虎と木彫りの熊
僕のアルバイト先は団子屋だ。
地元では有名な老舗で、まぁまぁ繁盛している。
年末年始になると、帰省の手土産にと購入するお客さんが増えるので、普段よりも忙しくなる。
いつもは、パートのおばちゃん達と僕を含めた学生アルバイトが数人、交代でシフトに入っているのだが、繁忙期だけは短期のスタッフが増員される。
先日その短期バイトの一人として、磯貝さんという女子大生が入ってきた。
磯貝さんは非常にクールな性格で、受け答えは常にぶっきらぼうだ。
休憩時間の雑談などには一切参加せず、外へタバコを吸いに行ってしまうか、イヤホンをして音楽を聞いている。
パートのおばちゃん達は「何あの子、感じ悪いわね」と陰口をたたいていたが、僕的には『単独行動を好むところがトラっぽいくてカッコいいなぁ』と思っていたので、磯貝さんと休憩が時間が重なった時に、思い切って話しかけてみた。
「磯貝さん、もしかしてトラにシンパシー感じてます?」
僕の第一声に、磯貝さんは眉をひそめる。
「は? 何?」
「ほら、トラって群れないじゃないですか。そこが磯貝さんと似てるなって思って」
「……トラって群れないんだね。知らなかった」
反応がもらえて嬉しくなった僕は、話を続けた。
「ネコ科の動物って単独行動するらしいですよ。テレビでやってました。あ、ライオンは例外みたいですけど」
磯貝さんは頬杖をつきながら僕の方に顔を向け、話に耳を傾けている。
ふと彼女の手に目をやると、酷く荒れていた。
見られていることに気付いた磯貝さんは、服の袖を引っ張って手を隠し、僕から目を逸らす。
「うち、親が美容院やっててさ。お母さんが一人でやってる小さな店だから、忙しい時は私もシャンプーとか手伝ってるんだよね。それで手が荒れてるの。お母さんは、私よりもっとボロボロだよ」
「磯貝さん、美容師になりたいんですか?」
「昔はなりたかったけど、今は違う。他になりたいものがあるから」
「何になりたいんですか?」
「政治家」
予想外の答えだったので、僕は言葉に詰まってしまった。
「馬鹿みたいでしょ? なれるわけないって、中学の先生にも、高校の先生にも言われた」
「失礼なこと言う先生って、たまにいますよね。僕なんか、定期テストの点数がヤバくて補講受けてたら、部活の顧問から『もう進学は諦めろ』って言われました」
僕の自虐エピソードに、磯貝さんが吹き出す。
「城崎くんって勉強出来そうな見た目してるのに、そうでもないんだね」
「はい。『見た目と違うんだね』って、よくガッカリされます」
おかしそうに声を上げて笑う磯貝さんに、僕はダメ元でお願いをしてみることにした。
「あの、僕……磯貝さんの手を絵に描いてみたいんですけど、描かせてもらってもいいですか?」
「え? 手? 私の?」
間違いなくドン引きされた気がして、僕は無性に恥ずかしくなり
「やっぱ、いいです。忘れて下さい」
と言って、足早に休憩室から立ち去った。
それ以来、磯貝さんとは休憩が重なることもなく、新年が明けて忙しさが落ち着いたところで、彼女を含む短期バイトの人達は、勤務最終日を迎えた。
自分のシフト時間が終わり、着替えて裏口から出ると、自転車置き場の近くで磯貝さんがタバコを吸っていた。
「お疲れ様です」
声をかけ、彼女の前を通り過ぎようとしたところで、ふいに呼び止められた。
「城崎くん、私の手の絵、いつ描く?」
びっくりして立ち止まると、磯貝さんはタバコの火を消し、僕の方へと歩み寄ってくる。
「えっと……じゃあ、今からでもいいですか?」
「いいよ」
突然の申し出に動揺しつつ、僕と磯貝さんは近くのファミレスへ入り、向かい合って座った。
「お礼に何でもおごるんで、好きなもの頼んで下さい」
「じゃあ、ビール。ジョッキで」
「了解です」
僕はビールとドリンクバーを注文して、バッグの中からスケッチブックを取り出した。
手の絵を描くのは久しぶりだった。
最後に描いたのは林くんと伊藤先輩の手で、それ以降は特定のものにこだわることなく、散歩中に心惹かれたものを見つけたら描く、という感じだった。
「城崎くんが描いてる間もビール飲みたいから、右手は動かしていい?」
「もちろんです。左手だけテーブルの上に置いといて下さい」
僕はドリンクバーのコーナーからメロンソーダを取ってくると、早速スケッチブックに絵を描き始めた。
ひび割れてガサガサになった手の甲。
パックリと割れて、赤い切れ目がいくつも入った指先。
ボロボロで痛々しくて、それなのに何故かとても、美しく見える。
磯貝さんのお母さんの手も、きっと同じように美しいのだろう。
夢中で描き終えて顔を上げると、磯貝さんは退屈そうに右手で頬杖をついていた。
ビールのジョッキは、既に空になっている。
「あっ、すみません。ビールのお代わりします?」
「ううん、いらない。もう描き終わったんでしょ?」
「はい、おかげさまで」
「スケッチブック、見せてもらってもいい?」
「どうぞ」
僕が手渡すと、磯貝さんは最初のページから一枚ずつ丁寧に見ていく。
「なんか、迫力ある絵だね」
「迫力ですか?」
「うん。なんかこう、グイグイ迫ってくる感じ」
「……初めて言われました」
「そう? 私の感覚が変なのかな。でも、良い意味だよ。良い意味で、迫力がある。私は好きだな、城崎くんの絵」
「僕の絵を好きだって言ってくれたのは、磯貝さんが二人目です」
「へえ、そうなんだ。じゃあ私、その一人目に言った人とは気が合うかも」
「うーん、それはどうだろう。ライオンっぽい人なんで、トラっぽい磯貝さんと気が合うかどうかは……微妙なところですね」
そう言いながら、僕は林くんの顔を簡単にスケッチして見せた。
それを見た磯貝さんは
「目つきが悪すぎてヤバい」
と言って笑った。
別れ際に連絡先を交換し、僕たちはファミレスの前で解散した。
家に帰ると、林くんから年賀状が届いていた。
消印は一月三日になっている。
僕からは年賀状を出していないのに、どうしてわざわざ新年が明けてから送ってきたのだろう。
しかも、書かれているのは『熊』という一文字だけだ。
今年の干支は寅だというのに、一体どういうことなのか。
謎は深まるばかりである。
気になったので、年賀状のお礼がてら林くんに電話をかけてみることにした。
「あけましておめでとうございます。年賀状ありがとうございました。あの、何で熊って書いたんですか?」
「あー、あれね。シロ宛ての年賀状を書いてた時、机の上に飾ってる木彫りの熊が目に入ったから、なんとなく『熊』って書いてみた」
「……その木彫りの熊って、もしかして浜岡先輩からもらいました?」
「お前よく分かったな! 超能力者かよ! 浜岡がミカちゃんにプレゼントしようとしたら、いらないって言われたんだってさ。落ち込んでたから、俺がもらってやった」
ずいぶんと恩着せがましい言い方である。
「たまには良いことしますね」
「まぁな。ほら、俺って困ってる人を放っておけないタイプじゃん?」
調子に乗ってきてウザかったので
「それじゃ、また」
と言って電話を切った。
改めて年賀状に目を落とす。
華やかな金色に彩られた『熊』の字は、ふんわりと丸みを帯びていて、なんだかやけに可愛らしい。
それを見て
『林くんに引き取られた木彫りの熊は、きっと大切にされているんだろうな』
と思った。