40話 襲撃-1
「イッ」
「傷がいたむのか?」
口の中の傷が中々治らない。それでも、飲み食いをしなければ治るものを治らない。
堅いパンが傷口に触れただけで食欲が著しく減退する。
ノーマはひどい折檻を受けたのではないかと、ことあるごとに心配してくれる。
「平気だよ。それよりさ、今度の休暇、ゴラシに行こう」
「頭もやられてしまったのだな?」
ノーマが食器を洗う手を止めた。
木桶に沈む陶磁器製の器。高価の品だ。万が一にも割れでもしたらしばらくは無休で働くことになりそうだ。
『花嫁』その言葉がずっと頭の片隅から離れない。ノーマはよく失敗する。
高価な壺や絵画を毎日のように損なう。
よごれが一つもない白い食器類。金色の模様があしらわれている。
水をはっただけの木桶に乱雑に放り込まれている。
「――門限を守ればどこにでかけても良いってさ」
「到底信じられぬのだが……」
あの後はとくにお咎めはなかった。
そればかりか、ノーマとの外出も許される始末だ。
アラヤさんが手を廻してくれたのだろうか……。
「でも屋敷にいても退屈だろう」
「うむ、それはそうなのだが……」
「だったら今度はみんなで市場にでも行ってみない?」
「市場とな――」
ノーマが目を輝かせた。
「吾は、買い食いとかしてみたいのだ」
「だったら決まりだね」
「本当に嘘をついていないのだな。もし、レアンが傷を負えば吾の抑えがきかなくなるかもしれん」
……嘘はダメだ。この機会に話を――。
「襲撃だ! 野盗が入ったみたいだ。レアンも気をつけて……」
黒色のクセ毛。使用人仲間。歳が近いためか仕事のことを相談しやすい。
「襲撃って?」
身体を強張らせ、伏し目がちにこちら見遣る。あからさまにノーマを意識している。
「吾のことは気にするな」
ビクッと震えている。顔がみるみる内に青ざめていく。
「緊急事態じゃなかったのかい?」
「そうだ。高位騎士が広間に集まれって。捕まった賊は一人だけど、仲間がいるかもしれない」
とりあえずは平素を取り戻したようだ。恐怖を恐怖で無理やりに打ち消しているて感じでがあるけど。
「ノーマ、一緒に広間に行こう」
ここにいたら危ない目にあうかもしれない。別館の炊事場なんて侵入するには打って付けの場所に違いない。
「吾はいかぬよ」
「どうして?」
「吾が行けば余計に混乱させることになる」
「でもさ。ここにいたら――」
「レアン、早く行こう。俺は獰猛な獣人に殺されたくはない」
中には気性が荒く、悪事に手を染める獣人だっている。
サク族にはそんな輩はいないと思うけど。
「獣人? おい、その獣人をみたのか」
ノーマが唐突に口を開いた。
「……」
「答えよ!」
有無を言わせぬ威圧感が場を支配する。
「……直接は、でも、聞いた話では、獰猛で、牙と爪を剥き出しにして高位騎士に襲い掛かったって……」
「何族の獣人かはわからぬのだな」
「族って言われても……」
声が震えている。今にでも逃げ出してしまいそうだ。
「すまぬ。吾は少し過敏になっているらしい。レアン、その勇者を連れて広間に向かってはくれぬか?」
「ノーマはどうする?」
「吾は小柄だからな、そこの食器棚にでも隠れておるのだ」
悩んでも仕方がない。ノーマを連れて行けば混乱が生じるのはたしかだ。
そんな状況ではよけいに危険かもしれない。
「すぐに戻るから」
「うむ、さっさと平穏を取り戻し、皿洗いの続きをするのだ」
「行ってくる。ちゃんと隠れるんだよ」
そうして別館の炊事場を後にした。




