梅・桃・桜、そしてワニ②
「城崎くん、絵を描くんだって?」
高津さんに聞かれて、ようやく僕はワニの刺青から目を離し、顔を上げた。
「はい。気が向いた時、たまに」
「俺も絵を描くんだよね。紙の上じゃなくて、肌の上にだけど」
そう言って、彼は自分の腕に彫られたワニを指差す。
「俺、タトゥーの彫り師をしてるんだ。これは、俺の師匠が彫ってくれた」
「そのワニ、高津さんに顔つきが似てますよね」
僕が言った瞬間、高津さんが真顔になる。
ヤバい。
これ、殴られるパターンだ。
そう思って、ギュッと目をつぶる。
……だが、何も起こらなかった。
「どうしたの? 貧血?」
磯貝さんの声に目を開けると、高津さんも心配そうな顔でこちらを見ている。
「いえ、大丈夫です。失礼なこと言っちゃった気がするんで、殴られるかなと思っただけです」
「え? 殴ったりしないよ。それに、このワニ凄く気に入ってるから、似てるって言われて嬉しかったし」
それを聞いて
『嬉しくて真顔になるなんてこと、あります?』
と思ったが、僕もあまり感情が表に出る方ではないので、そういう人もいるのかもしれないな、と自分を納得させる。
「城崎くんの描いた絵、見てみたいな」
と高津さんに言われた僕は
「あ、どうぞ」
とバッグからスケッチブックを取り出そうとして、望月に引ったくられたまま、返してもらっていなかったことに気付く。
「すみません。さっきお見舞いに行った友達のところに置いてきちゃいました。ここから近いんで、取ってきますね」
「えっ、わざわざ行かなくていいよ」
高津さんが止める。
「いえ、仲直りもしたいんで」
「仲直り? 喧嘩したの?」
磯貝さんが僕に尋ねる。
「喧嘩っていうか、僕が一方的に怒らせちゃったんです」
僕は、病室での出来事を詳しく説明した。
すると二人は、僕と一緒に望月のところへ行くと言い出した。
「一人で大丈夫です」
と断ったのだが
「城崎くんだけだと、仲直りするどころか余計に拗れちゃいそうだから」
と言って譲らないので、仕方なく三人で病院へと向かうことになった。
ノックをして病室へ入ると、僕たち三人の姿を見た望月はギョッとした顔になる。
「スケッチブック取りに来た。あと、謝りたくて。さっきはごめん」
「……その人達は?」
望月が怯えた目で高津さんの顔と、彼の腕に彫られたタトゥーを見ている。
「ほら、前に話しただろ。バイト先で知り合った女子大生の磯貝さん。こっちの男の人は、磯貝さんの彼氏の高津さん」
「高津です。城崎くんのスケッチブック、渡してもらっていいかな?」
高津さんが近付いて行くと、望月は震える手でスケッチブックを差し出した。
それを受け取った高津さんに、望月が掠れ声で話しかける。
「あの……誤解ですから! 城崎は、人の彼女に手ぇ出したりとか、そういうことできる奴じゃないです。バイト先で知り合った女の人とは、友達として会ってるだけだって言ってました。嘘じゃないです! だから、こいつが彼女さんと会ってたこと、許してやってください!」
どうやら、僕が高津さんに痛めつけられるのではないかと心配しているらしい。
「望月、違うんだよ」
事情を説明しようとする僕を遮って、高津さんは望月を威嚇するように睨んだ。
「本当か? もしあいつが俺の女に何かしてたら、お前も無事じゃ済まないぞ?」
望月は泣きそうな顔になりながらも
「本当です。城崎ってマジでおかしい奴なんで、こんなのを相手にする女の子なんて、いるはずないです」
と断言した。
酷い言われようである。
でも、僕を守ってくれようとしてるんだろうなということは、なんとなく伝わってきた。
「なら、今回だけは信じてやるよ」
そう言って、人喰いワニみたいに凶悪な顔つきをしたまま、高津さんはクルリと向きを変えて僕の方に歩み寄り
「仲直りできそうだね、先に出てるよ。売店でも見ながら待ってるから」
と小さな声で言ってから、磯貝さんを連れて病室を後にした。
僕は、夏祭りで篠田に立ち向かっていってくれた林くんの姿と、その後に言われた言葉を思い出していた。
『こういう時は「すみません」じゃなくて「ありがとうございます」って言え』
「望月、ありがとう」
「は? 何が?」
「僕のこと、守ってくれようとしたんだろ? カッコよかったよ」
「うるせぇ」
望月は枕に頭をつけて横になり、僕に背を向けた。
嬉しい時でも真顔になってしまう人がいるように、照れ臭くてこんな態度になってしまう人だっているのかもしれない。
「望月がいないと寂しいから、早く退院して戻って来いよ」
返事は無かったが、言いたいことは全部伝えられた気がしたので、僕は病室を出て磯貝さんと高津さんを探した。
売店にいる二人を見つけてガラス越しに手を振ると、気付いた磯貝さんが笑顔で僕に手を振り返す。
彼らが買い物を終えるのを待つ間、携帯をチェックすると林くんから動画が届いていた。
イヤホンをつけて再生すると
「新曲だ! 聴け!!」
という林くんのシャウトと共に、演奏がスタートする。
林くんは、かなりの音痴だ。
伊藤先輩のギターも、全くチューニングが合っていない。
ベースとドラムに至ってはリズムがバラバラで、もうしっちゃかめっちゃかである。
彼らの音楽は不協和音の塊で、はっきり言ってヘタクソだ。
でも、林くんはいつも楽しそうに声を張り上げて歌うし、他のメンバーも、好き勝手に気持ち良さそうに音を奏でている。
売店から出てきた磯貝さんが、イヤホンをつけた僕の肩を指先でトンと叩きながら声をかける。
「お待たせ、何聴いてるの?」
僕はイヤホンをはずして、磯貝さんの方へ差し出した。
「学校の先輩が組んでるバンドの新曲です。聴いてみます?」
磯貝さんは、後から出てきた高津さんにイヤホンの片方を手渡し、二人は片耳ずつイヤホンをさした。
動画も見えるよう、僕は二人の方に携帯の画面を向ける。
高津さんが、優しい目をして
「いいねぇ。音を楽しんでる」
と呟き、磯貝さんも笑みをこぼす。
たぶん林くん達には、音を上手に奏でる才能は無いのだろう。
でも彼らには、音を楽しむ才能が、誰よりもあるのかもしれない。