横浜来訪者失踪事件第7話
「おぅ。おかえり」
「…ただいま。何だ君、来てたの。仕事は?」
「取り合えず今日のところは終わった。此方のが近かったから来たんだよ」
「そう。……蒼夜?どうしたの。入りなよ」
「あ、あぁ…」
「ん?何だ、蒼夜も来たのか」
「俺の家は、今日から此処なんで」
「…………は?」
結城の家に行ったら当然のように出迎えた翠川に呆然とした久瀬だったが、我にかえり対抗するように告げた。
「俺は今日、結城の家に越してきました。同棲です」
「否、同居でしょ」
「は、はあああぁぁぁ~~~同棲だとおおぉぉ!?!?」
今日一番の叫びが、高級マンション最上階に反響した。
「だから、同居だってば」
****
「あ~、今日は色々あったなぁ」
「一人で行ったからじゃないのか?」
「……根に持ってる?」
「さてな」
家に入り、崩れるようにリビングのソファーに結城は転がった。
久瀬はそんな結城の頭を撫でている。
翠川は三人分のお茶を持ってきて少し無言で立ち尽くした後、嘆息して向かい側に座った。
「何だ何かあったのか?」
「ん~仕事。マフィアのシマを荒らしている命知らずがいてね」
「へぇ。愉快な話じゃねぇか」
「結城。黒幕の見当はついたのか?」
「それは今、ドストエフスキーに調べてもらっているよ」
思い浮かべるのは、今日助けた一人の女性。
「まぁ、この事態を引き起こしたのが誰か。それの見当はついているけどね。それよりも、今回の案件。ちょっと厄介なことになりそうなのだよねぇ」
面倒そうに結城は溜め息を吐いた。
そして身体を起こし、座り直してカップに口をつけた。
「俺は、あの眼鏡の男の方が気になってるんだが」
「眼鏡の、男だぁ?」
久瀬の言葉に、翠川が素早く反応した。
既に殺気が漏れ初めている。
「……あぁ、桜庭くんのこと?彼とは調査中に会ったのだよ」
「それで、一緒に行動していたのか?」
「うん?」
「俺達には声をかけなかったのに?」
「……ごめんってば。怒らないでよ、蒼夜」
縮こまりながら、結城が気まずそうに謝罪した。
久瀬は溜め息を吐き、それ以上は云わなかった。
「それで、その男は何をしていたんだ?」
「私が調べに行った廃病院、彼処から怪しい光や音がするから其れを調べてほしいと依頼を受けたそうだよ」
「依頼?」
「うん。彼は探偵社の社員だ」
「‼」
「探偵社?」
ピンとこないようで、久瀬は首を傾げる。
翠川は忌々しそうに舌打ちした。
「……探偵社ってのは、異能組織だ」
「琉夏、随分と厭そうだけど、探偵社と何かあったのかい?」
「以前、獲物を横取りされたことがあんだよ。殺す予定だったんだが、逮捕されちまった」
「ああ。そういうこと」
「……結城は、今回の案件に関係があるから、其処の廃病院に行ったんだよな?そして、其処に探偵社も来た。これは偶然か?」
「否、恐らくだけど。犯人の狙いは探偵社だ。私はイレギュラーだろうね」
「どういうことだ?」
「あの廃病院。敢えて桜庭くんには云わなかったのだけれど、至るところにカメラが仕掛けてあったのだよ。監禁されていた人達が映るようにもなっていた。それを助けられなかった社員を映して、世間の評判を落として潰すつもりなんじゃない?きっと明日の新聞に載ってるよ」
「それが狙いだと?」
「多分ね。だから態々依頼を出したのだろう」
「なら、その依頼人が犯人ということか?」
「探偵社は依頼人知らねぇのかよ?」
「来たのは手紙で、直接ではないみたいだね」
「手前は大丈夫だったのかよ?」
「私がカメラに映るようなヘマをするとでも?」
翠川と久瀬は揃ってそれはないなと思った。
「まぁ兎に角そういうことだから、黒幕は探偵社を恨んでいるのだろう。『横浜来訪者失踪事件』もその為に起こしたものだ。それが臓器密売に繋がりうちに被害が来た。まぁ副産物みたいなものだね。ようはオマケだ。だから失踪事件が解決すれば、密売も止まるだろうさ」
「なら、態々結城が関わる必要はないんじゃないのか?探偵社とやらに任せればいいだろう?」
「私もそう思ったのだけれど、相手はかなり狡猾だ。恐らく桜庭くんでは荷が重いと思ってね。彼は優しいし、人を疑わない。彼では黒幕に辿り着けないよ」
そう云った結城の目は冷たく、幹部としての目だった。
其処で話は途切れ、沈黙が続く。
「……飯、どうすんだ?」
中原が時計を見て云った。
「んー、今日はもう寝るよ」
「風呂沸いてっから、入れよ」
「はーい。琉夏、明日のご飯お願いね」
「おう」
結城はソファーから立ち上がり、浴室へと向かった。
久瀬は結城の姿が見えなくなってから、翠川に話しかけた。
「翠川さん」
「あ?何だ?」
「何で翠川さんが太宰の家に居たんですか?」
「何でって、云っただろ?仕事帰りで此方のが近かったからだ」
「鍵は……」
「合鍵に決まってんだろ?そんなに驚くことか?結城だって俺の家の合鍵持ってるぜ?よく泊まってくし。私物どころか互いの家に部屋まである」
「え……。……鍵、返してください」
「は?」
「此れからは俺の家でもあるんです。…………正直邪魔(小声)」
「おいこら、聞こえてるぞ!」
「何のことでしょう?」
****
「……桜庭くん、大丈夫かい?」
「…………結城?」
翌日。
太宰は探偵社を訪れていた。
一人で。
(また怒られるかなぁ。)
「報道、見たよ。災難だったね」
「…敵の狙いは、これだったのだろうな」
桜庭は溜め息を吐いて肩を落とした。
そこでふと、気がつく。
途中からとはいえ、一緒に行動していた筈の結城の姿は少しも映ってはいなかったことに。
「結城」
「?」
「……否、何でもない」
カメラがあることを知っていたのかと聞こうと思ったが、止めた。
気がついていたのなら云っていただろうし、映らなかったのは偶然だろうと思ったからだ。
勿論、それは間違いなのだが。
「佐々城女史から話は聞けたのかい?」
「ああ。だが彼女は何も見ていないそうだ。元々身体が弱く、拐かされた日は特に体調が佳くなく気を失ってしまったと」
「そう」
結城の目が鋭くなった気がした。
だがそれは一瞬のことだったので、桜庭は気のせいだと思った。
「ところで、彼女は此処に一晩居たのだよね?」
「?ああ」
「何かなかったのかい?」
「は?」
「彼女、美人だっただろう?」
「は、……は!?」
結城の云わんとすることが分かり、桜庭はすっとんきょうな声を上げた。
「待て待て、どうしてそういう話になる!?」
「その反応だと、何もなかったようだね。つまらないなぁ」
「当たり前だ莫迦者!何かあってたまるか!それに、俺は」
「俺は?」
桜庭は結城を見詰めた。
明るいところで見ると益々よくわかる端整な顔。
右目に巻かれている包帯でさえアクセサリーのようで、勿体無いとも思うがそれが美しさを損なうことはない。
桜庭は自分の顔に熱が集まるのが分かり、首を軽く振った。
「……何でもない」
「そう?…それにしても何もないなんてなぁ。桜庭くんは中々男前なのだから、彼女も悪い気はしないと思うのだけれどね」
「男前……」
落ち着けこいつは男だと云い聞かせても、無駄だった。
正直嬉しいと思う桜庭。
「そうだねぇ。この眼鏡をもう少し洒落たものにしてはどうだい?これは少し地味だからねぇ」
「ほっとけ。…………眼鏡?」
桜庭の脳内に巡るのは。
(眼鏡。被害者の写真。顔。監視装置。全員が、宿泊亭の─)
「如何したの、桜庭くん」
「行くぞ、結城」
桜庭は踵をかえし、着いてくるように結城を促した。
「犯人が判った」
桜庭のその言葉に背後で結城は、口角を上げた。
****
横浜港に潮風が吹く。
桜庭と結城は横浜港の海辺、河口の畔に立っていた。
目の前に一台のタクシーが停車する。
「桜庭調査員!さぁ、お乗りください」
運転手に促されるまま、桜庭と結城は乗り込んだ。
桜庭の心中は複雑である。
この運転手とは顔見知り。
だが桜庭は、これからこの運転手を糾弾しなければならない。
「最近起こっている『横浜来訪者失踪事件』、犯人はお前だな。そして誘拐現場はここ、タクシーの中だ」
絶句している運転手。
そんな運転手に追い討ちをかけるように、結城が続く。
「運転手さん。君は日常業務を行いながら、ある特定の客を探していた。条件は簡単。『一人で横浜を訪れており、これから宿泊亭に向かう事』『帽子、眼鏡、遮光硝子サングラス等で顔が部分的に隠れている事』『君と背格好が近い事』──君は小柄だから、条件さえ合えば女性でも良い。その方が被害者の関連性が消え、捜査を攪乱できるから」
淀みなく話す結城に、桜庭は驚いた。
探偵社の調査状況等は話していない。
必要とあれば告げるつもりではあったが、まだだった。
それなのに、結城の推理は完璧だった。
(一体、何処から情報を?…そういえば、太宰が何をしている奴なのか、聞いていなかったな。関係者、とだけしか)
桜庭の疑念を余所に、結城は更に続ける。
「条件に合った人物をタクシーの中に催眠瓦斯を撒いて気絶させる。それから隠れ家まで運転し、監禁。荷物と服を奪う。そしてその服を着て、被害者に変装する。その上で態と監視映像に映る。後はまぁ、云うまでもないことだね」
その通りだった。
凡ては結城の云う通り。
だが、運転手はけして認めなかった。
証拠がないからだ。
決定的な、物的証拠が。
幾ら論拠を上げても、その証拠がないから認めようとはしない。
その上で、運転手は取引を持ちかけてきた。
「取引を致しましょう。条件を呑んで頂ければ、僕は自首致します」
「何?」
「条件とは、探偵社が僕を依頼人として警護し、安全保障することです。期限は僕が検察取調べを終え、取引による証人保護が成立する迄、七十二時間の間」
「どう云う意味だ?」
運転手は怯えたように捲し立てた。
逆鱗に触れた。
そう云って。
「まぁ、だろうね」
「結城?どういうことだ?」
「簡単なことだよ。例えば大企業が微妙な管理をしてる供給市場に、個人事業者が突然割り込んで市場を引っかき回したらどうなる?」
「大企業が、怒る?」
「そういうことだよ」
「だから、どういう」
瞬間、車体に衝撃が走る。
弾丸が飛来する音と共に、窓硝子が爆ぜ割れた。
「銃撃だ!頭を下げろ‼」
手馴れた襲撃。
おまけに横浜で乱射するようなものなど限られている。
「真逆、マフィアか‼」
「ひいっ、助け…………死にたくないっ!」
運転手は車を飛び下り、襲撃とは逆方向に遁走した。
「おい、待て!……ちっ、結城っ‼」
運転手を追うにも、まずはマフィアを何とかしなければならない。
桜庭は手帳を取り出し、結城に呼び掛ける。
「結城っ‼お前は運転手を追えっ!奴を逃がしても死なせても、事件の真相は藪の中だ‼」
「……判った。桜庭くん、気を付けてね。」
桜庭は頷き、手帳を開いた。
「『独歩吟客』──閃光榴弾フラッシュバン‼」
閃光榴弾は、一時的に視覚と聴覚を奪う光字音響兵器である。
予測していなかった反撃にマフィアの一団は蹲った。
その一瞬の隙に結城は飛び出して運転手の後を追い、桜庭は敵の元へ向かい、一団を昏倒させた。
「やれやれ」
却説、結城を追うかと踵をかえしたところ、背後から膨大な殺気。
振り返るより早く、横方向に跳んだ。
黒い奔流が駆け抜ける。
そしてそれは、タクシーを両断した。
遠くに見える黒外套の小柄な青年が一人。
「貴様──マフィアの芥川千尋か!」
最悪だ、と、桜庭は呟いた。
*
「運転手さん!落ち着いてください」
「死にたくないっ!死にたくないっ‼」
結城は逃げる運転手に追いつき、肩をつかんで引き止めた。
落ち着くように、声をかける。
「此処にはマフィアは来ていませんよ」
「……っ」
ようやく落ち着いたようで、運転手は嘆息した。
それを見て、結城は質問した。
「まだ、認めませんか?」
「…………。取引に、応じて頂けると約束してくださるなら」
「そうですか」
溜め息を吐いて、結城は懐から拳銃を取り出した。
─ガチャ
「っ!?な、なにを‼」
「関係ないんですよね。私達には」
いつの間にか、運転手は壁際に追い詰められていた。
目の前には銃を構える結城。
逃げ場は、ない。
「君が認めようが認めまいが、証拠があろうがなかろうが、関係ない。君の行いだと、それだけが分かっていれば問題はないんですよ。私達にはね」
「……、ま、真逆。貴方は……」
ガクガクと、運転手の身体が震える。
ある考えが、運転手の頭に浮かぶ。
目の前にいる、青年は。
「手を出す場所を、間違えましたね。自衛の手段がないのなら、探偵社と取引するしか手がないなら、裏社会に手を出すべきではなかった」
「貴方は、マフィアの!」
「さようなら」
引き金を、引いた。
****
「無事かっ!結城‼」
何とか芥川の襲撃を逃れた桜庭は、結城のところに駆けつけた。
「桜庭くん……」
そう、茫然と呟く結城の目の前には、事切れた運転手。
桜庭は、息を飲んだ。
「後免。私が来たときには、もう……」
「ちっ、他にも来ていたのか。……結城、お前は大丈夫なのか?怪我は?」
結城は首を振った。
どうやら怪我はないらしく、桜庭は安堵した。
「そうか。良かった。……これは、お前のせいではない。俺がもう少し早く来ていれば良かったんだ。気に病むな」
「うん……」
気を落としている結城に桜庭はつい手を伸ばしていた。
そして優しく、自分より少し下にある頭を撫でた。
「桜庭くん……?」
「あ、す、すまないっ‼つい!」
「否、別にいいけど」
顔を赤くし、桜庭は急いで手を下ろした。
「……しかし、何とも後味が悪い終わりだな」
「…………そう、だね」
結局真相を明らかにすることは出来なかった。
それにこれで結城と会う理由がなくなるなと、桜庭は少し残念に思った。
「帰ろう」
タクシーの合った場所まで戻る。
途中、国木田の少し後ろを歩いていた結城はぴたりと足を止め、闇の中に声をかけた。
「…足止め、ご苦労様」
「……」
闇の中にいた芥川は、その言葉に一礼し、姿を消した。
「結城?」
「今行くよ」
****
桜庭と別れた結城は、帰路に着いていた。
「…やぁ、今日はまた勢揃いだね」
結城の目の前には、久瀬、ドストエフスキー、翠川。
「結城。また一人で行ったな」
「零くん。無事で何よりです」
「結構疾かったな」
結城は笑顔を溢し、三人と合流して歩き出す。
「そういやドストエフスキー。手前は何を調べてたんだ?」
「今回の事に関係があるんだろう?結城に何を頼まれていたんだ?」
「あぁ。今日はその報告に来ました」
「流石、疾いねドストエフスキー。聞こうか」
「『紅色旗の反乱者テロリスト』事件について」