広望 6
車に揺られている孔喜は次に図書館に行く様に運転手に伝える。 暗い闇の中を車は、ひと気の無い森の奥から街へと戻り出た。石畳が続く市街地を車は走り続ける。夜の闇の中、市街地は街灯の灯に照らされて仄かな揺らめきを見せていた。市街地から少し外れた場所に広大な敷地が現れた。車は、その敷地の中へと進んで行く。やがて前方に巨大な建物が見えて来た。その建物の入口付近へと近付くと車は停車した。
「到着致しました」
運転手は、後ろの座席の扉を開けて孔喜に一礼する。
「有り難う」
と、一言礼を言いながら孔喜は、車から降りて行く。
外へと一歩踏み出した孔喜は、周囲を見渡す。既に空は薄暗い闇に覆われていた。前方を見ると上空へと見上げてしまう程の高さがあった。孔喜は、しばらくの間、その巨大なまでの建物を眺めていた。建物は、少し古い形式で作られていた。素材は煉瓦状の物で作られていた。建物は見た目の寂れていた形から、築五十年以上が経過しているのが伺える。中央部には、天を突きさす様な、尖った屋根が伸びていた。人の目の届かない様な、細部に至る所に細かい模様が施されていた。建物の入口までは横長に広がる石階段を、二十段程上がって行く必要があった。孔喜は、その石階段を上って行く。やがて前方に、古風を思わせる様な、木材で作られた大きな扉が見えて来た。孔喜は、その扉を押し開けて行く。
ギイー…と、寂れた様な音共に扉は内側へと開いて行く。建物の中へと入って行くと孔喜は周囲を見渡す。建物の中は、外側の寂れた様な雰囲気とは異なり、内側は近代的な雰囲気を、全面的に押し出して作られた、大きな図書館だった。建物の内部の構造は学舎永連とは、比較にならない程の大きな造りであり、建物の内部は、入口付近から数十万冊もの本が目に入ってくる。見上げる程の高い天井へと続く階段の壁際から、長い廊下等に至る所にまで、本棚が取り付けられ、その全ての本棚には、本が隙間なく並べられていた。孔喜は建物の入口付近にある受付へと向かう。受付には眼鏡を掛けた少し痩せ気味の男性が居た。
「こんばんは」
孔喜は一言挨拶をする。
「今晩は」
と、受付に立っている男性は笑顔で挨拶を交わす。
孔喜は、手にしている鞄の中から、一冊の本を取り出す。表紙には「放浪記」と、題されていた。それを受付に立っている男性の前の台の前に置き「これを返却しに来た」と、言う。
「どうも、有り難うございます」
と、男性は、一礼して本を受け取る。
用件が終えると、孔喜は図書館の周囲を見渡す、図書館に入って来ると必ず感じられる本独自の香りを吸い込み少し落ち着いた気分になる。
「君、最近出版された新書の中で、何か面白い本はあるかね?」
と、受付の男性に声を掛ける。
男性は、少し首を傾げて、
「最近ですか…?そうですね…自分が読んだ本の中では…特に、これと言った本はありませんね。新書で並んでいられる本を適当に見て選んで見ては、いかがでしょうか?」
「そうして見るよ」
一言答えて孔喜は、その場を離れて中央部にある新書が並んでいる場所へと向かう。
受付の場所から、さほど離れていない場所に新書は並べられていた。その場所へと孔喜は向かい、並んでいる本を手にして、本を見開き元の場所へと戻す。新書の棚を見続けていると、後から少し嗄れた様な声で呼ぶ声が聞こえた。
「やあ…孔喜殿」
孔喜は周囲を見回す。すると足元の衣服の裾を引っ張られている事に気付く、孔喜は、足元を見ると、そこには背丈が低く、小動物位しか無い、奇妙な人型の姿に気付く。人型の者は見た目からして、高齢の様だった。孔喜は膝を折り曲げて、人型の者の近くへと顔を近付ける。
「これは、これは…、小妖人種の奉銘殿ではありませんか。この時間まで図書館に居られると言う事は、まだ…お仕事ですか?」
「ああ…今日は、朝からずっと仕事じゃよ全く…人間達は我々に対する扱いが酷くて困るよ。何とかならないものかな…」
奉銘と言う名の者は、苦い顔をして話す。ふと…孔喜は、奉銘の後ろへと目を向けると彼の側には、小さな台車があり、その荷台の上には何十冊もの本が積み上げられていた。
「今から、この台車に乗せてある本を全部片付けに行くのだよ」
奉銘は言う。
「それは…また、大変ですね」
「全くだよ、老人をこんなに扱き使うとは…。今のままでは二~三年後には、きっと他界するかもしれない」
奉銘は、溜息を吐きながら答える。
「あまり無理をせずに頑張って下さい」
「そうするよ」
奉銘は相槌を交わす。ふと、何かに気付いたかの様に奉銘は、孔喜に再び話し掛ける。
「ところで孔喜君、この様な時間にここへ来るとは、君にしては珍しいな…何か探し物なのか?探している本があるのなら言ってみろ。ここにある本は全て知り尽くしているから、すぐに探しだして来てやるぞ」
「いえ…今日は、そのつもりで立ち寄ったのでは、ありません」
「何だ、君にしては珍しいではないか…。何か、別の用件で来たのか?」
「まあ…、そう言う事ですね。本を一冊返却しに来たのです。学舎永連の図書室に、その本が学舎には見付からず、こちらの図書館に来て、ようやく、その本を見付ける事が出来たのです。おかげで我々にとっては、おおいに役に立つ事が出来た本であります」
「ほう…そうなのか、で…そこまで探した本の題名は何と言うのだ?」
奉銘は、興味深そうに、尋ねる。
「放浪記と、言う本です」
「ほお…。それは、また…こだわった本を君は探しに来たのだな」
少し驚いた口調で、奉銘は言う。
「確か、飛連と言う名の探検家が、書いた自伝的と言うか…手記と言う感じの本であった筈だな…」
「そうです。流石、よく御存じで…」
「しかし…あれは、現実主義の様な君には合わないと思うが…。理想を求めて生涯を探検に費やして光源郷を探し続ける…。などと言った内容は、あまりにも自伝的過ぎて他人が読む内容では無いと、わしは思うが。どう考えても…君には少し不向きと感じるが…心境の変化で読む気になったのか?」
「いえ、読んだのは私でなくて新良君です。彼が熱心にお読みになっていました」
それを聞いた奉銘は、驚いた表情で
「何と、あの方が!と…言う事は、もしかして噂は本当の事だったのか?あ…あの、浄創様の復活と言う噂は?」
「まあ…まだ初期段階の手前で、実際どの様になるかは不透明なところなので公にされると少々困ります。ですが…今回の確率は、高いと皆は予想しています。我々永連の教育関係者達の多くも、この二年半、彼には、いろいろ教えて来ました。もし…今回の計画が失敗でしたら、これでこの計画の全てを打ち切りにします。その時は同じ種の仲間達に関する問題は、別視点から考え直そうとも、深殿とは話をし合っています」
「か…構わない、何年掛ってもわしは待つぞ。浄創様が復活なされれば異類人種の現在の環境に再び光が芽生えるからの」
奉銘は、嬉しそうな口調で言う。その口調は高齢とは思えない程であった。
「よし、元気が出て来たぞ、わしはあと五十年生きるぞ!」
奉銘は、元気を取り戻して大声で言い、走ってその場を立ち去って行く。
後ろで見ていた孔喜は、少し微笑み手にしていた本を、棚へと戻し、そのまま図書館を出て行く。外へと出ると、辺りは夜の闇に包まれていた。空には、無数の星が散りばめて輝いていた。
孔喜は階段を降りて行く、周囲には人気が無く、少し進むと前方に箱型の車が見えて来た。車の横には、運転手が孔喜の帰りを無言の表情で立って待っていた。
「待たせて、すまない」
孔喜は、運転手に向かって言う。
「いえ、構いません」
運転手は、一礼しながら答える。孔喜は車に乗り込もうとする。その時運転手が「先生」と一声掛ける、その言葉に気付いた孔喜は振り返り運転手の方を振りむく。
「どうしたのだ?」
「実は…先程から、お連れの方がそちらで待っていまして…」
「連れ…?」
孔喜は車の横へと顔を覗かせる。車の横の影には誰かの人影らしき姿が座っているのが覗えた。
「誰だ、そこに居るのは?」
と、声を掛ける。孔喜のその言葉を聞いて車の影から一人の男性が現れた。男性は見た目からして三十代位の感じであった。その男性を見て、孔喜は溜息を吐きながら話し掛ける。
「何だ、朗戒か(ろうかい)…」
と、少し呆れた表情で呟く。
「先生、何だ…は、無いでしょう」
朗戒と言う名の人物は答え、さらに話し掛ける。
「これでも、自分は先生の事を心配して待っていたのですよ」
「待っていたのなら、何故、その様な場所に君は隠れていたのだね?」
「え…いや、夜間の一人での外出に対して、叱られるかな…とか、思って…」
朗戒は、愛想笑いで答える。
それを聞いた孔喜は、溜息を吐きながら言う。
「理由も無く叱る者が何処に居る?そもそも、お主は永連では一応…教育者達の助手を務めている者であろう。生徒達に指導として、叱るのなら、まだ話は分かるが、助手に対して…それもいっぱしの大人に向って夜間の外出が、どうのこうのと言うのはあまりに不自然であろう…」
側にいた運転手は楽しそうな表情で二人の会話を聞いていた。
「他に特に理由がなければ、私はこれで失礼するよ。私も、こう見えていろいろと用があるのでね」
と、孔喜は、車の扉を開けようとする。
「ちょっと待って下さい」
朗戒は、孔喜を呼び止める。
「一体、何の用があるのだ?」
「先生覚えているでしょ?僕達が、一緒に緑谷島へ行った日の事」
その言葉に孔喜は、頷きながら返事をする。
「ああ…、覚えているとも。もう二年半位前になるかな?」
「今日、新良君は旅立ちましたよね。もし…今回の事が上手くいった場合、その全ては僕等のおかげと言う事になりますよね…。それって皆に自慢しても構いませんか?」
朗戒は息を弾ませながら、孔喜に向って言う。
その言葉に孔喜は、少しの間沈黙をして考え事をしているかの様であったが、しばらくして口を開いた。
「お主は、あの島へ行って一体何を学んだのだ?わし等が、今秘かに実行している計画とは、人々から脚光を浴びる事では無い筈であろう…。確かに広世に失われた光を取り戻す事が本当の目的であり。全ての計画は、その大前提として、行われておる。わし等の行動や、その役目に至っての事等、全体から見れば、ほんの一握りしか加わってはいないのだぞ。その辺の事からして、お主は皆との考え方が、食い違っておる。そんなに周りから注目を浴びたいのであれば、舞台俳優を目指すのが良かろう」
孔喜は、それ以上は何も言わずに運転手に「出発してくれ」と、一声掛けて自分は車に乗り込む。孔喜が、車内に乗り込んで、しばらくして車は走り始める。厳しい発言を間近で聞いていた運転手は、少し気にしていた様子で孔喜に向って声を掛ける。
「自分の様な者が口を出すのは余計な事かもしれませんが…良いのですか、あの様な厳しい発言を成されて…」
運転手の言葉に孔喜は、何も答えなかった。しばらくの間沈黙が流れて孔喜は、何気なく口を開く。
「朗戒は少々厳しい言葉が必要だ。彼は良くやっていてくれる。それは私自身認めておる。しかし…あの者は見た通り軽い性格だから、直接誉めると直ぐに調子に乗る性格だから面と向かって言わない方が良いのだ…」
「相手の事を、良く考えていらっしゃるのですね」
と、運転手は言う。
「彼だけの事だったら私自身、毎日頭を悩ましたりはしない。正直私は今現在でも迷っているのだよ。今回のこの計画が全て失敗に終わった場合、私は永連の歴代の学園長の中で最も愚かしい行為を行って、辞任した者として名が刻まれるかもしれないのだ。何よりも国は既に私の行動に関して目を光らしている。今日の祝賀会で会った塊矛と言う人物を見てそう感じたよ。それ程までに今回の計画とは危険を冒しているのだ。新良と言う少年を旅出せてよかったのかな?とか…。あの島で彼と会わなければ良かったのかな…と、何時も思っておる…」
その言葉が終わると運転手との間に会話は無かった。車内の静かな空間の中、孔喜は二年半前の出来事を思い出した。




