梅・桃・桜、そしてワニ①
季節の花を描いた。
月が変わるごとに、梅・桃・桜と順番に。
一番気に入っているのは、雨に打たれる桃の花を、下から見上げている構図の絵だ。
傘をさしながら絵を描くわけにもいかないから、目に焼き付けて、思い出しながら描いた。
林くんには
「今までで一番ヘタクソな絵だな」
と言われたが、磯貝さんに見せたら
「いつもと違って、優しい感じのする絵だね」
という感想が返ってきた。
磯貝さんとは、月に一回くらいのペースで会っている。
バイトの入っていない祝日などに、午前中から待ち合わせをして、動物園や植物園などに出かける。
天気の良い日は、その辺の店で昼食を購入し、公園のベンチに座って食べる。
大体いつも、午後の早い時間には解散して、その後は自分の時間を過ごす。
「それってもう、付き合ってるでしょ」
僕が磯貝さんと出かけた話をすると、クラスメイトの望月が鼻息荒く断言した。
二年生に進級した時のクラス替えで、僕と望月は同じクラスになった。
僕の前の席になった望月は、休み時間のたびに振り向いて僕に話しかけてきて、昼休みなども一緒に過ごすうちに、いつの間にか親しくなっていた。
「付き合ってないよ。磯貝さんには彼氏がいるから」
僕が言うと、望月はムンクの『叫び』みたいなポーズをしながら
「何それ、浮気じゃん。クズじゃん。城崎にはガッカリだよ」
と大袈裟に嘆く。
「友達として、一緒に出かけてるだけなんだけど」
「俺が彼氏なら絶対に許さない」
望月の機嫌が悪くなってきたので、僕は話題を変えた。
「そういえば、この前キックボクシング始めるって言ってたけど、ジムとか行ってるの?」
先日、ネットで格闘技の試合を観戦した望月は、突然「俺、キックボクサーになる!」と言い出したのだ。
「ジムの見学には行ったんだけどさぁ、イカつい人ばっかで怖くなっちゃったから、キックボクサーになるのはやめた。将来は旅人になる」
望月は、今日も浮世離れした夢を僕に語る。
「ふーん。どの辺を旅したいの?」
「そんなの、世界中全部に決まってるだろ」
「何しに行くの?」
「うまいもん食ったり、綺麗な女の人と知り合ったりするんだよ」
「……それ、旅人になる必要ある?」
「あるよ! 旅先で食べる飯は、普段より美味しく感じるって言うし、現地に行かなきゃ出会えない相手だっているだろ?」
「だったら僕も旅人になって、和歌山に行こうかな。アドベンチャーワールドってとこに、パンダがたくさんいるらしいんだよね」
「城崎はスケールが小さいなぁ。パンダを見たいなら、中国の山奥に行けよ。野生のやつがいるかもしれないぞ」
「野生のパンダは凶暴そうだから嫌だよ」
このように望月と僕との会話は、どうでもいい内容ばかりだ。
けれども、彼と話す時間はとても楽しい。
梅雨に入る頃、望月と過ごす平穏な日々は突然終わりを告げた。
望月がトラックと衝突したのである。
正確に言うと、坂道を猛スピードで駆け下りていた望月の自転車が、停車中のトラックに突っ込んだのである。
スピードが出過ぎて、ブレーキがきかなかったらしい。
幸いにも、本人の怪我は骨折程度で済んだのだが、トラックのドライバーは車体を傷つけられた上に事故の後処理で足止めをくらい、望月の両親は土下座する勢いで謝罪に赴いたそうだ。
梅雨の晴れ間の休日、僕はバイトが休みになったので、磯貝さんとフリーマーケットへ出かけた。
昼食を終えて、そろそろ解散かなという頃、彼女から
「この後、何か予定ある?」
と聞かれた。
望月の入院している病院が近くにあったので
「友達のお見舞いに行こうと思ってます」
と告げると、磯貝さんは少し残念そうな顔になる。
「そっか」
「どうしたんですか?」
「うーん……うちの彼氏がさ、城崎くんに会いたいって言ってるんだよね」
「僕にですか?」
「そう。先月、一緒に植物園へ行ったじゃない? あの時、知り合いが見てたらしくてさ、彼氏に教えたみたいなんだよね。城崎くんとは友達だって説明したんだけど、イマイチ納得してないみたいで……会えば分かってもらえるかなと思ったんだけど……」
「そういうことなら、会います。嫌な気持ちにさせてるなら、謝りたいですし」
「ホントに? 会ってもらえると助かる。でも、城崎くんが謝る必要はないからね」
「はぁ、まぁその辺は適当に、その場の雰囲気で」
ということで、僕は望月の見舞いを終えた後、磯貝さんの彼氏と会うことになった。
病室を訪れると、望月は情けない顔で
「やらかしちゃったよ」
と呟き、うつむいた。
かける言葉が見つからなかったので、僕はバッグからスケッチブックを取り出し、項垂れる望月の姿を絵に描き始めた。
「……何してんの?」
「珍しく元気がないから、貴重な姿を絵に描いて残しておこうと思って」
望月はしばらくポカンとしていたが、ハッと我に返り
「お前、そういうところだぞ!」
と大声を出しながら、僕のスケッチブックを引ったくる。
「あっ、何すんだよ」
「こっちのセリフだよ! 見舞いに来たくせに、落ち込んでる友達の姿を絵に描こうとするなんて、どうかしてるよ!」
「あー……なんか、ごめん」
「なんだよ、その謝り方! 全然悪いと思ってないだろ!」
「……悪いとは思ってるけど、何がそんなにいけなかったのかは、正直よく分からない」
「もういいよ! 帰れ!」
これ以上ここにいても怒らせるだけだと思ったので、僕は立ち上がって病室を出た。
磯貝さんに連絡を取り、見舞いが終わったことを告げる。
彼氏とお茶をしているところだと言うので、店の場所を教えてもらい、合流することになった。
指定された店に着くと、僕に気付いた磯貝さんが、テラス席の方から大きく手を振る。
彼女の隣には、いかにも「反社です」という雰囲気の男性が座っていた。
内心『怖っ』とビビりつつ近付いていくと、男性がスッと立ち上がり
「高津です」
と言って、僕に椅子を勧めてきた。
「あっ、城崎です」
挨拶しながら座ろうとして、彼の腕にあるタトゥーに目が釘付けになる。
「ワニ」
「え?」
「それ、ワニですよね」
僕は言いながら、半袖シャツの袖口付近に鎮座する獰猛な顔つきをした生物の刺青を指差した。
高津さんは無言で僕の顔を見つめている。
「ワニが好きなら、オーストラリアがおすすめです。ワニのテーマパークがあったり、ワニの肉を使った料理が食べられたりするんで。でも、野生のワニには気を付けて下さいね。食べられちゃいますから」
言いながら、もしワニが嫌いだったらどうしようと少し心配になったが、それならそれで謝ればいいかと思い、話を続ける。
「そういえば熱川にもワニ園あるんで、もしまだ行ったことなければ、ぜひ」
話し終えた僕が席に着くと、高津さんは磯貝さんに向かって
「話に聞いてたとおりの、面白そうな子だな」
と言ってから、僕にメニューを手渡す。
「わざわざ呼び出して悪かったね。ここは俺が出すから、好きなものを頼んでいいよ」
僕は、遠慮なくリコッタチーズのパンケーキとクリームソーダを注文して、再び高津さんの腕に彫られたワニへと目を向けた。