さようならシマネコ 前編
偉大なる王という、虎の小説はご存知でしょうか。
自分は小学生の時に読んだ小説でしたが、今作品には多大な影響を与えていると思っています。
1.
その冒険者は、本当に普通の冒険者だった。危険を察知する嗅覚もそこそこだし、盾持って片手剣で戦うスタイルもありがちなこと、女性に嫌われることもないが「優しい人だ」と評価された挙句に、冒険者だしってな理由で縁にはロクに恵まれていない点でも、至って普通の冒険者だった。
シマネコの仔と彼が遭遇したのは、彼が「死んでもいいや」っていう気分、何度目か失恋の後に傷心で部屋に閉じこもっているうちに生活費が心細くなってきて、どうしても収入がいるしそもそも俺は冒険者だしっていう動機で、依頼を受けてイノシカの森と呼ばれる、何かと情報の不足している森の中を探索していた時のことだった。
有用な薬草の植生でも見つけられればいい、危険な魔物の存在を発見できれば上等、討伐は依頼の範疇にはないから、やってもいいけど素材買取以上の銭は出せんのです、という受付嬢に対して、
いやあ無理する気はさらさらねえですよ、冒険者は生き延びるのが商売だって分かってますって。と、至って普通の会話が展開されているものの、これ実は、振った女と拒絶された男の会話だったりする。……業務上の会話ではあるのも確かではあったが。
「無理しても無理しなくても、依頼の達成だけはくれぐれもお願いしますね。」
「……冒険者の誇りに賭けても、依頼は達成するさ。」
「そんなの賭けなくていいです。よろしくお願いします。」
受付嬢を擁護するならば、なんとなく彼は違うんだというところだろう。この世界なりでいうのならば、それが愛の女神さまの思し召しなのだ、……女神さまは冤罪だと抗議したくなるかもしれないが。
まあ、我々の世界が持つ科学でも、二人の縁を結ぶことは多分無理であろう。そもそも科学では縁の実態そのものがきちんとは研究されてはいないし。
ぶっちゃけ捨て鉢ヤケッパチでパーティーも組まずに、死んだら死んだでそれまでよってな気分で彼はイノシカの森単独調査に臨んでいたわけだが、培った経験はそうそう自爆を許すものでも無かった。
安全第一が体に染みついている程度には、きちんとした冒険者であったのだ、彼は。
しかし、リスクを避けては成果が得られないのが冒険者の辛いところ、得るところなんにも無しで、森の中で昼飯を取る結果になった。
「あー、食欲ねえなあ、食わなきゃ持たないのは頭では分かってっけどさあ。」
男は改めてしみじみと、めそめそと、泣く。たった一人で森の中に分け入った男の特権ともいえようか。傍から見ればちんけな失恋でも、当人にとっては耐え難い重大事だったのだ。
男がべしょべしょだったその時が、出会いだった。
彼をまるで慰めるかのように、そいつはにゃーと男に鳴きかけてピトりとくっついたのだった。
くっついてきたのは仔猫。仔猫にしてはでっかいがしかし仔猫。
黄色い毛皮に黒の縞模様が走っている、仔猫。
可愛いは正義ってことわざがこの世界にはある。
仔猫だが猛獣の癖に、こいつは彼の昼飯を甘えることでありつこうとしていた。変な奴だと思った、でも、可愛いんだからいいかと、食欲が無いことを言い訳に、彼はその仔猫に弁当をあてがった。
無我夢中で食べている仔猫(大柄)の可愛さに、荒みいじけていた彼の心が癒されたのは確かだった。
問題は続く。
「もう、ねえぞ?」
にも関わらず、仔猫は彼についてきた。なついちゃったっていう状態である。
「シマネコの仔だよな、これ、親に見つかったら俺は八つ裂きだぞ?ってか、イノシカの森にはシマネコが居るってわけか、………大発見だな。」
さて、目撃情報だけでも評価はされる。しかしその場合は別の冒険者の目撃情報で裏付けがとれて改めて、存在の確定を冒険者ギルドが判断する時までは、報酬支払いは保留になるのが決まりだった。
勿論、証拠があればその場で報酬は支払われる。
証拠は、今のところ彼にくっついて付いて来ていた。
なんでか懐いている仔猫(大)を仕留めて証拠とする気は、さらさら無かった。ってか相変わらずくっついてくる仔猫(大)は、可愛いだけに簡単に情が移った。その自覚もあった。
この頃、ずっと拠点にしていたし世話になった人も随分といる町だったけど、潮時なのかもなとその冒険者は考えていた。ギルドで証明としてこの仔を見せて、それからは町を離れて人生を巻き直すのもいいかと考えた。このシマネコの仔との出会いは、きっといいきっかけなんだろう。
その位しか考えていなかったわけだが、
しかし、そうは問屋が卸さなかった。
冒険者ギルドは、シマネコ仔猫を一人の冒険者が連れてきたことで大騒ぎになった。シマネコはそこらに普通にいるような種類の動物ではない。
仔猫がいることからも魔物ではないことははっきりしているが(この世界では魔物は成体の姿で突然出現するものとして区分されている)大人のシマネコともなれば体長は7シャークから10シャークともなる、立派な猫属の猛獣なのだ。
子供を探していきり立ったシマネコに、うっかり冒険者が遭遇したらエラいことになる!
どうしてくれるんだよっ!
そろそろ町を離れようなんて考えていた彼は、しかし町のギルドに縛り付けられる破目になった。
別に牢にぶち込まれたとか軟禁されたってわけじゃない。
仕事を押し付けられた。で、ギルドマスター直々の説明を、彼は聞くことになる。
「こいつの親を探すんですか?」
「そのシマネコの仔がお前さんにしか懐いていないって話はウチの職員達からも聞いている。……間違いないんだな?」
「そうですねえ、こいつはこんなナリだから可愛いっていうんで抱っこしたり撫でたりしたがってた女の人は結構いたんですけど、歯むき出して怒ってましたからそういうことなんでしょうね。食い物にも釣られてなかったし。」
「テイムは、していないんだよな?」
「そんなスキルは持ってないですよ。魔力を使ってなんか出来るんだったら、もう少しマシな冒険者やってますって。」
「……イノシカの森にその仔と一緒に行って、親に返してもらいたい。仮にあの森がシマネコの縄張りだとしても、今のままでは人間とシマネコでいい関係を作り上げるのは到底無理だからな。」
「なんで、俺なんですか?」
「!っ、お前がこの仔を拾って来て、ここまで連れてきちまったからに決まっとるだろうがっ!」
「しーっ、怒鳴らないで下さいよ、こいつが起きちまうじゃないですか。」
「……あぁ、すまん。兎に角、だ。この仕事のけりがつくまでは、新規の依頼は受けられないと思ってくれ。もちろんこれは、どこの町の冒険者ギルドに行ったとしても共通だからな。」
「手配済みってことですか……。参ったなあ、食って生きてけるんでしょうか、俺。」
「採集や探索依頼の際に入手した物、討伐した魔物の扱いと同様の報酬と買取は当然するわ。どうしても手元不如意であれば、……応相談というところだな。」
「どうあっても俺は、仕事を引き受けなければならない、と。」
「そういうことだ。」
「しかし、こうして丸くなって寝ているのを見ると、どうしたって猫だな、シマネコも。」
「……いろいろと、癒されてもらってますよ、俺も。」
「……可愛いもんだな。」
「でしょ?」
こうして、さえない一人の冒険者とシマネコの仔の共同生活は始まったのだった。
イノシカの森、名前通りに猪に鹿、それらと同じタイプの魔物が多く棲む森だ。確かにシマネコが暮らすにも獲物には不自由しそうにない、広大で豊かな森だった。
だがこの、広大というのが問題で、親シマネコを探すにも行けども行けども全然見つからないままに、日々は過ぎていった。
シマネコの仔は相変わらず男に懐いたままで、しかし少しずつ少しずつ成長していく。探索中にふと居なくなることがあって、気が付いた男が慌てていると野鳥やウサギを咥えて戻って来るようになっていた。
いつの間にか、自分の食い扶持を自分で稼ぐ、たくましい仔猫になっていたのだ。でも、まだ仔猫だった。夜になると必ず彼の寝床に潜り込む、甘えん坊のままで、仔猫は成長し続けていた。
ウサギや野鳥を狩ることを覚えたと思ったら、二、三日したらもう小動物サイズの魔物も狩るようになっていた。どうやら魔物の肉の方がシマネコにとっては美味しいらしくて、獲物が魔物だった時には彼の前で嬉しそうにもしゃもしゃと食べてた。
「いや、俺はいいよ。」
食べないの?とばかりに男を見上げるシマネコの仔。飼い猫も少し大きくなると、初めて仕留めたネズミを自慢したくて飼い主の枕元に置いたりするわけだが、やっぱりちょっと自慢なのだろう。
シマネコの仔が2シャーク程に育っても、まだ親は見つからなかった。その頃にはウルフ系の魔物も仕留めるようになっていて、当初心配していた猛獣の食欲を並みの冒険者が支えられるのかという問題は、概ね解決していた。
「まあ、最終的にはお別れして、野生で生きてもらうんだからこれでいいんだろうな。」
その位の大きさに育った頃から、仔猫はゴブリンに狙われるようになった。この世界でも最弱の魔物であるゴブリンには、女、牝、雌を最優先で襲うという性質がある。どうやら仔猫は女の子だったらしく、二人がゴブリンに遭遇すると、男の冒険者はほったらかしで仔猫に襲い掛かるようになっていた。
ゴブリンは複数でいることも多く、戦いにはどうしても連携が必要になった。シマネコの仔がある時は囮になって引き付け、冒険者が奇襲乱入、混乱したゴブリン達を一気に片づけたり、すばしこい仔猫がゴブリンを翻弄している中で、彼が一匹ずつ確実に仕留めて数を減らしたり。
そんなこんなの戦いの中で、いつしか男はシマネコの仔を「ケミィ」という名前で呼ぶようになっていた。何故に「ケミィ」なのか。彼に問えば、何となくいつの間にかだなあとしか返事は返ってこない。が、これには本人もすっかり忘れている由来が、実はちゃんとあった。
失恋ばかりで生きてきたこの男にも、かつてまだ若僧の頃には将来を共に夢見てた恋人がいたのだった。結婚して子供が出来たらつけようと話し合っていた名前、それが「ケミィ」だった。
しかし彼女は死んだ。ちょっとした怪我だったのだが傷が化膿して全身に毒が回り、あっけなく死んだ。
深い悲しみが、彼の彼女にまつわる記憶の大半を封印させてしまった。そうしなければ男はは悲しみのあまりに狂っていた。だから、彼は自分がなぜシマネコの仔に「ケミィ」を名付けたのか、自分でも分からないのだった。
シマネコの仔、ケミィが体長約3シャークに育った頃にも、やはり親シマネコを見つけることは出来なかった。
体長約3シャークの猫はやっぱりでかい。町に来たばかりの冒険者や商人は驚いたものの、可愛い仔猫だった頃を知る者には、まだ「おおきくなったねえ」と、可愛いがることを諦めていない人たちも結構いた、そんな頃であった。
この時期のケミィは、ウルフ系の魔物と戦って勝つことをノルマとして自分に課していたようだ。シマネコの子に、傷の絶えない時期でもあった。しょうがないのでポーションをぶっかけてやるんだが、どうやら人間向けのポーションはシマネコの体質には良くは合わないみたいで、傷のみならずポーションをぶっかけられた場所が、明らかに痒いという態度を見せていた。
「っつったって、ポーションかけたすぐ後に水浴びするんじゃねえって!安かねえんだぞ!」
それ以降、怪我が減ったような気がする。回復力も上昇したような気がする。
「……別に、成長報告は任務の範疇じゃないんだぞ?」
「でも、ギルマスがこいつを可愛がってくれているおかげで、一緒に町に入れてるようなもんですからね、顔見せくらいはしときたいじゃないですか。」
「まあ、ありがたいとは思うがな。相変わらずお前以外には懐いていないみたいだが、俺の前では断固として寝ている分、優遇されてるのかもしれんなあ。」
「撫でれますもんね。」
「そうだな。……ところで、テイマーになる気は今でもないのか?」
「それなんですけど、まるっきり適性が無いって。」
「誰に言われたんだ、そんなこと!」
「例の人です、ギルマスが見てもらえってお勧めしたんでしょうが。」
「そうだったのか、……残念なことだな。」
「こいつも大きくなってから、ウルフ系の魔物に茶々入れるようになっちまって、そのせいで怪我するの増えましたから。テイムすると底力が上がる恩恵があるって聞いたから、ならばって思ったんですけどね。」
ケミィの親を探すという任務の性質も、仔猫の成長とともに変更を余儀なくされていた。シマネコの親離れ子離れがどんなタイミングなのかも不明な上に、ケミィの立場は今でも野生動物のままだ。N県の鹿じゃあるまいし野生動物のままで街中を闊歩していい身分では本来はなかった。危害を加えるわけではないが、今でも懐いているのが彼だけだというのも厳しい状況ではあった。町の冒険者ギルドのマスターとて、常識に抗うには限界があった。
ケミィの体長が5シャークになった頃、二人は親シマネコを探すにイノシカの森を一旦諦めて、他のエリア、町の近くにあるちょっとした平原も含めて範囲を広げて捜索するようにしていた。
ケミィがマボアと呼ばれる、猪形態の魔物を食い殺したのもその頃だった。
いつもの様にお食事の獲物を捕りに出たんだろうと思って、彼は一旦休憩に入った。今日の弁当のおかずにもしっかりお肉が入っている。ケミィはシマネコだけあって食欲旺盛だったが、獲物の肉を男におすそ分けすることを忘れない、猫の癖に律儀なところがあった。もっとも基準が自分になっているのか、若干、冒険者だからって食いきれるもんじゃないだろってな量のお肉を差し出す傾向が多々あった。
「シマネコだって猫なんだろうから、魚を食べることも覚えさせた方がいいんだろうけどなあ。」
つらつらと、のん気なことを考えながら弁当を食べていたその時、轟く様な叫び、吠え声が男の耳を打った。未だかつて聞いたことのない、力そのものだと思うしかない様なそんな雄叫びだった!
「ケミィ!」
何があったのかは分からない。だが、聞いたこともない叫び声だったがそれでもそれを発したのが、ずうっと寝食を共にして来ていたシマネコの仔のものだと男は感知した。
「女の子の癖にあんな雄叫びしやがって!何があったっ!」
血まみれで息絶え横たわった猪の魔物の上に両前足を乗せて、空に向かって吠え続ける、これも血まみれのシマネコの姿が目に映った。
ケミィも傷だらけだ、マボアの返り血だけで血まみれというわけではない様子だった。が……、
「くそっ、血に酔っていやがるかっ。……、ケミィ!!」
血に酔う。
別に野獣に限ったことではない。
冒険者としての彼の判断は、これも冒険者としての経験からのものだった。
難敵、強敵を倒した時に酔うのだ。
かつて経験したことも無い高揚感と興奮、そして達成感。己が無敵だとさえ信じられる陶酔。
醒めぬ酔いに、酔いしれたままに身を滅ぼした冒険者を、何度か男は目撃していた。彼の語彙に拠れば、「馬鹿になった」というところだ。
「ケミィ!」
もう一度叫んだ。
死闘の勝者は、掛けられた声の方向に首を向ける。……その時、冒険者にはこっちに視線を向けた血まみれのシマネコが舌なめずりをしたのを、しかと見た。
「あんだけ血まみれなんだし、口元の血をなめずったっておかしかないんだけどさあ……。
……そういえば、死んでもいいかなあって思ってた時にこいつに出会ったんだったよなあ。」
「あーあぁ、なんてこった、ここでは死んであげられねえや。酔いから覚めた時に、きっとケミィは悲しむわなあ。」
「マボア仕留めちまったかあ、これでケミィも一人前かって……、そりゃ冒険者の話か。シマネコだとどうなんだろうな、血に酔っ払う位なんだからそれなりに苦労したんだとしても、いや、これは強いわ、困ったねどうも。」
男は構える。左腕に装着した盾を前にして半身になり、しかし右手には何も持たなかった。戦うならば持つべき剣はしかし、鞘に納めたままだった。
ベシッ!、ベシッ!。
何の音かというと、男がケミィのおでこを平手でぶっ叩いている音だったりする。
冒険者はケミィの攻撃をいなして、すかさずおでこをはたく。
彼にとっての勝利条件は、血に酔ったケミィを正気に戻すこと。やっつけることじゃない。
まだ相手のシマネコが5シャークの、一応は子供であることが幸いではあった。冒険者は身長で6シャーク。その体格差のおかげで、シマネコの正面からの攻撃であれば牙と片側の前足の爪を同時にいなすことが可能だった。
しかしケミィもバカ猫ってわけじゃない。何度もおでこをはたかれていううちに、血に酔っ払ってる癖に男の右側、盾を持つ手の反対側に回り込もうとする。
回り込んで飛び掛かったその時、何故か獲物は背中を見せていた。左腕の爪が相手を捉えるはずだったのが、何故かさらに左側から、警戒していたはずの盾がやって来ていて自分の左腕ごと、頭も含めて弾き飛ばされた。
分かんにゃい!
ベシッ!
混乱したケミィは、そして隙だらけになった。
男は、盾を放り捨ててシマネコに抱き着く。そして、彼女のうなじから背中を、いつも通りに撫でるのであった。
反射的にシマネコは彼の首に噛り付く。
シマネコが獲物を仕留める時、そして同族との縄張り争いでの決闘でも決め手は相手の首を噛むことで締め付け、窒息死に至らせるのが習性だった。不思議なことだが頸動脈を牙で切り裂くよりもそちらを選ぶのが習性だった。
否、それだけじゃない。シマネコの咬力であれば人族でしかないから細い、男の首の骨をあごの力で折り砕くも容易いことのはずだった。
ケミィは、自分の選択には気付いてはいなかった。
相手の息は止まっているはずだ。なのに、背中を撫でる手は止まらない。これは、知ってる。
知ってる。知ってる。知ってる。…………、それは、それは、……それはいつもの、だ。
「ケミィ……。」
男が気絶から覚めた時、気が付くと、ケミィは男の顔を舐めていた。にゃあにゃあにゃあにゃあ泣きながら舐めていた。
ざらざらの舌で舐め回されて痛かった。きっと、だから目覚めたんだろう、そんなことを思った。
再び、冒険者はシマネコのケミィを、抱擁した。
後編予告
そして二人は幸せに暮らしましたとさ、とはいかない運命が待っている。
運命が大トロ山で二人を待ち構えていた。
そして彼らは、望んでもいなかった「伝説」になる。