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67話 殺戮の魔獣

血の匂いで目が覚めた。


 ねぼけているのだろうか。目前の光景がよく理解できない。

 遠方では黒煙が立ち昇っている。


 自分の両の手に視線を落とす。見慣れた手のひら。こびりついた赤黒い汚れ。

 見上げた先では木葉が揺れている。


 木の幹をを背にしてうたた寝していたらしい。


「――おい」

 鍬を手にした少年が、睨みをきかせている。

 もしかして、この木陰は少年のお気に入りの場所なのかもしれない。

 農場の子供だろうか。懐かしいな。


 ……至るところに点在している物体は、案山子だろうか。

 でもあまり人の形を模していないものが多い。


 上半身だけとか、真ん中が抜け落ちているモノとか。



「……ごめん。すぐにどくから――」

「――お前、喋れるのか?」

 おかしなこと聞くものだ。この子はもしかすれば獣人を見たことがないのかもしれない。

 少年がかたかたと震え始めた。


「寒いのかい?」

「黙れ、黙れよ。どうして、どうして――」

 下唇を噛みしめ、ポタポタと血を垂れ流す少年。

 どうして彼は、怒っているのだろう。


『オトウサン、オトウサン、ねぇ、おきてよ』

 か細く震える声がする。視線を少年からずらす。ずっと後方で、年端もいかぬ女の子が案山子にすがりついている。


「彼女はキミの妹かい?」

「っ!? 妹はやらせない! 何があっても俺が守る!」

 困っているみたいだし、力になってあげたい。

 ゆっくりと立ち上がる。


「……まだ、殺したりないのかよ……。お願いですから、俺はどうなってもいいから……妹だけは、イモウトだけは――」

 顔をくしゃくしゃに歪めて、地に頭を押し付ける少年。


 怒りすら覚える。この兄妹を苦しめる元凶を早々に刈り取ってあげたい。

 

 伸ばす手。恐怖に萎縮する少年。


「――そこまでや」

 響く弦楽器の音色。

 聞き覚えがある。


 誰だっけ? 


「その反応、僕のことは覚えていないみたいやな。僕はアラヤちゅう、元吟遊詩人や」

 吟遊詩人? 語り部。色々な世界に誘ってくれる。昔どこかで……。

 すぐには思いだせそうにない。


「アラヤさん、この子たちが困っているみたいなので、助けるのを手伝ってくれませんか?」

 アラヤさんがジーっとこちらに視線を注いでくる。


「顔に何かついています?」

 たしかにひどい格好をしている。衣服はほとんど形をなしていない。


「――立てるか」

 少年を強引に立たせるアラヤさん。


「……ゴロじぃてやる。ころ、してやる――」

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔。でも、その瞳からは強い感情――怒りの色が見受けられる。

 


「その道の先には地獄しか待ってへん。妹と強く生きるんや。今日の事を忘れるくらい幸せになるんが、一番の復讐なんやで」

 今にもこちらに飛びかかってきそうな少年をアラヤさんが抱き止めた。


 不思議だな。何もしていないのに弦楽器の音がする。

 少しの応酬の後、少年は意志をなくした表情をしてフラフラと一人で歩きだした。

 どうやら妹の元へ向かうようだ。


 大丈夫だろうか。


「行かせたれ。それともまだ殺し足らへんのか?」

 殺す? 僕に投げかけた言葉なのだろうか。


「こんな最悪の結末になってもうたのは、僕の責任でもある。だから――」

 また弦楽器の音。身体の自由が束縛される。


 赤い装束が気に障る。こんな所では死にたくない。いや、死んではいけない――


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「……ボクは自分の弱さが恨めしい。結局、誰一人救えへんのやさかい」

 消え入りそうな声。


 引き裂かれたマントに、拉げた花飾りのついた帽子。

 …………ほんの一瞬で、瀕死の重症を負っているアラヤさん。


「なんやその顔? ほんとにムカつくわ。どこまでも悪意がない顔をしおって……」

 

 ……僕がやったのか。点在する案山子一つ一つを順に視線で追っていく。

 みな微妙に違う造形をしている。


「なぁレアン君、あの残骸が、何に見える? ――その様子だとまだ良心は死んでへんのやな。だったら、残った心をかき集めて ”人里には二度と近よらない” ”二度と人を殺さない”と誓うてみぃ!」

 捲し立てるような早言葉。言い切ってから盛大に吐血した。


 赤い鮮血。暖かそうな血の色。


 

 笑い合う家族。黄金色に実った穀物の収穫は目前だった。

 

 覚えている。


 家族を仲間を守るために農具を手にとって向かってくる。


 邪魔だと思った。お前らもあの人を害するつもりなんだろう。


 柔らかい肉の、生暖かい感触は鮮明に思い出せるのに。


 あの人の名前も思いだせない。


 ……そうだ髪はたしか赤い色。


 すぐにでも忘れしまいそうだった。だから、赤い鮮血を浴び続ければ……。


「ア”ァァァ――」

 声にもならぬ咆哮が響いた。


 

 


 それが僕――半獣人レアンの最後の記憶だった。

 







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