49話 パラディソスの獣
薄暗い路地裏。
「お前、誰だ?」
緑色の装束を身に纏う中位騎士が、路地先を塞ぐ人物を見咎めた。
「………GUuuuu」
人影は言葉を発す代わりに、低い声で唸っている。
「お前、酔っ払いか?」
相も変わらず返事はない。
《今日は、ついてねぇや。善人ほど悪い目にあうとか。統治神さまは何を考えているのやら》
「おい、さっさとどけ! いくら俺が善人でも――」
音もなく人影が形を変えた。
その様はまるで――四本足の獣。
音もなく中位騎士に肉薄した獣は、するどい爪で皮を裂いた。
緑色の布片が宙をまった。
「――やめ」
懇願も通ず、咢が喉元をめがけて開かれる。
「ッ、やめろよーーーー!」
絶叫とともに火花が、空間をほんの一瞬だけ照らした。
獣は壁を蹴って、距離をとった。
体勢を低く保ち、様子を窺っているようだ。
「ハアッ、ハアッ、そうだよ。俺は、中位騎士、選ばし者だ。こんな所で死ぬわけがない」
いくぶんかの冷静さを取り戻した中位騎士が、詠唱を開始した。
現界した火をチラつかせる戦斧――三本の片手斧が足元の地面を抉って突き刺さった。
近接武器というより、投げやすさを重視した形をしている。
「お遊びの時間は終わりだ」
自分優位と判断し、警戒心を解いた中位騎士。その慢心をつかれた。
それは一瞬の所作。身体をしならせて、ばねのように飛び跳ねた獣が、中位騎士とすれ違った。
手の内からこぼれ落ちた片手斧がガチャッと耳障りな音立てた。
壁と地面を汚す赤色。
「…………」
何らの感情も伴わない双眸が、一度だけ、モノ言わぬ物体に視線を向けた。。
ただし、それは一瞬のことだった。
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「はい、はい、定期巡回ですよ。さっさと収めるもん納めてもらいましょうか」
《このゴミクズ野郎が。たかだか、第一階層のくせに、調子に乗りやがって。それも、ほんの少しの辛抱だ》
芳香が香る店先。後退した生え際に、でっぷりと膨らんだ腹回り。彼――花屋『フィオーレ』の店主は、作り笑顔を張り付けた。
「どうした? もしかして拒否ってわけじゃねぇよなぁ」
灰色のくすんだ髪に、無精髭。青色の装束を身に着ける下位騎士――ノーマンが低い声ですごんだ。
「滅相もない、旦那。今準備、してきますので少々お待ちを」
店主が店の奥に引っ込んだ。緩慢な動きがノーマンを苛立出せる。
「イラつく。ああ、イラつく」
ノーマンが切り花を保管している縦長の瓶を蹴とばした。
割れた破片ともども花を踏みつける。
憂さ晴らしに、次々に花瓶や鉢植を蹴り飛ばす。
「ああ、ようやくだ。ようやくこの日がきた」
ノーマンが微かに口元を歪めた。
「――だ、旦那?」
舞い戻ってきた店主が、唖然とし目を丸くしている。
「準備はできたか?」
「……はい。しかし、これは一体?」
店主が語気を強めた。
「その対応は頂けない。悪いのはお前だ。何故、準備をしていない?」
「……これを。……いつもより多めに入れておきましたので」
困惑する店主が、手にした革袋を上下に振るった。
ジャラジャラと金属がぶつかる音が響く。
「違う。そんなモノに価値はない」
「何を言って……」
無表情のまま歩みよるノーマンと後ずさる店主。
「さぁ、お祈りの時間だ。己の奉じる神とやらに祈れ――お前は何者で、約定を誰と結ぶ。我が君か、それとも彼の王か」
「――――――」
言葉にならぬ絶叫に反応するものはどこにもいなかった。




