68話 はじまりの朝に
《悪いのは全部私だ――》
終わりのみえない自責の念は、彼女から笑顔を奪った。
夜――1人の時間は、何もせず机につぷっしている。
対面に座っているはずの人物はそこにはいない。
どれだけ辛くても、どれだけ孤独でも夜は明ける。
朝になれば、無理にでも外に出かけなければならない。
『お前は少し休め。死にたがりと一緒ではいらぬ犠牲が増えるからな』
同僚の言葉。
「……別に死にたいわけじゃない」
生気のない瞳で虚空を見つめている。
弟レアンの失踪。
自分は驚くほど脆弱なのだと、彼女――ウェイは思い知らされた。
「どうして何も言ってくれなかったの……」
ウェイはつぶやく言葉に嫌悪を覚えた。
《賛成なんてできるわけがない。弟を守ることが私の役目だもの。違う……結局、私はレアンに依存していただけ》
「……こんなじゃダメだよね。ここは、レアンが帰ってくる場所だもんね」
気丈に、強引に自分を奮い立たたせるための虚言。それでも、少しづつでも活力は戻りつつある。
「ん?」
ドンドンと扉を叩く音。
「レアン!」
ウェイは、何の警戒もなく玄関扉を開け放った。
「…………」
歓喜の感情は一瞬で押しつぶされた。
月明かりを背に立つ人影。ウェイは落胆をそのまま怒りに変換して、身構えた。
サク族の中かでも、上位の戦闘能力を誇るウェイ。その威圧感にたじろくこともなく、人影は手の内に火を灯した。
複数の小さな火球が室内を照らした。
「夜分にすんません。レアン君のおねえさんであってます?」
吟遊詩人のような出で立ちの男。でも、上質の布地からはくたびれた印象はまったく受けない。
どこか作り物めいた人物。
「……アナタは?」
訝しがるウェイを無視して、男は話を続ける。
「アラヤちゅう、レアン君のゆう……知人です」
「レアンの?」
緩む表情を必死に押さえつけ、ウェイは平素を装う。
「これを」
差し出された一房の毛束。
「……これは?」
《みたくない。みちゃだめ》
「すんません。骨は拾ろえへんかった。本当にすんません――」
続く謝罪と説明の言葉。
壮絶な最後。仲間を守るために身を挺した。
「レアンはまだ生きてます!」
「お姉さん、レアン君は死んだんや。名誉の死を否定なんかせんで下さい。そんなのはただの冒涜やで」
どこまでも平行線。
アラヤはそっと遺髪を置いて外に出た。
残された部屋。すでに灯りは消えている。
「こんなもの――」
投げ捨てようと遺髪を掴んだ手が途中で止まった。
脳裏に浮かぶ在りし日の記憶。
いつの間にか背が伸びて……。頭をなでようとすると『もう子供じゃないんだから』と口惜しそうにはにかんだ弟。
「レアン……」
ウェイはその場にくずれ落ちた。
声も出さずに泣きじゃくるウェイ。まるで思い出が、悲しみと一緒に流れ出してしまうことを恐れているようだ。
それでも日は昇る。それが世の理だ。
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「――ウェイ姉さん、今帰ったのかい? 電気もつけないで……あれ泣いている? 俺……僕なんかしたかなぁ?」
黒髪に藁が付着している。寝癖がなんとも無防備だ。Tシャツに短パン。完全に部屋着だ。
「…………」
「本当にどうしたんだよ? 幽霊でもみたような顔してさぁ」
ウェイの顔色が一変した。枯れたはずの涙が再びあふれ出した。
「うわっ!?」
ウェイが黒髪の青年に飛びついた。
ゆらゆらと揺れるフサフサの尻尾。
「よかった、よかった。おかえり、レアン」
「……ただいま? 別に――」
『別にどこにも行ってないんだけど』
その言葉を青年は呑み込んだ。
この笑顔を曇らせる必要も、必然性もないのだとわかっているから。
望まれたように、求められた通りに変化すればいい。
もう違和感を感じない。
黒髪の少年――レアンが、ぐいーっとウェイを押しのけた。
「今日は、農場に早く行かないといけないんだよ。姉さんだって今日から遠征だろう?」
「…………お姉ちゃん、レアン成分が足りてないから、お仕事お休みするもん」
「本当にどうしたんだよ? サボるなんてらしくもない」
やれやれとレアンが頭をふった。
「もうどこにも行かないからさ。ずっとそばにいるから――」
その言葉を心待ちにしていたウェイは、安堵の表情を浮かべた。




