いざ!王城へ
館に帰るとすぐにヘラから魔法をといてもらい、翌日の準備に取りかかった。
「何か考えがあるのか?」
ハイドが聞いてきた。
「特に無い。でも、あの子に魔力が有るのは事実だから、10日間で少しでも顕在することができれば何とかなると思う」
僕はお爺さまから貰った『初めての魔法』というノートを取り出した。
「ほう、それを使うのか」
ハイドが感心してノートを見た。
『初めての魔法』には魔法を使うための基本が書いてある。お爺さまはジルベールのためにこのノートを作ったそうだ。魔力の無い僕には必要のないものだったが、僕に魔力を引継ぐことを決めてから、自分が亡き後これを読んで魔法の練習をして欲しいと、ジルベールに渡したものと同じものを作って僕に残した。
「ジュネル王女の魔法が何故発動しないのかわからない以上、基本から入るしかないからね」
「そうだな」
僕とハイドが明日からのことを相談していると、ノックの音がしてヘラが入ってきた。
「クラシス、あんたお爺さまから頂いた魔石持っていたわよね」
「持ってるけど」
ヘラがホッとした顔をした。
「魔石をどうするの?」
「私の魔力では10日間あんたを女の子に見せかけるのに不安があるのよ」
なるほどと僕は思った。ヘラは魔法が使えるようになったけれど魔力はそれほど強くない、魔力を補うために魔石の力を借りるつもりのようだ。そういえばヘラが美容相談で魔法を使う時は相手の持っている魔石を利用していると聞いたことがある。
僕はお爺さまから紫水晶の魔石を貰っていた。
書棚の隅に置いている魔石の箱を取ろうと手を伸ばした。その時魔石の入っている箱の横にある箱に目がいった。僕はその中に裏の林で拾った石を入れていたのを思い出した。ペンダントにしてヘラに渡そうと思ってそのままにしていたのだ。僕はその箱を手に取りヘラに渡した。
「裏の林で拾った物だけど」
ヘラは怪訝な顔で受け取って蓋を開けた。
箱の中には紅く透明な石が入っていた。
「わぁ!綺麗な石」
ヘラは嬉しそうに箱から石を取り出して明かりに透かした。
「綺麗だろう。夕日を浴びてキラキラ輝いていたんだ。ヘラに似合うと思って拾ってきた。誕生日までにペンダントにして渡そうと思っていたけど・・・」とついさっきまで忘れていたことをさりげなく濁した。
「ありがとう、クラシス。嬉しいわ!これって魔石かしら?何となく力を感じるわ」
手のひらにのせて石を見ていたヘラはその石の魔力を感じたようだった。
「たぶん魔石だと思う」
僕はその石がとても純度の高い魔石で、ヘラの魔力を補ってもお釣りが来るくらいの代物だと確信していた。
「明日の朝、これを使ってクラシスを女の子にしてみるわ。楽しみだわ」
ヘラは自分の魔石を手に入れたことをとても喜んでいた。
黙っていたら魔石に見入って部屋を出て行きそうも無かった。
「今から10日分のスケジュールを組むつもりだから、ヘラは僕の邪魔をしないでね」
僕は紅い石から目を離すことが出来ないヘラを部屋から追い出した。
ヘラが出て行った後、またハイドとお爺さまのノートを見ながら、どうすればジュネルの魔力を引き出すことが出来るか考えた。しかし、一晩考えても答えは見つからなかった。
「大丈夫か?クラシス」
睡眠不足で半分寝ている僕を見てハイドが心配した。
「当って砕けろ!だよ。10日目に指先から一滴の水が出るだけで良しと思うことにした」
僕はそうハイドに答えながら部屋を出た。
下の階ではヘラも寝不足らしく、お互い眠そうな顔をしていた。
「おはよう、ヘラ」
「おはよう、クラシス。ひどい顔してるわね」
「お互い様だろう」
僕はあくびをしながら椅子に座った。
「夕べは嬉しくて眠れなかったのよ」
ヘラはまだ赤い石を手に持っていた。
「そんなに嬉しかったの?」
「ええ、私は魔力が無かったから、お父様から魔石は頂けなかったの。お姉様は魔石を
頂いていたのに・・・。魔法が使えるようになってもお父様は私に魔石をくださらなかったわ。だから自分の魔石が持ちたいとずっと思っていたの。クラシスからこの石を貰えてほんとうに嬉しいのよ」
ヘラは石に頬ずりをした。
僕は喜ぶヘラの顔を見て嬉しくなった。しかし、
「さあ、朝食が終わったら、また魔法を掛けるわよ」
張り切るヘラの声を聞いて、再び僕の心は沈んでいった。
ヘラは僕に与えられた任務が成功しなかった場合のことを全然考えていなかった。成功しなかったら、ジュネルはトール伯爵の元に嫁ぐことになり、僕は・・・どうなるのだろう?全力は尽くすけど、結果はジュネル次第なので不安しかなかった。
朝食の後、ヘラの魔石は想像以上の威力を発動した。
「ステキ!思い描いたとおりに出来るわ」
「この格好でまた10日間いなければならないなんて・・・」
僕はヘラの歓喜を横目にますます暗くなった。
暗い気持ちを引きずりながら馬車に乗る。
王城の手前で一台の馬車に追い越された。
「あれはトール伯爵家の馬車だわ」
馬車に刻印された紋章を見ながらヘラが言った。
「侯爵家の馬車を追い抜くだなんて失礼ね」
ヘラは怒ったけれど、この馬車はレンタルで紋章が付いていない、外から見たら誰が乗ってるかなんてわからない。
僕の家は名前だけは立派だけれど、お爺さまが亡くなってヘラが家を継いでからは魔法の使えない名門と陰口を言われて誰も相手をしてくれなくなっていた。お爺さまの資産もヘラの姉が多くを継いで、ヘラには辺境の屋敷だけが与えられた。屋敷を維持する費用を考えると、ヘラの収入では紋章付きの馬車を持つゆとりは無かった。
「クラシス、あんたお城で名を上げてお金持ちになるのよ!」
変なところでヘラが対抗心を出している。お城で名を上げるってこのまま魔女でいろってことか?冗談じゃない!
そんなことを考えているとお城に着いた。
さあ、1日目の始まりだ。
僕は両頬をパンと叩いて馬車を降りた。
案内されて城内の広間に入ると、先客がいて王に何か言っていた。
「トール伯爵だわ」
ヘラが呟いた。
僕はトール伯爵を見るのは初めてだった。
伯爵は背の高い痩せた男で灰色の髪をしていた。頬がこけて目が窪み陰気な顔をしている。
トール伯爵の目線の先には王とジュネルが立っていた。
「王様、約束が違うじゃないですか!」
そう言いながらトール伯爵は王にズカズカと近づいていく。
「まぁ、まぁ、トール伯爵。一応ジュネルの要望も聞かないといけないので・・・」
王は伯爵の迫力にタジタジと後ろに下がった。ジュネルは王の後ろに隠れて怖々と伯爵を見ている。
「おお、ジュネル王女、私は怖がらせるつもりはないのですよ」
トール伯爵は王の後ろに隠れるジュネルを見て、猫なで声で話しかけた。
「ジュネル王女様のお話もわかります。良いでしょう10日間待ちましょう。それで魔法が使えなければ私のところに来て頂けますね。約束ですよ」
トール伯爵は笑顔には見えない笑顔を見せてジュネルに手を差し出した。
ジュネルは王の後ろから手だけを差し出した。
トール伯爵がジュネルの手に触れたとき黒い物がジュネルの手に巻き付くのが見えた。
ジュネルと約束をしたトール伯爵は満足したらしく、王に挨拶をして振り向いた。
僕と目が合った。
「おお、君はヴォルテハイム侯爵家のクラシス嬢ではないですか」
トール伯爵は大股で僕に近づいてきた。
「今回はジュネル王女と一緒に魔法のお勉強をされるとか」
僕はスカートの脇を手で持って膝を折る挨拶をしてトール伯爵を交わそうと思ったが、おもむろに手を取られてしまった。
「四年前よりずっと女性らしくお綺麗になられましたな」
クソッ、この親爺四年前のあの取り巻きの伯父様達の一人だったらしい。
握手をして離れた後、僕の手のひらに黒い紋様が残っていた。
「ほう、魔法封じの紋だ」
ハイドが囁いた。
トール伯爵は僕に「それでは失礼」と背筋がぞっとするような微笑み?を投げかけると広間から出て行った。
僕の横にいたヘラは無視されたと憤慨した。
トール伯爵が帰ると、王とジュネルは僕たちのところにやってきた。
「やあ、クラシス。変なところを見せてしまったね」
「クラシス様、お会いしたかったですわ」
握手を求める王女の手にもあの黒い紋様が記されていた。
僕はなるほどと思った。ジュネルの魔法が発動しないのは、トール伯爵の魔法封じの呪文を掛けられているからかもしれない。もしそうであれば呪文を解くことが出来れば魔法が使えるようになるかもしれない。初日にして良い収穫が得られた。嫌な親爺だが来てくれてありがとうトール伯爵だ。
「ジュネル王女様、今日から宜しくお願い致します」
僕は恭しく挨拶をした。
「堅苦しい挨拶はよして。ジュネルと呼んで下さいな」
ジュネルはかわいく微笑んだ。
「そうだぞ。今日から10日間、クラシスはジュネルの先生となるのだから遠慮しなくてもいいぞ」
いつの間にか王は僕の手を取ってなで回していた。
慌てて手を引き抜いて、引きつった顔で王に挨拶をした。
「一生懸命頑張らせて頂きます」
王がまた手を伸ばしてきたのを、ヘラが引き取った。
「クラシス、今日からのお城でのことはキャロット婦人に任せているの。一緒にお部屋にまいりましょう」
ジュネルは広間の隅に僕を案内して、入り口の近くに立っていたキャロット婦人を紹介してくれた。
キャロット婦人は短めのウエーブのかかった白髪の似合う少し小太りの優しそうな人だった。
「初めまして、キャロット婦人、今日からしばらくお世話になります」
「こちらこそ、ジュネル王女が魔法を使えるよう、宜しくお願いしますね」
「はい、努力致します」
僕は当たり障りのない返事をした。
キャロット婦人は部屋に案内するために広間を出た。
王女達が暮らす別棟は城の西にあった。
迷路のような通路を歩いていると、前方からジルベールと二人の王女が連れ立って現れた。
「やあ、クラシス。今日からだね」
爽やかな笑顔でジルベールが声を掛けてきた。
「まあ、クラシス様、お久しぶりですわ。私たちも楽しみにしていましたのよ」
第一王女のディアナと第三王女のマリアージュが声をそろえて言った。
三人の王女は髪の色以外は年齢も容姿もそっくりで三つ子でないのが不思議なくらいよく似ている。
ジュネルは正妃の子で髪の色は亜麻色、ディアナは第二妃の子で髪の色は金色、マリアージュは第五妃の子で髪の色はピンクゴールド。三人を見分けるのは髪の色しかないと聞いている。
僕は失礼の無いよう二人の王女に挨拶をした。
「ディアナ王女様、マリアージュ王女様、今日からしばらくお世話になります。皆様のご期待に添えるよう頑張りたいと思っております。いろいろ不慣れなことでご迷惑をおかけするかもしれません。少しの間ですが宜しくお願いいたします」
「まあ、私たちも宜しくお願いします。クラシス様とゆっくりお話ししたいと思っていたからわたくし達とても喜んでいますのよ。ジュネルとのお勉強の後にはわたくし達とも遊んで下さいね」
王女達はクラシスの手を取って嬉しそうに言った。
「ねえ、ジルベール様もそう思われますでしょう」
ディアナ王女はジルベールに同意を求めた。
「そうですね。僕もクラシスが王女様達と仲良くされることを望んでいます」
ジルベールは笑って僕を見た。
いけ好かない奴だが、容姿は良いからちょっと笑うと好青年に見える。
僕も微笑んで、ジルベールに挨拶をした。
「ジルベール様、しばらくお城でお世話になります」
「堅苦しい挨拶はいいよ、クラシス。君と僕は従兄弟なんだから遠慮は無しだ。手伝えることがあればいつでも声を掛けてくれたまえ」
僕はシメタと思った。
「ジルベール様がお手伝いして下さるのですか?」
「ああ、僕もしばらくお城にいる予定だから、手伝えることがあればいつでも言ってくれたまえ」
「それでは早速で申し訳ないのですが、魔法のことで少し教えて頂きたいことがあるのです。今日の夕方お時間を取って頂けますでしょうか」
「今日の夕方?」
ジルベールは何かあるのか?という目で僕を見た。
「はい、お爺さまから頂いた『初めての魔法』をテキストにするつもりなのですが、少しわからないところがあります。よろしければ僕が理解できていないところを教えて頂ければと思います」
僕はジルベールの目を見た。
「わかった。今日の夕方ここで待っている」
ジルベールはそう言い残すと、二人の王女を連れて去って行った。
「ジルベール様とお会いするとき、わたくしもご一緒できますか?」
とジュネルが聞いてきた。
「いえ、僕とジルベール様の二人で打ち合わせしたいと思っております。お爺さまの『初めての魔法』はジルベール様も持っていて、彼はお爺さまから直接教えを受けていました。僕はお爺さまが亡くなってから読んだので、ところどころ理解できないところが有ります。その理解できていないところをジルベール様に教えて頂こうと考えています。ジュネル王女にこれからの練習内容を知られてしまうと今後のスケジュールに支障が出てしまいます。今日のところは僕とジルベール様の二人にして頂きたいと思います」
僕が断ると、ジュネルは少し残念そうな顔をした。
「そう、分かったわ」
ジュネルは魔法が使えないので、他の二人の王女のようにジルベールと親しく話すことが出来なかった。
「さあ、お部屋にご案内しますよ」
近くで待機していたキャロット婦人が声を掛けた。
通路を進み警護兵のいる扉を開けた先の階段を上り、王女達が暮らしているフロアーに案内された。
僕の部屋はジュネルの部屋の一つ隣に用意されていた。
キャロット婦人は部屋の前で待機していた僕付きの侍女を紹介した。
侍女はマチルダと名乗った。ソバカスが印象的な僕より少し年上の少女だった。
ジュネルに午後から一緒に出掛ける約束をして部屋に入った。
花壇が見渡せるバルコニーの付いた明るい部屋だった。
部屋の隅に天涯付きのベッド、ベランダの窓の近くに机と椅子、中央にテーブルとソファー、ベッドと反対側の壁にクローゼット。クローゼットの横に扉が付いていた。
僕は部屋に荷物が届いているのを確認して中の物を出した。
「お手伝いすることは有りますか?」
マチルダが尋ねたので、荷物の中からヘラに借りたドレスを取り出して渡した。
マチルダはドレスを受け取りクローゼットの扉を開けた。クローゼットの中には新しいドレスがいくつか入っていた。
「こちらのドレスは王妃様がクラシス様のために用意して下さいました」
「僕のために?」
「ええ、ジュネル王女のために頑張って貰わなくては!と仰っていました」
マチルダが笑顔で答えた。
「あんなトール伯爵になんか渡せない。とも仰いました」
「僕は責任重大だね」
「そうですね」
マチルダはドレスを仕舞うと次は何をしましょうか?と聞いてきたので、後は自分でするから大丈夫と断った。
マチルダは少し考えて「ではお茶の用意をしてきます」と部屋を出て行った。
僕は荷物の中から『初めての魔法』を取り出した。
魔法封じのことが書いてある頁を開く。そこに魔法封じの紋模様がいろいろ描いてあった。僕は手のひらのトール伯爵が付けた紋をペロリと剥がすとノートの紋と比べてみた。
『少し違うようだが、似たような紋があるな』
ハイドが言った。
「そうだね」
僕は魔法封じの解除の説明が書いてある頁を読んだ。
『魔法封じの呪文を解除するには、掛けた者が解除するのが確実だ。しかしそれが出来ない場合は、掛けた者より魔力の強い者が古い魔法封じの紋の上に新しく魔法封じの呪文を上書きし、上書きされた呪文に新しく呪文を掛けた者が解除の呪文をかけることによって解除することができる。ただし、それは最初に掛けた者より、後から掛ける者の魔力が強いことが条件になる』
読み終えたときにマチルダがティーセットを乗せた盆を持って入ってきた。
「もう少ししたら昼食の準備が整うそうです」
マチルダはテーブルの角に盆を置き、カップとクッキーの皿をテーブルに移した。そしてポットからカップに紅茶を注いだ。
「ありがとう」
僕はカップを取って紅茶を飲んだ。
「ところで、お城の周りに川とか池は有りますか?」
「川とか池ですか?」
マチルダが不思議な顔をした。
「ジュネル王女と魔法の練習をするのに、水辺の気持ちが落ち着くような場所がいいと考えています」
「そうなんですか、でしたらそこの花壇を真っ直ぐ行くと小さな林があってその先に池が有りますよ」とマチルダが教えてくれた。
「ありがとう、行ってみるよ」
僕は少し疲れたので一人になりたいとマチルダを下がらせた。
昼から僕はジュネルと一緒に教えてもらった池に行くことにした。
1日目と2日目はジュネルに水を知ってもらい、水と馴染むという課題を考えていた。
花壇を進むと林が有った。ホントに小さな林だった。林に入ると木々の隙間から水面を反射する光が見えた。林を抜けると池の周りを囲っている芝生の広場に出た。
池の広さは大きくもなく小さくもなくほどよい広さだった。
池の縁は積み石が階段状になっていて、水遊びが出来るようになっていた。僕は魔法の練習をするのに最適な場所だと思った。
「お城の裏にこんな場所があるなんて知らなかったわ」
ジュネルが感嘆の声を上げた。
「ジュネル王女、お天気も良いのでちょうど良いです。今日は水を感じるために水遊びをしましょう」
僕は池を見て感動しているジュネルに声を掛けた。
「水を感じる?」
「そうです。以前にも申し上げましたが、ジュネル王女からは水の匂いがします。だから王女の属性は水だと思います。今日と明日は、手と足で水を感じるレッスンを予定しています」
僕は靴と靴下を脱いで池の中に入った。水はひんやりと気持ちよく感じた。ジュネルも同じように靴と靴下を脱いで僕の隣に来て湖に入った。
「うわー、ひんやりして気持ちいい!」
ジュネルが水を気持ちいいと感じることは良いことだった。
僕たちは手で水をすくったり、縁の積み石に腰掛けて足でバタバタと波を立てたりした。
小一時間ほど水遊びをして、芝生に座って足を乾かした。
「ジュネル王女、この池の水は静かですが、水はいろいろな力があります。水と馴染むことでその力が少しでも感じられるようにしましょう」
「わたくしに出来るかしら?」
ジュネルは不安そうに呟いた。
「出来るかしら?ではなくて、出来ると思ってください。ここには水があります。まずこの池の水から始めて、最終的には地面の下の水を感じて呼び出すのです」
「地面の下にも水があるの?」
驚いたようにジュネルは尋ねた。
「ええ、地面の下には地下水が流れています。水の魔法は近くに水場のないときは地下水の力を借ります」
「・・・」
ジュネルは黙り込んでしまった。
「今回はそこまで考えていません。ジュネル王女の指先からこの池の水が一滴でも落ちたら魔法が使えたことになります」
僕はジュネルを励ました。
「明日はジルベール様と他の王女様達とここで遊びましょう。魔力のある人が近くにいるとジュネル王女の魔力と反応して良い結果が得られるかもしれません。僕の少しばかりの魔法もジルベールが近くにいたから出来たのだと思います」
「クラシスの魔法ってなに?」
ジュネルが真剣な目で僕を見た。
「僕は魔力を持っている人の近くに行くと、その人の属性の匂いを感じるのです。それだけなんですけどね」
「それで、わたくしに魔力が有ると教えてくださったのね」
「そうです。だから頑張りましょう」
僕たちは魔法が使えるようになることを誓い、決意も新たにして城に帰った。
城に戻るとジュネルと別れ、僕は『初めての魔法』のノートを持ってジルベールと約束した場所に行った。
ジルベールはまだ来ていなかった。
少し待っていると、通路をジルベールが歩いてきた。
「やあ、待たせたね」
爽やかに笑いながら僕に声をかけた。
「いえ、お忙しいのに申しわけございません」
僕は呼び出したことを謝った。
「いいよ、僕に声をかけたと言うことは、何かあるんでしょう」
「ええ、少しご相談したいことがありまして」
僕は従者や警護兵を気遣いながら小声でジルベールに言った。
ジルベールは僕の態度に何か感じたようで「僕の部屋に来る?」と聞いた。
「あまり聞かれたくない話なので、出来ればその方が良いかと」
「うーん、ほんとうは未婚の女性を部屋に入れるのはどうかと思うんだけど、君は従兄弟だし、妹みたいなものなので、まぁ良いか」
ジルベールは従者や警護兵にわざと聞こえるように声に出して言った。
「僕の後を付いて来て」
ジルベールは先に歩き出した。
ジルベールの部屋は僕の部屋の反対側の棟にあった。
部屋の中に入るとジルベールが聞いた。
「ドアは開けていたほうがいい?」
「出来れば人払いをして閉めて頂けませんか」
僕はジルベールの従者も出て行くようお願いした。
部屋の中にジルベールと二人きりになった。
僕はジルベールに気付かれないよう周りの気配を捜した。ドアの所に先ほど退出した従者以外はいなかった。
「で、用事ってなに?」
ジルベールはポットのお茶をカップに注ぎながら聞いた。
「これを見て貰いたいんだけど」
僕は『初めての魔法』の魔法封じの呪文の頁を開いて、その頁に挟んでいたトール伯爵が僕にかけようとした呪文の紋を見せた。
「魔法封じの呪紋?どうしたのこれ?」
ジルベールはお茶を注ぐのを止めて僕の隣に来た。
「今日お城に着いたときにトール伯爵と会ったんです」
「トール伯爵が来ていたのか?」
どうしてという顔でジルベールが僕を見た。
「ジュネル王女が魔法を練習するという話しを何処からか聞いてきたんでしょうね。王様に約束が違うと攻め寄っていました」
「約束が違う?」
「15歳になるまでにジュネル王女が魔法を使えないときは、トール伯爵の元に嫁ぐと言う約束があるそうです。もちろんジュネル王女は拒否しています」
「そうだろうな。何を考えているか分らない陰気な親爺に嫁ぎたいとか思う少女がいるわけが無い」
ジルベールはさも嫌そうな顔をした。
「トール伯爵がジュネルの手を取ったとき黒いものが見えた気がして、何だろうと思って見ていると僕と目があって、そしたら今度は僕の所に来て僕の手を取ったんだ。トール伯爵と別れた後に手を見たらこれが付いていた」
「クラシスも魔法封じの呪文をかけられたんだね」
「僕はジルベールと同じようにお爺さまの魔法防御の呪文で母親以外の魔法はかからないように制御されているから、こうして呪紋が浮き出てしまったと思う」
「お爺さまの魔法は誰よりも強かったからね」
ジルベールはうんうんと頷いた。
「たぶんこれと同じものがジュネル王女にもかけられていると思う。僕はジュネルの魔法が発動しないのはこれの影響だと思う」
「ジュネル王女が魔法を使えないのはトール伯爵が魔法封じの呪文で使えなくしているとクラシスは思ったんだ」
「そう、それで、この魔法の解除をジルベールにお願いできないかと思っているのだけれど」
僕の話しを聞いたジルベールは驚いたようだった。
「ジュネル王女は子供の頃から魔法が使えないと聞いています。もしかしたらずいぶん前から同じ呪文を何度も何度もかけられているのではないでしょうか」
「もしそうだとしたら、何のために?」
「それは分りません」
ジルベールはしばらく考えていた。
「で、僕にこの呪文を解除してほしいと思っているんだね」
「はい、お爺さまのノートによると、掛けた者より魔力の強い者が呪文の上書きをしてそれを解除の魔法で解除することでかけられた魔法が解けると書いてあります」
「僕の魔力がトール伯爵より強いとどうすれば分る?」
僕はトール伯爵が僕にかけた呪紋をテーブルの上に置いた。
「この呪紋にジルベールの魔法封じの呪文を上書きして、それを解除呪文で消すことが出来たら、ジルベールの魔力がトール伯爵より上位だと確認できます」
「そうだな」
「とにかくトール伯爵が何を考えているのか分らないので、秘密裏に解除できればと思うのですが・・・」
「とりあえずやってみるか」
「はい」
ジルベールは僕から『初めての魔法』を借り、『魔法封じ』と『魔法解除』の頁を読んだ。そして、テーブルに置かれたトール伯爵の呪紋の上にジルベールが新たに魔法封じの呪紋を重ね、それから解除の呪文を唱えた。テーブルの呪紋は消えていた。
「やったね。ジルベール!」
「ああ、うまくいってホッとしたよ」
ジルベールはフーッとため息をついた。
「ジルベール、明日からの練習に一緒に参加して貰うことは出来ない?」
「ジュネル王女にかけられた呪文を解くために?」
「そう、できれば王女にも周囲にも悟られないように解除して欲しい」
「そうだね。トール伯爵が何を考えているか分らないいじょう、それがバレたときに不測の事態が起こらないともかぎらないからな」
ジルベールは思案しているようだった。
「あの、呪紋のことなんだけど」
僕は考えていたことをジルベールに伝えた。
「トール伯爵がジュネル王女に何回呪文をかけたか分らないので、もしかしたら呪紋が何層も積み重なっているかもしれないと思っているんだけど」
ジルベールは僕の話を想像したのか、大きなため息をついた。
「それはあり得る話しだな」
ジルベールは僕を見た。僕もジルベールを見た。
部屋の中に重い陰気な空気が流れた気がした。
と、ジルベールは突如僕の胸を見て言った。
「ところでクラシス、その胸ほんとうによく出来ているな」
ジルベールの目線に僕は慌てた。
「何を見ているんだ」
「ちょっと触ってみても良いか?」
「いいわけ無いだろう!」
ジルベールの手が僕の胸の上に伸びてきた。
その時、部屋の扉が開いて王様が入ってきた。
「ジルベール!クラシスちゃんが来ているんだって?」
ジルベールの手が僕の胸の上にある状態で僕らは固まった。
ムニッ!
ジルベールの硬直した手が僕の胸を掴んだ。
「この、バカ!」
僕は思いっきりジルベールを突き飛ばして部屋を飛び出した。