広望 3
璃明の言葉に対して孔喜は、どの様に反応して良いか、少し迷った。相手の表情からして、その事が嘘、偽りの無い事だと言う事は伺えた。二人の間で、しばらく沈黙の時間が流れた。
「先生」
璃明は声を掛ける。
「私は、自分の決断は間違ってはいないと感じています。現に、今この国では彼等への差別行為が厳しくなって来ています。これは異類人種達による暴動が原因だからと推測出来ます。その上、彼等による人間達への暴行等事件も、年々増加の傾向に至っています。最近では清豊半島の国政機関が、未成年者の夜間、一人での外出を禁止させる程までに来ています。この様な現状を目の当たりにして、学舎内は安全だとか…、校内では差別は無いと言うのは、あまりにも都合が良すぎると思いませんか?」
「確かに君の言っている事は、間違ってはいない…。私自身も、それは感じておる。しかし…今の状態が、今後先もずっと続くとも限らない…そうは思わないかね?」
「良い方へ向かう…と、言うのですか?」
「今の所は何とも言えない…。ただ、私自身の意見としては少なくとも、彼等を信じている事に悔いは無いと言える筈だ」
璃明に向って話すと、孔喜は席を立ち数歩進んでから振り返る。
「君の意見を批判するつもり等は無いが…。しかし…もう少し肩の力を抜いて、同じ種の仲間達と接して見るのも悪くはないぞ…」
と、一言伝えて孔喜は図書室を出て行く。
「……」
璃明は何も答えず、孔喜の後ろ姿を見て一礼をする。
図書室を出た孔喜は、廊下を進んで行く。長い廊下を進み階段を降りて行く、廊下を歩き進んで行くと学舎の玄関先が見えて来た。学舎の玄関を抜け出て外へと歩み出ると孔喜は山高帽を被る。空を見上げると、薄暗い闇に包まれていて物静かであった。周囲を見渡すと迎えで待っている運転手の者以外、他に人の姿は無かった。孔喜は外で一人待っている男性の側まで歩いて行く。
男性の近くまで行くと「遅くなってすまないな」と、孔喜は声を掛ける。運転手の男性は、軽く笑みを浮かべて「いえ、構いません」と、一礼しながら答える。
運転手の男性は背丈が高く、学舎の生徒と同じ様な制服に身を包んでいた。顔や肌の色は浅黒く、頭に帽子を被り、帽子の端から長く飛び出た耳が見えていた。耳先は尖っていた。男性は自分の後方にある鉄製で作られた箱型の自動車の扉を開ける。
孔喜は開けてもらった自動車の中へと乗り込み「有難う」と、一言礼を言う。彼が車内に入ったのを確認すると男性は外側にある自動車の機械を手回する。
数回の手回しで自動車は機械の駆動が掛かり大きな機械音と共に自動車の振動が響き始める。
運転手の男性は前方にある屋根付きの運転席へと乗り込み、発進前に後方にある窓を開けて来た。
「途中、祝賀会の他に寄る場所が有るのですよね?場所は図書館で宜しいですか?」
「ああ…そうだ。余計な手間を掛けさせてしまうが頼む」
「かしこまりました」
運転手の男性は返事をすると窓を閉めて、自動車を発進させる。自動車は学舎の中央に広がる石畳の道の上を走り始める。
石畳の道を通り過ぎ、学舎の大きな門を抜け出ると、街灯に照らされた薄い闇の街へと進んで行く。
学舎内に残っていた璃明は、誰も居ない薄暗い廊下を一人歩いて行く。紺色に染まった学舎の生徒用の上着を着込み右肩に鞄を掛けて玄関を出て行く。夜の闇に包まれた石畳の道を璃明は一人歩いて行く。外灯に照らされた道の端を歩いて行く。秋の初旬、並木からわずかに枯れ葉が落ちて道の端に積もっていた。璃明は枯れ葉の積もった道の端を何気なく歩いていた。その時、足元で何かが当り、キン…と微かに物音が聞こえた。
璃明は振り返って物音が聞こえた場所まで戻る。外灯の薄明かりの下、眼鏡を掛けて周辺を見回すと道の端に煌めく物が落ちている事に気付く。
(何かしら…?)
璃明は気になって拾い上げて見る。それは金色に輝く小さな首飾りだった。網目状に細部に至るまで、見事に作られた首飾りであった。璃明は、その首飾りの美しさに見とれていた。
(まあ…綺麗ね、誰が落として行ったのかしら…?)
眼鏡を掛けて細かい部分を見ている時、その裏側に国の文字とは異なる、異国とも思える文字が刻まれている事に気付く。その文字らしき物に気付いた璃明は(異類人種達の物ね…)と、眉を顰めて見る。
相手が誰の物なのか分かると、璃明は首飾りをその場に置いて、眼鏡を外し歩き始める。数歩進んで璃明は立ち止まる。頭の中で、つい先程の孔喜の言葉が浮かびあがった。
『同じ種の仲間達と接して見るのも悪くは無いぞ…』
その言葉を思い出して、璃明は振り返って戻り、首飾りを拾い上げ首飾りを手にすると学舎の裏側へと向かって歩き始めた。
学園の大きな建物を横に通り抜けて行くと、周囲は表の通り道とは異なり、少し見窄らしさが漂ってくる。表の石畳の通り道は連日の様に多くの人達が手入れを施している為、華やかさが感じられていたが裏道は、その様な雰囲気が感じられなかった。通り道の端には草花が生い茂り、虫の鳴き声が響いて来た。薄暗い闇の中を璃明は歩き続けて行く。
やがて前方に、ほんのりと明かりが見えて来た。璃明は、明かりの射す方角へと進んで行く。明かりが照らす先には、学園とは比較にならない位小さな建物があった。
小さな建物は、木造で建てられていて古惚けた様子が見受けられる。周辺一帯を金網で覆われている。その金網の中には、まだ年端も満たない程の小さな子供から、璃明と同じ位の年少までの者達が何人もいた。
金網の向こう側に居る者達は、動物を似せた様な姿や、体付きが異様に大きな者、手や足が妙に長い者等、普通の人の体形と比べると何処か違って見える。何より動物型の者を覗いて他の者達に共通して見られるのは皆、耳が長く飛び出て耳先が尖っていた。
彼等は金網の中にわずかに設けられた広場の中、わずかな明かりの下で、皆が楽しそうに笑い声を上げて遊んでいた。
「……」
璃明は金網の側まで行き無言の眼差しで、目の前に見える光景を眺めていた。数人の異類人種の子達が球蹴りをしていた。彼等は皆、異類人種と言う名目を着せられている以外は、ごく普通の子供達と何ら変わりは無かった。
その中の一人が金網の近くへと転がった球を追い掛けて行く。球を拾い上げようとした時、金網の向こう側に立っている璃明に気付き「うわっ!生徒会長だ!」と、大声で叫ぶ。
その言葉に気付いた数人の異類人種達が、金網の側へと近付いて行き璃明を激しく睨みつける。
「何の用があるのさ生徒会長さんよ。まさか俺達への規制を、より強化する為の視察なのかね?」
「別に…貴方達の意味不明な行動を今さら見ても、大した価値など無いのは分かっているから必要はないわ…。それに…私は、そんな事をしている程暇ではないし…」
それを聞いた獣人系の子が、「フウウ~…!」と、唸り声を上げて激しく金網へと飛び掛る。
「よせ!」
年長者が声を掛ける。
金網が激しく揺れる音に気付いたのか、建物の中から、さらに数人の異類人種達が出て来た。彼等は皆が集まっている場所へと近付いて行く。
「生徒会長さんよ、暇では無いのなら一体何をしに、わざわざここへ来たのだよ?」
その質問に璃明は、ハッ…と、自分が余計な事を口走っている事に気付いき戸惑いながら
「べ…、別に…」
と、呟きながら答える。
気が付くと金網の向こう側には数十人の異類人種達が、璃明に対して冷たい目線で見つめていた。それに気付いた璃明は
「ああ…いけない、こんな所で時間を費やしていると他の生徒達に、学問を追い越されてしまうわ、早く帰らないと」
と、言って璃明は少し後ろへと下がる。その時、上着の中に隠し持っていた首飾りを金網の向こう側へポイッと軽く投げ落として、璃明はそのまま何も知らない様な素振りで立ち去って行く。




