは、ちょっと恥ずかしそうに笑いながら話を続けた。
「だからさ、才能があるとかないとかは一旦横に置いといて、城崎くんは林くんの進む道を見守ってあげてもいいんじゃないかな」
「……そうですね。僕、次の部活で林くんに会った時、ちゃんと謝ります。あと、家業を継ぐことも応援しようと思います」
僕の言葉に、それまで黙って話を聞いていた磯貝さんが
「それじゃ解決したってことで、ランチ食べに行こっか。私、お腹すいちゃった」
と明るい声を出す。
「そうだな、早くしないとランチタイムが終わっちゃうから急ごうか」
立ち上がって歩き出す二人の後に、僕も続く。
鉛のように重苦しかった心は、いつの間にか羽のように軽くなっていた。