特別編 "あの日"の次の週末の話 後編
「よぉ、椎名も練習に来たのか」
「…………」
――カシャーン!
無視である。
いや、ドラムのシンバルを叩いて返事してくれたけど。
怒っているのも当然だ。
俺は先週、椎名の前から逃亡したのだ。
とはいえ、あれは仕方がないことだった――
先週の日曜日。
駅前の時計台の前で俺は変態不審者さんに襲われそうになっていた椎名を助けた。
本人は「ナンパされていた」と言い張っているが、見た目が小学生ロリな椎名はどちらかというと事案だ。
その後、何やら『自分の魅力』について悩んでいた椎名に「お前の良いところは"包容力があるところ"だ」と言ってやった。
俺はスタッフや誰かがミスをしても、咎めることなくいつも不器用に励まそうとしてくれる所を言ったつもりだった。
だが、こいつは自分には「"大人の女性"としての甘えたくなるような魅力がある!」と願望的飛躍解釈をしてしまったのだ。
さらに、包容力を求めていると勘違いされた俺には『オギャりたい願望』があると思われ、試験的に赤ちゃんプレイを強要してきやがった。
そりゃ、逃げるだろ。
とはいえ、こいつはヘソを曲げるとしばらくは一緒に練習もしてくれなくなる。
一応、勘違いさせた俺も悪いのかもしれないし謝っておくか……。
「先週はその……悪かったよ。いや、あの後用事があってな、すぐに行かなくちゃならなかったんだ」
どうにか理由をつけて説明すると、椎名はため息を吐く。
「シオン、用事なんかよりも幼児になる方が大事でしょ……?」
「また変な言葉遊びを……。そもそも、あの時はお前に半ば強制的に連行されたようなもんだぞ?」
俺の言い分を聞くと、椎名は腕を組んで考え始めた。
「……分かった。確かに私が急に遊びに誘ったんだし……そこに置いてある私の水のボトルを取って来てくれたら許してあげる……」
椎名はそう言って、スタジオの入り口の扉から対角にある机の上のペットボトルをドラムのスティックで指した。
「仕方ねぇなぁ……」
使いっぱしりくらいで許してもらえるなら安いもんだ。
俺が部屋の反対側まで移動して水のボトルを掴むと――その間に椎名はドラムの椅子から立ち上がり、カバンを持って俺が先程まで立っていた扉の方へとすかさず移動した。
不穏な空気を感じ取って、俺は身構える。
「おい、なぜ扉の前に移動した? あと、そのカバンはなんだ?」
「ふふふ……シオンは言い訳ばっかりだから。そんな悪い口は"コレ"で塞いであげる……」
椎名がそう言ってカバンから取り出したのは、赤ん坊が口に着ける『おしゃぶり』だった。
「お前、本当に用意したのかよっ!?」
「おしゃべりの代わりにおしゃぶりをするだけ……ほら、一文字しか変わらない……」
「何もかもが違ぇよ!」
「他にも、ガラガラやよだれかけ、ミルクの入った哺乳瓶もカバンにある。後は……シオンはおまる派? それともオムツの方がいい?」
「普通のトイレがいいですぅ! ていうか、そこまでやる気か!? 誰か助けてっ!」
人としての尊厳の危機を感じた俺は必死に叫んだ。
「シオン……大声を出しても無駄。この部屋は防音仕様……出口は私の背後、逃げ場は無い……さぁ、赤ちゃんになろう……? 包容力溢れる大人の女性である私がいっぱい甘えさせてあげる……」
「お前、俺に水のボトルを取りに行かせたのは入り口側を陣取るためかよ!」
「恥ずかしがらなくていいんだよ……? 椎名ママにありのまま甘えて……どんなわがままだって思うがままだよ……?」
「めちゃくちゃ韻踏んでる!? 怖い怖い!!」
右手におしゃぶり、左手にガラガラを持った椎名は興奮するように息を荒くして俺にジリジリと詰め寄る。
一方の俺は追い詰められ背中がついに後ろの壁に着いてしまった、絶対絶命である。
「――あら、椎名ったらようやく自分がおこちゃまだって認めたのね? どれどれ?」
突然、そんな声が聞こえた直後――
黒髪の綺麗なお姉さんが椎名の背後からひょっこりと現れて椎名の手に持っていたおしゃぶりを手に取り、椎名の口に突っ込んだ。
「やだ~! 可愛い~! すっごく似合う!! 完全に赤ちゃんだわ~! 凛月君、2人でこの子を育てましょう!」
無邪気に笑いながらパシャパシャとスマホで写真を取る彼女に椎名は額に青筋を浮かべていた。
すまん、椎名……おしゃぶりと手に持ったガラガラがマジでめちゃくちゃ似合ってる。
怒りのあまり、そのままフリーズしている椎名をよそに俺はそのお姉さんに話しかける。
「い、一之瀬さん……どうしてここ(湘南スタジオ)に……?」
「先週の日曜日、鎌倉に行く前にここでレポートを書いてたんだけど置き忘れちゃってたから取りに来たの! そしたら何だか凛月君の声が聞こえた気がしたから!」
スーパーモデル顔負けの可愛らしく整った顔立ち、スタイル抜群のこのお姉さんは一之瀬 玲奈さん。
都内の有名大学に通う二年生で、ペルソニアのベース担当『セレナ』の正体である。
ペルソニアでは狐の仮面をかぶって顔を隠していてもその溢れ出る色香でファンにモテモテだ。
そんな一之瀬さんは先週の日曜日、大学の友だち達と湘南に遊びに来たが騙されて合コンに連れて行かれてしまっていた。
RINEで助けを求められたので、俺が彼氏のフリをして何とか連れ出したのだが――。
「先週はありがとう! 凛月君が私の腕を掴んで、抱き寄せて『俺の女に触るな』って言ってくれた時はお姉さん胸がキュンキュンしちゃったなぁ~」
「言ってませんが」
恐ろしい歴史の改ざんが行われていた。
セレナさんの腕がいけ好かない男に乱暴に掴まれ嫌がっていたので、メガネを外した状態の俺がたまらず乱入して奪い返したが、そんなことは言っていない……言ってないよね?
そもそも、こんな陰キャで冴えない奴が一之瀬さんの彼氏なんてあり得なさすぎて、その時周りは俺の顔を見て開いた口が塞がらない感じでしたが。
「そして、その後の江ノ島デート! すっごく楽しかったよ!」
「デ、デデ、デートじゃないですよっ! あれは一之瀬さんがズルい方法でお願いするから仕方なく――」
「むぅぅ!?」
話を聞いた椎名はおしゃぶりを咥えながら顔を真っ赤にして怒りでプルプルと震えていた。
そりゃそうだ、椎名からしてみれば目の前から逃げ出した俺の用事は『一之瀬さんと遊びに行くこと』だと思われているだろう。
拗ねやすいこいつのことだ、自分も一緒に誘ってくれなかったことに腹を立てているに違いない。
一之瀬さんは俺と遊びに行った思い出を振り返る。
「あんなに激しく潮を吹いて……私、ビチョビチョに濡らされちゃって大変だったな~♡」
「あはは。まぁ、確かに大変でしたね……あれは、俺も興奮しました」
一之瀬さんが言っているのは、立ち寄った江ノ島水族館で見た『クジラの潮吹き』や『イルカショーで水をかけられて2人ともびしょ濡れになった』話だ。
よほど楽しかったのか、一之瀬さんは頬を赤く染めて身体をくねくねと動かしていた。
その様子を見た椎名は今度は真っ青な表情でおしゃぶりを口から落とした。
顔が赤くなったり、青くなったり……信号機かな?
「あっ、そうだった! 私、回収したレポートを提出しに大学に戻らないと! じゃあね、凛月君! 椎名はお子様なんだから、あまり遅くまで頑張り過ぎちゃダメよ!」
そして、椎名を気遣いつつ嵐のように去って行く。
椎名は持っていたガラガラを床に叩きつけた。
そして、涙目で俺を睨みつける。
「シオン……許さない。私にもあの女と同じことをして! いやもっとそれ以上の凄いことを……!」
案の定、自分を遊びに誘わなかった椎名は怒り始めた。
確かに椎名を誘わなかったのは悪いけどそもそも、椎名は超インドアだ。
長い距離を歩くのすらしんどいだろう。
俺は椎名を諭す。
「いや、お前無理だろ……体力ないし」
「大丈夫、頑張るから! 私ならどんなことにだって付き合ってあげられる……! 私は大人の女性! 私だってシオンに滅茶苦茶にされてヒィヒィ言わされたい……!」
「そ、そこまで言うなら。後悔するなよ――?」
◇◇◇
その後、「一之瀬さんと同じことをして」と言った椎名の要望どおり、まずは江ノ島に遊びに連れて行った。
そして、江ノ島本島にかかる長い橋を歩いている途中で予想どおり椎名の体力が尽きる。
「ヒィ……ヒィ……」
「本当にヒィヒィ言ってるけど。これで良かったのか?」
「こ、こんなはずじゃ……。シオン……おんぶして……」
「お前、大人の女性だなんだの話はどこにいったんだよ」
「ダメ……もう喉がカラカラ……カバンに何か飲み物入れてたかな……」
椎名は俺におんぶされながらカバンに入れていた哺乳瓶をチュパチュパと飲み始めた。
大人の女性とは……?
(あと、耳元でチュパチュパ音立てて飲むなよ……。いや、平常心だ平常心、椎名にドン引きされるぞ……)
こうして、悶々としたまま俺の休日は椎名の子守りで終わったのであった。
特別編でした!
書籍を読んでいると今回のように、これから更新される話がより楽しめるのもそうですが、そもそも本が売れないと、この作品自体が急に終わってしまいます。。。
ですので、助ける意味も込めてなろう版を読んでくださっているみなさんが一人一冊ずつ買っていただけると作品継続の非常に大きな力になります。何卒よろしくお願いいたします<(_ _)>
次回更新もできるだけ早く頑張りたいです!(雑用係の方が早いかも)
これからも応援、よろしくお願いいたします!





