妖の精霊:草履蟲
閑話休題。
笑いばかりだと、本人が飽きるので。
少しばかり、ファンタジーよりの怖いお話を短く書いてみました。
と、始めたのですが、続きを書くとは思わなかった。
虫の描写がでてきます。
愛しい愛しい旦那様。
篝火灯し、無事のお帰りお待ちしております。
海の民だと自分の事を思うのでございます。
海とともにあって、海とともに死ぬ。
潮騒や、波の音より、トントントンと網を編む音、コトコトと鍋を煮込む音。
そのようなモノの方が望郷と申しましょうか、何か懐かしいものを思い出させるのでございます。
不思議なものでございますね。
私の邑には篝火を炊きまして、漁の無事を祈る祭りがございます。
この時期になりますと、時化も多うございます。
お父様、兄様、旦那様。
男衆達が返ってこぬ事もあるのです。
ええ、勿論。
天皇陛下のお言葉はラヂオでね。
勿体ないお言葉、一族皆々涙をながしてご清聴させていただきました。
ホホホホホホホホ。
本当の事は内緒でございますよ。
篝火のお話でございましたね?
夜に火を灯し、無事に帰っておいで祈るのでございます。
何処の浜でやっておりますでしょ?
あれでございます。
表向きは大漁を祈願するのでございますが、女衆にとっては一家の大黒柱、旦那様が無事に帰ってきてもらいたい。
生活がかかっておりますもの。
お百度を参るのでございます。
こう、頭に蝋燭を。兵児帯などを断ちますでしょ?
それで、キッと結わえて白装束で。
あぁそれ!
丑の時参り!
アレと同じ格好でございます。
人目の付けば願が解れますから、夜にね。
本当にまぁ! 丑の時参りでございますわね。
でも、必死なんでございます。
無事に、手足の一つや二つ、無くなってても構いやしません。
何卒命だけはと、山の天神様にお百度願をかけるために、毎夜、毎晩。
山の上から下の浜。
篝火がボウっとありまして、光といえば、其れと頭に結わえた蝋燭だけ。
秘密でございますが、懐中電灯手にしておりましたのよ。
ホホホホホホホホ。
そんな時にね。
断崖絶壁、下は渦。
切り立った縁に。
草履がポツン。
そりゃ、慌てましたもの!
邑の誰かが身を投げたのかしら?
誰ぞ?
誰ぞ?
と、駆け寄りまして、恐る恐る下を覗くのでございます。
海は黒くウネルのでございますよ。
まるで、生き物の腸のように、ウネウネウネウネと。
ただ、ただ、波が崖に当たる音だけ。
なぁんにも見つからないんです。
暗くてハッキリとした事は判らないでしょ?
でもね。
何となく、コレは違うなと感じるんでございますよ。
人が死ぬと、何といいますか……。
何処か物悲しいのが残るんでございます。
翌朝。
誰に聞いても、身を投げた、人が消えたなどと云うお話は出て来やしません。
ただね。
「そりゃ、ゾウリムシだわ」と、邑の刀自が教えてくださりました。
ゾウリムシ、草履蟲、ぞうり虫?
どう書くかは知りませんよ。
虫の類なんでございましょう?
こう。
草履の裏に集るのでございます。
見た目は丸い、足が沢山生えているそうですよ。
それが、みっちり。草履の裏に。
ワシャワシャワシャと。
決まって、切り立った崖の上。
キチンと右と左並べて、草履だけ。
気味が悪いったらありゃしません。
化けているんでございましょう?
アレは、山の怪が化けているんでございます。
だって。
暗い海を山の上から見下ろしますと。
スゥっと。
吸い込まれても悪くない心持になってしまうものでございます。
ワタシがこの噺を何処で聞いた話か失念した。
妙に艶めかしい老婆であったのは記憶に残っている。
篝火を灯して海の神に安全と大漁を願う祭りは世界に多く在る。
あなあはれ人間闇の海にゐて漁火を焚くその火赤しも
白秋が謡った一説ではあるが、暗い海に火を灯すのはそれ自体が呪術的であり、暗闇に一条の光があることに人は言い知れぬ安堵を感じる。
だが、草履蟲は果たして山の怪異なのであろうか? 海の怪異なのであろうか?
山で畑を焼けば歳徳焼き。
どんと、どんどん、おべき等と音を充てる。
鬼火焼き、単に鬼火とも。
浜で篝火を焚けば、炬火とも。
海で灯せば漁火。
どちらへ向かっているのであろうか?
呪術的に向かうという字を考えるのであれば、あれは門に箱を置いて、西に向けるのである。
東から、ご来光。
『向』とは常に東へと向かう意を含む。
草履蟲とは。
海へと向かう怪異なのであろう。