三年前 15
「あのう…一つ質問しても良いですか?」
その言葉に老人は「どうぞ」と、答える。
「失礼かもしれませんが…この周辺では、あまり見かけたりしないですよね。どの辺に住んでいられるのですか?」
その言葉に後ろにいた男性が答えた。
「私達は君達と同じ島国に住んでいても、暮らしている場所は下部周辺なのだ。君達とは滅多に会う機会も無かろう」
それまで、なにも言わなかった男性が口を開いた。二人は若い男性を見る。年齢は二十代位で、長い黒髪をしていて目は大きく、背丈も高く、黄色い肌をしていた。男性の耳先は奇妙に耳先が尖っていた。
「のう…志邦よ、この子達に下部とか難しい事を言っても分からないだろう」
志邦と呼ばれた男性は、
「失礼しました」
と、老人に向って頭を下げる。
「何ですか下部って?私、今始めてその言葉を聞きましたが…」
理亜は老人に向って話し掛ける。
「まあ…その前に、せっかく会えたのだ、まずは自己紹介をしようでは無いか、わしは曽信と言う者だ、そしてこちらに居る者が志邦と言う者だ」
「私は…」
理亜が自分の名前を言おうとした時、曽信が手を差し伸べる。
「いや、言わんでも分かるよ。君は理亜さんだよね。それで、そちらが新良君だよね」
曽信が名前を見事に当てると、二人の表情はさらに一変した。
「どうして、私達の名前を知っているのですか?」
理亜は驚きながら言う。
「君達の事は、よく知っているよ。我々の間では君達は、とても評判であるからな…まあ年を取ると噂話が何よりもの楽しみになるのでな…。ところで新良君…」
「はい、何でしょうか?」
「君は何歳位の時に、この島へ来たのかね?」
その質問に新良と理亜は驚いた。初対面で、まだ相手の名前を知ったばかりなのに、いきなり相手の者に、何時頃島へ来たのか…と、言う質問に新良は少し戸惑いながら…
「え…と、ですね…三歳かその位です」
新良自身その辺は詳しくは分からなかった。三歳と言っても実は四歳位かもしれなかった。物心着いた頃には理亜や利空とは仲良く遊んでいた。その頃から既に島の環境に慣れ親しんでいた為、自分が島へ来た事は、つい此の間の祭りの晩、黄洋の話を聞いた時に自分が知ったばかりであった。
「成程…」
「失礼ですが…どうして、僕がこの島に来たと分かったのですか?」
「新良君には、この島の住人とは違う匂いがするのだよ。まあ…なに長年生きていると、いろいろ分かるものだ」
と、曽信は言う。
「凄いですね、長生きをすると見た目で相手の事が分かるのですか」
新良が感心そうに言うと、隣に居た理亜が片肘で新良の脇腹を突き、相手に聞こえない程度に「そんな事ある訳無いでしょ」と囁く。
脇腹を叩かれた新良は、少しむせて食べ掛けていた物を喉に詰まらせて咳き込む、それを見ていた曽信と志邦は、笑いながら二人のやりとりを見て楽しんでいた。
「そう言えば、貴方達は下部から来たと言っておりましたが。私達は下部と言う言葉は今日まで耳にした事ありませんが、どう言う意味であるか教えてくれませんか…」
理亜が、曽信に向って言う。
「そうだの…簡単に例えると、君達がごく普通に暮らしている場所…いわば光が差し込み安定した住居のある場所を上層部と、わし達は言っておる。その下で昼間でも光が届かず周辺は獣等がいて不安定な住居のある場所それを下部と、わし達は皆は言っておるよ」
「私達が暮らしている島の中に、二階層に住居が分けられていた…と言う事ですか?」
「そうだな…まあ、下部は主に食糧庫や物置に使う事が多く一般的だが、稀にわし達の様に暮らす者達も中には居るのだよ」
「知らなかったわ…でも、どうして大人達は皆それを黙っていたのですか?」
「いや、黙っていた訳で無く、多分…知らない大人達が多いと言えるだろう。知っているのはほんの一握りの連中だけだと思うよ」
「そうだったの…ねえ、新良貴方はどう思う?」
理亜は、隣で食べ物に夢中になっている新良に声を掛ける。
「ん、何が…?」
と、食べ物を口にしながら理亜の方へと振り向く。
「貴方ね…さっきまでの私達の会話聞いていなかったでしょう」
理亜は、呆れた声で新良に言う。
「うん」と、はっきりと新良は返事をする。
曽信は笑いながら二人を見ていた。その時、辺りを見渡していた志邦が突然何か呟き始める、それに気付いた曽信が「どうしたのだ?」と、志邦に向って声を掛ける。
「主が怒っておられる」
「誠か…」
曽信は目を閉じると「ふむう…」と、深く頷く。
二人の会話が、少し深刻そうな会話に聞こえた事に気付いた理亜は、
「どうしたのですか?」
と、声を掛けると曽信が言う。
「樹王付近に何者かが立ち入ったらしく、周囲の気配が変わったのである。恐ろしい事をする者が居るのだな…。樹王様は、この島の守護霊であり、むやみに周辺に近付く事は禁じられているのに…最近の輩は、それを無視して安易な気持ちで勝手に入るから困る。あの場所が何故、危険呼ばわりされているか知っているかね?」
「詳しくは、知りません」
と、新良は答える。
「身の毛も弥立つ、恐ろしい生き物の群れがあるからだ。人の背丈を遥かに超える、古くからの生き物が、あの周辺には住み着いているのだよ」
その言葉を聞いた理亜と新良は、互いの顔を見て大事な目的を忘れかけていた事に気付く、
「こうしてはいられない、行かなきゃ」
と、新良は理亜に向って言う。
新良の言葉に理亜も頷く。二人は、立ち上がる、それに気付いた曽信は、
「いかが、致したかな?」
「僕達、大事な用があるので、これで失礼させて頂きます」
「お食事、どうも有り難うございました。また機会があったら、いろいろお話を聞かせて下さい」
理亜は、二人に向って礼を述べる。
新良と理亜はトビトカゲの場所まで走って行く。鞍に乗ると準備を整えて、すぐに出発をする。
風を切る様な速さで風輝は、その場から勢いよく飛び去って行く。その場に取り残された曽信と志邦はトビトカゲが去った方角をじっと見ていた。
「ねえ、あの二人ちょっと変わっていなかった?」
理亜は新良に話し掛ける。
「そうかな…、別に気にはならなかったけど…」
新良は首を傾げて答える。
「そう…それなら別に良いけど…」
理亜は、それ以上何も言わなかった。二人は、その後しばらく無言のままだった。
中央樹の方角を目指して風輝は、枝から枝へと異常な速さで飛び続けていた。新良の背に掴まっている理亜は「ちょっと、早すぎない?」と、薄目で新良に向って言う。
「早くしないと、間に合わなくなっちゃうよ」
新良は、大声で言う。
枝を飛び越え続けている風輝の前に、巨大な樹が見え始めて来た。新良は大きな樹が見え始めると「中央樹が見えて来た」と、理亜に言う。風の抵抗で思うように目を開けない理亜は
「中央樹に着いたら、祭壇の反対側へ」
と、大声で言う。
枝を飛び越え続けている風輝は、乗り手の新良が手綱を強く引っ張り、その指示で中央樹の広間へと飛び降りて行く、勢い良く飛び降りた為広間周辺に大きな物音を立てた。その付近に朝早くから来て居た、わずかな人達は何が落ちて来たのだろうと驚いて風輝の方へと目を向けた。
わずかな距離でありながら、素早く移動して来た風輝は少し息を切らしていた。乗り手の新良は、さらに風輝を走らせて祭壇のある場所へと向かわせる。新良の後ろに乗っていた理亜も速度が穏やかになると、目を開けて周囲を見回す。
中央樹の祭壇へと近付くと「後方へ」と、新良に指示を出す。
新良は中央樹の後ろ側へと、風輝を向かわせる。途中見慣れない老人が風輝に乗った新良達を見て「こら、子供達は歩きなさい」と、声を掛ける。
中央樹を周って後方へと風輝を走らせている時、新良は以前別の目的で、この付近を来た事を思い出した。その時、父登武を探す理由だったのを新良は覚えていた。今回も父登武の為に来ているが、前回とは来ている理由が少し異なっていた。
太い木の根が入り組んでいて、まるで行き先を遮る様にも思えた。陽の光が届かず薄暗い道を風輝に乗った、新良と理亜は辺りを見渡しながら、奥へ奥へと…向かって行く。
二人を乗せた風輝は、やがて行き止まりにぶつかる。「道が無いよ」と、新良は理亜に向って言う。その付近を見ると、以前その周辺には数人の老人達が居た事を新良は思い出す、そして行き止まりの場所付近の、一番奥に貫禄の良い老人が居た事をまだ覚えていた。
「もう少し、壁側まで行って…」と、理亜は新良に言う。
理亜の言葉通りに新良は、風輝を奥の壁際まで寄せ付ける。風輝の背に乗っている二人は何とか手の届く距離へと近付く。
壁の近くへ理亜は手を伸ばす。
「やっぱり、父さん達はここへ来たわね」
「どうして、分かるの?」
「結界の幕が、薄くなっているから…」
「それより結界が、何処にあるのか全く分からないのだけど…」
新良は先程から辺りを見回していたが、それらしき物が何処にあるのか全く見付けられなかった。
「ここにあるの、人目を避ける為見えないようにしてあるの。樹王には二つの結界が張られていて外側と内側の結界があるの、ここが外側で樹王の森の近くにあるのが内側なの、外側の結界は一度解いた後、出る時にもう一度解かないといけないのよ…今から私が結界を解くわ、そうすればすぐにそれが分かるわ」
理亜は、そう言って不思議な言葉を発する。
聞きなれない言葉を新良は、しばらく聞いていた。まるで何処か異国の言葉の様にも思える意味不明な発言を、理亜は発していた。一瞬、新良は理亜の頭が、おかしくなったのでは…とも思っていた。
そう思った次の瞬間、それまで壁だった場所に道が現れた。それを見た新良は目を丸くして驚いた。
「本当に結界が張られていたんだ!」
それを聞いた理亜は、少し笑みを浮かべた。
「結界が解かれたわ。さあ、急ぎましょう」
理亜は、少し息を切らして疲れた表情で言う。
「う…、うん」
新良は戸惑いながら頷く。
奥へと通じる道が開き二人を乗せた風輝は走り始める。わずかに薄暗く少し湿った空気を感じる、長い洞窟の様な道が続く。洞窟と思われるその道は、良く見ると、木の根の様な蔓状の物で出来ていた。
しばらく洞窟の様な道が続いた。視界が悪く気味の悪い景色が長く続く。永遠に続くと思われていた暗闇の中から、前方にわずかな光が差し込んで来るのが見えた。
「見て、光だよ」
新良は、少し嬉しそうに言う。
「あんまり安心しないでね…その先が危険なのだから…」
光の差す方向へと新良は、風輝を走らせる。洞窟の様な場所から外へと出た瞬間、新良は風輝を止めて辺りを見渡した。「何…一体ここは…?」と、目の前に広がる風景を見て新良は思わず呟いた。
目の前には大きく深い谷が楕円状に長く伸びて、広がっていた。谷の向こうには自分達が住んでいる森と同じ木々が生い茂っているが、何処か不気味な印象が感じられる。空は晴れているが森の中央部付近には薄暗い様な部分が見えていた。
「ここが樹王付近よ…、私は過去に一度、この場所に父さんに連れてこられたわ、この場所を知るのは番人としての務めだと言われて…。でも一目見ただけで、すぐに立ち去ったわ…。とても人が立ち入る場所では無いわ。それに樹王は、噂ではこの森のさらに奥深くにあると言われているのよ」
理亜は体を震わせながら話す。
「確かに…何となく、その意味が良く分かる気がするよ」
樹王の周辺を見ているだけで新良は、背筋が凍るような感じを受けていた。
辺りを見渡していた理亜が、少し離れた場所に人らしき者影を見付ける。
「向こうに、誰かいるわ」
と、言って指さす。
それは新良達が居る場所から、そう遠く無い場所だった。大きな橋があり、その橋の手前に数人の人達の姿があった。新良はそれを見付けると、「行って見よう」と、一声掛けて風輝を走らせ橋の手前へと向かう。
わずかに連なる平面の地を風輝を走らせた、近くへと行くと大きく見えた橋が実は巨大な樹の根だった事が分かった。蔓状に伸びた根の一部分が、橋の様に伸びていた。その場所まで行くと新良は橋の手前に居る人の近くまで風輝を走らせる。
勢い良く橋の手前に着地すると橋の手前に居た人は、驚いて物音のする方へと振り返り「何事だ!」と、言ってその場に居た者が叫ぶ。新良は聞き覚えのある声と年老いた、その見憶えのある姿に気付き大声で「黄洋さん!」と、大声で言う。
黄洋も、目の前に突然現れたトビトカゲに跨り、その背に乗った二人の子供をみて見覚えのある子供の姿に、
「新良よ、どうしてお主が、この様な場所へ来たのだ?しかも後ろに乗っているのは、敬宇の娘ではないか…」
「お早うございます。黄洋さん」
と、理亜は挨拶をすると、風輝の背から降りて命綱の錠を外し、ふらふらとした足取りで黄洋に近付いて行くが途中で足がもつれて倒れた。
「大丈夫かね?」
と言って、黄洋が側へ行き支える。
「有難うございます。ところで、父さんは、何処にいます?無事でしょうか?」
涙声で言う。
「何、心配する事は無い、皆は無事だよ」
と、黄洋は笑いながら答える。
「え…本当ですか?」
二人が話している中、新良も風輝から降りて二人の側へ行き、
「黄洋さん、皆無事って本当ですか?」
と、慌てた口調で尋ねる。
「ああ…本当だ、樹王には巨大な獣が住みついているが、こっちから手を出さない限りは向こうから襲ってくる様な事は無い」
と、黄洋は答える。
新良は、それを聞いてホッと胸を撫で下ろした。
黄洋は理亜を支えていた手を放し、新良に支える様に言う、新良は理亜の側へ行き、橋の近くまで連れて行き休ませる。理亜は父の無事を知ると「良かった」と、両手で顔を隠しながら呟く。
その時、ふと疑問に思った事が一つ現れて黄洋に話し掛ける。
「ところで、どうして黄洋さんここへ来られたのですか?」
「まあ…その辺の経緯を話すと、少し長話になるが良いかの?」
「お聞かせ下さい」
「ふむ…」
ヒゲを撫でながら、少し間を置き話し始める。
「つい最近の事だったのだが…私の所に一人の男性が現れたのだ…。彼の名は唆丙、最近島で噂になっている妙な連中の一人だったのだよ。最初私は断った。しかし彼は何度も私の所へ来た。そんな中、ある日私は飲み場で、彼と話しをする事を決めた。彼は私と席を一緒にすると、まず始めに登武の事を私に持ち出し始めたのだよ。その後、自分達の島での暮らしを話して来た。そして私に樹王への行き方に付いて聞いて来た。何か企んでいるのは目に見えていたのだ。私は、この事を他の仲間達に相談を持ち掛けて、少し驚かしてやろうと思ったのだよ。そんな中、彼と私は日を決めて樹王へ行く事になったのだよ、私は、皆に協力を求めた、登武以外の者達に…。まず先に手を上げてくれたのが敬宇だった。そして数人の猟師も参加してくれる事にもなった。これなら大丈夫と昨日までは、計画通りに進行していた。しかし予想外の事が当日になって起きたのだ。まさか連中が登武を連れて来るとは…私達の誰もが思ってもいなかったことだった」
話を聞いて昨日の晩、父登武の元に例の連中が現れたのを新良は思い出した。黄洋の話を聞く限りでは、父は今回の事は、知らなかったとも言える。しかし父の知り合いが利用したか、もしくは上手く誘いに乗せたと考えられる。
「その唆丙と言う人物が今回の出来事の、一番の原因と言う訳ですね。彼が父をたぶらかして樹王にまで連れて来させた事になるのですね」
「そうとも言える。しかし登武が自分から来た事は事実だ」
それを聞いた新良は何も答えられなかった。登武が自ら選んだ選択となると、こちら側は他に言いようが無い。事実、新良は昨夜、父登武が母に向って話しをしているのを聞いていた。
「わし等も、いろいろ考えたが今回は登武を連中達と一緒に行動する事を認めたのだ。正直な所、ここまで唆丙が計算していたとは思っていなかったよ。見事なものだ、まあ…今の所、森の奥に向った彼等に何の問題も発生してはおらぬから、その辺は安心して良いと思うが…」
「ですが…もし仮に問題が発生した場合は、どう対処するのですか?」
「最悪の場合の事までは、考えておる」
その時だった…突然、森の上空を巨大な鳥達の群れが叫び声を上げて飛び立った。まるで断末魔の叫び声の様にも思える、耳を塞ぎたくなる声が上空に響き渡った。その光景に唖然と上空を見上げていた新良を含む三人達と数名の人達は見た事も無い巨大な怪鳥達の群れが、上空を覆い尽くすように飛び回る異様な光景に言葉を失う。
「あれは、一体何なの…?」
理亜は声を震わせながら言う。
「もしかしたら…、森の奥で騒動が起きたかもしれない…」
黄洋は唖然とした口調で言う。




