52話 深窓の魔者-2
伽藍洞の空間。
広い部屋に天蓋つきの寝台が安置されている。
揺らめく燭台の炎が、うすぼんやりと室内を照らしている。
網目上に編み上げられた純白の布地。その隙間から中の様子を窺うことはかなわない。
「……こちらまでお越しください」
か細い声、儚げで今にも消え入りそうな声色。
《畏れるに足りず》
畏れも疑念も感じていないバードスは、躊躇わない。
堂々と王者の風格すら醸し出し、寝台の元へと歩を進める。
「……早くこちらえ」
「一つよろしいか」
バードスが歩みを止めた。
「…………」
「無言は了承と捉えてよろしいか。――では、問おう。貴君の正体は先代の魔神なのであろう」
「ッ…………どうして、そう思うのだ?」
「こう見ても私は野心家なのだよ。常に謀略を巡らせている」
「狡猾なプロメテウスがそれを許すとは思えんが」
「あれは人にあらず。人の世の移ろいなど些事だと捉えている節がある。嘆かわしいことだ、私のような人徳者こそ統治者に相応しい」
「其方の戯言を否定す気もおきんのだが、もし、そうだとして、何故、吾の招きに応じた? 共に謀反を企むとでも」
「そうだとも、私は憂いている。一歩国の外にでれば汚らわしい獣人が我が物顔で闊歩している。力なきものは選ばれし我らに不満を募らせている。この体たらく、この終末、この黄昏に終わりを与える英雄が必要だ――」
バードスが熱のこもった声で、演説を続ける。抑揚や緩急をつける喋り方はどこか作り物じみている。
「――先代の、アナタの統治は素晴らしかった。名だたる歴史家がそう書き記している。魔王より力を簒奪せし、建国の乙女よ。我と共に覇道を歩んではくれまいか」
芝居がかったセリフ。正誤など関係ない。バードスはそんな些末なことを気にも止めない。
「ふふっ、おかしなものですね。アナタの言葉を聞くと冷めきった身体に熱がこもるようです。ワタクシはこの日を待っていたのかもしれませ。では、この傾国の御手をとりなさいバードス・クラミニア」
天蓋の中に灯りが灯った。壁に投影された影が手を伸ばしている。
「仰せのままに我が君よ」
バードスが寝台に近づき、傅いた瞬間
鋭利な突起物が天幕を貫いた。
小柄な身体が宙に浮いた。破れた天幕もろとも壁にぶつかり崩れおちた。
「――うっ、ゲホッ、ゲホッ」
「甘くみられたものだ。このような猿芝居では、今日赤子ですら騙せぬぞ」
バードスが頬についた掠りキズを手で拭った。
「……まだだ。まだ終わってはいないのだ」
緋色のツインテールに華奢な身体。まだほんの子供だ。
薄汚れた衣服は、ここの使用人にすら劣る身形だ。
場末の酒場。そんな場所がお似合いなのかもしれない。
「もう少し知恵を使ってはどうかね。それこそ豪奢ドレスにでも身を包み黙っていれば、可愛がってやれたものを」
「そんな苦行は御断りなのだ。フム、しかしながらバードスとやらお前は何もわかっていないのだ。所詮は浅ましい下賤の者だ!」
「浅ましい? この私がか、とんだ世迷言だ。私ほど優れた人間はどこにもいはしない」
「お前などレアンやラフィ、そしてバニカの足元にも及ばない」
「レアン、確か世話係であったな。ラフィ……たしかゴラシの酒場の店主か。バニカ……知らぬ名だ」
「……吾をこれ以上怒らせるなよ。バードス・クラミニア」
少女――ノーマが下唇噛みしめている。
左手人差し指から半透明の物体が伸びている。
緋色のそれはレイピアのようなフォルムをしているが、重さは不思議と感じられない。
「痛ましいな。そのような下位の宝石魔術など下位騎士ですら使わんよ」
バードスが笑みを浮かべながら、パチンと指を鳴らした。
次の瞬間、室内に灯りが満ちた。真昼のような眩しさにノーマが顔をしかめた。
「……それは」
「どうだ美しいであろう」
バードスの足元で炎が蠢めいている。
その様はまるで生きた蛇だ。鎌首を持ち上げノーマを狙っている。
「確かに吾は蛇が苦手なのだ」
ノーマが身がまえた。身体を重心を低く保ち、人差し指を胸前で構える。
一拍の間。そして
火蛇が跳ねた。まるで鞭のように身をくねらせながら高速でノーマに肉薄する。
半身をずらし、寸前のところで回避行動に成功したノーマが、好機とばかりにバードスの間合にすべりこんだ。
――ガチンと火花が散ってノーマのレイピアが打ち砕かれた。
茫然自失のノーマを取って返す火蛇が蹂躙する。
華奢な身体が締め付けられ、衣服が煙を上げる。
「あああっ――――!!!」
声にもならぬ咆哮がこだまする。
「もう終わりか? つまらん」
高温の火蛇に徐々に焼かれるノーマは、半ば意識を失っている。
バードスが口元を歪めた。
「そうだ思い出した、バニカそうだ。あの卑しい獣人の名か――」
紡がれる罵詈雑言。ノーマが薄っすらと目を開けた。
【離せ】
「…………?」
【その存在を我に捧げよ】
拘束をやめた火蛇の背中にノーマが口づけをした。
一瞬にして火蛇は消滅した。その残滓――火の粉をノーマが深紅の瞳で見つめている。
「な、なにをした?」
急激な態度の変化。先程までの威厳はどこにも存在しない。
青ざめた顔に、だらだらと流れ落ちる冷や汗。
「其方はたしか歴史に傾倒しているのであったな。では、蠍の火毒と言えば通じるかもしれんな」
「……まさか!?」
「よかったなぁ。歴史の真実とやらが垣間見れて」
「た、たすけ……つい、あづいぃ――」
痛みにのたうちまわるバードスを見下ろすノーマ。
「強者であることは時として痛みを伴うことを知るのだな」
そう言い残してノーは立ち去った。
堂々と正面口から出奔したノーマを咎められるものはどこにもいなかった。




