同じ顔が!
夕食を終えて部屋に戻り、明かりを点けようとした僕をジルベールが止めた。
ジルベールは外が見渡せる窓辺に近づいた。
夜の闇を振り祓う様に、街の灯りが美しく輝いている。
「クラシス。夜がこんなに明るい」
夜空さえ明るすぎて、星もかすんでいるようだ。
「シートラスに来て、僕は驚くことばかりだ」
ジルベールが呟く。
「そうだね」と僕も同意した。
ジルベールがクルリと僕の方を向いた。影がシルエットになって、ジルベールの赤い瞳が光ったように見えた。
ジルベールは自覚がないみたいだけど、纏う空気が以前と変わったような気がする。どう変わったかと尋ねられると、答えられないけれどそう思う。
何となく二人で見合っていると、ジルベールのマイホンが鳴った。
ジルベールはポケットからマイホンを取り出すと、画面に知らない番号が出ていた。学長や王女達は登録してあるので名前が出る。
不用意に取らない方が良いと注意をしようとしたが、ジルベールが電話に出るのが早かった。
「・・・」
ジルベールがそのまま黙っていると、電話の向こうから声が聞こえた。
「もし、もーし、ジルベール?」
男の声が聞こえてきた。心当たりがあるのかジルベールが「お父さん?」と尋ねた。
「ジルベールか。シートラスについた早々ロックされたようだな」
「ロック?」
「お前とラシクの動画が流れているぞ」
「ああ、あれですか。って、お父さんは今何処にいるのですか?」
「私はシートラスにいる。お前に話があるから電話した。明日、クラシスとラシクの三人で来てほしい」
大きな声だ。聞くなと言っても聞こえてくる。
「来て欲しいって、何処へ?」
「明日、授業が終わる頃に車を手配するから、それに乗れば良い」
「車?」
「そうだ車だ。詳しいことは学長に聞けば分る。では、待っているからな」
自分の用件を伝えると、一方的に切れた。
「明日、エバンシル公爵のところに行くの?」と僕が尋ねると
「聞こえていたのか。大きな声だったからな。断る暇も無かっただろう。もっとも言い出したら絶対後に引かない人だから、来いと言われたら行くしかない。クラシスもそのつもりでいてくれ」
ジルベールはやれやれとばかりに疲れた顔をしてソファーに座り込んだ。
「明日の朝、ラシクに会ったら、一緒に出掛けると伝えないといけないな。ラシクだけ誘うと王女達から何か言われそうな気もするが・・・」
確かに一人だけ誘うと何か言われるだろうと僕も思った。
「いいんじゃない。いちおうクラシスはジルベールの婚約者なんだから、誘ってもおかしいとは思われないと思うよ」
僕自身が、クラシスとジルベールの婚約を肯定しているのは、なんだか妙な感じがする。
案の定、ジルベールが僕の顔をまじまじ見て、
「ホントにそう思っているのか?」と聞いた。
「仕方ないだろう。表面上はそうなっているんだから」
拗ねた感じで僕が言うと、「そうだな」とジルベールがフワリと笑ったようだった。
翌朝もエレベータで王女達に会った。
今日は普通のワンピースを着ている。
ジルベールが放課後クラシスを連れて出掛けると言ったら、王女達は意外な顔をしたが、昨夜の動画の件で、ジルベールがクラシスを誘うことで、変な噂の打ち消しをしたいのだと、勝手に想像してくれたようだ。思わせぶりな笑顔で、出掛けることに賛成してくれたが、ラシクを同伴するのはどうかと思うわ、と冷たい視線を僕に向けた。
そう言われても、僕も呼ばれているから仕方ないのに・・・。
学園に行くと、昨日まであまり見かけなかった女子生徒が、遠巻きにジルベールと僕を見て、指をさしながら騒いでいる。恐るべし動画の威力、一夜にして有名人になったようだ。
「不味いな」とジルベールが呟いた。
僕もそう感じていた。
「僕たちがここにいると宣伝したようなものだね」
「そうなんだ、僕たち二人だけなら何とかなるけれど、王女達が見つからないようにしないと不味いことになる」
ジルベールは教室に向かいながら、王女達に聞こえないようにそっと呟いた。
教室では、昨日と同じようにガスター先生が作業をしながら待っていた。
「おはようございます」
挨拶をしながら教室に入った。
ガスター先生は「おはよう」と顔を上げて王女達を見た。今日は普通の洋服を着ているので、少しガッカリしたように見える、と言ったら先生に悪いかな・・・。
ガスター先生は僕たちを見ると、
「君たちはコンピュータの勉強を少ししてから、学長室に行くようにと言われている」と今日の予定を教えてくれた。
「授業が終わったら、学長室ですか?」とジルベールが尋ねた。
「少しスケジュールを変えるみたいだよ」
「そうですか」
ジルベールが答えたとき、チャイムが鳴った。
ガスター先生はコンピュータの起動から、文章や表計算などのソフトの使い方、メール、ネットの開き方など一通りを教えると、今日の授業は終りになった。
「使い方だけ駆け足で教えたけれど、解ったかな?」
ガスター先生は僕たちを見て言った。
僕は解った気がするけど、王女達はどうなんだろう?ラシクは困惑の表情を浮かべているから、あまり理解できていないみたいだ。
「では、学長が待っているから、学長室に行ってくれ」
ガスター先生は、早々に僕たちを教室から追い出した。
追い出された僕たちは学長室に向かった。
学長室の扉をノックすると、「お入り」と学長の声がした。
扉を開けて入ると、学長は正面の机に座っていた。
ミス・ブラッドが僕たちをソファーに座るように促した。
「おはよう、今日も良い天気だね」
相変わらず学長はニコニコしている。
「さて、他でもないんだけどね、昨日の動画がことのほか反響を呼んでいてね、我が校にも問い合わせが多数来てるみたいなのね。それで、この学園で過ごして貰う予定を少し変更しなければいけなくなったのね」
学長は僕とジルベールを見て「君たちは予定を早めて、明日から、大学の近くの建物に移って貰うことにしたからね」と地図を差し出した。
ミス・ブラッドが学長から地図を受け取り、ジルベールに渡す。
「明日の朝一番にその地図に書かれている所に行ってね。家具とかは付いているので、その他の必要な物は買ってね」
ジルベールが何か言いかけるのを学長は止めて、「王女達とクラシスは、アカデミーに戻ってもらうことにしたからね」と付け加えた。
「「「「「「アカデミーに戻るって、どうしてですか!?」」」」」」驚きの声がそろった。
つい先日ガージナル軍が侵入したばかりの場所にどうして?と皆が思った。
「アカデミーのガージナル軍はもう退去したみたいだよ。あれだけマスコミが騒いだから、当分あの島には現れないと思うの。だから、初めの予定通りアカデミーで勉強して貰うことにしたの。なにかあったら、またこっちへ来れるように手配しているから大丈夫よ。今は、ここよりアカデミーの方が安全だと考えたのよ」
学長の考えにジルベールは賛成できないようだったが、ジルベールの不注意が招いたことが原因なので、何も言い返せなかった。
「それから、聞いていると思うけれど、ジルベールとクラシスとラシクは、今から出掛けて貰うことになってるからね。もう車も来ているので、これからすぐに出掛けてね」
学長は早く出て行くようにと、物をはらうようにシッシッと手を振った。
「分りました」ジルベールは学長に挨拶をして、僕とラシクを連れて学長室を出て行った。
学長室を出て、表玄関に行くと、楕円形の車輪の付いてない物体が、地上から少し浮かんで停まっていた。これが車だろうか?近づくと中央部が上に開いた。たぶんここが入り口なんだろう。
車の中は馬車の様に、対面に座席があった。外からは窓がないように見えたが、窓もあった。
ラシクを先に乗せて、その前に僕が座り、僕の横にジルベールが座った。全員が座ると自動的にドアが閉まり、車は走り出した。
馭者もいないカゴだけの車は、人通りの多い道をすいすい走っていく。
この車という乗り物は僕の興味を大いにそそった。何で動かしているのだろうと車内を見回しても何も見当たらなかった。
しばらくすると、人の通りはなくなり同じような車が行き交う道を走っていた。
車だけの道を抜けると、今度は両側に木の繁った林の道に入った。木々の間をしばらく行くと、開けた場所に出た。車は大きな屋敷の前に停まった。
屋敷から執事と使用人達が迎えに出てきた。
僕たちが車から降りると「ジルベール様でいらっしゃいますか?」と尋ねられた。
ジルベールが頷くと「旦那様がお待ちです。こちらにどうぞ」と執事は屋敷の中に僕たちを招き入れた。
淡い光が全体を包み込んだ、居心地の良さそうな部屋に案内された。
部屋のソファーに男の人が一人座っていた。
よく見るとジルベールの父のエバンシル公爵だ。
ジルベールは、「お父さん、お久しぶりです」と父親に言った。
「そんなに久しぶりでもないぞ。壮行会で別れて、まだ四日しか経っていない」と公爵は笑顔を見せた。
まだ四日しか経っていない?色々なことがありすぎて、僕には壮行会が遠い昔のように思えた。
「まあ、座りなさい」
公爵は僕たちに座るように促した。ジルベールとクラシスはソファーに座った。僕はラシクらしく座らずにジルベールの後ろに立った。
そんな僕を見て公爵は「ここはシートラスだ。身分の違いに左右されることはない。ラシクも座りたまえ」と言った。ジルベールは僕に横に座るように促した。
僕が座るのを待って、公爵は控えていた執事にお茶を頼んだ。執事は軽く頷くと部屋を出て行った。
「僕はお父さんと別れて、ずいぶん経ったような気がしています」
ジルベールが疲れたように眉間を押さえた。
「そうだろうな。いろいろあったようだからな」気遣うように公爵は息子を見た。
「お母さんとは連絡取れているんですか?」
ジルベールは気がかりだったことを尋ねた。
「心配しなくても大丈夫だ。ローザはヘラと侯爵邸にいるよ。屋敷にはヴォルテハイム卿の魔法が張り巡らされているから安全だと言っていた。それに、最近は少し見えるらしいから、敵の先手を打てるとも言っていたな」
「見えるって、まさか・・・」ジルベールが驚いて目を瞠った。
「いや、その見えるとは少し違うようだ」ジルベールを制して公爵は安心するように言った。
「そうですか」
公爵の言葉にホッとしたのか、ジルベールは安堵のため息をついた。
そこへメイドがお茶を運んで来たので、公爵は話しを中断した。
メイドはお菓子をテーブルの中央に置き、それぞれの前に紅茶の入ったカップを置くと出て行った。
メイドが充分遠ざかったのを確認して、
「お前に来て貰ったのも、ローザからの助言なのだ」と声を潜めて話し出した。
「お母さんからの助言?」
自然と皆の顔が近づく。
「実は、ライサ様が亡くなられたらしい。ライサ様が直接ローザの前に現れて、教えてくれたと言っていた」
「えっ!でも・・・」
「待て待て、続きがある。ライサ様はローザの前に現れたけれど、次の予見者はアカデミーにいると言ったそうだ」
「アカデミーに!まさか!」その場に緊張が走る。
「それで、ジュネルとクラシスを離した方が良いと言ってきた」
「離す?」
公爵は少し強い口調で言った。
「いいか、クラシスはここで預かる」
「預かるといっても・・・」
ジルベールが躊躇った。
「大丈夫だ。エルゼここへ」
公爵が声を掛けると、何処にいたのか、エルゼがスッと入ってきた。
「エルゼ、どうしてここに?」
ジルベールは意外な顔でエルゼを見た。
公爵は言った。
「エルゼに、クラシスの代わりをして貰う」
「エルゼにクラシスの代わり?」
ジルベールは公爵の言っていることが理解できない様だった。
「ラシクが変身魔法を使えるのは知っている。でも、ラシクが消えるとラシクの魔法を知っている者は、ラシクがクラシスに変身したと考えるかもしれない。だから、ラシクはあくまでもお前の護衛として側にいて貰う。ローザもそう言っている。それでエルゼをここに寄越して、クラシスの代わりに動いて貰うことになった」
「はい、ラシクと私は同じ能力を持っています」
そう言うと、エルゼはその場でクラシスに変身した。
まあ、ラシクの母親がエルゼなのだから、同じ能力を持っていても不思議ではない気がするけれど・・・。僕たちはただ呆然とエルゼの変化を眺めていた。
目の前に二人のクラシスが立っていた。僕には見分けがつかなかった。
ジルベールは驚きながらも、「分りました」と父親に言った。
公爵はクラシスが男と知らないはずだ。でもローザは知っている。だから、ローザから予見者の可能性のあるクラシスを預かる様に頼まれても疑わなかったのだろう。
「では、別の部屋で洋服を取り替えて貰って、クラシスはその部屋に残り、エルゼがジルベールと一緒に学園に戻って貰おう。細かい打合せは、着替えながらするように」
公爵の合図でエルゼはクラシスを連れて出て行った。
いまのクラシスも偽物なのだから、取り替えなくても良いような気がした。僕が不思議に思ってジルベールを見ると、「二人のクラシスがいることが必要なんだ」とそっと教えてくれた。そうか、偽物とバレたとき、本物は他にいますよというために、二人のクラシスが必要なのだと分った。
予見を継ぐ者がジュネル一人に絞られないよう、敵の目を欺くために、見方の目も欺かないといけないのだ。エルゼは僕とラシクが入れ替っているのは知っている。だから、旨くやってくれるだろうと僕は思った。
エルゼが戻ってくるまで、僕たちは今までの出来事を公爵に伝えた。
「そうか、慌ただしかったな。しかし、ジルベール、動画を撮られたのは頂けないな」
「分っています。シートラスのことをもっと知るべきでした」
「そうだな、ここは魔法の国とは違う。魔法の国は中世のまま取り残されたような国だ。ガージナルもそこを見て接触してきたのだろう」
「ガージナルと言えば、壮行会の後、突然現れたのでしょう。誰かが撃たれたと聞きましたが、どうだったのですか?」
そうだった、ジュネルが誰かが撃たれたようだったと言っていた。
「ああ、大臣を庇って従者が撃たれたようだ。でも、大事には至らなかったと聞いた。私もガージナル軍が来た時は緊張したが、王が『ジュネルもクラシスも渡さない。攻めたければ攻めてくるがいい』と啖呵を切ったと聞いた。あの男、ボケッとしているようで、やるときはやるものだと感心したよ」
いくら兄弟でも国王にそんなこと言ってもいいのだろうか。それに、聞いたと言うことは、その時公爵はさっさと逃げていたのかもしれないと思いながら聞いていた。
「それに、ガージナル軍が来る事は事前に分っていたことだ」
「事前に分っていたのですか?」
「ああ、ローザが教えてくれた。亡くなったローザの母サラ様が教えてくれたと言っていた」
「お婆さまが?」
二百五十年も前に亡くなったお婆さまは、どれほどの物を見ていたのだろう。
「天降祭が近づいたら、ガルボ帝国から使者が来る。その者達の言うことは聞いてはいけない。と言われていたらしい。これは王妃様も知っている」
「王妃様も?」
「王妃様も予見者の家系だ。サラ様はローザと王妃二人に忠告したらしい」
「それで、私たちもガルボ帝国には気を付けていた。そしたら、予言通りガルボ帝国は神の国を攻めた。神の国が破れた後、私たちは秘密裏にガルボ帝国を見張ることにした。わが国がガルボ帝国にスパイを潜入させたのと同じように、わが国にも敵のスパイが紛れ込んでいた。そのスパイによってヴォルテハイム卿は亡くなったのだ」
突然、お爺さまの亡くなった原因が敵のスパイと聞かされ驚いた。
「お爺さまがスパイに殺された?」
「ほんの些細なことだったのだ。その些細なことにヴォルテハイム卿が疑問を持った。それを王に報告した。その些細な報告が敵にとっては重大なことだったらしい、大魔法使いヴォルテハイム卿は入念な罠を仕掛けられた。スパイはジルベール、お前を人質に取ってヴォルテハイム卿を脅した。卿はお前を助けるために従者と二人で罠の中に入ったのだ。敵と対峙した時にとても大きな魔法が使われた。私たちがその場所にたどり着いた時、お前を庇うようにヴォルテハイム卿と従者は倒れていた。その側でスパイは死んでいた」
「僕が誘拐された?」
「そうだ、お前は覚えていないだろう。卿が悪い記憶は全て消したと言っていた。卿はその時の怪我が元で亡くなられた」
知らない話しだった。
そういえば、お爺さまがどうして亡くなったのか、僕は知らない。
自分のせいでお爺さまが亡くなったと聞いて、ジルベールは戸惑っていた。
「ジルベール、お前が気に病む必要はないんだ。ヴォルテハイム卿はこうなることを知っていたらしい。これは天罰だ、触れてはいけないものに触れさせてしまった。それを阻止できなかった自分の責任だとも言っておられた」
「それでも・・・」
「全てサラ様の予言通りだとも言っておられた」
「お婆さまの予言?」
「サラ様はとても強い予見の能力があった。サラ様はその能力を恐れた者によって呪われたらしい」
「呪われた?」
「とても強い能力を持つ者に呪われたらしい」
「その話しは何処から?」
「それは言えない」と公爵は首を振った。
一番考えられるのは、ローザから聞いたのだろう。それは言っても聞いてもいけないことだったのだろう。
「ただ神族であることは確かだ」
「神族・・・ですか?」
「ガージナル連邦国家の総裁は神族の出身らしいと聞いている」
「らしいとは?」
「総裁の年齢だ。神の国が滅びて百年が経つ。百年前神の国を裏切ってガルボ帝国を指揮した者が今の総裁だ」
「もしかして、ジュネル達が言っていた『あのお方』と言う可能性は?」
「あるだろう。この男は謎に包まれている。ただ聞くところによると、赤毛の男らしい」
僕は赤毛の人物に心当たりがあった。父の日記に第三王子が赤毛だったと書いていた。
そこに、クラシスになったエルゼが戻って来た。
「お待たせしました」
公爵はエルゼが戻って来てホッとした様だ。
「ああ、丁度良かった。昔話をしていたら、ジルベールが落ち込んでしまってね。エルゼ慰めてやってくれないか」
エルゼは昔お爺さまの諜報員で、その後にジルベールの乳母になったから、すべて知っているのかも知れない。
「まあ、何を言われたのですか?」
エルゼがジルベールの顔を覗き込む。
ジルベールは突然クラシスの顔が目の前に現れたので慌てた。
「ははは、エルゼ、そんな風に近づいたら、ジルベールが困ってしまっているだろう」
少し赤くなったジルベールを見ながら、公爵が笑った。
僕はジルベールが何故赤くなる理由があるのか分らなかったので、少し冷めた目で見てしまった。
僕たちはエルゼと一緒に戻る事にした。
公爵が見送りに出てきた。ラシクも二階の窓から手を振っていた。
来たときと同じように車に乗った。
車は走り出し、林の道を通って行く。
ジルベールは屋敷を出でから、ずっと黙っていたが、思いを吐き出すようにエルゼに尋ねた。
「エルゼはお爺さまの諜報員だったよね」
「そうですが・・・」
突然の質問にエルゼは驚いた。
「お爺さまが亡くなった原因が僕だと知っていた?」
エルゼはしばらく黙っていた。
そして、仕方有りませんねと話し始めた。
「私はラシクが生まれたので、坊ちゃまのお世話をお休みをさせて頂いておりました。誘拐が起きた日は、奥様のお誕生日に招待されて、夫と二歳になったラシクを連れて、お屋敷に伺っておりました。坊ちゃまは私と会えたことをとても喜んでくれて、しばらく一緒に遊んでいました。坊ちゃまは新しい魔法を覚えたと言って、私に見せてあげると言われて、扉を開けて出て行かれたまま消えてしまいました。私たちが坊ちゃまを捜しているとき、ヴォルテハイム侯爵様の元に、脅迫状が届いたのです。坊ちゃまを帰して欲しかったら、一人で来るようにと書かれていました。私の落ち度でした。それで、私も一緒に行きますと申し上げたのですが、侯爵様は私の責任では無い、いずれこうなることは分っていたと言われました。一人で行かれる侯爵様に、夫は従者としてお供させてくださいと頼みました。侯爵は「命を落とすかも知れないよ」と断られたのですが、夫も侯爵様の諜報員を長いことしていたので、だいたいのことは知っていたみたいです。「最後まで付き合います」と二人で出かけて行きました。その後何が起きたのかは存じません。ただ、大きな魔法が発動して、侯爵様も夫も重傷を負いました。せめてもの救いは、坊ちゃまが無傷だったということでした。その後、侯爵様は魔法をクラシス様に継ぐように手続きされて亡くなりました。夫も侯爵様の後を追うように亡くなりました」
エルゼの夫もお爺さまと一緒に出かけて亡くなったことを聞いたジルベールは、「すまなかった」と頭を下げた。
「何を仰います。侯爵様も夫も、坊ちゃまを守れたことをとても喜んでおりました。大人の事情で誘拐された坊ちゃまは、被害者であって、加害者ではありません。気に病むことはないのです」
エルゼはきっぱりと言った。
それでも気分の晴れないジルベールに、「今、国はジルベール様を必要としています。次期王に怪我がなかったこと、守れたことは夫の誇りだと思っています」とエルゼは手を差し伸べた。「侯爵様も夫も、これからのジルベール様の行動に期待しているのです。だから、そんな顔をしないで、前を向いてください」
エルゼに励まされてジルベールは弱く笑った。
「分った。僕の行動はお爺さまと、エルゼの夫に守られているんだね」
「そうですよ。元気を出してください、坊ちゃん」
エルゼが俯くジルベールの頭を撫でるように触った。
「ありがとう、エルゼ。大丈夫だ」ジルベールはエルゼの手をそっと外して、
「それに、僕はもう坊ちゃまじゃないから、今のようなことは控えて欲しい」
顔を上げたジルベールは、いつものジルベールに戻っていた。
それを見て、エルゼは安心したように微笑んだ。
クラシスのエルゼがジルベールを慰めている姿を、僕は不思議な感じで見ていた。
車はいつの間にか宿舎の建物の前に停まっていた。
「着いたようだよ」
僕が声を掛けると、ジルベールとクラシスのエルゼが僕を見た。二人とも僕の存在を忘れていたようだ。まあ、良いけどね。
車から降りたジルベールとエルゼのクラシスは、見つめ合って笑っている。知らない人が見たら、二人は恋人同士に見えるのではないかと思うくらいだ。エルゼはジルベールの乳母だったから安心しているのだろう。なんかジルベールのエルゼを見る目が優しい。こんな目を他の人が見たら絶対勘違いする。と思ったらモヤモヤしてきた。
建物に入ると、システインさんが出てきて、学長の部屋に行って欲しいと言われた。
僕たちは学長の部屋に向かった。
部屋をノックして施錠が解けたのを確認して部屋に入ると、王女達が出迎えてくれた。
「「「お帰りなさい」」」
その場で僕たちは釘付けになった。
目の前にジュネルが三人いた。
「フフフ、驚いたでしょう」
たぶん、ディアナだと思う王女が言った。
「ジルベール様達も聞いたと思うけれど、ライサ様が亡くなられたらしいわ。それで、次の予見の者がまだ決まっていないらしいの。ガージナル連邦国家がジュネルとクラシスを狙っているということは、次の予見の者を手に入れようとしているかも知れないと聞いたの。それで、学長から誰がジュネルか分らないように髪の色を同色に染めるように言われたのよ。どう、似合ってる?」
似合ってるも何も、そっくりすぎて分らない!
「やあ、君たちも帰ってきたのね。ドライブはどうだった?」
奥から学長がニコニコしながら出てきた。
「ありがとうございます。楽しかったです」
ジルベールが丁寧にお礼を言った。
学長が手配したわけでは無いのにと僕は思ったが、クラシスも頭を下げたので、僕もつられて頭を下げた。
「おお、クラシス。楽しかったようだね。良かった、良かった。明日から、ジルベールと離れるからね、今日くらいは二人でいて貰いたかったんだよね」と言いながら学長は僕を見た。『君は邪魔をしなかっただろうね』と暗にいわれているような気がした。
ジルベールがエルゼ、もといクラシスを見る目が違っているのが、学長にも分ったみたいで、学長は大いに満足しているようだった。