10話 出来損ない獣人の日常-10
まっ暗な世界。時折、見え隠れする月明りだけが世界を照らす。腰に巻いた皮ひもにぶら下げている短刀。木製の柄にそっと手を伸ばす。
いつからかはよく思い出せないけど、護身用にこの短刀を持ち歩いている。刀身の根元に窪みがある。くすんではいるけど、柄にも綿密な彫刻が施されている。
きっと、名のある鍛冶職人の作品に違いない。姉さん以外にみせたことはないけど。
獣人は戦場や狩場では剣、槍や弓矢を使ったりするけれど、本来は素手で戦う。
獣人は一様に力に優れているから、武器の消耗が激しい。要は、不器用なわけだ。
人を忌み嫌う理由は、そのあたりにあるのではないかと俺は考えている。
人の作る武器は問答無用に腕力の差を覆す。
短刀の柄を強く握りしめる。夜の森には危険が潜んでいる。ブルーパンサーを筆頭にする猛獣が闊歩する時間だ。
刀身に映る自分の姿。襟足が長い黒髪。耳を隠すために伸ばし始めたんだっけ。月が近い、手を伸ばせば届きそうだ。
「――うわっ!?」
肝が冷える。もう少しで落ちるところだった。憂さ晴らしを兼ねて高い木に登ったのが仇になった。
『WOOhOOOOーーーー』
ヤバいヤバい。遠吠えだ。危険を知らせる警報。中継しなけらばならない。
「ワォォォォォォン]
クソ、ダメだ。これでは伝わらない。助けを求めてもいるのか。避難を促しているのすらわからない。
俺が行ったところで……でも、遠吠えは、ラクーン農園のほうから聴こえる。
「迷うな。行くぞ」
頬を強く叩いて、己を鼓舞する。残念ながら俺の身体能力では、木上を渡ってはいけない。意を決して、地面に飛び降りる。
月明かりをたよりに木々の間を縫うように進んで行く。
火の手が上がっている。藁をつめた小屋が焼け落ちる。
農具をしまっていた納屋が火の粉を巻き散らす。まるで、俺の日常が燃えているようだ。柵を飛び越えて母屋……アルの家を目指す。
燃え盛る炎のおかげで昼間のように明るい。無残にあらされた畑は、ブルドーザーに踏みつけられたような有様だ。
喉がヒリヒリと痛む。口元を左手で押さえて進む。もしかすればアル達が逃げ遅れているかもしれない。
一歩一歩進んで行くたびに気力が削がれていく。意識が徐々に鈍くなっていくし、揺らめく炎はまるで意思をもっているようで恐い。
本能が叫び声を上げている。近づくな、近づくな。警告が頭の中で鳴り響いている。
「……!?」
母屋に併設された作業場が見るも無残に破壊されている。元凶は……。
色々な感情が混ざりあって、表情が強張る。喜怒哀楽。どれが正しいかなんて深く考える必要はない。
「ああああああっっっ!!」
声にもならぬ叫び声を上げて、突進する。小さな丘、群生するのは壊れた武具。
手にした短刀を力まかせに突き入れる。近づいて、改めて確信する。これは確かに意思を持っている。
扱い毛皮が、短刀をことごとく阻む。無数に乱立する武具は、鈍らではないのだろう。きっと、業物に違いない。
それでも、攻撃を止められない。
俺は目前の存在をことごとく拒絶し、忌避している。
「お前のせいで、お前のせいで――」
熱にうなされたかのように、意識が朦朧とする――
突然の白昼夢
俺によく似た獣人。鬱屈とした日常から逃れたくて、手を伸ばした。
使用人としての新し日々。そして………伽藍洞の宝物庫の中で、深紅の瞳を携えた少女が口元を歪めた。




