46話 バニカ-3
ゴラシの入口――下位騎士の詰め所の前を堂々と通り抜けている。
出て行く時は声を掛けられるけど、入る時はほぼ顔パスだ。
でも、ラヒィは半ば強引に検問を突破したと言っていたから、多少の騒ぎは覚悟している。
「おい」
後ろから声がかかった。即席ではあるけれど、言い訳も考えてある。だから、焦る必要はない。
「…………こんにちは――」
振り向いて、ほらいつも通り笑みをつくって、人畜無害のレアンを演じるだけだ。
「おい、どこに行きやがる」
伸ばされる手先をラヒィが叩いた。
「やるのか? この飲んだくれが! ヤバッ」
口元を慌てて抑えるラフィ。緊張の糸が断線して、悪態をついてしまったらしい。
今のラヒィに感情を制御する余力はないみたいだ。
「ラフィが、正当な手続きも踏まずに外に出たのは、僕が急用を頼んだからなんです」
「急用だぁ?」
灰色のクセ髪に無精髭、吐く息が相も変わらず酒臭い。
「そうです。屋敷の料理人が急病で倒れてしまって、大貴族のご主人様は美食家で……ラフィに助けてもらおうと……ごめんよ、ラフィ、急に呼び出してしまって」
「いいってことよ。友の頼みは断れるわけがない。それに喜んでもらえたしな」
ラフィの方が演技が自然だ。苦しい言い訳だけど、下位騎士のノーマンでは事の次第を確認することはできないはずだ。
第一階層は、第四階層の威光に逆らえないはずだ。
「そうか、行っていいぞ……だとでも言うと思ったか?」
ノーマンがラフィの肩を強引に掴んだ。
「獣クセェ、クソドブをどこの貴族様が飯し上がるって? つくんならもっとましな嘘をつくんだな」
握られて拳がラフィの顔面めがけて振り下ろされる、その刹那。
「やめるのだ」
凛としたそれでいてどこか憂いを帯びたノーマの声が響いた。
ノーマンが動きを止めた。
「それ以上の愚行を、吾は看過できない」
「……これはこれは、麗しの君、ノーマ様。ご機嫌麗しゅうございます」
大仰な仕草で、ノーマンが頭を垂れた。けれど、言葉から敬意は感じられない。
そもそもノーマが一緒にいたことは最初からわかっていたはずだ。
「レアン、ラフィ、早く行くのだ」
「……でも」
ノーマ対して、ノーマンが形だけでも敬意を払う理由。
それは……「花嫁候補」。その言葉が頭を過る。
後々、このことが原因でノーマが辛い目に会うのは嫌だ。
「レアン、行こうぜ。バニカが助けを待っているかもしれないんだ」
ラフィがずかずかと歩みを進める。ノーマンが顔を上げ、目を細めた。
その冷たい視線には、敵意が込められている。
まるで獰猛な獣が、獲物を甚振り殺そうとしている。そんな印象を受ける。
いつものノーマンとはまるで別人だ。
「その悪意は吾に向けるべきであろう?」
「それは買い被りですぜぇ。小く愚かな君主様」
ノーマとノーマン二人の視線が交錯する。
「……はっ、すっかり酔いが醒めちまったぜ。さっさと行っちまいな」
ノーマが急かすのでおずおずとその場を後にした。
『フィオーレ』には、ノーマが客を装って潜入することになった。
一人では危ないと言ってもとノーマは聞き入れてくれなかった。
ほんの数分後、ノーマが戻ってきた。
「どうだった?」
「うむ、バニカは今――」
ノーマが獲得した情報を簡潔に説明してくれた。
バニカはまだパラディソスにいる。とある貴族の屋敷にいるそうだ。
場所はわかったけど、どうしてそこにいるのかまでは聞き出せなかったそうだ。
「……まだ間に合うのだ。レアン、バニカを助ける覚悟はあるのだな?」
ノーマの真摯な眼差を真正面から受け止めて、少しだけ身震いしてしまった。
「あたり前だろが。アタイ達はどんなことをしたってバニカを助けるぜ、異論はないよなぁ?」
ラフィが肩を叩いてきた。
ここで拒否するなんて選択肢はない……。
けれど、それが最良なのかは正直わからない。
取捨選択。バニカを助けるために自分自身が酷い目に会うことは許容できる。
その行動が、ラフィ、そしてノーマの不幸に繋がるのだとすれば……。
「いくのだ」
「おっしゃ、ひと暴れしてやるぜ」
ノーマとラフィはバニカを助けるために躊躇わない。
己もそうべきあるべきだと、弱い自分――人の部分を無理やりに抑えつける。
「必ず助けよう」
自身の声がまるで他人の者のように感じられた。




