33話 そして、人間らしく-5
「追求するのは野暮ってもんさね。でも、舞い込んだ好機をみすみす逃すなんてことはしないでほしいんだよ」
「好機?」
「昨晩、ある大貴族の使者がやってきてねぇ。どうにも使用人に欠員がでたらしい。……レアン、アンタを勧誘にきたのさ」
大貴族ということは第四層。たしか、百人もいなかったはずだ。
「驚くのも無理はない。使用人といっても使える相手が大物だ。ただの貴族は自分の子息や弟なんかを奉公にださせるくらいだ」
「どうして俺なみたいな一般人を……」
「数日前、その貴族様が直々に宝石武具を取りにきたのさ。私も、あの人も失念していたのさ。弟子が成した偉業を褒めたたえるばかりで、それが何を意味するのか考えなかった。いや、考えないようにしていたんだね。私達は本当に愚かだった」
女将さんの声が震えている。
まるで何かに怯えるように……。
「……それでも私達の家業を継いでくれるというなら、それでも構わない。その覚悟は昨夜の内に済ませてあるからね」
明らかに女将さんの様子がおかしい。
あたりの状況を探る……工房の周辺に数人の気配。
微かに擦れる布音。押し殺すように呼吸をしているようだ。
匂いはあまりしない。
つまりは、普通の客ではない。
『貴族なんて、あれだぞ。ほしいもんは何だって手に入れるんだ』
唐突に、ラヒィの言葉が脳裏に浮かんだ。
「そうだねぇ、ここを離れなけれならないけれど、きっと大丈夫さ」
女将さんは自分に言い聞かせるように言葉を漏らした。
そんなことが許されるのか? 獣人の社会は力が全てだった。
どれだけ戦果を上げられるか、それだけが指針になっていた。
でも、そこに悪意は介在していない。部族を守り繁栄させるための古臭い価値観が蔓延していたけれど。息苦しくて、疎外感に苛まれたりしたけれど、何かを無理強いされたことはない。
人間の世界は自由で、力が全てではない。そんな幻想を抱いていた。
……嘘だな。薄々とは気づいていて目を逸らしていた。
パラディソスが大小様々な問題を抱えていることは肌では感じていた。
ここでの互助は、小規模な範囲にしか適用されない。
自分と身近さえよければ、他者を踏み台にしても許される。
どうして、ラヒィやバニカが蔑まれなければいけない?
……人間らしく。人間らしく。そう振る舞ってきた。
自分を欺いていた罰があたったのかもしれない。
俺は今、選択を迫られている。
女将さんと親方は俺と同じで第一階層だ。大貴族に逆らったらどうなる。
親方と女将さんは優しいな。全てを投げうってでも助けてくれようとしている。
何に代えても二人のことだけは守らないと。
「……大貴族様に雇われたら、給金をたんまりもらえますか?」
「……そりゃ、今の何十倍も貰えるだろうさ。ずーっと良い暮らしができるだろうよ」
女将さんが懸命に何かを伝えようとしている。
そんな不安そうな顔をされれば、その選択が間違いだって聞かなくてもわかる。
「じゃ、行きます。親方と女将さんには感謝していますけど、別に武器とか作りたくないかなって……貴族になって格好良い宝石武具を買えばいいわけで……美味いものお沢山、食べてみたいですし……ああっ楽しみだな」
女将さんが口元を両手で覆った。顔を上げて、涙を拭ってほしい。そうしないと、釣られて泣いてしまいそうだ。
その後のことはあまり思い出したくない。親方に説得されたけど、聞き流して、強情に反発した。
口汚い言葉も使った。好感度はきっとだだ下がりだ。
工房を出てすぐ、緋色の装束を身に纏った上位騎士に声をかけられた。
偶然を装っていたけど、外で待機していることはわかっていたからあまり驚かなかった。
終始、高圧的な態度で接してきた。終いには、「明日の正午までに、指定した場所まで来い」と一方的に命令された。
ラヒィを巻き込んで大量の酒をあびるように飲んだ。
すぐに酔いはまわったけど、眠りにつく瞬間まで、不安や絶望が頭を離れなかった。




