03 紅之蘭 著 鏡 『ハンニバル戦争・ザマ会戦』
【あらすじ】
紀元前二一九年、カルタゴのハンニバル麾下の軍勢は、アルプス山脈を越えてイタリアに侵攻。ローマ迎撃軍を撃破しつつ、アドリア海に沿って南進し、南部のカンナエで、ローマの大軍を壊滅させた。続いて、ローマを包囲したものの、豪胆な元老院議長ファビウスの籠城策に根負けをして撤退した。そしてついに、ローマの若き英雄スキピオが表舞台に立つ。スキピオは、軍団を率いてイベリア(スペイン)戦線に赴くと、攻勢をかけ、ハンニバルの根拠地カルタヘナを奇襲し陥落させた。だが、イベリアにいたハンニバルの次弟ハシュルドゥルパルは、スキピオとの戦いには固執せず、麾下の軍勢とともに、ハンニバルの遠征路をたどって、アルプスを越え、北イタリアに侵入したのだが、ローマの執政官ネロの迎撃軍によって撃破された。他方、ローマのスキピオは、元老院の裁可を得て、シチリア島から地中海を渡って、アフリカ北岸にあるカルタゴの本土を急襲。騎馬民族国家ヌミディアを占領。盟友マシニッサを国王に就けた。スキピオは、ヌミディア騎兵多数を味方につけたことで、優位に立った。ハンニバルとスキピオとの対決は秒読みに入った。――そして、ザマの戦いに。
挿絵/Ⓒ奄美剣星「マゴーネの最後」
鏡
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ザマ会戦の第三段階は、ローマ軍によるカルタゴ軍の掃討戦の形をとったものだ。
戦象部隊からなる第一戦列を失ったものの、千五百のローマ兵を討ち取ったカルタゴ軍は前線していた。というか、ハンニバルの弟マゴーネ指揮によって、逆に押し返してさえいたのだ。そこをローマ騎兵の別動隊が、カルタゴ騎兵を討ち取って、背後に蓋をしてしまった。このことで、ハンニバルが得意とする、包囲殲滅陣形をスキピオがとった形となった。
最後列にいたハンニバルは、自軍が崩壊していくのを座視するしかなかった。
「まずい――」
第三戦列はアルプス越え以来の虎ノ子部隊だ。熟練度が低い寄せ集めの部隊からなる第二戦列を督戦する役割があったのだが、後ろから敵騎兵隊に突かれているのにも関わらず、精鋭ゆえに職務を全うし、後方に逃げてきた味方兵を討ち取りまくっていた。――味方を殺しつつ、自らはローマ兵になぶり殺しにされていったのである。
――もはやこれまでだ。……たとえ豚と言われても生き延びねばならぬ。俺が死んだとき、カルタゴも終わる。
ハンニバルは、退却してきた第二戦列と、指揮下の第三戦列をまとめると、ローマ騎兵の二隊、マシニッサ、レリウスの間をすり抜け、脱出を試みた。
ハンニバルの末弟マゴーネはというと……。
弓形になったスキピオの本隊・歩兵部隊に、半包囲されていたが逃げなかった。最後まで付き従ったのは、カルタゴ市民の志願兵たちだった。長兄とその麾下の部隊がローマの包囲陣形を突破していく殿軍となったのだ。
――スキピオか。やはり強いな。
マゴーネの近習たちが、つぎつぎと討ち取られていく。
馬上のマゴーネは、自ら首に剣を当てがい、自決の直前、麾下の兵士たちに向かって最後の命を下した。
――わが兵士たちよ、よく闘ってくれた。降伏することを許可する。
鮮血が走った。
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ザマ会戦におけるカルタゴ・ローマ両陣営の損害は、カルタゴ軍五万のうち兵士二万が戦死し、二万が捕虜となった。さらに、マゴーネやハンノといった宿将が討ち取られている。対するローマ軍は兵士千五百が戦死したものの、主だった武将は誰も討ち取られていない。
つまり、半数の兵力であったローマ軍が、騎兵の優位を生かして圧勝した形で終わったわけだ。
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ハンニバルの北アフリカ家領バルカの邸宅だ。
鏡台前に座り、侍女に髪をとかせていたハンニバルの妻イミリケは、鏡が突然に割れたのに驚いた。
翌日、密かな恋人マゴーネが、ザマの戦場で散ったことを知った。
戦場離脱に成功したハンニバルは、家領には戻らず、残兵一万を率い、敗戦処理をすべく、カルタゴの同名首都に入城した。
(鏡 了)
【登場人物】
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《カルタゴ》
ハンニバル……名門バルカ家当主。新カルタゴ総督。若き天才将軍。
イミリケ……ハンニバルの妻。スペイン諸部族の一つから王女として嫁いできた。
ハシュルドゥルパル……ハンニバルの次弟。イベリア半島での戦線で活躍。
マゴーネ……ハンニバルの末弟。将領の一人となる。
シレヌス……ギリシャ人副官。軍師。ハンニバルの元家庭教師。
ハンノ……一騎当千の猛将。ハンノ・ボミルカル。ハンニバルの親族。カルタゴには同名の人物が他に何人かいる。バルカ家の政敵に第一次ポエニ戦争でカルタゴの足を引っ張った人物と、第二次ポエニ戦争で足を引っ張った大ハンノがいる。紛らわしいので特に記しておく。
ハスドルバル……ハンノと双璧をなすハンニバルの猛将。
ジスコーネ……イベリアにおけるカルタゴ三軍の一つを率いる将軍。イベリア撤退後、カルタゴで総大将を務めるのだがスキピオに大敗する。
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《ローマ》
コルネリウス(父スキピオ)……プブリウス・コルネリウス・スキピオ。ローマの名将。大スキピオの父。
スキピオ(大スキピオ)……プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル。大スキピオと呼ばれ、ハンニバルの宿敵に成長する。
グネウス……グネウス・コルネリウス・スキピオ。コルネリウスの弟で大スキピオの叔父にあたる将軍。
アシアティクス(兄スキピオ)……スキピオ・アシアティクス。スキピオの兄。
ロングス(ティベリウス・センプロニウス・ロングス)……戦争初期、シチリアへ派遣された執政官。
ワロ(ウァロ)……執政官の一人。カンナエの戦いでの総指揮官。
ヴァロス……執政官の一人。スキピオの舅。小スキピオの実の祖父。
アエミリア・ヴァロス(パウッラ)……ヴァロス執政官の娘。スキピオの妻。
ファビウス……慎重な執政官。元老院議長となり、「ローマの盾」と呼ばれる。
グラックス……前執政官。解放奴隷による軍団編成を行った。
レリウス……本来はスキピオの目付役だったが、スキピオの人となりに惚れ込んで実質的な副将になった。
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《ヌミディア》
シファチエ王……分裂していたヌミディアを統一したが、同盟国カルタゴに加担したため、スキピオ麾下のローマ軍に大敗し捕虜になる。
ソフォニズバ王妃……本来マシニッサの婚約者だったのだが、マシニッサが一時没落した際、マシニッサの敵対勢力だった王統のシファチエ王に嫁がされる。
マシニッサ……シファチエ王に対立していた王統の王族。盟友スキピオに推されて王になる。