架け橋
神話の話は宗教のようなもので、誰かの悩みや不安に一つまたは複数の気づきや救いを与えるものなのかもしれない。
困っている誰かを導く指針を与えてくれるものだ。
そう考えるなら宗教は全部無償でやるべきだし仕事にしてはいけないのかもしれない。
金銭を支払って救われるなら弁護士に相談した方が現実的でしっかりと解決してくれるだろう。
神話も誰かを楽しませるためのものではなく、大昔の誰かの国を支配する正当性を示すためだったのかもしれない。
でも、その中に教えが組み込まれているならそれだけでも価値はあると思う。
因幡の白兎の話は鳥取県の方が舞台となっているが、彦根市が舞台なのではないかといった学者さんもいたらしい。
真実はわからないし、真実はないかもしれないけどこうだったのかもしれないと空想する事は悪い事でもない。
嘘をついた僕は周りの人の信用や信頼をなくしてしまっていた。
それが心のどこかで僕を追い詰めていたのではないだろうか?
だから、カズのお母さんの本当の話を嘘をつくこともなく話して結果としてカズは転校したしカズのお母さんは離婚されてしまった。これでよかったという人もいたけどあくまで周りの人の意見で当事者のカズやお母さんから話を聞いた人は誰もいない。
今さら言わなければ良かったとは言えないし、戻る事もできない。言葉には重みがある。形も目に見えるわけでもないが確かに存在して人を助けたり傷つけたりする。
何でウサギになった夢を見たのか、なぜ僕を導くように進行したのかはまったくわからないが、一つ言える事は誰しも言葉には力があり誰かに影響を与えるという事だ。
僕は今回の事を胸に刻み、言葉を大事にしようと思う。
考えてから話す事もそうだし、誰かを悲しませない事も大事だし、本当の事を伝える事も大事だ。
人の行動は色んな原因により変化するし、意図しない事が起きる事もある。
だからこそ、罪悪感を感じないような生き方をしなければいけない。そして名前の由来となっている正しく育つ事も大事だ。
嘘をつかない、誰かと誰かを繋げる架け橋のような人になろう。僕という架け橋を誰もが使いたくなる橋になろう。
僕はウサギの夢を見た。
そして僕はウサギのようになりたいと思ったのだった。
ー完ー