何ですか、これ!
エレベータの扉が開いた。
扉の中に王女達とラシクが乗っていた。
王女達は一様に黒のワンピースに黒い網の靴下とヒールのショートブーツ。黒い手袋に先の折れた幅広のとんがり帽子を被っていた。
まるで魔女のようだ。
思わず僕とジルベールは後ずさった。
「「「「おはよう」」」」
王女達が爽やかな笑顔で挨拶をしてきた。
僕たちは「おはようと」と返事をしてエレベータに乗った。
「そのスタイルはどうしたの?」
ジルベールはなんとも言えない顔で尋ねた。
「これ制服だって」
いかにもイヤそうにディアナが言うと、他の皆も同様とばかりに頷いた。
「「制服?」」
僕とジルベールは顔を見合わせた。
「ジルベール様達に制服はないのですか?」
首を傾げてラシクが尋ねた。
「特に何も聞いていない」
「てっきり男子は黒マントだと思ってましたわ」とディアナ。
「たぶん、学長の趣味だろうな」
ジルベールが苦笑したので、僕はニコニコした学長の顔を思い出した。あの学長ならそうかも知れないと思った。
途中、八階と六階で人が乗ってきた。いずれも男子で、王女達を見ると一瞬驚いて、目をそらした。
一階に着くまで微妙な空気が漂っているようだった。
エレベータを降りて学園に向かう。
学園に向かう学生も王女達の姿を見ると、一瞬足を止めて見ている。
学園内に入っても、王女達のような制服を着ている女子は一人もいなかった。
「やっぱり学長の趣味の様だね」
ジルベールは口の端をヒクヒクさせていた。笑いたいのを我慢しているようだ。
ディアナとジュネルは頬を膨らませて怒りを表し、マリアージュとラシクは困った顔をしていた。
「叔父様に文句を言いに行かなくては!」
意を決したかのようにジュネルが言った。
「今から?だめだよ、授業が始まる」
ジルベールはジュネルに、「学長のところに行くのは授業が終わってから、ゆっくり文句を言った方が良いよ」と言って、足早に階段を上り、三階の第十講義室に向かった。
講義室のドアは開いていた。中でガスター先生が何かの機械を操作していた。
「遅くなり、申しわけございません」
ジルベールを先頭に王女達が教室に入っていく。
「いや、まだ時間になっていないよ」
先生は顔を上げて僕たちを見た。そして王女達を見た途端、一瞬ポカンとなった。魔女装束に驚いたのだろう、掛けていた眼鏡がズレてしまったほどだ。
「君たちその服装は・・・」
「どうやら学長から、これが制服と言って渡されたそうです」
ジルベールの説明に、ガスター先生は苦笑いをした。
「制服ですか?」
「やはりこれは制服ではないのですか?」とディアナが頬を膨らませて言った。
「学長と一部の学生はそうしたかったみたいだけど、先月の生徒総会で、多数決で却下されたよ」
「一応制服として提案はあったんですね」とジルベール。
「却下されたときは、そうとう残念がっていたから、君たちにモデルになって貰うことで、再度生徒総会にかけるつもりじゃないのかな。とてもよく似合ってますよ」
ガスター先生は、賛成派だったのだろうか。イヤそうではなかった。
キーン・コーン・カーン・コーン・・・
チャイムが鳴った。
「さて、授業を始めようか」
ガスター先生はスッと表情を切り替えた。
「今日の授業は惑星セゾンと人族の歴史のビデオを見て貰う」
教室の前にスクリーンが降りてきた。
ガスター先生が手元の機械を操作すると、スクリーンに映像が映し出された。
惑星セゾンと人族の歴史
アナウンスが画面とともに流れる。
今から一万年前、人族の先祖となる人類が生まれました。
それを原始人族と呼びます。
原始人族が生まれた頃のセゾンは氷と雪に覆われた氷河期の終りの頃で、ようやく暖かさが感じられる様になっていました。暖かくなってきたとはいえ、人々はまだ洞窟に住み、雪の下の木の芽等を食べて飢えをしのいでいました。
セゾンには人族の他に神魔という目に見えない、声だけが聞こえる不思議な存在がいました。
この神魔の存在が、人族が生きるのを助けてくれました。神魔の声は、寒さと飢えで苦しむ人族に火を作る方法と、獣を狩ってその獣を処理する方法を教えたのです。雪と氷の中で寒さに強い動物を捜して狩りをして、その獣の毛皮で着る物をつくり、火をおこして凍った肉を暖めて食べる事で、人族は生き延びました。
人族は、教え導いてくれた神魔を、崇高なものとして崇め祀るようになりました。
それから五千年、セゾンは温暖な気候になっていました。人々は川の周辺に集落を作り、狩りと農耕の生活を始めていました。
その頃になると、神魔は人々の暮らしに干渉しなくなり、神魔の声は一部の者にしか聞こえなくなっていました。
神魔の声が聞こえる者は巫女とよばれ、集落の要となり、人々を導く存在になりました。
四千年前になると、各地でいろいろな文明が起こります。
(当時の世界地図が画面に現れ、文明が起こった箇所を色違いで示している)
三千年前には集落が集まり、各地で国ができ始めました。
文明が栄えた国の権力者は、国力を強め国をどんどん大きくしていきました。各地で権力者同士の争いが始まったのもこの頃です。
二千年前、突如空に黒い穴が現れました。
夜空の星々の光を隠すように、黒い穴が現れたのです。初めは小さな黒い影の様に見えた穴は、黒く揺らぎながら徐々に大きくなっていきました。
穴が大きくなると、揺らぐ黒い影の中が見える様になりました。その穴の中は、別の星空が見えていました。
(映像は、宇宙空間に浮かぶ不気味な穴を映した)
穴の影響でしょうか、地震や火山の噴火といった現象が各地で起きました。
(火山が爆発し、各地で地震が起きて、逃げ惑う人々の映像に変わる)
人々は一様にこの穴を恐れました。
(宇宙空間に浮かぶアルテナとセゾンと穴を映した映像が流れる)
穴はどんどん大きくなり、とうとうセゾンもアルテナも穴の中に吸い込まれてしまいました。
穴の先に抜けた後しばらくして、穴は消えてしまいました。
穴が消えた後、人々は夜空を見上げて驚きました。それまでに見えていた星々と違った星が見えたからです。天空を流れる川の様に見えていた星々が、ドーナツの様に輪になって見えたのです。
(映像は、夜空の星が変化している様子を映している)
人々は夜空を見て恐れました。パニックが起こりました。秩序がなくなり、至る所で争いが起きました。それまで平穏だった国の姿が壊れ始めたのです。
星空が変わった以外、東から朝日が昇り、西に沈む。セゾンの1日が変わったわけではない事に気付いた権力者達は、穴が現れる前の状態に戻したいと考えました。
セゾンには、昔々神魔が、苦境を助け導いてくれたという伝説がありました。権力者は伝説の神魔に頼ることを考えました。でも長い年月の間、神魔の声を聞くことができる者はいなくなっていました。そこで、神魔教という宗教を布教することで、人々の恐怖を沈静化しようとしました。
夜空だけでなくセゾンの中でも変化がありました。
極点に近い東の森と、西の森に人族とは違う種族の新しい国が突如現れたのです。
彼らは神の国の神族と魔法の国の魔族と名乗りました。
神族と魔族の人々は、人族には無い不思議な能力を持っていました。
人族の人々は、星空が変わったのと、神族と魔族が現れたのがほとんど同時期だったので、彼らがセゾンに変化をもたらした元凶だと考えました。神の国と魔法の国を不吉な国と疎い、彼らと関わることを避けました。それぞれの国境の森には近づかないことで人族の安定を望んだのでした。
多くの人族の国が出来たのもこの頃です。
国はそれぞれの規律を作り、その規律のなかで人々を統制していきました。
一千五百年前、また空に穴が現れました。
この穴はセゾンから遠くで開いたみたいで、直接の影響は有りませんでした。でも穴から沢山の流れ星が出てくるのが見えました。
(映像は穴から流れ星が沢山出てくる様子を映した)
その頃になると、小さな国同士が戦い、勝った国に統合されて、大きな国が作られていきました。
大きな国は町を作り、そして権力を誇示するかのように大きな城を作りました。
それぞれの国でそれぞれの文化が起こリました。
千年前、また空に穴が開きました。
セゾンは太陽アルテナの影にあって、穴はセゾンから見てアルテナの後ろに開いたようです。セゾンからは見えない位置でした。
(アルテナとセゾンと穴の位置を映像で示している)
五百年前と同じように、穴から流れ星がたくさん出てきて、アルテナの遙か先で星同士がぶつかりました、大きな爆発が起こりました。
その衝撃はすさまじく、セゾンの内側にあった惑星がアルテナにぶつかった様でした。アルテナの後ろにいたセゾンにもアルテナの赤い炎が流れて来ました。幸いその炎はセゾンの手前に壁が現れたかのように、途中で阻まれて消えたと記録にあります。
(映像がすごい、アナウンスに合わせて、星が爆発し、衝撃波が飛んでくる情景を映していた)
その衝撃の後、アルテナの自転が停まり、その影響でセゾンの公転がしばらくして停滞しました。やがてアルテナが自転を始めると、自転方向が変わっていました。セゾンはアルテナの自転に合わせて、ゆっくり公転方向を変えました。そして東から昇っていた朝日が、西から昇るようになりました。いつの間にかセゾンの自転も変わっていたのです。
一年後、セゾンの人々は再度驚愕しました。アルテナの他にもう一つ太陽が出来ていたのです。人々はそれをアスラと名付けました。
幸いセゾンはアスラの影響はあまり受けませんでした。アルテナとアスラに挟まれた時期は夜が無くなりましたが、アスラはセゾンの公転と同じように、アルテナの周りを回っていました。
人々は五百年周期で訪れる、穴の存在を恐れました。
穴の存在を恐れながら、国々はそれぞれに発展していきました。
特に天文学の発達はめざましいものでした。
五百年前、穴はセゾンの近くで開きました。
(セゾンと穴の位置関係を示した映像に変わる。想像の映像とは言えとてもよく出来ている)
穴から大きな隕石がセゾンの方向に流れ星となり降ってきました。
地上に落下することはなかったのですが、隕石が近づくと、地震が起こり、各地で火山活動が活発になって来ました。
中でも大きな隕石の一つは、セゾンの大気圏をかすめ通り過ぎました。
その影響で大きな地震が極地で起こり、極地にあった山が沈みました。後には大きな海が出来ていました。
幸いこの山は、神族と魔族の国の一部だったため、人族に危害はおよびませんでした。
隕石が通り過ぎ、穴が塞がった後、小さな月が出来ていました。
穴から飛んできたと言う説と、極地にあった山が月になったと言う説がありますが、定かではありません。
この事によって、どの国も五百年毎の穴の存在について真剣に考え始めました。
その頃、謎に包まれていた神の国が、近隣の諸国との交流を始めました。
人族の国は、多くの国が貴族と呼ばれる人達が国を動かしていました。神の国は隠された国の印象が強く、人族は避けていましたが、神の国も貴族社会だったので、同じような文化圏の国として交流が始まったのです。
二百七十年前、シートラスで民主化運動が起こりました。それまでの貴族社会を壊して、人民の手による政治が始まりました。
それから二十年後、シートラスの学生により、神の国の旧聖地において予言の欠片が発見されました。この欠片の発見により、穴は五百年毎に現れ、次に穴の現れる時が、終わりの時だと記されていることが分りました。
(イリアス達が発見した遺跡の写真が映し出される。そして、現代語に直された訳がアナウンスされた)
当時、すでに大国であったシートラスとガルボ帝国は、予言と穴の究明に乗り出しました。
百年前、ガルボ帝国は、予言の真実を探ろうと、神の国に戦争を仕掛けました。神の国は抵抗することなくガルボ帝国に敗れました。しかしガルボ帝国は、神の国において予言に関するいかなる物も見つけることは出来なかったそうです。
この戦争の後から、ガルボ帝国は覇権を強め、近隣諸国を統一して、ガージナル連邦国家を名乗るようになりました。
シートラス国もガージナル連邦国家に対抗して、民主主義と自由の国として、シートラス連合共和国になりました。
この二つが現在のセゾンの二大国です。
(映像は世界地図に変わる。ガージナルとシートラスの国々がそれぞれ色分けされている。)
この百年で科学はずいぶん発達しました。
(スクリーン上に、車や飛行艇、テレビ等々いろいろな物が映し出される)
輸送技術に発電技術、電子機器の発達等にいろいろな発明が人々の暮らしを助けるようになりました。天文学も発達しています。でも、穴の究明はまだ出来ていないのが現状です。
現代人は、技術で穴を攻略出来るでしょうか。
予言通りであれば、セゾンの終りの時は近づいています。
穴の究明が急がれます。
映像が終わった。
「はい、今日はここまでです」
ガスター先生の声がした。
僕はフーッと息を吐き出して、思わず先生に話しかけた。
「先生、映像の技術がすごいですね」
ガスター先生は僕を見て
「ラシク君だっけ?君は映像関係に興味があるの?」と聞かれた。
「いえ、興味があるのは穴です。宇宙空間の映像がすごすぎて感動してしまいました」
「確かによく出来ているね」
僕は変な顔をしていたのだろうか?
ガスター先生は僕の顔を見て笑った。
「大学の研究室に行ったら、もっとすごい映像が見れると思うよ」
横で僕たちの会話を聞いていたジルベールが話しに入ってきた。
「大学ですか?」
「君たち二人は私の講義が終わったら、大学に聴講生として行くと聞いているよ」
「はい、その予定です」
「天体物理学の先生を見つけて聞いてみたらいいよ。穴のことをもっと詳しく教えてくれると思うよ」
「「ありがとうございます」」
僕とジルベールは声を合わせて、ガスター先生にお礼を言った。
ガスター先生は、教材をかたづけて「明日はコンピューターの使い方を勉強するから、今日と同じ時間に、隣の十一教室に来てくれ」と言って教室を出て行った。
先生がいなくなると「確かに映像は綺麗だったけれど、恐いだけの存在の穴の何処がいいのか分らないわ」とディアナが言った。
「宇宙のロマンは、ディアナには分らないのかもね」と言って、ジルベールは先に教室を出た。
「ジルベール様はこれからどうなさるんですか?」
クラシス姿のラシクが聞いた。
「少し学園の周りを歩いてみようと思っている。買い物とかもしてみたいし・・・」
「そういえば、昨日システインさんが、朝食とか昼食は近くのお店でと言っていましたね」
ジュネルが思い出したように呟いた。
「そう、それもあって近所を見て回ろうと思っている」
「私たちもご一緒しますわ」
ディアナが興味深そうな顔でジルベールを見た。
「君たちは学長に制服の件で抗議に行くのでは?」
ジルベールの指摘に、ディアナはアッと口を押さえた。
「そうでした」
「学長に抗議に行ったついでに、お昼をご馳走になってきたらいいよ」
「ジルベール様達は?」
「学長は女の子にはご馳走しても、僕たちには顔を顰めるだけだよ」
ジルベールは苦笑いを浮かべた。学長の事はよく知っているみたいだ。
三階のエレベータの前で王女達と別れて、僕たちは階段を降りて学園を出た。
ジルベールと僕は一度部屋に戻り、それから管理人室にシステインを訪ねた。
システインは僕たちを見ると、笑顔で部屋に招き入れた。
「丁度お昼の用意をしていたところです。ご一緒にいかがですか」
部屋の中にパンの焼ける良い匂いが漂っている。
「ありがとうございます。でも、今からこの近所を回ってみたいと思っているのです」
「外出されるのですか?」
システインは僕たちを見た。
「昨日、商店で買い物をするように言われていたので、今から出掛けて買い物をしてみたいと思うのです。それで注意しなければいけないことを、教えていただこうと思い、お訪ねしました」
「まあ、そうだったのですね」
ジルベールの話を聞いて、システインは顔をほころばせた。
「流石です、ジルベール様。昔から何でも良くお出来になると、奥様が言ってらっしゃいました」
「学長の奥様ですか?」
「ええ、ジルベール様はご存じではないかも知れませんが、私もお小さい頃のジルベール様に何度かお会いしているのですよ」
「学長の屋敷でですか?」
「ええ、ほんとにお懐かしゅうございます」
「そうですか。思い出せなくて申しわけありません」
「いえいえ、そんな事はどうでも良いことです」とシステインは言って、「外出されるのでしたら、地図を持って行くといいですよ」と奥から一枚の地図を持ってきた。
地図の中央に学園があり、僕たちがいる建物とその周辺が書かれていた。
「ここに学園があって、ここがこの建物です。この坂を下っていくと、商店街があります」
地図を見ながら説明をしてくれる。
「商店街には、スーパーと言って食料品とか日用品とかいろいろな物を売っているお店があります。ここです」
システインは地図を指さした。
「たいてい学生達はここで買い物をしています。ここにはすぐ食べられる調理済みの食品も置いているので、好きな物を買って持ち帰り、部屋で食べたりしていますよ」
「そうですか、ではそのお店に行ってみます」
「初めはその方が良いですね」システインは頷いた。
「それから、ジルベール様はお金をお持ちですか?」
「お金ですか?」
「ええ、シートラスの通貨です」
「いえ、持っていません」
「マイホンは?」
「それなら、昨日学長から頂きました」
ジルベールがポケットからマイティホンを出して、システインに見せた。システインはジルベールに、「お借りできますか」とマイティホンを受け取った。
「マイホンの、電源を入れると、画面にいろいろな形の模様の枠が現れます。これはアプリと言って、それぞれのウェブサイトを開く扉になります」
「ウェブサイト?扉ですか?」
説明しながら、システインは画面上の丸い形をした絵柄に触った。そうすると画面が変わり、画面の上に「タッチしてください」と文字が出て、真ん中の模様が点滅している。画面下に残高と数字が出ていた。
「ああ、お金が入ってますね」
システインはそう言うと、ジルベールに画面を見せながら、説明を始めた。
「まず、この画面の、この絵柄に触れます。触れると画面が変わります。この画面になったら、お店の器具の上にかざすと支払いが出来ます」
「かざすだけで良いのですか?」
「現金をお持ちでないのなら、支払いはこの方法になります。残りの金額が下に出ていますので、残高には気を付けてください」
「そうですか、便利なんですね」
「便利なんですけどね。問題もあります。たぶんこれで支払いができると思いますが、現金も少し持っていた方が良いと思います」
「どうしてですか?」
「魔力の影響を受けると、マイホンが動かなくなることがあるからです」
システインの言葉に、ジルベールは頷いた。
「そういえば、魔法の国では電波を使った器具は使いづらいと学長が言っていました」
「そうなのです。ですからなるべく魔法は使わないようにしてください」
「ここで使うことはないと思います」
ジルベールはそう言ったが、システインは心配そうだった。
「街には、いろいろな人がいて、何が起こるかわかりません」
「わかりました。気を付けます」
部屋を出て行こうとするジルベールをシステインは引き止めて「少しお待ちください」と言って、部屋の奥に行き、黒縁の眼鏡を持ってきた。
「これをかけて下さい」
「眼鏡?どうして?」
「ジルベール様は目立ちます。髪を黒く出来れば良いのですが、私にその能力はありません。だから眼鏡をかけて、目立たなくして頂きたいのです」
「どうして?」
ますます不思議に感じた。
「この街ではそれほど多くないのですが、歩いていると勝手にマイホンで写真を撮られたりします。それはあまり良いことではありません。ですから予防の為に眼鏡をかけて頂きたいのです」
「わかった」
ジルベールは眼鏡を受け取りすぐにかけた。
眼鏡をかけるとインテリの様に見えた。
僕は思わず笑ってしまった。
ジルベールは僕を睨むと、システインにお礼を言って部屋を後にした。
ジルベールと僕は建物を出ると、学園の横から続く坂道を下って、商店街に行くことにした。
「しかし、お腹が空いたね」僕がそう言うと、地図を見ていたジルベールは「そうだね、まずスーパーから行ってみよう」と笑った。
天気の良い昼下がりだった。
僕たちはスーパーを目指して歩いた。
すれ違う人が増えてくると、システインの言っていたことが何となくわかった。
この街の人は、黒い髪の人が多かった。髪の色が違う人もいたが、ジルベールの様に銀色の髪の人はいなかった。すれ違う人の中には、明らかに立ち止まってジルベールを見ている人もいた。
「見られているね」と僕が言った。
「システインの言ってた通りだね。眼鏡があって助かったよ」
「早くスーパーで買い物して帰ろう」
「そうだね」
僕たちは足早に商店街のスーパーに向かった。
スーパーに入るといろいろな物が有りすぎて、目眩がしそうだった。
ジルベールは買い物している人を観察して、どうすれば物を買えるかを確認して、カゴを取ると、商品表示を見ながら、出来たての食べ物のコーナーに行った。
美味しそうな物がたくさん有った。まず出来たてのトマトとベーコンのパスタとサラダをカゴに入れた。
「クラシス、他に欲しいものはある?」と聞かれたので、「チョコレートが欲しい」と言った。
ジルベールはチョコレートのある棚を見つけて唸った。
「クラシス、種類が多すぎる。どれにする?」
僕も迷ったが、とりあえず近くにある種類の違う3個を取って籠に入れた。
「食べてみないとわからないね。それから、パンはどうする?」
「そうだね、パンも買おう。紅茶もいるね」
「スープと果物も買っていこう」
そんなこんなで、いつの間にかいっぱいになったカゴを持ってレジに並んでいた。
レジは店員のいるレジと、無人のレジがあった。初めてなので店員のいるレジに並んだ。
マイホンの支払いも無事に終了して、僕たちはスーパーを出た。
スーパーの隣に本屋があった。本屋の店先に地図が置いてあったので、ジルベールは世界地図とシートラスの冊子になった地図を一冊手に取りそれを買った。
「さあ、帰ろう」
僕たちは買い物を済ますと、急いで帰った。
キッチンに入り、買ってきた物をテーブルに並べる。
今から食べるものを除いて、棚や冷蔵庫にしまう。
キッチンには必要なものがそろっていた。棚の中にはお皿やカップがあり、流しの横にオーブンレンジと冷水とお湯の出る機器もあった。
買ってきた物をオーブンで軽く温めて皿に盛り、カップに紅茶を注いだ。
こうして僕たちは、自分で買ってきたお昼を食べるという、貴重な体験をした。
昼食後、ジルベールはリビングのテーブルに、シートラスの地図を置いた。
この地図は冊子になっていて、街々がページ毎に載っていた。
「地図を見てどうするの?」
「シートラス連合共和国はいろいろな国が集まって出来た国らしいから、たぶん、このサムラーイ藩と言うのが元の国の名前だろう。藩は全部で六十近く有るみたいだ。この地図は北部の地図らしい。サムラーイ藩はシートラスの一番北に載っていた。載っている地図を買えて良かったよ」
ジルベールは、サムラーイ藩サヤ県キサキ市のページを開いて見せてくれた。
「クラシス、僕たちは今ここにいる」
地図上にある魔法学園の近くを指さした。
「そして、ここがこの窓から見える建物が密集している所」
学園から少し離れた場所を指さす。
地図上に主だった建物の名前と道が細かく書かれている。
「明日ここに行ってみよう」
ジルベールが地図の上を人差し指で、トントンと叩いた。
「ずいぶん離れているけど、どうやって行くの?」
「たぶん乗り物があると思うんだ。そこはシステインさんに聞いてみよう」
「そうか、乗り物か・・・。でも勝手に動き回って良いのかな?」
「大学はキサキ市の外れにある。ほら、ここだよ」
ジルベールは学園とは反対の地点の藩立サヤ大学と書いてある所を指さした。
「ずいぶん遠いんだね」
「だから、今のうちに街の様子を見ておきたいんだ」
「そうか、わかった」
僕はジルベールの段取りの良さに驚きながらも、ジルベールがいれば大丈夫という変な安心感を持った。
夕食の時間に学長の部屋に行くと、王女達はすでに来ていた。
「遅いですぞ、二人とも」
学長がニコニコした顔で言った。
「すみません。遅くなりました」
ジルベールが謝ると、王女達が笑った。
「ちっとも遅くないわ。私たちもついさっき来たばかりよ」
そう言われても、待たせたことに間違いないので、慌ててテーブルについた。
システインがキッチンから、美味しそうな料理を持ってきて、それぞれの皿に取り分けた。
他愛もないおしゃべりをしながらの、夕食の時間はすぐに過ぎてしまった。
食後の紅茶を飲んでいると、学長がニヤニヤと僕たちを見ているのに気が付いた。
「学長、どうしてそんな顔で僕たちを見ているのですか?」
ジルベールも気付いたみたいで、学長に尋ねた。
「君たち、昼間買い物に出掛けたでしょう」
「はい、出掛けましたけれど、それが何か?」
「君たちのことがもう話題になっているよ」
「はい?」
何のことだろうと学長を見る。
学長はマイホンを取り出し、画面を見せてくれた。
画面には僕たちが買い物をしているところが映っていた。
「何ですか、これ!」
僕たちが驚いて学長を見た。
王女達も学長のマイホンの画像を覗き込んだ。
「まあ、ジルベール様眼鏡をかけてどうされたんです。それにラシクと嬉しそうに話していますけど」
「学長、後をつけたのですか?」
ジルベールの顔が怒っていた。
「違いますよ。私ではありませんよ。私は彼女たちと昼食を共にしていました。街の誰かが君たちを撮ったのです」
学長は相変わらずニコニコ笑っている。
「街の誰かが撮ったってどういうことですか?」
「システインから聞かなかったですか?」
「注意しなさいとは聞きました。目立つから眼鏡をかけろと」
「そうでしょう、そうでしょう。眼鏡をかけても目立っていたらしいね。ここにコメントが書いてあるよ『今日スーパーで素敵なカップルを見かけた。銀髪眼鏡のイケメンと黒髪の美少年。とても仲が良さそうだった。KだろうかTだろうか、想像が膨らむ❤』❤マークまで付いてるよ」と楽しそうに学長が笑う。
「KとかTとか何ですか?」
「ふふふ、Kは恋人同士、Tは友達じゃよ。君たちの様子は、そうとう想像をくすぐったようじゃな」
ジルベールも僕も呆れてしまった。
シートラスはどうなっているんだ。
王女達が僕とジルベールを遠巻きに見る。
「以前からおかしいと思っていましたけれど、ジルベール様って、やはりそっちもお有りだったのですね」
有らぬ誤解だ。
ジルベールは「ばかばかしい」と怒ってしまった。
「明日から街を歩くときは気を付けることじゃな」
気を付けるって、どうやって?普通にしていてこれだったら、姿を消さないと歩けないじゃないか。
僕の思いとは裏腹に、ジルベールは開き直ったようだ。
ざわめく王女達に向かって言った。
「わかりました。人がどう思うかはその人次第です。僕自身はノーマルだと思っていますので、今までと変わりなく過ごすことにします。以上」
それでこの話は強制的に終わってしまった。
明日から本当に大丈夫だろうか・・・と僕は心配になった。