アカデミーへ!
壮行会に向けて、城の大広間には大勢の人が集まっていた。
広間中央に王と向かい合うように、ジルベール、ディアナ、マリアージュと僕が並ぶ。そしてその周りを、宰相ほか各省の大臣達が囲み、またその回りを貴族や兵士達が取り囲んでいた。ヘラや僕と入れ替ったラシク、ジュネルは一番奥のドアの所にキャロット婦人と並んで立っている。
僕たちの服装は、アカデミーに行くにあたり、いつも着ている貴族の堅苦しいものでなく、人族が着ているという薄い素材で作られた服を着ていた。
まず、壮行会に向けて、宰相から簡単な説明が行われた。
天降祭は500年に一度行われる大切な行事で、占星術師の占いにより、来年の7月半ばに行われると発表された。
天降祭は魔族の力だけでは行うことは出来ないため、神族の協力が必要となる。だが、神族の国は100年前の戦争でガルボ帝国に滅ぼされてしまった。
戦争時に多くの神族の者は、ガルボ帝国に捕らえられるのを恐れて、世界中に逃げたと聞いている。
ガルボ帝国の目的はわからないが、今も逃げた神族を捕らえるため世界中に暗躍しているという噂が有る。その為、表だって神族の行方を捜すのは避けた方が良いと考えた王や大臣達は、ガルボ帝国を刺激しないように、これからの魔法の国を担う若者である、ジルベールとディアナとマリアージュに社会見学と言う名目で国外調査に行くことを命じた。
予定としては、まず「アカデミー」で人族について学んだ後、シートラス国に渡り、数カ国を経て、最後にガルボ帝国を訪れて帰ってくることになると説明された。
天降祭がどのように行われるかの詳しい説明は無かった。
天降祭の説明に続き、王の壮行の言葉が述べられたが、娘である王女達に大役を任せて申し訳ないと父親度のアピールに徹していて、激励しているのか行かせたくないのかわからない話しが長々と続き、僕はいつものラシクらしくと心がけながらあくびをかみ殺していた。
長い王の話が終わると、周りからの激励の言葉と拍手に送られて部屋を出た。そして、城の奥へと進む。城の奥には石で作られたアーチ状の門が有り、門をくぐると全体が石で作られたトンネルに続いていた。
王と従者達の後についてトンネルのなだらかに下る坂道をしばらく歩くと、地下に降りる階段があった。階段を降りた先は石造りの円形の広間になっていた。広間には五つの扉があった。正面一番奥の扉には「神の国」と書かれていた。
ジルベールが「神の国」と書いた扉について尋ねると「その部屋はもう使えない」と王は言った。王は僕たちを「神の国」と書かれた扉まで案内すると、扉を開けて見せた。部屋の中は爆破したかのように、壁も床も壊されて瓦礫が積み重なっていた。
中を覗いたジルベールは「すごいですね」と驚いた。
「この部屋が使えたら、少しは楽だったのかもしれないが…」と言って、王は「神の国」の扉を閉めた。
そして、改めて「アカデミー」と書かれた扉の前にみんなを案内した。その部屋の中央には魔方陣が描かれていた。
「この地下にある魔方陣は王族の者であれば誰でも使用することが出来る。つまり王族の者以外は使うことが出来ない。だからこの部屋の魔方陣はアカデミーの地下室と繋がってはいるが、王族の者が一緒でないかぎりアカデミーの者が城に来ることは出来ない仕組みになっている。皆は王族だから何かあればアカデミーから戻ってくることが出来る」と王は言った。
「魔方陣の上で行き先を念じれば良いのですか?」とジルベールが尋ねた。
「この部屋はアカデミーとしか繋がっていない」
「わかりました。旅から戻るときもアカデミーからと考えて良いのですか?」
「そうだよ」王はジルベールの質問に、わざわざそんな事を聞くなとばかりに渋い顔をした。
「すみません。帰るときに、もしアカデミーが使えなかった場合はどうするのか、お聞きしたかったのですが…」
「相変わらず、ジルベールは心配性だな。アカデミーが使えなくなることは無い。心配せずに行ってくるが良い」王はジルベールの心配など気にもしていない様子だった。
僕たちは王達が見守る中、魔方陣の中央に立った。僕は王族ではないのでジルベールが手を繋いでくれた。
全員が「アカデミーへ」と呟くと、魔方陣が光り始め、徐々に光は強くなった。目を開けていられないくらい眩しいと感じたとき、軽い浮遊感を感じた。僕たちがアカデミーに旅立った瞬間だった。
少し身体が揺れる感覚がして、眩しさに閉じた瞳の前が暗くなった感じがしたので恐る恐る目を開けてみた。見回すと旅立った部屋と同じような部屋の中にいた。王と従者が消えていたので、アカデミーに着いたと思われた。
ジルベールが「着いたようだ」とみんなに声をかけた。そして扉に近づきドアを開けた。ドアの先はほの暗い電灯に照らされた木の廊下が続いていた。
ジルベールを先頭に廊下を歩き、突き当たりの階段を上る。
「妙に静かだね」とジルベールがディアナとマリアージュに声をかけた。
「そうね。迎えがあっても良いはずなのに、お城から連絡が届いていないのかしら」ディアナは少し不満そうだ。
階段を昇った踊り場に扉が有った。扉を開けると天井が斜めになった部屋の中だった。部屋の中は廊下よりも明るかった。出てきた扉の上の小さな窓から外の明かりが入るようになっていた。
部屋の隅や壁にバケツやホウキやモップ等の掃除道具が置いてあった。どうやらこの部屋は道具置き場になっているらしい。地下からの扉は壁にカモフラージュされていて、よく見ないと扉とは気付かれないようになっていた。
地下の扉から見て斜めになった壁の両側面に扉がそれぞれ付いていた。
アカデミー内部の様子がわからないので、まず学長室を探すことにして右の扉から外に出た。
部屋を出てわかったことだが、この道具部屋は階段の下の空間を利用して作られた部屋で、左右どちらの扉を出ても同じ場所に出るようになっていた。
この階段は中央階段らしく、アカデミーの玄関ロビーが目の前にあった。
僕たちはロビーに立ち、右に行くべきか、左に行くべきか、それとも上に行くべきかと、話し合っていた。
その時、廊下の向こうから男の人が歩いて来るのが見えた。
僕たちは迎えの人かもしれないと思い、その人物が近づくのを待った。
その人は黒い髪にアメジストの瞳の中年の男だった。
僕は彼がフロイ・マクマナラだと思った。
彼は僕たちに気付いて足を止めた。そしてジルベールに「君達はアカデミーの生徒では無いね」と言った。
ジルベールは相手に不信感を与えないように丁寧に話しかけた。
「すみません。学長を訪ねて来たのですが、学長室はどちらでしょう?」
ジルベールの問に、男は少し困った様な顔をした。
「申し訳ないけど、学長は一週間ほど姿が見えないんだよ」
学長が一週間も姿が見えないと聞いてジルベールは驚いた。
ジルベールの様子を見た男は「心配しなくてもいいよ。学長の失踪は今に始まったことでは無いから、みんな『またか』と思っているんだ」と慌てて補足した。
「と、いいますと…」
「学長は無類の蝶の収集家でね、何処かで変わった蝶が見つかったと聞くと、何も言わずに出掛けてしまってね。みんないつもの事だと諦めているよ」
困った人だよと言いながらも笑って教えてくれた。
「そうですか…」
学長が事件とかで失踪したのでは無いことにホッとしたジルベールだったが、学長が留守で有ることは事実なので、学長に会えないことに困ってしまった。
「すみません、名乗るのが遅れてしまいましたが、僕はジルベール、こちらはディアナとマリアージュ、そしてラシクです」
男の人は僕を見て少し驚いた顔をしたが、すぐに表情を戻して「私はフロイ・マクマナラと申します。このアカデミーで世界史を教えています」と名乗った。
やはりこの人が僕の第二のお父さんなんだ。僕の思い描いていた感じの人だったので僕は嬉しくなった。
そんな事を考えていると、ジルベールがフロイに尋ねた。
「マクマナラ先生、学長には秘書の方がいらしたと思うのですが、その方はいらっしゃいますか?」
「学長の秘書ですか?たぶん学長室にいると思いますが…」
「すみません学長室まで案内して頂けますか?」
「良いですけれど、学長はいませんよ」
「僕たちはある目的があって、王の命令でお城から来ました。学長に僕たちが来るという連絡があったはずなのですが、届いていたか確認したいのです」
お城から来たと聞いてフロイは驚いた。
「わかりました学長室まで案内しましょう」
僕たちはフロイに学長室の前まで案内して貰った。
学長室の前でフロイが「では」と言って別れようとしたので、ジルベールは「あとでまたお会いしたいのですが、先生はどちらにいらっしゃいますか」と呼び止めた。
「一階に職員の部屋があります。私はいつもそこに居ます。部屋の前に名前の書いた札があるのですぐわかると思います」フロイはそう言って、僕をチラリと見た。
ジルベールは「ありがとうございます。では、後で伺います」と言ってフロイと別れた。
学長室の扉をノックすると、中から「どうぞ」と返事が聞こえた。
扉を開けて中に入ると、正面に来客用のソファーを挟んで大きな机があった。少し手前の右側に小さな机があり、女性が一人座っていた。そして、部屋中の壁という壁に蝶の標本が飾られていた。
「どなた?」
女性は僕たちを見るなり声をかけた。
蝶の標本に目がいっていたジルベールは、声の主を見た。砂色の髪を後ろで束ねて赤い眼鏡を掛けた若い女性だった。
「すみません、私はジルベールと申します。お城から来ました。私たちがアカデミーを訪れることは、親書で学長に連絡していると聞いています。城からの親書が届いているか確認して頂けますか?」
「お城からの親書ですか?」
女性は立ち上がると、学長の机に行き、机の上の箱の中を調べた。そして、箱の中から一通の封書を取りだした。
「ありました、こちらの封書ですね」秘書はジルベールに封書を見せた。
「そうです、お城の封印が押してあるので間違いないと思います」
「受け取りは…」秘書は封書に押された受付の日付を見た。「まぁ!一週間前の日付ですね。学長が出掛けられた日ですわ。ごめんなさい、学長は親書に気づかずに出掛けたようです」
「そうですか」ジルベールは困ったという顔をして、「開けて頂いても良いですか?」と秘書に親書を開けて見るようにお願いをした。
「学長宛の親書を開けるのですか?」秘書は驚いて、「出来ません」と首を振った。
「開けて確認して頂かないと、アカデミーで私たちが予定していたことが出来なくなります」
ジルベールの困った様子を見て、秘書は少し考えていたが、「申し遅れましたが、私は学長の秘書でウイルスと申します。このアカデミーでは学長が最高責任者です。学長以外は職員と生徒しかいません。私に親書を開ける権限はありません。ですが、貴方たちが何の目的でここにいらしたのか説明していただき、それが私でも対処出来る内容でしたら、学長が戻るまで、学長の代わりに何とか致します」と言った。
「わかりました。私たちは、これから魔法の国を担う若者の代表として、人族の国に行き勉強してくるようにと命令を受けてきました。いままで魔法の国から一度も出たことがないので、人族の国に行く前に、アカデミーで人族についての生活や文化等を一通り学んでから出発するようにと言われています。その親書には、私たちが、アカデミーに一週間ほど滞在して人族について学べるように手配をお願いしたい旨の事が書いてあると聞いています」
「なるほど、わかりました。では、まず宿泊に関しては、寮をお使いください。生活や文化は…、先生方と相談しなければお答えできませんので、まずは寮に案内いたしましょう」ウイルスはそう言うと、付いてくるようにと部屋を出て行った。
寮は学園の東側の別棟にあった。
同じ棟の中を二分して男子寮と女子寮に別れていた。食堂は合同になっていると説明を受けた。
ウイルスは寮の食堂で数名の学生と話していた寮母を見つけると声を掛けた。
寮母は学生と別れてウイルスのもとにやってきた。学生達は遠巻きにして、僕たちを珍しそうに見てた。
ウイルスから事情を聞いた寮母は「先日卒業した生徒の部屋が空いていますよ」と男子寮と女子寮の部屋をそれぞれ用意してくれた。
夕食時間に食堂で会うことを約束して、ジルベールと僕、ディアナとマリアージュに別れてそれぞれの部屋に落ち着いた。
寮はもともと二人部屋らしく、二段ベッドとベッドの両サイドに細めのクローゼット、窓があって、ベッドと反対の壁際に机が二つ並んでいた。机の横に扉が有ったので覗いてみると小さなシャワールームになっていた。ちなみに大浴場はそれぞれの区画に有るらしい。
少し休憩してから、ジルベールは「マクマナラ先生に会いに行こう」と僕を誘い部屋を出た。
本館一階の職員のフロアーはすぐに見つかった。部屋の名前を見て「マクマナラ」と書かれたドアをノックした。部屋の中から「どうぞ」という返事が聞こえたので、ジルベールと僕は中に入った。
職員用の部屋の中は狭く、扉を開けると1メートルくらい先の左側に壁に向かって机が有り、椅子にフロイ・マクマナラが座って僕たちを見ていた。机の前の壁には大きな世界地図が貼られている。机の先にはポットの乗った棚があり、入り口の反対側、僕たちの正面には窓があった。フロイの座っている背後の壁には本棚と小さな木の椅子が二つ置いてある。
「お時間を取って頂いてすみません」とジルベールが言った。
「かまいませんよ。秘書との話はうまくいきましたか?」
フロイは立ち上がると、僕たちに椅子に座るように言って、机の横の棚からカップを出してお茶を入れてくれた。
ジルベールは「ありがとうございます。秘書の方とお話しして、一週間ほどこちらのアカデミーにお世話になることになりました」と礼を言った。
「それは、良かったですね」とフロイは笑顔になり、僕たちにお茶の入ったカップを差し出した。
ジルベールはカップを受け取ると、フロイに断って、カップを机の上に置いた。
そして、「すみません、マクマナラ先生にお願いがあります」と言って僕をフロイの前に押し出して、「彼はヘラの息子でクラシスと言います。あなたの息子でもあります。でも、少々事情があって、今はラシクと名乗っています。もし、城からクラシスと名乗るホワイトゴールドの髪でアメジストの瞳の女の子がきたら、その時はその娘も自分の子供だと言って頂けませんか?詳しいことはお話出来ませんが、お城の者達はその娘がヘラのむすめのクラシスと思っています。そしてラシクがエルゼの子で二人は兄妹ではないか?という噂になっています。マクマナラ先生は不快に思われるかもしれませんが、その噂を肯定して頂きたいのです」とジルベールは僕とラシクについての城での噂話しを本当のことだと思わせるようお願いした。
フロイ・マクマナラは、ジルベールの話に何か有ると感じたようで、とくに詮索はせずに「わかった」とその話しを受け入れた。
「しかし、クラシス、いまはラシクだったね。ずいぶんと大きくなったね」
フロイ・マクマナラは目を細めて嬉しそうに僕を見つめた。僕はお父さんってこんな風に見るんだと思ったら、嬉しいような恥ずかしいようなこそばゆい気持ちになった。
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、「今日はクラシスはお父さんと一緒に過ごしたら良いよ」とジルベールは言った。それには僕もフロイも驚いた。
「久しぶりというか、初めてだろう?クラシスはお父さんを知らないで育ったから、お父さんがどんな存在か知る良い機会だと思うよ」とジルベールはちょっと片目をつむって笑った。
「でも、その前に、マクマナラ先生に教えて頂きたいことがあります」
ジルベールは真面目な顔で壁の地図を指さした。
「これは現在の世界地図ですか?」
「そうだが…?」
「ガルボ帝国は何処ですか?」
壁の世界地図にはガルボ帝国と言う国名が無かった。
「ガルボ帝国は、ガージナル連邦国家に変わっているよ。連邦国家の首都シンガルボ。ここが元のガルボ帝国であり、連邦国家の中枢だ」
フロイの指さすガージナル連邦国家は地図上の四分の一程を占める大きな国だった。
フロイの説明によると、ガルボ帝国は王政の軍事独裁国家だった。独裁国家を大きくするために、近隣諸国を軍事力で制圧してきたが、そのうち、軍事力で制圧されることに反発する勢力が出てきた。そして、各地で反乱が起きた。反乱を押さえるのに軍事力だけの強圧的な国家統率が難しくなったガルボ帝国は、個々の独立を認める代わりに連邦国家を作った。連邦国家の中枢に自分たちの意になる者を送り込み、表面的には独立国家の集まりの様に見えるが、実際は一部のガルボ帝国出身者が国を動かしている。個々の国の自由を認める様に振る舞うことで、シートラス連合共和国と対立していると言うことだった。
「では、今の世界は、ガージナル連邦国家とシートラス連合国共和国に二分されているのですか?」
ジルベールは驚いた。
「そうとは限らないよ。ガージナルや、シートラスの規模ではないけれど、連邦共和国は他にもあるし、単独の国も沢山有る。それらはだいたい中立の立場を取っているよ。ガージナル連邦国家が約五十ヶ国の集まりで、シートラス連合共和国も同じく約五十ヶ国の集まりで半々だね。そして中立国が百ヶ国以上、この世界には大小合わせて百数十の国がある。魔法の国は今のところ、そのどれにも属してないけれど、いずれどれかに属する事になると思う」フロイ・マクマナラは思案深げに呟いた。
「それはどういうことですか?」
「神の国が滅びたように、魔法の国も無くなるかもしれないと言うことだよ」
フロイの話しに僕らは驚いた。
「人族の科学の発展は恐ろしく早い、神の国が人族の科学に破れたように、魔法の国も神の国と同じ運命をたどるのかもしれない」フロイの言葉に、ジルベールが尋ねた。
「人族の科学ですか?」
「そうだ、神族も魔族も寿命が長い分変化を好まないが、科学の発達した人族は戦いと変化を好む」
「神の国の様に戦争が起こると思われるのですか?」
「そうとは言い切れないけれど、100年前にガルボ帝国が神の国に戦争を仕掛けた状況と、ガージナル連邦国家の中枢、シンガルボの最近の動きがよく似ているから、もしかすると…と考えている」
「たとえば…」
「ガージナル連邦国家が魔法の国に使節を送ってきたら、それが始まりになると思う」
ジルベールはフロイの話しに驚いたようだった。
「僕たちの国には学校という制度がありません。各家庭で個別に教育を受けるのですが、それでもずいぶんと大人になってからです。僕の年齢でも興味のあること以外は学んでいないのです。僕は大人達が話していた世界が真実だと思っていました。いまマクマナラ先生のお話を聞くまで世界がこんなにも変わっているとは知りませんでした」そう話してから、ジルベールは考え込んでしまった。
フロイと僕は眉間にしわを寄せて考え込むジルベールをしばらく見ていた。
僕たちが見ているのに気が付いたジルベールは、「ハハハハ、突然の話しに驚いてしまいました。すみません」と笑って誤魔化すと、「クラシス、僕は寮の部屋に戻るから、君はお父さんと一緒にいると良いよ。後で食堂で会おう」と言って部屋を出て行った。
フロイはジルベールが出て行くのを見送ってから、「クラシス、私の部屋に行こうか」と僕を誘って、別棟にあるフロイの私室に案内してくれた。
フロイの部屋は寮棟と反対の西棟の三階にあった。小さな台所とお風呂が付いた居間と寝室だけの部屋だった。
「食事は寮の食堂に行くんだよ」
フロイは部屋の中を案内して、居間に落ち着くとそう言った。
二人でソファーに掛けて、何となく黙ってしまった時、僕は「お・と・う・さ・ん」と躊躇いながら呼んでみた。
するとフロイは驚きながらも満面の笑みを浮かべて「クラシス」と言って、僕を抱きしめた。
そして「嬉しいよ、君に会えると思わなかった」と言った。
「どうして?」と僕はフロイに尋ねた。
フロイは、僕を抱いていた手をほどいて、今度は顔を見て言った。
「君は覚えていないだろうけど、君が生まれて二年ほど経った頃、ヘラのお父さんが君を連れて会いに来たんだ」
「お爺様が…?」
「私が浮気をしたと、ヘラが怒って私との結婚を止めた後に、君がお腹にいると分ったと教えてくれた。ヘラは浮気者とは二度と会わないと言っていると聞いたよ」
フロイは「浮気はしていないのに…」と小さな声で否定していた。
「ヘラらしい」僕は先日のヘラの顔を思い出した。今でも怒っていると言ったらフロイは悲しむだろうな…と思った。
「君を見て一目で私の子供と分ったよ」
「どうして?似ているから?」
「いやそうじゃない、私の家系は、男でも女でも第一子は、必ず黒い髪にアメジストの瞳で生まれるんだ」
「黒い髪に、アメジストの瞳で生まれる…?」
僕の本当のお父さんは、金髪で青い目をしていた。ヘラは赤い髪、お爺さまは銀色、お婆さまは金髪…。本当のお父さんイリアスの両親はわからない…。
「今はもう無くなってしまったけれど、250年ほど前にアステリア王国と言う国があったんだ。私のずいぶん前の先祖のお婆さんがアステリア王国の第二王女だったらしい。その頃、アステリア王国は隣国のガルボ帝国に滅ぼされたんだけれど、先祖のお婆さんは当時5歳で、末っ子だったので、多くのアステリア人と同じ金髪に青い目の色をしていたらしい。それで市井の子供に紛れて、樽の中に入って神の国に逃げたと聞いている。先祖のお婆さんのお姉さんで第一王女は黒い髪でアメジストの瞳のとても綺麗な人だったらしい。お姉さんは、神の国の第二王子と恋仲だったらしいけれど、見つかれば捕まる事が分っていたので、城がガルボ帝国に攻め込まれたとき自害したそうだ。先祖のお婆さんはお姉さんが亡くなる前に、神の国の第二王子に渡して欲しいと手紙を預かったそうだ。だけど、お婆さんは神の国に着いたとき、王女の侍女をしていた女性が自分の子供として引き取って、神の国からシートラス国に連れて逃げてくれたので、神の国で第二王子に会うことが出来なかったそうだ。その後、シートラス国で大人になり結婚をして子供が生まれたが、アステリア王家の血筋は消えず、先祖のお婆さんの第一子は黒い髪にアメジストの瞳で生まれた。孫も曽孫も同じだった。今でこそ、街中を歩いても気にならないが、昔はガルボ帝国に見つからないように、息を潜めて暮らしていたらしい。だから、君を見たとき、私の子だとすぐ分ったんだよ。今は大丈夫と思うけれど、ガージナル連邦国家を旅するときは、アステリア王家の家系だと知られないように、くれぐれも油断しないように気を付けて欲しい」
僕はずいぶん昔に滅ぼされたアステリア王国の系列を、未だにガルボ帝国が狙っているとは思わなかったが、フロイお父さんの忠告は守ろうと思った。
フロイは棚の引き出しから少し厚めの封筒を持ってくると、僕に「これは先祖のお婆さんが姉の第一王女から預かった手紙だ。もし、旅先で神族の第二王子に会うことがあったらこの手紙を渡して欲しい。厚くなっているのは、中の手紙が破れないように、封筒が古くなる度に新しい封筒に重ねて入れたからなんだ。私が持っているより、これからシートラス連合共和国に行く君に持っていて欲しい。そして、第二王子に会うことが出来たら、アステリア王国のイリア王女から預かったと言って渡して欲しい」
「イリア王女?」
「先祖の婆さんのお姉さんの第一王女の名前だ」
「わかった」
僕は手紙をズボンの二重ポケットの内側に入れた。
その頃、魔法の国クラウディア王国では、とんでもない事が起きていた。
遡ること数時間前、ジルベール達がアカデミーに旅立って1時間ほど経った頃。
ラシクは、数日前に魔法の練習のためにクラシスが宿泊していた部屋にいた。
ジュネルが今日はクラシスと一緒に居たいと言ったので、お城に泊まることになったのだ。
部屋の中には、ラシクとジュネルとヘラの三人が居た。
ヘラは泊まる予定はなく、ジュネルに呼ばれたので、馬車の用意が出来るまでの間、ジュネルの相手をしていた。
「ねえ、ヘラは美容専門の魔法を使うと聞いていますが、本当ですか?」
ジュネルが意味ありげに、恐る恐る聞く。
「本当よ」ヘラが素っ気なく答えたので、ジュネルは少しビクリとした。
「どうしたの?ジュネル?」ラシクがジュネルの不可解な様子を見て尋ねた。
「クラシスは気にならないの?」ジュネルが小さな声で囁く。
「何を…?」
「私たちって、他の姉妹と比べたら胸が寂しいと思わない?」
ジュネルの囁くように話す声が聞こえたヘラは「ブッ」と吹き出した。
「ジュネル王女は胸を大きくしたいのですか?」笑いを押し殺すようにヘラが聞いた。
「うっ!」とジュネルが真っ赤になって頷いた。
「だって、ディアナやマリアージュと同じくらいでないと…」
「そうですか?私には彼女たちの胸は大きすぎる気がしますけどね」
「でも…」
まだ、何か言いかけてモジモジしているジュネルに「いいでしょう。あまり大きくするのはおすすめしないけれど、もう少し大きい方がドレスを着たときに見た目は良いから、大きくしてあげましょう」とヘラが言った。
「良いんですか?」
「良いですよ。ついでにクラシスも少し大きくしましょうね」
「えっ、僕も…」急に話しを振られたラシクは驚いた。
「あなたの胸ももう少し大きくした方が私は良いと思うのよ」とヘラは二人を前に立たせると呪文をかけた。二人の胸はドレスの下で少し大きくなった。
「ありがとう、ヘラ!」喜ぶジュネルの横で、ラシクは困った顔をしていた。
「ねえ、クラシス、今からディアナとマリアージュに会いにアカデミーに行かない?」
ジュネルはよほど嬉しかったのか、アカデミーのディアナ達に胸を見せたいと言った。
ラシクはクラシスの事を思うととても素直に喜べなかった。
「いいんじゃない。ジルベールも喜ぶと思うわ」とヘラはラシクの様子を見てニヤニヤ笑いながら、ジュネルの提案の後押しをしていた。
その時、ドアにノックの音がして、キャロット婦人が現れた。
「ヘラ様、馬車の準備が出来ました」
「あら、ありがとう」ヘラはラシクとジュネルにウインクすると、部屋を出て行った。
二人はヘラの後に付いて部屋を出た。
キャロット婦人が二人を見て何か言いかけたが、その前にジュネルが「ヘラのお見送りをするのよ」と言った。
キャロット婦人は「仕方ないですね。棟の出口までですよ」と二人の後ろから付いてきた。
馬車は棟の出口のところで待っていた。
二人は馬車が去って行くのを見送った。
「さあ、お部屋に戻りましょう」とキャロット婦人が声を掛けたとき、お城の上で大きな音がした。そして、プロペラの付いた大きな物体がお城の前の広場に降りてきた。
驚いたキャロット婦人は二人に急いで部屋に戻るように言って、お城の中央棟に向かって走って行った。
ジュネルとラシクは、部屋に戻らずに物陰からその物体を見ていた。
その物体は、クラシスやジュネルを見張っていた偵察機を大きくした物の様に見えた。
物体の中から三人の人物が降りてきた。
「我々は、ガージナル連邦国家から来た使節です。王にお会いしたい」
降りてきた人物の一人が叫んだ。
城の中から役人が出てきて、ガージナル連邦国家の人達を迎えた。彼らは城の大広間に案内された。
物陰からその様子を見ていた、ジュネルとラシクも大広間に向かった。そして、バタバタと動いている兵士や役人の隙を見て広間の奥の暗がりに隠れた。
王が大臣を伴って広間に現れた。
「ガージナル連邦国家の方々、事前の連絡もなく突然の来訪とは、どうしたことでしょう?」
外交省の大臣が王に代わり尋ねた。
「我々は、貴国と同盟を結ぶために、わが国の王より親書を預かってきました」
「わが国と、同盟?」
「そうです。我がガージナル連邦国家は元はガルボ帝国が治めていた国の集まりです。貴国も我が連邦の一員となることを勧めにまいりました」
「属国になれと言われるのですか」
「この申し出を受けられない場合は戦力をも辞さないと我が王は申しております」
「少し考える時間を頂きたいのですが…」
「よろしいでしょう。考えて頂く間、貴国がおかしな事を考えないよう、貴国の第二王女のジュネル殿と次期国王の妃となるクラシス嬢を預からせて頂きたいと、王が申しております」
「ジュネル王女と、クラシス嬢ですか?」
物陰で話しの成り行きを聞いていた二人は驚いた。
「なあに、返事を頂くのに一週間お待ちいたしますので、その間の人質と思ってください」
その話しを聞いた王は、ドアの近くに居たキャロット婦人に目を止めると、近くの従者に二人を逃がすよう、キャロット婦人に伝えるように指示した。
使節の者達はそれを見逃さなかった。キャロット婦人を捕まえると、二人の元へ案内するよう強要した。驚いた王や大臣が使節の者を囲んだ。その時、バンと言う音がして、誰かが倒れた。
「大臣!」と叫ぶ声が聞こえた。
各扉から兵が飛び出してきた。
ジュネルとラシクは見つからないように兵が開けた奥の扉から逃げた。
奥の扉の先には石のアーチがあった。石のアーチを通りトンネルに入った。そして円形の部屋に出た。
「ジュネル王女、あの扉に「アカデミー」とあります」ラシクは「アカデミー」と書かれた扉に向かった。しかし、ジュネルは立ち止まり少し首を傾げて「その扉じゃないわ」と言って、別の扉を開けて中に入った。
「クラシスも早く来て」ジュネルが呼ぶので、戸惑いながらもラシクはジュネルの側に行った。
部屋の扉を閉めて、ジュネルはラシクの手を引いて、魔方陣の中央に立ち「アカデミーへ」と呟いた。まばゆい光が二人を包むと、二人の姿は消えていた。
ラシクが目を開けると、ジュネルが「アカデミーはここよ」と言って、扉を開けて外を確かめた。薄暗い電気の廊下に出ると、「追っ手が来ると面倒だわ」とジュネルは部屋の中を魔法で壊してしまった。
ラシクはジュネルの後を付いて廊下を進み、階段を上り狭い部屋に出た。その部屋を出ると明るいロビーに出た。
「さて、伯父様の部屋は何処だったかしら?」ジュネルはそう言いながら、階段を上り学長室の前に着いた。
「ジュネル王女はここに来たことがあるのですか?」
ラシクが不思議に思っていたことを、ジュネルに尋ねる。
「クラシスと魔法の勉強を始める前に、どうしても魔法が使えなかったら、アカデミーに行こうと思って、一回だけ来たことがあるの」とジュネルは教えてくれた。
だから、「アカデミー」の扉が違う事に気が付いたのよとも言った。
ジュネルは学長室のドアをノックした。
中から「どうぞ」と声が聞こえた。
「おじさま、また来ちゃいました」とジュネルがドアを開けて言った。
「まあ、王女様。お久しぶりです。あいにく学長は出掛けているんですよ」と秘書のウイルスはジュネルの顔を見て申し訳なさそうに言った。
「また、蝶々?」部屋の中を見回してジュネルが尋ねる。
「そうなんです。王女様からも、注意して頂けますか?」
「うーん、わたくしが言っても、たぶんダメよ。ジルベール様なら別だけど」
「ジルベール様?ですか」聞き覚えのある名前にウイルスは驚いた。
「今日来たでしょう?」
「ええ、四人いらっしゃいましたけれど…」秘書が不可解な顔をしたので、ジュネルはどうしたの?とウイルスを見た。
「ジルベール様は次期国王なのよ。あと、私の姉妹のディアナとマリアージュ、従者のラシク」とジュネルはジルベール達の説明をした。
ウイルスはますます驚いて「あの方達は、王族の方でしたの?」とジュネルに尋ねた。
「そうだけど…」
ウイルスの驚きように、今度はジュネルが不思議な顔をした。
「私は何も知らなかったので、一般の生徒の寮に案内してしまいました」
オロオロとウイルスが頭を抱えた。
「良いんじゃない。ジルベール様もディアナもマリアージュも気にしてないと思うわ。私たちも同じところに泊めて頂けるかしら」
ジュネルはウイルスにそう言って、ラシクを紹介した。
「彼女はクラシスよ。わたくしのお友達なの」
「同じ寮でよろしいのですか?」
「みんなと同じでいいわ」
「わかりました、では、ご案内します」ウイルスはそう言って、ジュネルとクラシスを寮に案内した。
寮ではちょうど夕食時で、みんなが食堂に集まっていた。
僕もフロイと一緒に食堂に行き、ジルベール達と合流していた。
そこにジュネルとラシクを案内してウイルスが現れた。
「ジュネル!」最初にディアナがジュネルに気が付いた。
「ディアナ!マリアージュ!会えて良かった」
ジュネルは二人の元に走って行った。
他の学生達が一斉に彼女たちを見た。
生徒の注目を一斉に浴びてしまった形になったのを見て、ウイルスが慌てて言った。
「みなさん、お食事中にすみません。こちらの方々は、今年の入学生ではありませんが、一週間ほどアカデミーに体験入学に来られました。皆さん仲良くしてくださいね」
生徒が一斉に「ワーッ!」と歓声をあげた。
ウイルスの機転で、ジルベール達は体験入学生としてアカデミーに来たことになった。
ジルベールはウイルスに礼を言うと、ジュネルとラシクを僕たちのテーブルに座らせた。
生徒達が見ているので、とりあえず食事を続けることにした。
食堂はバイキング形式だったので、ジュネルもラシクもお皿を持って料理を取りに行った。
ウイルスはと言うと、寮母を捜して部屋の用意を依頼していた。
食事の後、生徒達がそれぞれの部屋に行き、食堂にはフロイとジルベールと僕たちだけになった。
「で、何があったの?」とジルベールはジュネルに尋ねた。
ジュネルは、この場に居る者に聞き取れるくらいの小さな声で、胸の話しを除いて、アカデミーに来た経緯を話した。
「ガージナル連邦国家の使節が現れたって!」思わず叫びそうなのを押さえて、ジルベールは小声で尋ねた。
「ええ、そのガー何とかと言う国が同盟を結ばないかと言いながら、わたくしとクラシスを人質に差し出せと言ったのよ」
「それで逃げてきたのね」とディアナ。
「ええ、でも、おかしいの?」少し首を傾げてジュネルが続ける。
「何が…」
「アカデミーの扉が他の扉と変えられていたのよ」
「アカデミーの扉が…?」
「わたくし、前に一度、アカデミーを見学するために、みんなの目を盗んであの部屋を通ってここに来たことがあるの。だから、「アカデミー」の部屋は知っていたのよ。だけど今日は違う部屋が「アカデミー」になっていたの」
「おかしいな、僕たちが来るときは「アカデミー」となっていたよ」
「それで、ここに着いたとき、追っ手が来ないようにと部屋を壊しておいたわ。だから追っ手は来ないと思う」
最後にジュネルが言った言葉を聞いて、ラシクを除いて、みんなが一斉に「えーっ!」と声をあげて驚いた。
「えっ、どうして驚くの?」
ジュネルの問に、ジルベールはなんとも言えない顔をしていたが、「二人が無事で良かった。今日はいろいろあったから、とりあえず部屋に行って休むことにしよう」とその場を納めて、それぞれの部屋に帰るようにと言った。
僕たちはジルベールの言葉に従い解散した。
部屋に戻っていく王女達とラシクを見て、僕はジルベールに聞いた。
「ラシクも王女達と一緒に行っているけれど良いの?」
ジルベールはちょっと驚いた顔をして僕を見た。そして「ラシクは元々女性だから大丈夫だよ」と言ったので、今度は僕が驚いた。
みんなを見送った後、ジルベールはフロイに「マクマナラ先生、少し先生のお部屋でお話ししても良いですか?」と尋ねた。
フロイは、良いよと頷くと、僕とジルベールを連れて食堂を出た。